【「林檎とポラロイド」評論】林檎の記憶×ポラロイドの記録 記憶とアイデンティティと喪失にまつわる寓話
2022年3月13日 21:00

林檎とポラロイド。一見、何の相関関係もなさそうな単語が並んでいるタイトルに、なぜか惹かれる。物語の舞台は、記憶喪失を引き起こす奇病が蔓延する世界。鑑賞者は主人公とともに、ある治療を体験するうちに、“記憶”というキーワードが林檎とポラロイドをつないでいることが分かるだろう。林檎は唯一の記憶(あるいは本能かもしれない)、ポラロイドは与えられ、蓄積していく記憶を象徴しているのだ。
ある日、バスで目覚めた男(アリス・セルベタリス)は、記憶を失っていた。覚えているのは、林檎が好きなことだけ。やがて彼は、治療のためのプログラム「新しい自分」に参加することに。自転車に乗る、仮装パーティで友達をつくる、ホラー映画を見る……毎日送られてくるカセットテープに吹き込まれたミッションをこなし、ポラロイドで記録する。
「記憶が戻った患者はおらず、完治はありえない」という医者の指示に従い、男はときに滑稽だと思えるほどの生真面目さでミッションをこなしていく。しかし、「新しい自分」を形作る“完璧な日常”に慣れてきた頃――不意に綻びが生じ、過去が顔をのぞかせる。男の治療と並行して、謎や伏線が静かにつながり、彼が決して手放すことのできなかった記憶が浮かび上がる。
自分を自分たらしめているのは、記憶なのか。記憶を失い、他者にコントロールされた記憶を重ねたいま、本当の自分はどこにあるのか。悲しみとともに生きることは不幸なのか――。そんな記憶とアイデンティティと喪失をめぐる問いかけが、いくつも噴き出してくる。また記憶をなくし、さまよう患者たちは、現代を生きる私たち自身のようでもある。日々の出来事を保存しておくことができるテクノロジーに甘え、SNSを駆使して他者の記憶や経験をトレースして満ち足りた気でいる、空っぽな自分自身に気付いていない。
ストーリーは近未来SFのようで、ポラロイドやテープレコーダーなどアナログな要素がちりばめられている。胸を引き裂かれるほどメランコリックなようで、軽やかでユーモラスでもある。本作で長編映画監督デビューを果たしたギリシャのクリストス・ニク監督は、そんな相反する要素を、驚くべきバランス感覚をもって、ひとつの画面内で成立させている。リチャード・リンクレイター監督の「ビフォア・ミッドナイト」、ヨルゴス・ランティモス監督の「籠の中の乙女」などで助監督を務めてきたニク監督。日常を観察し続け、“時間”そのものを映すような語り方、あるいは風変わりなルールが支配する唯一無二の世界観のなかで、人間の本質を見つめる物語に、ふたりの監督から受け継いだ感性と美学を垣間見ることができる。
(C)Boo Productions and Lava Films (C) Bartosz Swiniarski
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