曇りなき正確な音、フィルム上映できる環境を――坂本龍一さんの思いをかなえた「109シネマズプレミアム新宿」誕生秘話
2023年5月11日 07:00
4月14日開業の「東急歌舞伎町タワー」内にオープンした「109シネマズプレミアム新宿」。2フロアに8つのスクリーン、これまでのシネコンとは一線を画した特別な仕様の映画館で、35ミリフィルム上映可能なシアターも擁し、そして全シアターに坂本龍一さん監修の音響システム「SAION -SR EDITION-」を導入したことで話題を集めている。
鑑賞料金はCLASS A 4500円、CLASS S 6500円という2種。ラウンジでの飲み物やポップコーンのサービス付きということでも、各種配信サービスで世界の話題作を早いスパンで安価に自宅で鑑賞できるようになった昨今、映画1本に払う料金としてはハードルがやや高いのではないか? 正直、そんな気持ちを抱きながら、筆者は昨年末に世界に向けて配信された坂本さんのピアノソロコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」にボーナストラック1曲を加えた「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+(プラス)」を鑑賞した。
新宿駅から歌舞伎町の喧騒を抜け、「東急歌舞伎町タワー」に到着。ビルに入っても多くの客がひしめき合うサイバーパンクな内装の飲食店、キッチュな電子音が響くアミューズメント施設など繁華街らしい賑やかさが続く。しかし、同ビルの9~10階に位置する「109シネマズプレミアム新宿」に向かうエスカレーターで上階に進むにつれ、カオスから天空へ上るような様相を帯びてくるのだ。
入館と同時に非日常空間が広がるラウンジでゆったりとした時間を過ごし、「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」上映のスクリーン7のシートに座った瞬間から驚愕した。本編上映前に坂本さん本人が、コンサートとこのシアターについて語る特別映像が流れる。「曇りなき正確な音」と「フィルム上映可能」なシアターを目指したという監修者としての思いを述べる坂本さんの姿を見ると、まだ世界のどこかで演奏を続けているのではないかという気持ちになる。
そして、静寂の中、クリアな一音で始まるメロディとともに映し出される坂本さんの息遣い、時折浮かべる穏やかな笑み、そして鍵盤上の手元と譜面の美しさ――聴覚と視覚のすべてが眼前の坂本さんのパフォーマンスに飲み込まれるのだ。これは、坂本さんの音楽をこの映画館でのみ永遠に体感できるコンサートであり、大きなホールで見るライブ以上のものといっても過言ではないだろう。世界で唯一無二の音と映画体験ができるシアターを、映画を愛する坂本龍一が遺してくれたのだ。
これまで経験したことのないプライスレスな感動を受け取り、興奮冷めやらぬまま、坂本さんとともに作り上げた「109シネマズプレミアム新宿」誕生の経緯から音響のこだわりや苦労、そして今後の展開について、東急レクリエーション取締役常務執行役員 久保正則氏に聞いた。
しかし、既に新宿には多くのシネコンがあります。ミニシアターもありますし、日本一の映画の街です。おそらく売上においても動員数においても新宿の街は大きなパワーを持っています。そこに新たな映画館を作るということで、既存のシネコンと同じようなものを作ってはお客様の奪い合いになってしまいますし、また様々な配信サービスから映画に触れる機会が増えたことは素晴らしいのですが、私たちは映画館で映画を観る良さを伝えなければいけないと強く感じていました。そこで、少し違ったアプローチが必要だと考えたのです。
映画そのものが大スクリーン、大音響の環境で観るように作られているので、映画館では家庭では味わえない体験ができます。しかし、その上をいく映画館を作るためには素晴らしい音響がまず必要だなと。これまでも109シネマズでは、ライブ上映など映画以外のコンテンツで、リアルな体験ができるような音を提供する特殊なサウンドシステムを導入してきました。そこでお世話になっている音響エンジニアさんが坂本龍一さんとお仕事をしていることを知っていたのでご相談申し上げて、世界的に活躍されている坂本さんのお力を借りられないかと繋いでもらったのです。
