「AIR エア」23年公開作最初のアカデミー賞候補と呼べるほどの傑作だった 物語&映画が作られた環境のリンクに感動【ハリウッドコラムvol.329】
2023年4月8日 09:00
ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会(HFPA)に所属する、米ロサンゼルス在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの最新情報をお届けします。
もともとバスケットボールに興味はないし、エアジョーダンに憧れを抱いたこともない。だから、「伝説のシューズ」の誕生秘話を描く新作「AIR エア」にはなにも期待していなかった。実在のプロダクトにスポットライトを当てるならドキュメンタリーで十分ではないのか? どうしてマット・デイモンやベン・アフレックやビオラ・デイビスといったトップスターを起用して映画化しなければいけないのか? 試写を見る前から、ぼくはこの映画にネガティブな印象を抱いていた。
だが、蓋を開けてみれば、2023年公開作で最初のアカデミー賞候補と呼べるほどの傑作だった。
「AIR エア」の舞台は1984年。今では信じられないが、当時のナイキはダサいシューズの代名詞だった。好調なのはランニングシューズ部門のみで、バスケットボールシューズに関してはアディダスとコンバースの後塵を拝していた。経営難にあるナイキは、社員のソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)に部門の立て直しを命じる。だが、限られた予算では実績のある有名選手と契約するのは不可能だ。そんななか、ソニーはNBAの試合に出たこともない新人マイケル・ジョーダンに白羽の矢を立てる……。
マイケル・ジョーダンやエアジョーダン、あるいはナイキに興味がある人ならきっと痺れるようなエピソードが満載だが、「AIR エア」の本質は良質な職場ドラマである。株式公開をきっかけに組織が硬直化したナイキは、現状維持がモットーになってしまっていた。そんななか、ある社員が新人選手と契約を交わすというクレイジーなアイデアを思いつく。ジョーダンには実績がないどころか、他社のシューズを希望している。ナイキには金もコネも人気もないのだ。
だが、一人の情熱が、腐っていた他の社員たちの魂に火を灯していく。そして、その後の誰もが知るサクセスストーリーを生み出すことになるのだ。
監督を務めたベン・アフレックの演出は見事で、異国の人質事件を描いた「アルゴ」のようなサスペンス要素が存在しないのにもかかわらず、リサーチや根回し、プレゼンといったありきたりのオフィス業務を信じられないほどスリリングに描いている。芸達者な役者たちを集めたキャスティングも見事だ(本人はナイキの共同設立者フィル・ナイトを演じている)。マイケル・ジョーダンという圧倒的なカリスマを脇に追いやり、弱小企業の冴えない男たちにスポットライトを当てた本作は、実話の重みもあいまって、爽やかな余韻を与えてくれる感動作である。
個人的にこの作品に感動したのは、映画で描かれる物語と、映画が作られた環境がリンクしている点だ。
「AIR エア」においてジョーダンは、母デロリス(ビオラ・デイビス)の巧みな交渉術のおかげで、ナイキから契約料のみならず、彼の名を冠した「エアジョーダン」ブランドの売り上げの一部を受け取ることになる。グッズの売り上げの一部が選手に還元される契約は米スポーツ界では異例で、これが前例となって業界全体に広がっていく。ちなみに、ジョーダンは2022年だけでナイキから2億5600万ドルを受け取っている。
この契約をきっかけにプロスポーツが金まみれになってしまったと嘆く向きもあるが、プレーヤーの選手寿命は決して長くない。営利企業が選手の名声を利用して大金を稼ぐのであれば、正当な対価が支払われるべきだというのが、マイケル・ジョーダンの母デロリスの主張である。
さて、「AIR エア」の企画・製作を手がけたのは、ベン・アフレックとマット・デイモンが昨年立ち上げたアーティスツ・エクイティという制作会社だ。役者が制作会社を構えることは珍しくないが、この新会社の独創性は社名に現れている。エクイティとは公平性という意味で、金融用語では株主資本という意味になる。つまり、アーティストたちが資本となる制作会社なのだ。同社の作品に参加したキャスト・スタッフには利益が配当される仕組みになっている。
ハリウッドの一部のトップスターや人気映画監督は、出演料とは別に興行収入の一部を受け取る契約を結んでいる。だが、大半の役者は配当を受け取ることができないし、裏方となるとなおさらだ。アーティスツ・エクイティはこの仕組みを変えようとしているのだ。
ベン・アフレックもマット・デイモンもすでにハリウッドで20年以上のキャリアがある。映画製作は数百人が参加する究極のコラボレーションであり、優れた人材が揃ってはじめて良作が生まれることを彼らは理解している。だが、主演を務める自分たちだけ優遇されていることに、違和感を覚えていたに違いない。制作会社を立ちあげるにあたり、アーティストたちに正当な対価を支払う仕組みを作れば、優れた人材が集まり、結果的に優れた作品を生み出すことができると考えたという。
同時に、映画作りはコストが高いためギャンブルの側面もある。だから、無闇に大盤振る舞いすることもできない。それで、キャストやスタッフには通常より低い金額で仕事を引き受けてもらってコストを圧縮し、収益が出た場合、配当を与える仕組みになっているようだ。
「AIR エア」はアーティスツ・エクイティの初めての挑戦だ。豪華キャストのみならず、撮影監督のロバート・リチャードソン(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」)、プロダクション・デザイナーのフランソワ・オデュイ(「フォードvsフェラーリ」)、編集のウィリアム・ゴールデンバーグ(「アルゴ」)といった優秀なスタッフが結集している。
「エアジョーダン」の契約はその後のスポーツ界を変えた。アーティスト・エクイティの挑戦がエンタメ界でどう受けとめられるか注目したい。
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