人間の境界のレビュー・感想・評価
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アウシュビッツのような出来事は昔(80年前)のことで
今はああいう非人道的な事は無いと思っていました、いいえ、薄々は有ることを感じていました、否、有ることは確信していましたが見ないようにしてきました(知っても何もしない自分に失望したくなかったから)。日々難民救済に活動されている方には本当に頭が下がります。が、一方で何故そこまでできるのか是非伺ってみたいです。見ず知らずのおっさんを自宅に住まわすとか、警察に睨まれ牢屋に放り込まれるリスクとか、私財を使うことや友人と疎遠になること、真夜中だろうが関係なくプライベートも何もないこと等々。好きでというと語弊がありますが、興味があるのか、生き甲斐なのか、やりがいを感じているのか、自己肯定感が上がるのか、何かの使命感なのか、それら全てなのか、結婚して子供がいたらやらないのか、親の介護があったらとか、健康に不安があったらどうなのか、とか。ああ、いつの間にかできない理由を挙げている。
そして、そもそも何故こういう悲しい人種差別が起こるのでしょう?個々人に人を貶める気持ちはほぼ無くても組織になると、マイナスの気持ちが集まってひとつの大きな塊になって他者を攻撃するのでしょうか?国がそういう方針を示せば従わざるを得ないことはわかりますが、あの地域に昔からある争いの火種が人々の心の奥底にずっと燻り続けているからなのでしょうか?
“ Mourir mille fois(千回死ぬ)”そのもの。
誰の目に見ても明らかな戦争ではないにも関わらず、ベラルーシとポーランドの国境で、それぞれの国籍ではない人々がまるでピンポン玉のような扱いを受けている。その間で精力的に活動を続けるものの窮状を変えられないボランティアと塹壕足の痛みで歩きたくても歩けない移民の両者のやるせなさや葛藤が痛々しい。
エピローグで描かれる強烈な対比には言葉を失う。
真実に基づくフィクションだそうだ。
真実に基づくフィクションだそうだ。
それはともかく
白ロシアはなぜウクライナと戦わないのか?
それはチェルノブイリがあるから。
そして、白ロシアやウクライナからすれば、ソ連の時代に起こした負の遺産を、ロシアが白ロシアとウクライナに押し付けている。本来なら、ウクライナと白ロシアは同じ被害者なのである。だがしかし、そうは問屋が降ろさない。
ともかく、
チェルノブイリ原発事故が起きた時、汚染された街はキーウとミンスク。繰り返すが、白ロシアはウクライナとは被害を共有出来るのだ。
そして
敵対するように演出しているのが、ルカシェンコの存在。所謂、ヒール役なんだよ。そして、ルカシェンコ自身が平然としていられるのは、社会主義国ではなく一応民主主義国家を装っているから。そして、経済的には白ロシアの産業が欧米にも多大な影響をあたえているからなのだ。
だがしかし、原発の問題はさらに
ザポリージャが加わった。
つまり
チェルノブイリとザポリージャでヨーロッパ随一の穀倉地帯も風前の灯と言った所だ。
わざわざこんな事をしなくとも、境界は既にあったという事。それを分かって、この事実に基づくフィクションは鑑賞すべきだと思う。
勿論、日本人としては内政干渉すべきではない。
なお、
ウクライナとポーランドは元々余り仲は良くない。だから、ポーランドからすれば、隣の火事が飛び火したと感じているはず。
追記
なお、白ロシア人はロシア人ではないので、誤解のないように。歴史的に見れば、ポーランドやウクライナよりも自国のアイデンティティはあると見るべき。
「人間の境界」ベラルーシ〜ポーランド経由でスウェーデンを目指すシリ...
