中村監督作品に多く関わってきた鈴木監督は、「唐傘」に監督応援として参加したときから、くるせるの作画・演出ユニットを率いてチームとして作品に取り組んでいる。勝手知ったる間柄である中村監督と鈴木監督に、第二章の制作について聞いた。(取材・構成:五所光太郎/アニメハック編集部)
■「応援」から「監督」に
(C)ツインエンジン――「
劇場版モノノ怪 唐傘」公開後に、「劇場版モノノ怪」は全3部作で描かれることが発表されました。全3部作で製作されることになった経緯から聞かせてください。
中村:実は今回の「
モノノ怪」は、もともと映画ではなく配信用の連続物として企画がスタートしていました。それが舞台が大奥になり、
モノノ怪がたくさんでることになり、同じテーマをもとに大奥をいろいろな角度から描いていこうとなっていったとき、これは一気に見てもらったほうがいいのではないかという声がでたんです。それで全体を3本にまとめていくうちに、これはもう映画にしようと、つくっていくうちにギアがどんどん変わっていったといいますか。
さらに赤裸々に言いますと、これは僕が自分でそうしたいと言ったというより、プロジェクト自体がどんどん変わっていったのを僕は聞かされた感じで、打ち合わせのたびに「えっそうなの!?」と驚きながら(笑)、そのたびに計画を変更したり修正したりしたというのが本当のところです。企画や営業などいろいろな方々が、今「モノノ怪」を世にだすのならばこのほうがいいんじゃないかと判断された結果が劇場版3部作というかたちだったという感じです。
ただ、映画にすると決まってからは、僕自身、劇場に耐えうる“映画のための「モノノ怪」”をつくるべきだというふうに考え方を100パーセント切り替えました。企画が配信だった頃は、スマホやタブレット、自宅の大画面で見る人のことを考えていましたが、ひとまずスマホで見る人のことは忘れて、劇場という最高の環境で見るためにチューニングすることに専念した。そんな感じの経緯です。
――作中の流れ自体は第一章の「唐傘」から継続しつつも、第二章「火鼠」単体で見ても十分楽しめる構成になっていますよね。
中村:それは絶対条件でした。単独でも楽しんでいただきつつ、3本それぞれで方向性を変えるのは、テレビシリーズの「
モノノ怪」のときからそうでしたから。逆に言うと、第二章は好きだけど第一章はあまり好きではないという人がでるぐらい、各章の個性がでて全然いいと僕は思っていまして、ただ作中の人物たちだけは好きになってほしい。そういうイメージでつくっていました。
――鈴木監督は第一章の「唐傘」では「監督応援」としてクレジットされていました。どんな関わり方をされていたのでしょうか。
鈴木:僕が所属している会社のユニットが第一章を手伝っていたんです。そのユニットの演出の子たちが初演出だったので、そのバックアップや、あとはコンテをちょっと描くなどお手伝い的なことをしていたら、オープニングにまでクレジットしていただけまして。僕としては、エンディングにちょろっと載っていればいいかなと思っていたぐらいだったんですけれど。
――そのユニットが担当したパートは、具体的にどのあたりなのでしょう。
鈴木:とびとびのシーンでやっているので具体的には言いづらいところがあるのですが、まとまった部分ですと、薬売りが「形が見えた」と言うところなどが担当したパートになります。
(C)ツインエンジン――第二章において、総監督と監督はどのような割り振りになっているのでしょうか。
中村:シリーズ構成の段階ではまだ鈴木監督に監督をお願いすることは決まっていなかったんです。その後、第一章をつくっていくなかで第二章とスケジュールが被るようになり、僕が第一章だけで目がくるくるするぐらい忙しくなって、1つのラインのチームですべてをつくるのは難しいことが分かりました。その段階で第二章の監督は別に立ってもらったほうがいいだろうという話になり、さっき鈴木監督が話してくれたように第一章をすごく応援してもらったので、第二章では応援から監督になってもらった流れです。
鈴木監督とは、これまで色々な作品でご一緒していて付き合いも長いので、僕のことをよく知ってもらえているのも監督に立ってもらった理由のひとつです。良い面も悪い面もふくめて把握しているし、彼は計画を立てるのがすごく上手いんです。第二章では、僕のほうから「僕が何をやればいいか決めて」と鈴木監督に言ったら、「中村さんにはコンテのところをサポートしてもらえれば、あとはこっちで上手くやっておくよ」的なことを答えてくれたのを覚えています。それが上手くいったかどうかは鈴木監督がこれから話してくれると思います(笑)
