ギルバート・グレイプのレビュー・感想・評価
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いつの時代も愛される名作に
ラッセ・ハルストレム監督のハリウッド1作目であり、若かりしレオナルド・ディカプリオがオスカー助演男優賞にノミネートされた秀作ヒューマン・ドラマ。ジョニー・デップが「普通の」人間を演じているのも新鮮。
家族のためと自らを片田舎に縛り付ける青年ギルバートが自由奔放な少女ベッキーに触発されていく様を暖かく見つめる。
知的障害を持つギルバートの弟をディカプリオが演じているが、見事ななパフォーマンスを披露している。彼の芝居の巧みさはこの映画の質を大きく引き上げている。ベッキー役のジュリエット・ルイスの透明感ある存在感も素晴らしい。
古典的な家族愛の物語であり、青年の成長物語であり、人の尊厳を問うヒューマニズムでもある本作。いつの時代に観られても人の心を動かす普遍性が溢れており、古典の1本に将来はなるかもしれない。
音楽のないダンスのような街
チェーン店のバーガーショップができただけで歴史が変わってしまうような田舎町。
世話をしなければならない母と弟。
このまま、このまま自分の人生は終わってしまうのか。
都会で自由に生きている人たちにわかるだろうか。
雨の中、エンジンがかかってしまうシーンでは(車が直ったら彼女は街を出て行ってしまう)涙が出た。
そのあたりで終わるのかと思ったら、母が、、。
そんなことで解決していいのか。
ディカプリオはタイタニックやビーチから人気の出たイケメンアイドルスターだと思っていたら、とんでもない。
若い時から超演技派だったんですね。
ディカプリオだけでなく、若い俳優さんたちがみんな輝いていた。
リバイバル劇場公開してくれてありがとうございました。
32年前の名作から考えさせられる、地域社会の崩壊とそこに住む人たちの今
「12ヶ月のシネマリレー」という企画で上映中の本作を新宿武蔵野館で観た。初見である。
1993年公開の32年前の映画で、当時19歳のディカプリオの才能は、本作で広く世に知られることになったのだそうだ。イケメン美少年としてデビューしたと思い込んでいた。
ジョニーデップの主演は知っていたが、ディカプリオが出演していることさえ知らなかった。正確な病名は語られないが、知的障害者を完璧に演じていると思う。
僕の知り合いの娘さんも知的障害者で、ディカプリオ演じるアニーと同様、人なっこく、無邪気で明るく、時にこちらの心のうちを見透かしているかのように鋭いことを言ったりして、僕も大好きだった。過去形なのは20歳で亡くなってしまったからだ。
アニーも10歳まで生きればいいと医者に言われていたが、この映画では19歳まで生きたことが描かれた。たった30年ほどだが現在は医療の進歩でずいぶん改善されているそうだ。喜ばしいが、もう少し早くなんとかならなかったものか…。
いろいろ考えさせられて、感想になかなか入れない。
舞台は90年代のアメリカ内陸の、商店が数軒しかないような小さな街。ギルバートは雑貨屋でアルバイトだし、友人は葬儀屋。もう1人は、この田舎町にマイナーなハンバーガーチェーンができると聞いて、そこに就職することを心待ちにしている。
街の産業というものがないのだ。おそらく農業地域だったが、80年代の農業危機後にそれが失われた街というような設定なのではないだろうか。
ラストベルトと同じく、産業の空洞化により地域経済が回らなくなり、静かに滅び始めている街の出来事なのだ。
ジョニーデップ演じるギルバートは、健康な若者らしく都会に出ればいいのだろうが、アニーがいるし、まだ成人前の妹もいる。最大の問題は母親だ。父の自殺後に精神的に病んでしまい、過食による肥満で家から出られない。
だからこの家族、母と4人の子供たちはおそらくギルバートの雑貨店での稼ぎだけで食べていっているのだろう。家族は仲違いしながらも、その絆はびっくりするほど強い。
