【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】地球滅亡の日のバラード――「ドント・ルック・アップ」
2022年2月25日 10:00

古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。
今回のテーマは、、第94回アカデミー賞の作品賞、脚本賞、編集賞、作曲賞にノミネートされた「ドント・ルック・アップ」(アダム・マッケイ監督)です。以下の文章は、ネタバレを含む内容となっております。未見の方はご注意ください。
今回は、英詩のミニ講義から始めてみよう。ポピュラー音楽の用語としてすっかり定着している「バラード」だけれど、その起源は中世ヨーロッパの吟遊詩人が歌った歌=口承詩に遡る。バラードという形式の最も重要なルールは「1連は4行」というシンプルなもので、ほかに欠かせないのは、各行のリズムを揃えること、所定の行で脚韻を踏むことくらいだ(実際には細かくいろいろな変遷があるのだが、ここでは省略!)。
興味深いのは、バラードには形式だけでなく内容の枠組みもあること。テーマとなるのはたいてい失恋や超常現象や小さな社会ニュースで、日常的で親しみやすい口調が用いられる。主人公の人物造形も特徴的だ。政治や自然災害に無関心な田舎者が不吉な伝令となるケース、権力から追放された語り手が政治の中枢の歴史を紐解くケース。語り手はあくまでも庶民のひとりとして、「ちょっと聞いてよ、さっきそこでこんなことがあってさ……」というような調子で歌う。
そういえば「ドント・ルック・アップ」の主人公たちも、自分の研究以外にはとくに関心事もなさそうで、不吉な伝令となり、権力から追放されていたなあ……。
垢抜けない天文学者ミンディ(レオナルド・ディカプリオ)と大学院生ディビアスキー(ジェニファー・ローレンス)は、どこにでもいそうなふたり。人類の行く末を左右する発見をして一度はホワイトハウスまで行くのに、気づけば彗星破壊計画はほかの研究者の手に渡り、ふたりは蚊帳の外になっている。
映画はふたりを、世界救済のヒーローではなく、政府と企業とメディアが仕立て上げた物語に翻弄され続ける一介の庶民として描く。そう考えると、この映画そのものが、バラードの枠組みをなぞっていると捉えることもできそうだ。

映画の終盤、ミンディとディビアスキーとそのできたてほやほやの彼氏(ティモシー・シャラメ)を乗せた車中のラジオから、ミルズ・ブラザーズの歌う「Till Then」が流れてくる。Till Then――そのときまで。第二次世界大戦のさなか、故郷で待つ恋人への思いを歌ってアメリカでヒットした、正真正銘のバラード曲だ。
最後の日を粛々と受けいれようとしながらハンドルを握るミンディが、嬉しそうに曲の謂れを話しだし、ディビアスキーに「この部分を聴いて」と促す。古いレコード音源特有の温かい靄のようなノイズの向こうから、もの悲しいメロディで歌われる歌詞は、こんな口調の日本語がしっくりくるように、私には思える。
越えなくちゃならない 山もあるが
利のあるところに 損はつきもの
せめて時だけを 損なおうじゃないか
And mountains that we must climb
I know every gain must have a loss
So pray that our loss is nothing but time(※)
戦争末期、米軍の兵士たちはこの曲を口ずさみながら、せめて家に帰りつくまで誰の命も失われずにすむようにと願ったのだろう。
ミルズ・ブラザーズのような男声ポップコーラスグループの起源は、19世紀後半に発展したバーバーショップ・カルテットと言われている。黒人が公共のホールに入ることを禁じられていた当時、集会所として機能していた理髪店が彼らのステージになった。小さなコミュニティの絆を確かめあうように育まれた音楽形態には、日常的なささやかな声音で歌うバラードの形式が、自然とフィットしたのかもしれない。

「ドント・ルック・アップ」という作品の下敷きになっているのは、気候変動への世間の無関心だ。ノリノリで女トランプとでもいうべき大統領を演じるメリル・ストリープに私はある意味感動してしまったが、現実を見れば感動している場合じゃない。庶民のひとりひとりがどんなにエシカルな生活を心がけても、アーティストが啓蒙しても、政治家や企業やメディアがこのまま詭弁とごまかしを続けるなら、きっと映画は現実になる……もはや手遅れなのかもしれない。
映画の主人公たち、本来なら彗星衝突を回避できる、その方法を知っているはずの科学者たちが地球人類のための戦いから降りて――人類なんてものは見放して――、彼らの小さなコミュニティへと帰ってゆく道の途中で、曲は流れる。私たちは諦めた。私たちはもうやめた。でも、私たちはがんばった。だからもうこれ以上、最後の時までは、誰の命も失われずにすむように。悲痛さをユーモアの力で優しく包むアダム・マッケイ監督の心意気にぴったりの、痛烈かつ、粋な選曲だと思う。
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