誤解を恐れずに言うならば、映画としても面白い
とても面白く、よくできた映画でした。モノクロが美しい。やはりモノクロは、このように撮るべきという見本のような映画。
群像劇で、視点がそれぞれ変わって、それぞれがリアルで切実。
人間を兵器として使うという発想に驚く。ベラルーシは、シリアから難民を受け入れ、それをEUに混乱を起こす「人間武器」として難民を無理やりポーランドに送り込む。
それを不法難民としてまたポーランドはベラルーシに送り返す。物じゃなく、人なのに。物扱い。一人一人に意志があり、泣き笑いがあり、痛みや苦しみがある。そして衰弱、事故などで死んでゆく。苦しみや悲しみは、規制する国境警備員にも、難民支援者グループにも。それらを丁寧にリアルに描き出す。
ラスト近くで、救出した若い難民と受け入れた家庭で、そこの同世代の姉弟たちとラップで交流するシーンは白眉。「千人の人に、千人の死」とかいうラップ。難民やそれに関係する人たち、それぞれに人生があり、生きている人間であると歌い上げているよう。映画的な高揚感があるシーン。
と、結構映画としてドラマあり、サスペンスあり、笑いがあり、切なさがあり、誤解を恐れずに言うならば、映画としても面白い。
監督は、この国境のイザコザ(2021年の出来事)を、最初ドキュメンタリーとして考えていたらしいけど(撮りためていた)、ポーランド政府は隠蔽しようとしていて、ドキュメンタリーとして制作が難しいと判断して、それならば、起きた現場でなくても撮れる劇映画として、作ればいいと考えたとのこと。で、現実の当事者も役者として参加しているという。
公開後は、ポーランド政府からの妨害にもあったとか。
凄いね。映画を作る意志が。それと映画の力がすごい。
難民をめぐる新たな政治的側面を描き世界秩序の在り方に問題提起する労作
1 難民をめぐる世界の状況
NHK映像の世紀によると、難民が世界的に注目されたのは第一次世界大戦とロシア革命の頃からである。特に革命後ソビエトには旱魃、寒波が襲来した結果、死体の山が積み上げられる中、市場で塩漬け人肉が売られ、泥のパンを食べていたという。
こうした状況に対処するため国連難民高等弁務官が設置され、世界中から寄付を集めて彼らの救済に乗り出していく。
その後、ナチス台頭に伴うユダヤ難民、第二次世界大戦の被災者6,000万人があり、東南アジアではベトナム戦争によるベトナム難民、インドシナ難民、ボートピープル、東西冷戦終了後はボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の難民、中東のクルド難民、シリア内戦の難民、、アフリカの人種間紛争の難民等々に世界は直面してきたのだが、数年前に世界の難民・避難民は1億人を超えてしまった。
2 難民と映画
映画というジャンルでも難民問題は数多く取り上げられてきて、特にレバノン難民を取り上げたドゥニ・ヴィルヌーヴ『灼熱の魂』、アフリカ難民の内面の悲劇を描くレミ・ウィークス『獣の棲む家』は印象深かった。そして本作ということになるのだが、ポーランド発のこの映画は従来のヒューマニズム一辺倒とは違う難民の政治的側面を取り上げた労作だと思う。
扱われているのはベラルーシと国境を接するポーランド、リトアニア、ラトビアに雪崩れ込んでくるイラク、シリア、トルコ難民である。シリアから2,000キロ以上も離れたベラルーシに何故、大量のシリア難民がいるのか。それが従来の難民とはまったく異なるこの問題の政治的側面だ。
3 難民の新たな政治的側面を描く本作
ソ連崩壊後、永らくルカシェンコ大統領の独裁体制が続くベラルーシをEU諸国は非人道的だと非難し、経済制裁を課してきた。これに対して同国はトルコやイラクとの航空便を利用して大々的に移民ツアーを実施。迫害された人々をわざわざ集め、彼らをEU圏に送り出すことにより、EUを攻撃し始めたのである。まさに「人間兵器」だ。
当然、ポーランド等もこうした移民は受け入れ難いので鉄条網で阻止しようとし、時にはかなり厳しい方法で越境した難民を追い帰す。するとベラルーシは「お前たちに非人道的と非難する資格があるか」と嘲笑する、という具合である。そしてロシアのウクライナ侵攻後は、ウクライナからの難民も急増し、今度はルカシェンコの背後にいるプーチンがEUをせせら笑う。
こうした実態に対処しなければならないポーランド、ひいてはEU諸国の困難な状況は、もはやヒューマニズムやグローバリズムで誤魔化せないところまで来ている。難民を大量に受け入れた反動により、極右勢力が伸展する等の政治情勢の不安定化が生じているからである。本作はそうした実態を難民、兵士、保護団体、無関心な国民等の多角的な視点から、きちんと描いている。