ギルバートはスターウォーズ4の冒頭のルークのようだ。夕日を見つめて、僕はこれから先も、どこにも行くことができないのだ、心踊るような出来事などやってこないのだ、と諦めている。
そこに新たな可能性として現れるのが、祖母のキャンピングカーで通りかかった少女である。少女といってもおそらくある程度の学歴があり、裕福な祖母の旅のお供をしながらモラトリアム中。彼女の登場は別世界との出会いなのだが、だからといってその別世界に出て行くという選択肢はギルバートにはない。
…となかなかに厳しい状況なのだが、この取り残されたような侘しい田舎町がなんとも美しい。70〜80年代に活躍したアメリカンニューカラーの写真家たちの作品に出てくる街のようだ。
その美しさが唯一失われる場面が、最近街にできたという大規模スーパーマーケットの場面だ。蛍光灯に照らされた店内は、この田舎町の中で唯一、都市の匂いのする輝かしい場所なのだが、この場面だけが美しくない。
そう感じるのは、このスーパーが資本の論理による地域社会の破壊であることが描かれているからかもしれない。
アメリカではこの映画の90年代、あるいはそれ以前の80年代にも、こうした産業の空洞化による地域社会の破壊が起こっていたのだ。
しかし、それに対する異議申し立てとしての政治運動は2010年代中盤を過ぎて、ようやくトランプによって行われたということなのかもしれない。
主人公を演じたデップも今や62歳。主人公のギルバートも、これから産業の国内回帰を目指す政治がうまくいって、失われた産業が元に戻ることがあったとしても、年齢的に間に合わない。
完全にネタバレになるが、ラストシーンでは、ギルバートを地元に縛り付けていた家族の重しはかなり軽くなったら状態で、1年ぶりに戻った彼女との嬉しい再会がある。
もうすぐ19歳の知的障害者アニーと共に彼女のトレーラーハウスに乗り込み、街を出ることが示唆される。
おそらくギルバートには手に職も学歴もない。彼女とは、社会階層もかなり違う。それにアニーは成人に近づき、面倒を見るのはさらに大変なはずだ。
ギルバートがもし実在で今も生きていたら、このエンディングの先、どんな人生を送ったのだろうか。そしておそらく60歳を過ぎた今どのように過ごしているのだろうか。
公開当時、まだ20代だった僕がこの作品を見たなら、全く違う感想を持っただろう。
アメリカというと西海岸と東海岸沿いの都市をイメージするが、その内陸にある広大で人口密度の少ない地域に住む人々が、自由主義経済の中で翻弄され、踏み付けにされた時代の貴重な記録にもなっていると感じた。
この作品の再映に感謝したい。
想定外のラスト
想定外のラストでしたが、ハッピーエンドになって良かったと思います。直前でベッキーと別れたのに不満だったので、このラストにつながっていたとは嬉しいサプライズでした。
ベッキー役の女優、どこかで見たことのある独特の目つきだったので調べたらケープ・フィアーで高校生役で出てたんですね。
25-103
天国のような空気に包まれた珠玉の作品
閉鎖的な田舎町の物語
ああいった町では、知的障害者・摂食障害者に加え自殺者までが家族に揃っている貧乏人は真面目に働いていてもどんなに美しい容貌を持っていても周囲から望まれる求婚者にはなり得ない。キリスト教精神をもって皆優しく接してはいるが、主人公は対等な権利を持つ一人前の人間としては扱われていない。
彼との結婚を前提に近づく適齢期の娘はいないだろうし、いても家族や友人が全力を挙げて止めるだろう。既婚マダムの浮気相手あたりが丁度良い。
稼せげているのは食費だけ。彼は追い詰められている。土葬文化の地に住みながら感情を最優先して火を放つ事もするだろう。姉妹たちも一段低く置かれている自分たちを痛感しつつ日々暮らしているのだから、全てを焼き払う事に同意もするだろう。
彼は他所者からしか愛の対象とされない。
なので、全てを理解し抱擁する夢のように美しい救いの女神ベッキーの内面も、見る者が納得できる所まで描いて欲しかった。彼女はどういう人?彼女はなぜあのような彼らを必要としたのか?
