海鳴りがきこえる

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海鳴りがきこえる

解説

東日本大震災の記憶を胸に抱えながら母となった女性が、被災地である故郷へ戻る姿を描いたヒューマンドラマ。

子育てに追われる元写真家の理子奈は東北の被災地出身で、震災で家族が離散した過去があった。理想的な家族をつくることに執着する彼女は、夫・知久と衝突することも多い。ある日、父親のように慕って師事していた写真家・浩志が、情勢が緊迫しているベラルーシへ取材に行くとの連絡が入る。父親を失うような気持ちでいる時に夫の浮気を知った彼女は、苦悩する中で自分が本当にするべきことは何かと考え、東北の被災地へと車を走らせる。

「アルプススタンドのはしの方」の中村守里が主人公・理子奈、「大和(カリフォルニア)」の内村遥が夫・知久を演じる。監督は、福島県相馬市出身で震災をきっかけに故郷の映像を撮りはじめ、2015年にドキュメンタリー映画「自然と兆候 4つの詩から」を手がけた岩崎孝正。

2023年製作/71分/G/日本
配給:ブライトホース・フィルム
劇場公開日:2023年10月28日

スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0やむにやまれぬ思いを込めて、細部までこだわりぬいた珠玉の一作。

2023年11月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

岩崎監督のトーク付きでみることができ、監督がこの映画に込めた思いなどを知ることができました。岩崎監督の映画は311直後の時期に撮った「村に住む人々」も、その後に撮った「New World」も観ていたので、20代で自分の故郷が海に沈んでしまうという岩崎監督の被災地での経験と思いはわかった上で視聴できたので、より理解しやすかったです。

トークの中で、この映画にはモデルはいないとのことを聞き、驚きました。脚本はすべて完全に一人で書き上げたそうですが、「自分の中に主人公がいて、どんどんセリフが湧いてくる感じ」とお聞きし、それは才能ではないかと思いました。
セリフですべてを語るのではなく、細部にまでこだわった映像で見せてくれる映画でした。終わってからパンフレットを読んだら、主人公に、監督の思いを乗せて作られていたのだとわかり、納得しました。
震災であれ、戦争であれ、予期せぬ被害を受けることがあり、自分の心の底にある問題に目を背けたまま生きていくのではなく、問題に真正面から向き合っていこうというメッセージが伝わってくる映画で、心に残るいい映画をみせてもらったと思いました。
そのメッセージは、監督が自分に向けて発したものでもあると思えたので、今後の映画に期待したいと思いました。