同様の事態は米国、メキシコ国境でも生じており、ハリスがトランプに負けた一因とも言われるし、勝ったトランプは「不法移民を追い帰す」と公約している。
巨大核保有国が拒否権を連発して、片や大量の難民を生み出し、片や大量の難民を排除するという国連組織の限界が明白な今、世界秩序に関する問題設定は、いったいどの程度の混乱で済むかというのがいちばん正しいだろう。
生かさず、殺さず‼️
2021年。
ベラルーシ政府はEUに混乱をもたらす目的で、多数の難民を、
ポーランド国境に送り込んだ。
ベラルーシ政府の政策を間に受けてポーランド入国を目指す
シリア難民の家族たちと、難民をピンポン玉のように
投げ返すポーランド政府はそれを拒否する。
国境で難民の入国を阻止する国境警備隊。
そして難民を支援するポーランドの活動家。
難民のかぞく。
この3つの視点から難民支援のあり方と現状を描いた映画です。
ベラルーシとポーランドの国境は原生林が阻んでいて、
夜の原生林の闇は漆黒で本当に暗い。
国境近くに自宅を持つ精神科医のユリアはある日、犬の散歩をしていて、
国境の立ち入り禁止区域の沼地に潜んでいた難民を保護する。
それをキッカケに活動家としての運動にのめり込んで行きます。
活動家仲間の反対を押し切って《禁止区域》に入り難民を逃そうとして、
警察に検挙されてしまう。
嫌がらせの身体検査を受け勾留されるが、
ユリアの怒りはもう止められない。
立派に難民支援活動家に成長している。
エピローグで、
2022年2月のロシアのウクライナ侵攻が起こり、ウクライナの難民、
200万人がポーランドに押し寄せた。
全世界の紛争で難民は増え続けている。
国連の活動もEUの支援も、「生かさず、殺さず」
難民は、
「千の死を死ぬ」と嘆く。
誰も本気では助けてくれない。
★ポーランド本国で上映妨害を受けた問題作。
監督はポーランドの巨匠アグニシュエカ・ホランド。
救いもある
「だから難民など認定しちゃいけないんだ」と言う政治家にこそ観て欲しい
これはキツい映画だったぁ。こんな事態がある事は海外ニュースで聞きかじってはいましたが、こんな凄まじい現実を生きている人々が居るとは思いもしませんでした。また、自国でのこの出来事を「映画にして世界に届けなくては」の監督の思いが溢れていました。
プーチン・べったりのベラルーシのルカシェンコ大統領は、シリア・アフガンなどからの難民を大量に集めて隣国ポーランドに押し付け、EUを混乱させようと企図します。いわゆる、「人間の銃弾」作戦です。一方、ポーランド政府は野放図な難民流入を阻止すべく国境警備隊を配備して難民を力づくで押し返します。本作は、「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出したシリア人家族が、両国国境間でキャッチボールの様に弄ばれる姿を描いたドラマです。
両国の警備隊員は国境の鉄条網を破壊して難民を力づくで相手側に押し出せば任務完了です。難民らはその間、食料にも水にも事欠き翻弄されます。何とかスマホの電池を持たせて、援助者の手を借りてポーランド国内に潜り込むことが唯一の助かる道です。寒さやひもじさで亡くなる人も次々と出て来ます。しかし、警備隊員はその死体を相手国側に投げ入れるだけ。この警備員たちも、自分の心のスイッチの幾つかを off にして任務に従事するしかありません。
その厳しい現実がドキュメンタリーの様に淡々とモノクロ映像で描かれます。観る者の臓腑を抉る生々しさ。
「日本は地続きの国境がなくてよかったな」と胸を撫でおろしていて良いのでしょうか。政治家は、「だから難民など認定しちゃいけないんだ」と嘯くのでしょうか。難民申請者を収容所に長期勾留し見殺しにしているこの国は「緩慢なベラルーシ」とは言えないでしょうか。
人間を兵器にするなどあってはならない
2時間半のこの大作映像に完全に釘付けになり、自分の中で衝撃が走り、エンドクレジットが終わってもなかなか立ち上がることが出来なかった。
世界で起きてる許されない現実は沢山あるのだが、ほとんど報道されなかっただろうこのベラルーシとポーランド両国の非人道的な所業に途轍もない怒りを覚える。そして全く知らなかった自分に反省する。知ることと伝えることしか我々には出来ないが、1人でも多くの人にこの映画の存在を知らせたくなった。
難民の問題は島国の日本においては接せる機会はほとんどない。「マイスモールランド」のクルド難民の件だってほとんど誰も知らない。いくつもの国と接する国(EUとアラブ諸国等)にとっては日常的に起きている問題だ。ポーランドはウクライナ難民を200万人も受け入れるが、ベラルーシを経由してのシリア等からの難民は受けいず、金網を超え死体すら国境から投げ入れる。
