【「青いカフタンの仕立て屋」評論】ありのままに生きること。ささやかな微笑みが心を清らかにする佳作。
2023年6月18日 16:30
モロッコの女性たちは人生の晴れ舞台でカフタンを着る。個性的な輝きを放つシルクの生地に金色の糸できめ細やかな刺繍を施し、飾りボタンのひとつにもこだわる仕立て屋の手で生み出される特別なドレスは、風通しも良く着る者の心を躍らせる。
マリヤム・トゥザニ監督は、カサブランカの路地裏を舞台にした前作「モロッコ、彼女たちの朝」(2019)で、身重になり職を失った出稼ぎ女性とパンを焼きながら幼い娘と慎ましく生きる母、互いに欠落を抱えたふたりの出会いを通して生きることの“切実”を描いた。新作では、モロッコの片隅で小さなカフタンの店を営む男を主人公に、ありのままに生きることの“難しさ”を問いかける。
海沿いの街サレの旧市街に暮らすハリム(サーレフ・バクリ)は、25年連れ添ってきた妻のミナ(ルブナ・アザバル)と仕立て屋を営んでいる。職人気質の彼が仕上げるカフタンは評判も上々だ。だが彼の手仕事は至ってマイペース、約束の納期も遅れがちになっている。
ある日、ふたりはユーセフ(アイユーブ・ミシウィ)と名乗る青年に店を手伝ってもらうことにする。孤児だという彼は、裁縫のスキルも確かで紐作りも刺繍も器用にこなす。自分の居場所を求めて黙々と仕事に勤しむ若者の登場が夫婦の日常を微妙に変えていく。
三つのテーマを横軸に据えた監督は、自らの脚本を基に寡黙な映像を重ね合わせていく。
第一は、青色のカフタンが作られていくプロセスだ。客の要望に応じて生地を選び、型紙を作って裁断して筒型にシルエットを整える。より紐を紡ぎ、袖口な裾に丁寧に刺繍を施し、吟味した飾りボタンを縫い付ける。シンプルでありながらも華やかな刺繍が栄える。世界でただひとつの晴れ着が仕上がっていく様が美しく写し撮られる。
第二は、注文の多い客たちに巧みに接して甲斐甲斐しく夫をサポートする妻の病との闘いだ。自分の命が限られていることを理解しているミナは、検査は二度と受けないと決めている。食が細くなり、蜜柑を一房ずつ啜るように喉へと流し込む。
だが、決して人生を諦めているわけではない。命を見つめ直していく彼女の姿が、カフタン作りに重ねられて繊細に描写される。特筆すべきは、前作に続いて監督と二度目のコラボとなる女優ルミナ・アザバルの役作りだ。病魔によって痩せ細っていくミナを体現、鬼気迫る演技で胸をかきむしる。
第三は、物静かなハリムの“秘められた想い”の行方。妻と四半世紀も寄り添ってきた彼は、毎朝同じ時間に店を開け、日中は黙々と仕事を続け、夜になると店を閉めて帰路に着く。いつもと変わらぬ日常で、仕立ての先人たちが残してくれたカフタン作りを重んじ、一針ごとに精魂を込めて晴れ着を仕上げる。穏やかだが頑固な一面を持ち、誠実さと不器用さが同居するこの男は、決して口にしてはならない“ある秘密”を抱えている。
伝統を継ぐカフタン作りの貴さ、かけがえのない命、胸に秘められた特別な想い。シンプルだが一筋縄ではいかない三つの複雑なテーマを丹念に見つめる静謐な映像が“生きる”ことの意味を問いかける。ささやかな微笑みが観る者の心を清らかにする佳作。
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