その時は2020年、コロナ禍の真っただ中で、映画もホテルも劇場もライブも大打撃を受けていました。社会の悪のような存在になるのもつらかったですし、映画館というリアルな体験ができる施設は復活できるのか? とそんな議論の中、方針転換の話もありましたが、こんな状態がいつまでも続くはずない、「東急歌舞伎町タワー」はコロナ禍からの復興の象徴のようなエンタテインメントのビルにしよう、とグループ一丸になってやってきました。
そこで思い切って、10月に坂本さんのマネージャーさん宛に「世界一音の良い映画館を作りたい」と、メールをお送りしたところ、なんと「坂本龍一です」とご本人から返信があり、本当に驚きました。繋いでくださった音響エンジニアさんとの強い信頼関係もあり、「僕も監修をします」というお返事をいただいたのです。
その際には条件面など一切書かなかったのですが、音響エンジニアさんから「坂本さんはお金で動くような人じゃない」「熱意をストレートに伝えることが重要」という話を聞いていたので、思いを込めてメールしました。そしてそれを坂本さんが受け取って応えてくださいました。本当にうれしかったです。
その後オンラインで打合せをするのですが、私としては、偉大なるコンポーザーとしての坂本龍一像があり、本当に緊張していたのですが、専門的なこともご自身の言葉で分かりやすく説明してくれましたし、おかげで会話も弾みました。うまく表現できないのですが、心が大きいというか、おおらかで人当たりの良い魅力的な方でした。
世界のどこにもない音の良い映画館を作るためには、サウンドシステムが重要なのはもちろんなのですが、坂本さんからは「いろんなことが完璧でないといけない」というお話がありました。音は空気中に発されるものなので、まずは建築音響がしっかりしていなければならないし、スクリーンも音響透過性能の高いものでなければならない、そして電力にもこだわり電流波形が美しいものでなくてはならない。電気信号を増幅するためのパワーアンプも自然で美しい音が出るものでなくてはならない、そしてそれを繋ぐケーブルもしかりです。
システムとして全てがしっかりしていないと世界一の映画館は作れないのでは? というアドバイスをいただきました。今回協力を仰いだ音響エンジニアさんも、これまでの長年の坂本さんとのお仕事では、そういったディテールの話はされなかったそうなので、電力やケーブルへの言及に驚いていました。坂本さんの意外な一面を新たに知ったそうです。
私も恥ずかしながら、ケーブルで何が変わるのだろう? とその違いは分からなかったのです。もちろん、これまで新たな映画館を作るときには、スピーカーやアンプなどを選んできたのですが、ケーブルまでは指定することはありませんでした。しかし今回は世界各国からいくつものケーブルを取り寄せ、Bunkamura Studioでそれぞれのケーブルで音を出し、どれが一番正確に低音を出せるか、情報量が多いかなどのテストをしました。人間の耳の感覚を極限まで研ぎ澄まさせて、行う評価実験です。この実験を繰り返すことにより、パワーアンプで増幅された信号を低損失で最終出口(スピーカー)まで運べるケーブルを選出しました。LANケーブルやHDMIケーブルなどもこだわっています。もちろんパワーアンプも世界中のありとあらゆるものを試しました。結果、最もノイズレベルが低く、自然で大きく増幅できるものを選択しました。
本当に一流の部品が揃ったのです。車に例えるなら、F1のパーツのようなもの。でも、ただ単に組み合わせるだけではスピードは出ません。走るために、組み上げていく人、チューニングする人、坂本龍一さんのように正確に最終ジャッジができる人の存在が必要でした。そして結成されたチームは、坂本さんだったらこう考えるだろうという方向に舵を取り続けました。
もちろん今の新しい映画館の音はどこも素晴らしいです。しかし、その上を行くためには何が必要だろう、と多くの議論を重ねました。
今は大音量を楽しむことも主流になっていますよね。それはそれでエンタメ的で素晴らしいことなのですが、性能の高い機材を用意すればある程度実現ができるのです。でも、本当に繊細で、製作者が意図して、伝えようとする音を再現できる環境を作りたいと、それをずっと意識していました。
音響エンジニアさんから聞いた話ですが、かつて携わった、坂本さんの美術館での音楽インスタレーションのお仕事で、坂本さんが「ここがいいんだよ」と音が減衰して行き無音になるまでの間(ま)を気に入られていたそうで。また、「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」の冒頭で坂本さんは「曇りなき正確な音」と仰っています。
