【「水を抱く女」評論】現代のベルリンにおいて孤立感を抱えて生きるウンディーネの受難と遍歴
2021年3月21日 20:00
冒頭、カフェテラスで恋人のヨハネスから別れ話を切り出されたベルリン都市開発の歴史家ウンディーネ(パウラ・ベーア)は一瞬、茫然自失の表情を浮かべながらも、語気強くこう切り出す。「行っちゃだめ。戻って、私を捨てたら殺すから」。
不穏なダイアローグで始まる「水を抱く女」が、ありふれた失恋譚から、一挙に神話の世界へと変貌するのは、カフェで声をかけたクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)とともにウンディーヌが、揺れによって倒壊した水槽から溢れ出る大量の水を全身に浴びてしまう瞬間からである。以後、<水>は不吉なまでの<死>の兆候として画面に遍在し始めるのだ。
映画は、ドイツ・ロマン派を代表するフリードリヒ・フーケの「ウンディーネ」からジャン・ジロドゥの戯曲「オンディーヌ」へと受け継がれている<ウンディーネ神話>を、ほぼ忠実にトレースしている。水の精霊ウンディーネが人間の男の愛によって魂を得るが、男に裏切られたために、男を殺し水中へ回帰するという寓話は、しかし、手垢にまみれた文学臭を一切、感じさせない。クリスティアン・ペッツォルト監督が、現代のベルリンにおいて孤立感を抱えて生きるウンディーネの受難と遍歴を描く際に、もっとも深い霊感源となったのは、おそらく溝口健二の作品である。脳死状態のクリストフを蘇生させるために、怨念の塊と化したウンディーネが非業な行為に走る時の貌は、「雨月物語」(53)で変心した森雅之を責めさいなむ京マチ子の妖気漂う表情を想起させるし、彼女が入水する場面は、「山椒大夫」(54)のラストで、湖水へと消えてゆく香川京子の哀切な佇まいを連想させずにはおかない。フランソワ・オゾンによって見出されたパウラ・ベーアは、いまや、最も硬質なエロティシズムの魅惑を発散する稀有なヨーロッパを代表する女優になったといえるだろう。
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