【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「ハニーランド 永遠の谷」
2020年6月28日 16:00
北マケドニアはギリシャとアルバニア、ブルガリアに囲まれた国で、以前はユーゴスラビアに属していた。バルカン半島の奥部のこのあたりは、遠く極東に住む日本人にとってはファンタジーの世界のような、魅力的な異国情緒を持つ一帯である。しかもその土地で、「ヨーロッパ最後」と言われる自然養蜂を行っている女性が主人公。その設定だけで、厳しく美しい自然と古い村の風景を期待してゾクゾクしてくる。
冒頭からその期待は裏切られない。細い山道をたどり、強風が荒れる峨々とした岩稜のすきまにミツバチの巣はあり、主人公のハティツェ・ムトラヴァは蜜を採集する。すべては採らず「半分はわたし、半分はあなた」とハチに語りかけるその姿は、まさに自然と共生し、持続可能な暮らしを生きる象徴のようだ。老いて目の見えなくなった母親との暮らしは、まるで中世の時代の風景のようにも見え、すべてが愛おしい。
彼女の土地はどこか遠くにあり、誰にも到達できないように感じる。しかし、実は首都スコピエからわずか20キロの場所にあることが明かされる。都市文明から至近距離で、実はとても壊れやすくはかない風景なのだ。それを裏付けるかのように、本編が始まってすぐに美しい暮らしは破られることになる。トルコからやってきたという騒々しい大家族が、ハティツェの家のそばに移住してくるのだ。
大家族は騒々しいだけでなく、いつもトラブルに巻き込まれている。中年の夫婦はいつも喧嘩し、そういう両親に子どもたちは鬱屈を抱いている。彼らは持続する地味な生活よりも、得られるものはなんでも収奪して生き延びていくようなライフスタイルを選択している。だから最初は一家と仲良くしていたハティツェも、だんだんと彼らと向き合うのがつらくなってくる。
一家はハティツェを真似て、養蜂をはじめる。自然養蜂ではなく、業者から蜂箱を購入していきなり大きな商売を始めようとする。新しい蜂たちは闖入者であり、おかげでハティツェの蜂たちは蜜をあまりとれなくなってしまう。彼女は抗議するが、聞き入れられない。彼女の仕事ぶりに影響を受けてきた一家の幼い息子たちも、父親に「半分しかとっちゃいけないんだ」と助言しようとするが、まったく受け入れられない。
このあたりの展開は、とてもドキュメンタリーとは思えないほどドラマチックだ。撮影に3年もかけ、400時間以上もカメラに収められたという制作の厚みがガッチリと骨組みを作り出していることが伺える。
映画の冒頭では確固としていたように見えていた持続性は、急速に失われていく。失われていくものを前にただ佇むしかないハティツェは、ひたすら無力である。だがその無力さこそが、とても強く胸を打つ。彼女には抗議の言葉さえない。はかなく美しく厳しい風景の中を、ただ歩いていくしかないのだ。
失われる持続性は、地球温暖化や廃プラスティックなどの問題も含めて21世紀の社会の最重要問題のひとつである。これを強い言葉ではなく、ただ切なくはかない物語として本作は描いている。その物語性は、言葉よりも強く観客の胸に突き刺さるだろう。
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