そこで、スピーカーの存在を消して、音が減衰していく間(ま)の美しい空間を作れば、「曇りなき正確な音」を再現できるのではないか――と、スクリーンの存在を消し、さらにすべてのスピーカーの存在を消すことを目指したのです。
けれど、シアター作りには多くの人がかかわりますので、良かれと思って今風にパワフルなものにしたいという意見も出てきます。しかし、パワーは簡単に出せる、大事なのは引き算で、音が減衰していく間(ま)を美しく演出するためにはスピーカーの存在を消すこと。音響エンジニアさんはそういったコンセプトを納得してもらうのが大変だったようです。坂本さんを招いた本当の意味を理解してもらうことが重要で、チームに坂本さんの全作品のCDや、バッハやドビュッシー、ラベルなどの音源をプロジェクト開始前に渡してくれました。
そして、最終的なテスト上映に、坂本さんがかかわった映画の監督や、坂本さんと一緒に仕事をした音楽家、エンジニアを招きました。「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」を観てもらい、最初の音が出た瞬間に皆さんからOKが出るような反応でした。もし、坂本さんが来られても納得していただけるような音のバランスになったと思います。
坂本さんは、聞く人の耳も重要だと仰っていました。やはり現代人の耳は疲れていますし、特に新宿の雑踏をくぐり抜け、いろんな音を聞いてからこの映画館に来るという動線となるので、耳を落ち着けるために無音の状態を作ってリセットしてから映画を見るのはどうかな? というアイディアもいただいて。その時にはもう設計もかなり進んでいて、いわゆる“無音室”を作ることは難しかったのですが、お客様が一旦落ち着ける空間、ラウンジで心をリセットできる音作りをお願いしました。
また、光と音でお客さんに上映開始を伝えたいというこちらの希望を申し上げ、映画が始まる合図のチャイム、シアター内の音も坂本さんに作っていただきました。シアターの中に入って、予告が終わった最後の最後に、坂本さんの音を聞いて映画に没入してもらいたいのです。耳を整えるというか、坂本さんは“耳を開く“という言い方をされていましたが、サウンドシステムだけではなく、音を聞く前の環境も重要だと学びました。ラウンジ空間でも、スピーカーの存在を消す工夫が生かされており、ドーム状の大聖堂のように天空から降り注ぐ音像に仕上げています。
ある種ラウンジ用のサウンドインスタレーションなのですが、実は今まであるようで無い、坂本さんじゃないと創造できない、世界に1つだけの「映画館ラウンジのためのインスタレーション」なのです。
ラウンジで流れるサウンドのイメージについては、事前にこちら側だけで日本ならではの四季を感じられたり、リラックスできるような音がいいね、なんていう話をしたことがありました。そして、その後坂本さんにお願いして、納品された音源に、我々がいろいろと考えていたすべてが計算しつくされたように入っていたので、坂本さんには、オープン後の景色が見えていたんじゃないかな、と思うほどでした。
もともとミラノ座には映写機があったので、ここでもフィルム上映の設備を導入してみてはどうかという議論がなされていたのですが、35ミリフィルム映写機を併設するには高いハードルがあり悩んでいたんです。でも、坂本さんのフィルムへの思いをお聞きして、スパッと決めました。別で閉館する劇場の映写機を譲ってもらって、そこにリールをはじめミラノ座の映写機の部品をくっつけ、ミラノ座のDNAを引き継いだ35ミリフィルム映写機を使用しています。
やはり、フィルム映写機を入れて本当によかったなと思っています。フィルム上映を観たお客様の反応もすごく良いです。フィルムの良さが忘れられつつある昨今、フィルム撮影されている作品は、フィルム上映で観られるべきで、製作者もフィルムで伝えられる喜びがあると思いますし、若い世代には新しい体験となるようです。
今回、オープンを記念し、2夜連続の「Ryuichi Sakamoto Premium Collection All Night」というオールナイト上映を行い、映画を愛した「教授からのプレゼント」という企画で初日の上映に30代以下の方々に限定し、抽選で無料招待しました。そこで、35ミリフィルムを知らない世代にも良い反響をいただきました。フィルムでの上映企画は、できれば継続して実施していきたいと思っています。