彼らはあの後現実を、日常を、共に生き続けられたのだろうか。
久しぶりに観たけど…
激しくはないけれど静かで強い焦燥感
ハルストレム監督の言ったとおりの映画
アイオワ州の架空の小さな街、エンドーラ、父の遺した古い家を守っているのは、次男のギルバート。彼は、ほぼ一人で、18歳になる知的障害の弟アーニー、二人の姉妹、何よりも父が亡くなってから過食症に陥り、部屋を出ることもない肥満した母ボニーを養っている。長男は学士として既に、家を出ている。毎日の食料だけでも大変な量で、料理は失職中の姉のエイミーが専らこなす。
ギルバートは、父親が、かつて共同経営者であったらしい、今は経営が傾いている食料品店で働いている。アーニーは共同社会の一員として一応受け入れられていた。昼間は、ギルバートと一緒に、店にいる。昔の日本でも、そうしたことがあったっけ。今なら、きっと施設に入らざるをえないか、訓練施設に通っていることだろう。ボニーだって、周囲の好奇な目に晒されてはいるが、病院に閉じ込められているわけではない。今なら、介護があるが、この二人をみている家族の負担は、生半可なものではない。
何も起きないこの街で、狂言回しが二人。一人は、食料品店の有力な顧客で魅力的な既婚女性、ギルバートと不倫関係にある。しかし、ちょっとした事故で夫を失い、この街を去ってゆくことになる。なんと「お前に(ギルバートを)譲る」と言い残して。譲られたのは、祖母が運転するトレーラーを牽引する車が故障したため、街に止まらざるを得なかった美しい娘、ベッキー。しかし彼女は、幼い頃に両親が離婚し、二人の間を何度も、たらい回しされたことから、社会の実相を見知っている。彼女は、家族への奉仕に、ほとんどの時間を費やしているギルバートに、「あなたは(本当は)何をしたいの(what do you want to do)?」とやさしく問いかける。しかし、彼の自立は、家族の運命を変えることになるのは明らか。私は最初、ギルバートと彼の庇護の元にいるアーニーが喧嘩するのではないかと恐れた。しかし、それは軽く済んだ。そうすると、起こることは、ただ一つ。その通りの展開だった。
こうした物語の背景には、大規模農業への展開を含む産業化の波があるのだろう。あの見渡す限り大平原の広がるアイオワだって、とうもろこしと、何度も出てきた「カリカリ・ベーコン」の源、養豚の土地だ。白人中心で、暴力は目立たないように見えたけど、やがては難民を含む労働者がやってきて、ギルバートは、あのまま住んでいたって、新しいスーパーマーケットやバーガーのチェーン店で働かざるを得なかったことだろう。あの心優しき米国人たちは、その後どうしたのだろう。
楽しいけれど、どこか悲しい、まさにハルストレム監督の言ったとおりの映画だ!
ジョニー・デップ目当てで見るとビックリする名作
公開当時に見た。
また映画館で観れると知って、わざわざ日曜日の夕方、渋谷まで観に行った。
ジョニー・デップが好きで観て、大満足した記憶。
弟役は、役者じゃなくて、ママ役と同じように適役に、彼に合わせてみんなが演技してるんだと思った。
その後タイタニックを映画館で観て、社会現象になってテレビでもディカプリオを見かけたけど、ギルバート・グレイプの弟役だと気づかなかった。(ちょっと似てる子だったなとは思ったけど)
今回はディカプリオとわかってて観た。
すごくない?ディカプリオ。
これでアカデミー賞取れなかったとかってビックリなんだけど。
思わず調べたら、この年の助演男優賞は「逃亡者」でBOSSのCMでお馴染みのトミー・リー・ジョーンズが取ってた。
いや、あれも良かったけど…いい引き立て役だったけど、演技としたはアニー役のディカプリオのほうがすごくない??
ジョニー・デップが普通の役。
若い頃からカッコいいけど…今のほうがより魅力的。これもすごい。
あとは、ジョニー・デップがディカプリオをおんぶしてるのも、…なんかスゴい。
演技もいいけど、ストーリーもいい。
わざわざ観に行って良かったな、そう思える映画。
愛しているからこそ重たい
若き日の彼らはキラキラしていた
若い頃のジョニデとレオ!
久しぶりに観ましたが、とにかくジョニーデップもレオナルドディカプリオも若くフレッシュ。
レオはアカデミー賞ノミネートされた作品だけあって知的障害のある少年アニー役がとても自然で良かったです。
寡黙な家族思いのギルバートを取り巻く家族関係や背負っているもの、アニーとギルバートを大きな包容力で包んでくれるベッキー。
この3人がメインでお話は進みます。
ベッキーがまた素敵で凛とした内面からの美しさをジュリエットルイスから感じられるからさすが役者さんだな、と大昔の初見の時も思いました。
今で言うヤングケアラーのギルバート、障害を持つ子を持つ家族の大変さはこの当時から同じで
家族の介護と貧困故に田舎で燻るしかない若者の葛藤が暗くなりすぎずみずみずしく描かれていて今の時代に見ても共通する部分がたくさんで考えさせられます。
最後が希望に満ち溢れている終わり方はとても良いですが、その少し前の出来事はちょっと今の時代なら絶対あり得ないし見ていても"これは大丈夫なのか?周りに迷惑にならないのか?"なんて余計な事を考えてしまいました笑。
映像もわかりやすくアメリカの田舎町って感じで懐かしく美しいです。
個人的にはメアリースティーンバージェンの美しさに感激!
当時40過ぎててあの美貌を保ているのは素晴らしい。
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