鈴木:(笑)。いや、上手くいったと思っています。一般的に言われる総監督・監督の役割分担とは違って、監督として僕に第二章を任せていただいているかたちです。そのなかで総監督の中村さんの力を借りたいところだけ上手いこと借りて、第二章の現場自体は僕が制御して組み立てていると言いますか。
中村:僕は全三章にまたがってでてくるデザインの監修や、映像以外の「
モノノ怪」に関係した仕事もけっこうあったので大変助かりました。第二章に関して言うと、鈴木監督が作品をつくれるように全体にかかるデザインなどをデザイナーさんとやりとりしながら僕が用意しなければならない立場で、制作時はわんこそばのように渡していくっていう(笑)
鈴木:たしかにわんこそば状態でしたね(笑)
中村:あとは、鈴木監督が考える僕のストロングポイントを上手く使っていただければと。こういうことを言っていいのか分かりませんが、僕自身は総監督という肩書きがあまり好きじゃないんですよ。「何やってる人?」みたいに思うことがあって。
――実際お話を聞くと、たしかにいろいろなケースがあるようですね。実質監督のようなお仕事をされる方もいれば、名前貸しに限りなく近いのかなというケースもあるように感じます。
中村:僕のなかで総監督って名前貸しのイメージが強くて、第二章では総監督でと言われた瞬間、肩書が嫌だなってちょっと思いました(笑)。総監督って実際にどれぐらい働いているかいちばん怪しい人という勝手な思いこみがあったんですけど、第二章の場合は、いい感じに鈴木君にコントロールしてもらってムチをいれていただきました。
■“中村モード”にチェンジしないとできない
(C)ツインエンジン――第二章は、「唐傘」と比べると一直線で分かりやすいお話になっている印象でした。制作上の狙いについて聞かせてください。
鈴木:中村監督がお話しされたように、第二章単体で見ても面白く、第一章からのつながりで見るともっと面白くなるようになればと考えていました。また、「
モノノ怪」には先行するテレビシリーズがありますが、基本的には劇場版の第一章から「
モノノ怪」に入った新規のお客さんたちが見たときに、いちばん気持ちよく見られるものになればとも思っていました。
第一章の「唐傘」は、音響も相まって物凄い情報量と映像美に見た人は圧倒されたはずですが、その次に同じようなものを僕がつくってもたぶん劣化しちゃうなと思ったんです。だったら、僕の持ち味みたいなものを生かして、見る人に「なるほど」と思ってもらえればなと考えました。で、僕がその次の第三章の勝手な予想をしますと、きっと第三章では「うわ、そうきたか」みたいな感じで全三章が終わるといいんじゃないかなと思っています。
――薬売りと対峙する
モノノ怪・火鼠とのバトルも、「唐傘」とは差別化しようと考えられていたのでしょうか。
鈴木:火鼠自体が物語に深くからみ、火鼠のストーリーラインがしっかりあるので、楽曲とあわせて感情線がきちんと生まれるようになってほしいなと思いながらつくっていました。映像面ではCGだった火鼠が最終的に手描きの作画になる変化、音楽面では途中で子守唄などが入って移り変わっていくようなところを意識しています。
――「唐傘」のとき、中村監督から「
モノノ怪」では通常のアニメのような絵作りをあえてしないという話を聞きました。
鈴木:中村さんの作品をやるときはいつも“中村モード”にチェンジしないとできないので、けっこう大変なんですけど、個人的にそのやり方はすごく好きなので面白く取り組ませてもらっています。また、フィルムの出来をコントロールしながら中村作品になるようにというのは、「
モノノ怪」に限らず、中村さんの作品に参加するときは毎回意識的にやっていますね。第二章でも、中村さんの作品っぽくなるようなカット割りやカメラワーク、このタイミングでこういう処理を入れるといったルールのようなものがあるのですが、自分としてはそうした部分をちゃんと理解していると思っています。ただ、その通りにやっていても、自分の素みたいなものがでてしまうところもあって、そのなかで良いものは通してもらい、作品にあわない部分は中村さんに修正してもらっています。