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tara

4.5若き世代に見てほしい破綻と再生の物語 被災者少女のその後

2023年10月31日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

知的

山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF )に東北3部作『自然と兆候/4つの詩から』『Memories』 『カツテノミライ』を出品してきた福島県相馬市出身の岩崎孝正監督が、東北の震災取材体験をベースに描く人間ドラマ。若い世代20-30代の、これから社会経験を積み重ねて人生を切り拓いてゆく世代にも見てほしい映画。東日本大震災のその後における被災者の当時小学生10-12歳くらいの青少年たちの約12年後の境地とは。大津波に父親を奪われ一家離散し金銭事情により自立を急ぎすぎてしまった被災者の少女が、都会に出て大人になって家庭を持ったという初期設定を受け止めずに、映像をぼんやりしながら見るとテンポ良い70分間はあっと言う間に過ぎるので注意。
 20歳になるかならないかの年頃で商業写真を撮り子育てをする女性カメラマンのリコナ。時折、震災の悲夢に苛まれ、すれ違いの夫婦生活に自問している主人公の姿は、艱難辛苦に耐えるほどに神格化される映画「裁かるゝジャンヌ」のルネ・ファルコネッティのごときヒロイン像とはかけ離れており、どこにでもいる普遍的な業を抱えた現代ニッポンの若い夫婦像に他ならない。自分≠子育て≠夫≠仕事≠捨ててきた故郷・実家という自己存在の統覚が危うい結び目で結合していただけという日常性の歪(ひずみ)みが徐々に明らかにされてゆく。
 然るべき道程を歩けずに、モラトリアム時代もなく、早生でも社会人にならざるを得なかったリコナは、制作会社を切り盛りする歳上の夫から撮影の仕事を斡旋される元請け/下請けという上下関係を帯びたビジネスパートナーでもありドラマの進行により、被災者リコナの孤独に対する哀れみや同情が夫の口から語られるが、とにかく誰でも良いから自らのシェルターとなれる家族を持ちたかったというのが被災した若者たちの切実なる事情に思えてくる。そんな彼女にも、人生のパースペクティブを伝授した報道カメラマンの恩師ヒロシという心の支柱がいた。ベラルーシへ難民キャンプを撮りにいく準備をしているヒロシは、かつては写真の教え子リコナに対して、真の被写体・オブジェクトの獲得に至るまでの道のりの厳しさを通告し、突き放しながらも見守っていてくれていたのだったが.....。
 捨てられ捨ててきた家族。自らが家族ができると途端に、幼き子ども、心身共に気持ちが通じない夫は柵(しがらみ)として、幸せになりたい主人公の現実的な低空飛行の足枷なっている。70分間の人間関係のドラマ中で丁寧に対話が繰り返されることで、とある事実が主人公に開かれつつあることで、破綻の様を帯びてくるのだ......。
 車移動のショットさえも極度にミニマルであること。人が住んでないかのように見える東京の家並みの平面無機質な無焦点の静止写真のインサート、同時に被災地の物言わぬ瓦礫群(焦点は合っている)の写真のインサート。酒場でのワイン瓶の切り詰めた使い方や、削がれてはいるが言うべきを言う会話の数々。三和土にあがりこむ手前で引き戸の奥に控えている主人公と迎え入れる母親の後ろ姿という日本家屋での跨ぐべき境界を意識した奥行きの使い方。岸辺での三角形坐り、などにより、小津調や黒沢清調を継いでいく監督の意思が見てとれる。
 メロドラマの道具立ても切迫感がある。主人公が所属する夫の経営する小さな制作会社の息詰まるような狭いPCレイアウトの事務所。自宅における折りたたみ式に見える簡易机。ベッドでなく床に寝ているようにも見える実はシュールな親子の川の字。何かが壁にぶら下がっているような雑然とした福島の実家の部屋といったセットにも、日本映画の家族シーンでの既視感があるものの、何かが不揃いな主人公の環境に対する困惑や夫に対する怒りといったエンパシー(共感)をさざなみの様に鑑賞者に立ち上がらせる。
 カメラマンである主人公の眼差しは、自己や伴侶、子どもから、やがては、外部へと向かい始めることだろう。外部とは東京の仕事現場でもなく東北で暮らす〈歩み始めた人々〉なのだろう。更なる外部とは、日本社会のみならずベラルーシ、ロシア、ウクライナ、イスラエル、パレスチナまで広がる世界である。遠すぎる世界情勢が数珠繋ぎで少なからず至近距離にもスーパーマーケットでの買い物レベルまで影響してくる現代人の存在論が、小津的家族ドラマの引き戸の外側に、深淵の口を開けて待っていると推し図るべきか。ちなみに小津は戦争は撮らず、映画とは隔絶させて描かなかったということは監督の美意識でありながら、戦争描写の不在が戦争の爪痕の影を、フィルムの中の感触やたちのぼる実存として縁取ることになってしまっていたというパラドクスの発生は詳述しないが、解説となるのは『帝国の残影―兵士・小津安二郎の昭和史』與那覇潤・著がある。
 リナコは横顔のショットが多く、対話シーンや被写体に向かってカメラのファインダーを覗く際の顔は、3、4歳の男の子を育てる母親としてはあどけなさ幼さが目立ち、僅かながらの凛々しさがある。リコナの顔の向きを、小津の内的サスペンスアクションの装置として鑑賞すれば、横顔ばかりでなく、親子で川の字に仰向けになり本人は夢に魘(うな)される様を下腹部から撮る場面を含めて、幾つかの方向からカメラが顔を捉える訳で、言うまでもなく鑑賞者は、正面のショットが立ち現れた時に、ドラマが内包するエモーションを知ることになるだろう。
