詩人の副業、詩の日常――「パターソン」【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】
2022年5月21日 08:00
古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。
今回のテーマは、ジム・ジャームッシュが監督を務めた「パターソン」です。
「詩人」の肩書きでいろんな仕事をするようになる前から、私もことあるごとに「詩で食べていくのは難しい」という話を耳にしてきた。でも、どこからどこまでを「詩で食べる」の範疇に入れるかは、考えてみると難しい。それに「詩人」と名乗るかどうかは、本人の意思次第だ。作品を「秘密のノート」に閉じこめたままにする詩人も無数にいる。でも私は最近、しみじみと思うのだ。「詩人」と名乗ることにしてよかったなー、と。
詩人になるには、詩に触発され、詩を書くだけでいい。だから詩人になりたいと思ったら、いつでもなれる。詩人の定義が「詩で生活できるかできないか」では決まらないことは、それ自体、詩人という仕事の最良の点のひとつだ。
誰も気にしないだけで、詩人はこの世界にたくさんいる。詩人にはたいてい副業があり、自己紹介するときはそっちを名乗るから、私たちはその人が詩人だとは気づかない。けれども、私が恥ずかしげもなく「詩人です」と名乗りながら暮らしていると、向こうからその人がスススーとやってきて「実は私も、詩を書くんです」とそっと教えてくれることがある。それが、私が「詩人」と名乗ることにしてよかったなーと思う、最大の理由だ。
前置きが長くなってしまった。映画「パターソン」は、「詩人」と名乗らない詩人を主人公にした、とても珍しい映画だ。主人公パターソン(アダム・ドライバー)の「副業」は、路線バスの運転手。ひとりで朝食を食べているときやバスを運転しているときに考えた詩行を、彼は仕事の合間に自分のノートに書きとめる。
「パターソン」を見ていると、バスの運転手こそ詩人の最高の副業ではないかと思えてくる。同じ路線を毎日、同じ時刻に、バスは定点観測しながら走る。バスには日常が乗りこむ。窓外に流れる景色の中にも日常がある。運転している間、運転手は誰とも喋らなくていい。バスの運転手が詩人である場合、それは日常の中の詩を探すのになんと恰好のルーティンワークだろう。
パターソンのパートナーは詩集を公にすることを熱心に勧めるけれど、彼は「詩人」と名乗ることにはあまり興味がない。反対に彼が積極的なのは、町で見かけた詩人たちに声をかけることだ。コインランドリーで練習するラッパーや、空き時間に街角で詩を書きとめる少女に、彼はススーと話しかける。声をかけないまでも、バスの車中の会話やバーで聞こえる話し声の中に詩を探して、耳を傾けながらにやにやしたりもする。詩を見つけると、パターソンは嬉しい。自分が詩人として見つけられるよりも、ずっと。
たくさんの詩が登場するけれど、ここでは私の大好きな作品を紹介しておきたい。パターソンが敬愛する詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの、劇中の字幕では「言っておくよ」という題で訳されている詩だ。
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
あのプラム
冷蔵庫に
あったやつ
朝食のとき用に
とっておいた
あれだよ
本当においしかった
とても甘くて
とても冷たくて
パートナーのローラがファーマーズ・マーケットで売るためのカップケーキを並べているキッチンで、パターソンはこの詩をローラのために読む。目の前でいい匂いをぷんぷんさせている「食べられない」カップケーキと「食べちゃった」プラムの詩との取り合わせに、何ともいえないおかしみがある。拙訳の参考にさせていただいた柴田元幸さんの翻訳では、タイトル「This is just to say」は「実は……」となっている(このタイトルの訳文を考えるのは楽しい)。
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、映画の舞台となったニュージャージーの実在の町パターソンで生まれた詩人だ。1883年生まれで、ちょうど宮沢賢治と同じ時代を生きた詩人ともいえる。イマジズムと呼ばれる写生的な詩を多く残し、1950年、この町全体を人間のメタファーのように書いた詩集『パターソン』で全米図書賞を受賞。ジャームッシュがこの詩集に出会ったことが、本作の製作のきっかけとなった。ウィリアムズの「副業」が医師だったことは、劇中でも語られる。
また、主人公パターソンが劇中で書き綴る詩は、ジム・ジャームッシュ自身が書いた1作(少女の作品として登場する)を除いて、1942年生まれのニューヨーク・スクールの詩人ロン・パジェットによるものだ。パターソンの行きつけのバーの壁には、この町の高校を出たビート派の詩人、アレン・ギンズバーグの写真も飾られている。
パターソンのもとに天使のようにふらりと現れる男(永瀬正敏)に「もしかして、あなたもパターソンの詩人ですか?」と尋ねられたとき、彼はこう自己紹介する。
「僕はバスの運転手だ。ただの運転手。」
詩人になるには、野心はいらない。ただ詩を愛し、日常を愛し、その愛をとりとめる一行目を、白紙に書きつければいい。「詩人」と名乗らない詩人の特権は、その詩への愛を誰にも知られず、自分だけのものにしておいて、町のあちこちで詩を見つけたときにだけ、そこにある詩に対してだけ、愛してるよ、と囁けることかもしれない。そうすることで、彼は自分の詩の世界を守る。そして、同じように見えても少しずつ変化してゆく日々の幸福を手放さずに生きる。そう考えると、「詩人」と名乗らないことにするのもいいなー、と、私は思うのだ。
「愛すべき詩/映画という表現――『パターソン』インタビュー」ジム・ジャームッシュ/取材・構成=佐藤久理子(「ユリイカ 特集*ジム・ジャームッシュ」2017年9月号)
「実は……」ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ/訳=柴田元幸(「MONKEY Vol.21 特集 猿もうたえば」2020年6月発行)
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