鑑賞料金はCLASS A 4500円、CLASS S 6500円と高額ですが、高い方から埋まっていくことに驚きました。CLASS Sの方はシートも異なりますが、鑑賞後に、メインラウンジとは違うもうひとつのプレミアムラウンジを使用することができます。映画が終わった後で、お酒などを飲みながら、映画の余韻を楽しんでいただけるのです。この結果を見て、やはり今までと違った映画体験を提供できているという手ごたえを感じました。あとは、予想よりも多くの女性のお客様に来ていただいているのと、若い世代から反応があるのはうれしいですね。SNSの投稿にも良いお言葉が多かったです。
もちろん、今が完成形ではなく、これからもお客様の動きや状況を見てより良くしていきたいです。そして、一番大事なのは、ディレクターや製作者の意図。ここにはこういう音が入って、それをこう伝えたい、というのを、やはり映画館側がしっかりと再生できる環境を作ることが重要です。
2フロアで1700坪あり、通常は2000席くらい作れますが、総座席数は752席なんです。ラウンジを使っていただく前提なので、休日に満席になったとしても、ある程度ゆったり過ごせる計算にしましたし、平日の昼間は特に静かにご鑑賞いただけると思います。
編成チームとも相談をしていきますが、「Ryuichi Sakamoto Premium Collection」が終わっても、坂本さんが携わった作品を常に上映したいという希望があります。また、館内のショップでは数多くの坂本さんの関連商品を取り扱っています。ですから、日本中、世界中の坂本龍一ファンがここに来て、しっかりと楽しめるような空間にしていきたいです。
坂本さんに会える場所――仰る通りだと思います。だからこそ私たちはプレッシャーと責任を感じています。生前の坂本さんのことを知る方々、坂本さんに憧れている人もたくさんいらっしゃいますし、坂本龍一が音響監修した映画館だということを我々がしっかりと維持していかなくてはなりません。
坂本さんは新宿高校出身で、若かりし頃に新宿でたくさんの映画を見て、その後音楽家となって、「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」など、映画音楽を担当した作品はミラノ座で上映されました。その映画館の跡地に、新たな映画館を作って、それを坂本さんに監修していただいたことに、とても大きな縁を感じます。ご協力いただいた音響エンジニアさんと出会うのも必然的だった。なんだかすべて運命のように決まっていたことなんじゃないかなって。我々もオープンに、もし坂本さんが来たら納得したかな? ということだけを日々意識して作ってきたので、そういう意味では絶対納得してくれているはずです。
そして、「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」をご覧になった方は、「曇りなき正確な音」という、坂本さんのこの美しい言葉がすべてを集約していることに気づくと思います。坂本さんを知らない人でも、あのシアターで「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+」を観ると、何かが伝わると思うんです。当時、闘病で体力が落ちてらっしゃったので、一曲ずつ収録しているんです。ですから、通常かかる時間をはるかに超えて、まさしく全身全霊で演奏されています。坂本さんの表情や息遣いから感じられるものがあると思います。坂本さんが遺したそのお姿を一人でも多くの方に見ていただきたいですし、現在、アメリカで長編映画バージョンをプリプロダクション中とのことなので、是非そちらも楽しみにしていてください。
タイパ、コスパ、などの言葉が日常的に使われるようになった現代だからこそ、自ら映画館に足を運んで、上質な空間で上質な映像と音楽にじっくりと浸る時間を必要とする人々も少なくはないはずだ。日本を代表する世界的な芸術家、坂本龍一さんの思いが結晶化した唯一無二の映画館をいち早く体験して欲しい。
「109シネマズプレミア新宿」劇場情報はこちら(https://109cinemas.net/premiumshinjuku/)
執筆者紹介
松村果奈 (まつむらかな)
映画.com編集部員。2011年入社。
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