 小津映画に色恋沙汰がミニマルながら差し込まれたとしたらという視点も、周防正行監督初期作でのデフォルメ同様に考えるべき視点だろうか。出番は少ないながらも注目すべきリコナの見えない敵である制作会社女子社員アイの睫毛と眼差しも良い。対話シーンは斜めや上下の位置から映すことが多く、陽的な運動性を持つ。リコナの目(田中絹代や有馬稲子の系譜)とは違った猫的蠱惑的アーモンド型の目をしているアイ(岡田茉莉子や加賀まりこの系譜)という存在の対称性。同じように主人公リコナに説教をし感化させようとするのは、夫(演:内村遥)と先輩カメラマン(演:満園雄太)であり、薄く底通するリコナを巡る対称性も比較すると面白いかも知れない。
 リコナは、子育てを一時期放棄した母親ナツミに対して憎悪するべきではあるが、怒りを向けても張り合いがなく、梯子を外されるようにして諦観と優しさで返されるため、母親ナツミを完全に裏切られないでいて、青山真治監督『サッド ヴァケイション』の母親役・石田えりを想起させる。ナツミとは、母系社会のニッポンで心理的母親殺しができない沼地の象徴なのだろうか。その母ナツミと対称的なのは、リコナが気兼ねなく相談できる世代が違う歳上の友人栄子(演: tamico.)であり、母親が役割不全ななかでのバランサー役をして主人公を動かす隠れた進行役として存在感を残し、頼れる者は家族ではなかったというリコナの無意識の指標にもなる。
 鑑賞者には、「ショートカッツ」のロバート・アルトマン監督による農薬散布、「マグノリア」ポール・トーマス・アンダーソン監督によるヒキガエルの雨というような黙示録的な震災のインシデント発生を期待して、カーニバル的カタルシスに向けて人間相憐れむべきペーソスに満ちた群像劇が展開することを予見しながら本作を見ことはお薦めしない。after津波の時代において社会基盤をつくることに懸命にもがきながら生き抜き、全てが流されてしまった子どもたちの生活の〈虚ろ〉とは、もしかしたら非・被災者の〈都会〉の人々と同化したことで感染した〈虚ろ〉であり、都会に生きている者は、精神的難民のような闇を持っているやも知れない。がんばろう東北と力強く大声を張りあげるのではなく、繰り返す海鳴りが体内に鳴り響き消えない人々の内面の小さな出来事の方に岩崎監督は寄り添われたのだろう。鑑賞者は、仮託された破綻と再生のストーリーに、被災当事者たちの文脈をどう繋げていけるか、行間と余白から帰納法でピースを当て嵌めて、東北をオーバーラップさせ再生に向けて歩き出す終わらない現実の物語の始まりを感じ取りたい。
 キャストは、若き母親でフォトジャーナリストの道に踏み出せないでいる主人公リコナには、TV番組「ラストアイドル」一期生で売り出し中の中村守里で、小津安二郎の薫陶を受け遂には女性監督として自立し、力作を撮り続けた女優・田中絹代を髣髴させる面立ちである。
アイ役は「今際の国のアリス」に出演している華やかな存在感が際立つ指出瑞貴だ。
重要かつ唯一コミカルなシーンをリコナの担当製作者の役として怪演した木村知貴(秋田県鹿角市出身という東北の味)のユニークな間合いの味わいも捨てがたく、 田辺・弁慶映画祭や映画祭TAMA CINEMA FORUMでは男優賞を受賞し、近年では今泉力哉監督作に起用されている実力派。今後の日本映画界でComedy Reliefをやらせれば柄本明や片桐はいりのように観客をニヤニヤさせ輝くだろう。
リコナのジャーナリズムの師匠ヒロシ役には、
瀬々敬久、廣木隆一、いまおかしんじ、富田克也などの名だたる監督の作品常連の川瀬陽太が演じ、報道に人生を捧げ草臥れながらも人生の苦味を噛み締めてきたであろう中年男性の燻し銀感を醸す。

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むさしのばんだ

2.0何でも震災のせいにしないで下さいね

2023年10月28日
Androidアプリから投稿

悲しい

単純

難しい

心の病気を抱えて園児の息子に過保護な被災地出身の元カメラマンの主婦の話。

元カメラマンとなっているけれど、旦那の会社から仕事もらっている実は現役だったり、浩志さんが師匠だったり、一人暮らしのおばちゃんが母親だったり、その関係性だったり、そんな種々人物設定の背景がみえてくるのが展開に対して遅くて判りにくい。

そのせいか、最初は普通の主婦かと思ったら、旦那に触れられることすら嫌がったり、人の話しを聞く気はなくて、単に私が私がのすぐにキレるメンヘラキチ女という風ににみえてくる感じで、機微が正しく伝わって来ている気がしない。

その辺を保管しても、結局悲劇のヒロイン気取りな感じはどうしても残るし、最後は急に受け入れすぎて成長というより、ゲームの様にリセットしてもう一度にも見えてしまっていた気がする。

ドキュメンタリー監督のフィクション長編初作品ということなので次に期待します。

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Bacchus

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