【世界の映画館めぐり】アニエス・ヴァルダ、「風立ちぬ」の詩ゆかりの地 南仏セートで黒沢清監督「Cloud」を鑑賞
2025年8月10日 20:00

映画.comスタッフが訪れた日本&世界各地の映画館や上映施設を紹介する「世界の映画館めぐり」。今回は南フランス・セート(Sète)を訪問しました。
セートは南フランスにある小さな港町で、フランスのベネチアとも呼ばれるこの地は、街の中心にある美しい運河が有名です。ニースやカンヌなどで知られるコートダジュール方面の高級リゾート地とは異なる、地方の港町の味わいと庶民的なビーチがあり、時間とお金に余裕があればのんびり長期滞在したくなるような場所でした。そんなセートの映画館訪問の前に、まずは有名な映画に関連するスポットを訪れました。

ヌーベルバーグの母として知られ、晩年まで映画のみならずアート作品発表と、精力的に活動していたアニエス・ヴァルダの長編劇映画デビュー作「ラ・ポワント・クールト」(1955)が、この地で撮影されました。

第2次世界大戦の戦火から逃れるために、母の故郷であるこのセートに疎開していたというヴァルダ。小さな漁村、ラ・ポワント・クルートを舞台に、ドキュメンタリー的な映像と一組の夫婦の会話劇を混在させた「ラ・ポワント・クルート」は、今見返しても新鮮な驚きがあります。


セート中心部から徒歩で到着できるこの漁村には、ヴァルダとその作品にオマージュを捧げる壁のペイントや映画の一場面のようなパペットがあちこちに置かれています。今年は「ラ・ポワント・クルート」公開から70年を迎えますが、観光地として賑わうセート中心部と比べるとすれ違う住民の数も少なく、やや寂れた雰囲気を残しており、時空を超えて映画の中に迷いこんでしまったかのような気分になりました。


また、セートには、日本の皆さんがよく知る映画とのつながりがあります。それは、ジブリの「風立ちぬ」。堀辰雄の小説と同名タイトルのこの映画は、掘が「風立ちぬ、いざ生きめやも。」と翻訳したフランスの詩が引用されています。

それが、この地で生まれ育った文学者、ポール・ヴァレリーが1920年に発表した「海辺の墓地」の一節<Le vent se lève !… Il faut tenter de vivre!>です。ヴァレリーは第1次大戦を経験後、この詩を発表したそうです。セートの街の丘の上にある墓地は、ヴァレリーが眠る墓が一般公開されています。深く青い地中海を眺めながら、ヴァレリーの思想、彼が生きた時代に思いを馳せることができる特別なスポットです。

そして、映画館訪問です。セート中心部には映画館が2件あり、今回は飲食店が立ち並ぶ繁華街で主にインディペンデント映画を上映するCINEMA COMOEDIAをチョイス。3つのスクリーンを擁する中規模の劇場で、映写機も展示されていました。


この日は、黒沢清監督の「Cloud クラウド」が公開中でした。壁には映画評が貼られ、フランスでも人気のある黒沢監督作品の注目の高さがうかがえます。眩しすぎるほどの陽光が降り注ぐ明るいリゾート地で、社会問題にもなっている日本の都市部の若者のリアルな一面を描いた暗く恐ろしい物語を見るのは、自分が知っているようで知らない場所の夢物語のような……とにかく普段の東京での映画鑑賞とは一味違った面白さがありました。


そして、実は筆者が何よりも気になったのは、私の前方に座っていた、近隣のオープンテラスのレストランで食事をした後のようなリラックスしたシニアのカップルの反応です。マダムはバカンスらしいサマードレス姿が素敵。お酒も入っていたのか、上映前にふたりは軽くキスを交わしたりとロマンチックな雰囲気を漂わせており、どちらかというと日本の黒沢清監督作上映劇場ではあまり見かけない客層です。筆者と、シネフィル風な男性一人客が数名という館内、このカップルはなぜデートの夜にこの作品を選んだのだろう……と小さな疑問が。


アカデミー賞日本代表作とポスターに表示されていたので、「おくりびと」のような日本の伝統文化を描く感動作を想像していたのかな……老夫婦がバカンスで見る日本映画だったら同時期にフランス公開されていた相米慎二監督の「夏の庭 The Friends」の方が良いのではないか……ふたりは次の旅行先に東京を選ぶことはないだろうな……いや、ふたりとも黒沢清作品のファンなのかもしれない、それも素敵だなあ……と、帰路ずっと見知らぬカップルのことをぐるぐる考え続けるという、異国での映画館訪問ならではの思い出ができました。

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