大森立嗣監督&水澤紳吾、「ぼっちゃん」で喚起する“考え続けること”
2013年3月15日 13:45
[映画.com ニュース] 秋葉原無差別殺傷事件を引き起こした加藤智大被告をモデルに、社会の片隅で追い詰められていく若者を映し出した映画「ぼっちゃん」。「ゲルマニウムの夜」(2005)、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」(09)など、現代社会と隣り合わせの闇を見つめてきた大森立嗣監督が、「SR サイタマノラッパー」シリーズなど意欲作に出演を重ねる水澤紳吾とともに、心に巣くう孤独をあぶり出した。本作を通して社会が直面する問題と向き合ったふたりは、今何を思うのだろうか。
梶知之(水澤)は、まわりにわき目も振らず、インターネットの掲示板にコンプレックスや心の叫びを書き込んでいた。派遣労働先の工場でも片時も携帯を手放さず、自分の世界にこもりきりだったが、よく似た境遇の田中さとし(宇野祥平)と出会う。ふたりは社会から疎外された者同士、友情を深めていく。
水澤は、孤独という名の殻に閉じこもり、暴走に行きつく青年・梶を怪演。主演に抜てきされ「すごい心配でしたよ、お客さん入らなかったらどうしようって。(起用前に大森監督に)芝居も見てもらってないのに、なんて恐ろしいことをする人なんだろうって(笑)」と不安もあるなかで、「脚本のふくらませ方と実際の事件は全部が一緒じゃない。事件の関連書籍を読ませていただいたんですけど、監督にも『水澤は水澤のまま立ってそのまま感じて』と言われていた」と実在の人物をベースにしたキャラクターを演じきった。
大森監督は、これまでに暴力や孤独にまみれた社会のはみ出し者を描いてきた。その眼差(まなざ)しは、どこかいとおしさがにじみ出ている。意図したわけではないと語るが、「映画を見ていても、小説を読んでいても、そういうのに反応しちゃうんですよね。ただ明るいだけのものには全然反応しない。影の部分というと大げさだけど、世の中にある枠からはみ出ちゃう人たちを描きたいと思うんですよね。彼らも、この世の中にちゃんと生きているんだぜっていうことを見せたい」
その思いは、本作にも強く刻まれている。善悪という結論やメッセージを提示するのではなく、見る者に「これからどのように向き合っていくのか」という命題を投げかけ、社会の枠組みだけに頼らない思考を喚起する。「今回、加藤智大をモチーフにしているけれど、『彼は一体何者なんだ。昨日まで同じ風景を見て、同じ空気を吸っていた。俺たちが生みだしたんだよ』っていうことを考えないといけない。だから見て、感じてほしい。考え続けることしか俺たちにはできないと思う」と警鐘を鳴らす。映画という形で、今後も社会との向き合い方を問いかけ続ける強い意志が感じられた。