「遠い山なみの光」あらすじ・概要・評論まとめ ~複雑な原作の構造を巧みに映像化しながら、未来への一縷の希望を謳う~【おすすめの注目映画】
2025年9月4日 08:30

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本記事では、「遠い山なみの光」(2025年9月5日公開)の概要とあらすじ、評論をお届けします。

「ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロが自身の出生地・長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作を映画化したヒューマンミステリー。日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。
1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。ある日、彼女は執筆のため、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪れる。そこでは夫と長女を亡くした母・悦子が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていた。かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。それは悦子が1950年代の長崎で知り合った佐知子という女性と、その幼い娘の夢だった。
1950年代の長崎に暮らす主人公・悦子を広瀬すず、悦子が出会った謎多き女性・佐知子を二階堂ふみ、1980年代のイギリスで暮らす悦子を吉田羊、悦子の夫で傷痍軍人の二郎を松下洸平、二郎の父でかつて悦子が働いていた学校の校長である緒方を三浦友和が演じた。2025年・第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。

ガザやウクライナの悲惨な状況はもとより、戦後80年を迎えた日本もきな臭い方向に向かいつつある今、カズオイシグロの長編小説デビュー作の映画化が公開されるのは、なんとも意義深い。終戦から9年後に長崎に生まれ、5歳で家族とイギリスにわたったイシグロの、「被爆国、日本」への個人的な思いが反映された作品を、「愚行録」(2017)、「ある男」(2022)などで知られる石川慶監督が渾身の力を込めて映像化した。
1982年のイギリス。久々に母、悦子の実家を訪れた作家志望のニキは、悦子が再婚前に過ごした1950年代の長崎と家族についての話を聞きたいとせがむ。すると悦子は、最近よく夢に出てくる、長崎で出会った被爆を経験した女性、佐知子とその幼い娘のことを語り始める。垢抜けた佐知子は、当時まだ日本に残っていた米兵の彼を持ち、娘が嫌がるにも拘らず、一緒にアメリカに行くことを夢見ていた。一方、悦子は当時ニキの姉にあたる景子をみごもっていた。景子はその後、母と英国人の義父とともにイギリスに移住するものの、異国の地に馴染めず、ニキが小さいときに自殺していたのだった。

50年代の日本と80年代のイギリスがパラレルに進行する、複雑に絡み合った物語を、石川は原作とは多少順序を替えながら、すっきりと繋いでいく。さらに悦子の視点から一人称で書かれた小説を、「謎の多い母の秘密に迫る娘」の視点を通して語ることで、「信頼できない語り手」としての悦子の姿を浮き彫りにして、クライマックスの意外性に至る伏線を散りばめる。その鮮やかな手腕は、「原作もの」に長けたこの監督らしい。

さらなる見どころは、長崎時代の悦子に扮した広瀬すずと、佐知子役の二階堂ふみの共演だ。この一見対照的な、しかしどこかに類似性をも感じさせる演技は決して容易くはなかったはずだが、互いに押しと引きを心得たあうんの呼吸が感じられる。さらに、彼女たちが登場する長崎のパートの、陰影に満ちたイギリスとは対照的な、人工的な明るさをたたえた美しさ。正直、あまり戦後の混乱を感じさせない映像美に、最初は違和感を覚えたのだが、この「非現実的浮遊感」こそが、悦子の頭のなかにある過去のイメージなのだ、ということに気づかされた。
理不尽な戦争の痛手を背負いながら、それでもなお自分なりの生き方を模索し、未来を切り開こうとする女性たちの姿に、一縷の希望が託されている。
執筆者紹介

佐藤久理子 (さとう・くりこ)
パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato
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