「電波少年的懸賞生活」とは何だったのか? なすび、自身の生活を“映画化”した監督と振り返る【NY発コラム】
2024年5月4日 10:00
ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
2023年、ドキュメンタリー映画の祭典「DOC NYC」でオープニングナイト作品を飾った映画「The Contestant」が、アメリカにおいて、Huluで配信されることが決定した。
本作は、国民的人気を博した「進ぬ!電波少年」の企画「電波少年的懸賞生活」に出演した芸人・なすびに焦点をあてたドキュメンタリー映画。当時のなすびの精神的な状況と困難、その後の東日本大震災後における活動やエベレスト登頂への挑戦などをとらえている。
今回は、アメリカでの配信前、なすびとメガホンをとったクレア・ティトリー監督に単独インタビューを敢行した。
番組の内容に対する欧米の見方の多くは、その時代の典型的なものでした。つまり、日本人がいかにクレイジーであるかを指摘し、それを笑い、そして物語を終わらせるようなものでしたから、それ以上深くは掘り下げられていなかったんです。でも、私には、この番組以上のストーリーがあると思いました。そのような経緯で、彼(=なすび)に連絡をとり「一緒に映画を撮りたい」と言ったんです。本作は彼の視点で、彼のストーリーを伝えたいと思いました。
自分にとっては弱点というか、嫌な部分だったこの長い顔を上手く使うと、自分も幸せになれるし、周りも幸せにできる。そんな笑いの素晴らしさを子どもの頃に感じたのはコメディアンという仕事で人を笑わせようという風に思った原点でもあるかもしれません。
「この中から一人を選ぶ」と言われた時、これまではユーラシア、アメリカでしたから「僕はアフリカにでも一人で行くのか?」と色々混乱していたんですが、企画の内容は知らされないまま、「この次の企画は運が必要。この中で一番運が良い人を選ぶので、オーディションはくじ引きです」と言われました。その時点で、「あれ?ちょっと想像していたものと違うかも」と思いました。実際にくじ引きをして、僕だけが当たりを引くと「じゃ、行こうか」と。当時の僕はパスポートも持っていなかったので、このまま(海外に)連れて行かれるとなると「僕はどうやって海外に行くんだろう?」と色々と意味がわからないことだらけでした。
そして、連れて行かれたところで「あなたはここで裸一貫から懸賞だけで生活をしてもらいます」と言われました。あまりにも情報がなさすぎるので、混乱しました。単純に「懸賞だけで目標金額100万円」と言われても、理解が追いつかない。人間が懸賞金だけで生きていけるというのも想像もできなかった。これが面白くなるか――スタッフも、私たちもわからなかったんです。
これを実際に放送できるかどうかどうか……もちろん“裸”ということもありましたし、さまざまな疑問点があるなかで「これはたぶんボツ企画じゃないのかなぁ」と思いました。懸賞で物が当たって、それを利用して長く生活をしながら、100万円がゴールなんていうことも、言われた瞬間は想像できなかったですし、これが面白くなるとは想像もつきませんでした。
おそらく「電波少年」のボツ企画は、それまでにも絶対にあったはずなので「その一つになるかもしれない」と。放送をほとんどされないなかでも、「日本テレビのスタッフやプロデューサーに顔を覚えてもらえたら、次のきっかけになるのかもしれないなぁというぐらいの軽い気持ちでスタートしていたので“放送がない”ということもあり得ると楽観的に考えてました。
「電波少年」の懸賞生活を見ていると、これは常軌を逸していますし、彼ら(=製作サイド)は最初からそれを知っていたという見解もありますが、「テラスハウス」のような事件もあります。本作では、製作者のアンディ・ライダーと共に、「電波少年」の土屋敏男さんと会いました。今回の映画について関わってくれるかどうかを話した際「もしあなたがこの映画に関わる場合は、難しい質問をしなければならない。そして、リアリティ番組を通して、あなたがやったことのモラルについて、色々な人たちに質問されることになるでしょう」とお話しました。
すると、彼は「日本では、英国でやっているような『ラブ・アイランド』(新しい環境でカップルになった島民たちがゲームやチャレンジで競い合う姿を描く番組。滞在中、島民たちは誘惑に駆られ、現在のパートナーと添い遂げるか、それとも新しい誰かと “再カップル ”となるか、決断を迫られる)のような残酷な番組は決してやらない」と語っていました。彼は“別の次元”だと感じていたみたいです。だからこそ、自分の視点と相手の視点が、どこから来たものなのかが重要なのかもしれません。あの頃は邪悪で、それは間違っていたのではないか――結局は、我々はどれだけリアリティ番組が進化を遂げ、どれほどのものを描いてきたのかで決めているようにも思えます。
今はそうではなくて「聞きたくない」「見たくない」ような自分に対する評価まで全て白日のもとにさらされ、色々な人の目についてしまうということの怖さがあります。そこが、リアリティ番組黎明期の「電波少年」と、今YouTubeなどでも行われているリアリティ番組との大きな違いなのかもしれません。
もちろん、それが全てを解決してくれるわけではないですが、そんな話題で皆さんの気持ちが安らぐというか。まさかここで僕の経験が皆さんの気持ちを安らげるために役立つのかと。エベレストも3回挑戦していますが、失敗するなかで、何度も「もう止めたい」「これ以上続けることができない」と感じることもありました。それでもふと「懸賞生活」のことを思い出すと「あの時の方がもっと辛い経験をしているから、まだ頑張れるぞ」と自分を奮い立たせることができたんです。
僕を地獄に陥れたといっても過言ではない製作者の土屋敏男さんとは、時間が経ち、謝罪を受け入れたことで、許す気持ちが芽生え、新しい関係を築くことができました。昔は「絶対にもう同じ空気を吸ったり、手を取り合うことは、一生ありえないだろう」と思っていましたが、やはり人間は変わります。土屋さんが僕に対して謝罪の気持ちを持ってくれたことで、僕もそれを受け入れ、何か一緒に……ということになりました。
新しい未来が見えてきた時、今の寛容ではない世の中に対して「人間は変われる」「どんな辛い経験や体験をしても、いつかは分かり合えるかもしれない」と感じました。とても広義になりますが、僕の「電波少年」での苦労は、決して無駄ではなかったのかもしれないなという風に今は思えるようになりました。それは、世の中を変えるような大きなことではないですが、僕の表現してきたことは、ある意味、言葉や文化の壁も超え、今ブレイクするものとして受け入れてもらえたらよいのかなと思いました。