【「正欲」評論】共感に至らずとも、何となく「わかる」という感覚をもたらすということ
2023年11月12日 13:30

朝井リョウの小説は「桐島、部活やめるってよ」(2012)や「何者」(2016)、今年も「少女は卒業しない」(2023)が映画化されているが、これらの作品は群像劇だという共通点がある。登場人物たちの異なる視点で状況を描くことにより、物語がひとつに集約されてゆくという筆致は、朝井文学における特徴のひとつだ。「正欲」もまた複数の登場人物の視点が混在。原作小説では“2019年5月1日”という、ある特定の日へのカウントダウンと、その後の日々とが登場人物の名前と日時によって章立てされたような構成になっている。一方の映画では、磯村勇斗が演じる「佐々木佳道」や新垣結衣が演じる「桐生夏月」、稲垣吾郎が演じる「寺井啓喜」など、登場人物たちの名前のみで章立てされているという違いがある。それぞれの事情を抱えた登場人物同士の意外な相関関係を、観客の脳裏に“相関図”として構築されてゆく快感のようなもの。それを実践させた港岳彦の高度な脚本、そして、複雑な人間関係を観客に混乱させない岸善幸監督自身による編集。脚本と編集が生み出す阿吽の呼吸は秀逸だ。
<水>は形の定まらないもの、或いは、色のないものに対する暗喩だと前述したが、斯様なメタファーは、復元性を売りにした寝具の販促を担う夏月の仕事にも反映されていることが窺える。そして形状の変化は、主要な登場人物たちの表情の変化が乏しいことと対比になっている。感情の起伏が表情に反映されないため、観客は表情の向こう側にある各々の感情を推し量ってゆく。例えば、回転寿司屋での夏月。彼女の登場は“無表情”で幕が開ける。新垣結衣は平板化された抑揚で「ありがとうございまーす」と、寿司皿を受け取る演技を施すことで、夏月が<水>のように“無色”なのだと表現しているのである。小説では言葉によって葛藤を抱えた内面を言語化できるが、映画ではモノローグを施さない限り、映像だけで表現することはやや難しい。今作では台詞やモノローグによる説明を極力排し、ショットとショットを組み合わせたモンタージュを実践。映像によって各々内面を表現して見せていることが判る。その結果、かつて同級生だったという関係の男女を演じた新垣結衣と磯村勇斗は、相手を理解することを必要としない特異な関係性を視覚化させているのは見事だ。
また、稲垣吾郎が演じる検事は、誰との関係(繋がり)をも拒絶する立場として描かれ、観客の立場に一番近いと感じさせている点も重要。それは、観客の感覚に一番近いと思っていた人物が、やがて多様な事情に対する理解に欠けているのではないか? と観客が疑念を抱き始めるからにほかならない。それゆえ「正欲」は、観客によっては共感に至らない作品なのかも知れない。だが今作は、共感に至らずとも、何となく「わかる」という感覚を観客に抱かせることこそが重要なのだ。もうひとり、「わかる」という感覚の均衡を揺らし続ける、神戸八重子役を演じた東野絢香の演技アプローチの凄さも指摘できる。例えば、東京国際映画祭のレッドカーペットを歩く彼女の姿を見るだけでも、その役作りに対する深度を推し量れるだろう。まだ一般的な知名度は決して高くないが、「正欲」で映画初出演を果たしたという彼女の存在は、なんとも末頼もしい。
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