(C)ツインエンジン――中村監督から見た、鈴木監督のお仕事ぶりについて聞かせてください。
中村:今回いちばん大きかったのは、鈴木監督単体はもちろんのこと、鈴木監督が率いているユニットの力だったと思います。第一章で演出デビューした人が続けて第二章もやっていて、鈴木監督が人を育ててもいるんです。こんなに(作業が)重い劇場作品で演出デビューしていいのかって話もあるんですけど、鈴木監督のデビューのときもそうでしたが、僕自身はもういきなりやらせるのが良いというスタンスなんですよね。ちんたら遠回りするよりも、大変なことにいきなり取り組んでもらうのがいいだろうと。
鈴木監督が人を育てながらみんなで取り組んでもらえたのはすごくありがたかったですし、それができたのは鈴木監督の仕事の仕方が“チームで戦う”スタイルに変わったからなんですよね。昔は個人や一監督として、「けっこう苦しみながらやっているのかなー」みたいなところを横で見ていたんですけど、今は鈴木監督ひとりじゃなくて“鈴木監督と愉快な仲間たち”というユニットとして仕事をしているんです。
ですから、第一章や第二章で鈴木監督と仕事をするイコール、そのユニットの人たちと仕事をすることになるんです。例えばあるカットについて僕がリアクションすると、鈴木監督というフィルターを通すことで、そのチームの人たちに「そこはこういうふうにしておいて」とバーッと仕事が割り振られる。その流れが本当にきれいで、僕がごちゃっとしたボールを投げても、僕のやり方を熟知している鈴木監督のところで整理整頓されて、まるで工場のきれいなラインにすぅーっと入っていくように仕事が流れていく。あの見事さは僕も見ていて勉強になりましたし、これからはこういう作り方がいいんじゃないかと思えるところもいろいろあって面白かったです。一緒にやれて良かったなと思いました。
――これまで話題に挙がっている鈴木監督が率いるチームとは、具体的にどんな方々なのでしょうか。
鈴木:制作システム的な話になりますが、絵コンテの清書としてクレジットされているのが僕らのチームになります。
――「くるせる」という名前がクレジットされていますね。
鈴木:くるせるは制作会社の名前で、第二章はくるせるが制作を担っています。原画、作画監督、演出などで構成されるひとつのチームで、分散して絵コンテの清書を担当していて、自分が清書を担当したパートの原画を描くこともあるので、そうすると作品内容の理解度が半端なく高いまま作業に取り組めるメリットがあります。
――なるほど。絵コンテの清書段階から作品に取り組んでいるから、全体の芝居の流れなどがよく見えるわけですね。
鈴木:そうです、そうです。このカットの清書を自分で描いたから、こういう意味の芝居の原画を描いて、それを動画にしていくという流れで少人数のチームで作業していけるので、スタッフ間の作品理解度が高いんです。そういう流れをつくったのは自分ではあるのですが、逆説的に自分もめちゃめちゃ助けられたなと思っています。
(C)ツインエンジン――エンディングにはライカリールのクレジットもあって、第二章では早い段階で制作途中の素材をつなげた映像をつくられていたことがうかがえます。
鈴木:第一章のライカリールはおそらく僕らのチームが手伝ったパートのコンテ撮のことで、第二章ではメインでライカリールをつくっています。最初にコンテ撮をつくって、それに対して適切な絵を描いてのせていくってかたちの作り方ですね。作り方の話を細かくすると長くなってしまうので、端折った言い方になってしまいますが。
――3DCG作品の監督も手がけられてきた鈴木監督は、最初に計画を立てて全体像を見ながら仕事をしていく工程管理の部分を強く意識されているのかなと思いました。
鈴木:くるせるでは適材適所の仕事をすることをみんなで掲げています。無理なく働いて無理なく帰るサイクルのなかで良い作品をつくることが実現できるよう、各スタッフの状況にあわせた仕事をアサインしたり、そのためのシステムを開発したりというのが僕の得意なところだと思っています。アニメは集団作業ですので、そうした人の組み合わせで作品が良くなるんだったら絶対にそうしたほうがいいですから、そこを目指している部分は大きいです。
※インタビュー後編は3月17日午後7時掲載予定