【「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」評論】勝敗も敵味方も関係なく感動させるアートを見せた、ナポリの7年間
2021年2月7日 10:00
「走ったら、そこへ出すから」
ディエゴ・マラドーナはチームメートへそう伝えていたそうだ。実際、走れば鼻先にボールが届けられた。敵に囲まれたマラドーナの左足から、その隙間を通って。
サッカーには戦術がある。勝つために、チームとしてどうプレーすべきか。1980年代後半は戦術とシステムが以前より重要性を持ち始めた時期だ。システムはより緻密になっていく一方で、プレーヤーが没個性的になっていった時期でもある。システムのためにプレーしなければ生き残れない時代に突入していた。
だが、マラドーナは常にシステムの外にいた。
走れば、そこへ出す。これ以上ないほどシンプルだが、簡単なのはチームメートだけで、マラドーナのほうは簡単ではない。1人で複数の敵と戦いながら、一瞬で最適解を弾き出す技術はもはや人間業でなかった。だから戦術はマラドーナになった。
サッカーは不確実で、人が考えたシステムでカバーできるほど単純にできていない。システムが確実そうに見えるのは罠にすぎないのだが、それしか頼るものがないから縋りたくなるわけだ。システムなんか実はザルだ。その粗い網の目からこぼれてしまうものを、マラドーナはまとめて解決してくれた。走れ、走ったらボールを届けてやる。シンプルな指示は、めんどうなことは自分が一手に引き受けてやるという意思表示である。
SSCナポリはマラドーナに縋った。下手なシステムより、よほど頼りになるからだ。マラドーナがナポリのシステムであり、それはアルゼンチン代表も同じで、つまりマラドーナは常にシステムより上位の、システムの外に存在する、おそらく唯一の存在だった。
マラドーナは常に弱い者の味方だった。
ナポリを追われた直接の原因はコカインだが、きっかけはイタリアワールドカップである。準決勝でアルゼンチンがイタリアと対戦したとき、マラドーナはナポリ市民の側に立ったからだ。会場はナポリのホームスタジアム。マラドーナのいるアルゼンチンではなく、ナポリ市民はイタリアを応援すべきだとの世間の圧力に対して、「今までナポリの人々をさんざん差別しておいて」と、マラドーナは牙を剥いた。そのとき、マラドーナはイタリア分断の扇動者とされた。
システムの外にいる人間が信じるのは自分の法である。システムが命じてくる法ではなく、自分の信じることを行い、自分に正直に生きる。マラドーナはフィールドの中で間違うことはなかったが、フィールドの外では間違いも犯した。ただ、どんなときでも人間的で、システムにへつらいすぎて自分をなくすことはなかった。
ナポリの7年間は、あれほどの天才にしては短い全盛期だ。しかし、試合に勝つ方便としての技術を超え、勝敗も敵味方も関係なく感動させるアートを見せた。好きな人も嫌いな人も彼を無視できない。人々はシステムの檻の中から、飛び回る鳥を眺めていた。
Amazonで関連商品を見る
関連ニュース
映画.com注目特集をチェック
人生にぶっ刺さる一本
【すべての瞬間が魂に突き刺さる】どうしようもなく心が動き、打ち震えるほどの体験が待っている
提供:ディズニー
ブルーボーイ事件
【日本で実際に起きた“衝撃事件”を映画化】鑑賞後、あなたは“幸せ”の本当の意味を知る――
提供:KDDI
プレデター バッドランド
【ヤバすぎる世界へようこそ】“最弱”ד下半身を失ったアンドロイド”=非常識なまでの“面白さと感動”
提供:ディズニー
あまりにも凄すぎた
【“日本の暗部”に切り込んだ圧倒的衝撃作】これはフィクションかノンフィクションか?
提供:アニモプロデュース
盤上の向日葵
【「国宝」の次に観るべき極上日本映画に…】本作を推す! 壮絶な演技対決、至極のミステリー、圧巻ラスト
提供:松竹
てっぺんの向こうにあなたがいる
【世界が絶賛の日本映画、ついに公開】“胸に響く感動”に賞賛続々…きっとあなたの“大切な1本”になる
提供:キノフィルムズ