国と国、それぞれの事情と時の政治に翻弄されるのは常に市井の人々となる。
難民、国境警備隊、活動家の人々の視点と行動はまさに「人間」としての「境界」を映し出していた。
やさしさや慈しみを失ったら「人間」ではいられない。
平和を希求しない為政者は存在しないでもらいたい。
この映画で学んだ、。
暗い、気が滅入る、でも知っておくべき現実
2021年、ベラルーシ政府がEUを混乱させるために大勢の難民をポーランド国境に移送し、人間兵器として使った話。
「ベラルーシを経由してポーランド国境を越えれば安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じた難民たちは、幼い子どもを連れて祖国シリアを脱出し、やっとのことで国境の森にたどり着いた。しかし、武装した国境警備隊から非人道的な扱いを受けた末にベラルーシへ送り返され、そこから再びポーランドへ強制移送されることになった。一家は暴力と迫害に満ちた状況のなか、地獄のような日々を強いられた、という悲惨な現実を描いた作品。
ロシアに加担してウクライナを攻撃してるベラルーシはEUを混乱させようとしてこんなことまでしてるのかと唖然とした。
ポーランド政府としては仕方ないとはいえ不都合な真実なのだろう。支援活動をしてる人達には頭が下がるが、コソコソせずもっと堂々と支援出来れば良いが、そうするとベラルーシはもっと大量に難民を送り込んでくるのだろう。
ロシアにベッタリのルカシェンコが独裁体制を敷いてる限りベラルーシで人権というものはないのかな?
ロシアに関係する国境の話は難しい。
モノクロで描き出す、人とそうでない者の境界
ポーランドとベラルーシの国境で、アフリカやアフガニスタン等からの難民が
国境警備隊によって、相互に”人間兵器“として押し付け合う、その様は
もはや人の所業ではありません。
人を人として扱っておらず、劇中の難民家族が言う通り動物のような、いや、そこにも該当しないような
扱いを受けて、亡くなっていく人も多数。
映画では、難民家族、国境警備隊、支援活動家、それぞれの視点から
この問題が描かれますが、目を覆いたくなるような、そんな悲惨な状態に置かれる避難民の方々。
母国を脱出する必要がなければ、かような問題はないのかもしれませんが、
そうでないのが実態です。
劇中には、国境警備隊にも”人“がいたり、
支援活動家家族と避難民との心温まる交流に、少し救われた気持ちになりますが、
結局はこの問題は全く解決していないので、それを観客につきつける映画作品であったと思いますし、
いろいろと考えさせられました。
エンターテインメントではありませんが、
国際情勢を知る、良い機会となりましたし、観る価値のある作品だと思います。
人間とそうでないものの境界線
生命の重み
終始重苦しい内容なので観てて辛くなってしまったが、エンドクレジットで示されるように、ここで描かれている難民に対する非人道的な仕打ちは実際に今でも行われているという。遠い国日本に住んでいると、こういう事は中々分からないものである。そういう意味では、観て良かったと思える作品だった。
聞けば、ベラルーシはEU諸国を混乱させる目的で敢えて難民を集めて送り込んでいるらしい。一方のポーランド政府も不法入国する難民を受けれない方針を取っており、彼等を見つければベラルーシに追い返すことにしている。そもそも、ベラルーシはロシアの同盟国であり、ポーランドを含めた西側諸国からすれば敵対する国である。そんな国からの移民はそう簡単に受け入れられないという事情もあるのだろう。
こうしてシリアやアフガニスタンから逃れてやってきた難民は、まるで”物”のように扱われ、国境沿いで立ち往生することになってしまう。正に行くも地獄、戻るも地獄。彼らの安住の地はどこにもない。
映画は国境を越えようとする一組の難民家族、彼等を支援する活動家、国境警備隊員、夫々の立場でこの問題を多角的に捉えている。一つの偏った視線に寄らず包括的に描くことで、この問題の難しさを浮き彫りにしようとする試みが感じられた。
中でも、国境警備隊員ヤンの葛藤にはドラマとしての面白さが感じられた。彼は身重の妻と慎ましくも幸せな日々を送っている。しかし、日々の任務からストレスが積み重なり、徐々に精神的に疲弊していくようになる。そんな彼が終盤に採った選択は印象的だった。暗い物語の中にかすかな光明が感じられた。
また、難民支援の活動に身を投じる精神科医ユリアのエピソードも印象深い。自らの危険を顧みず、この問題に真っ向から立ち向かうのだが、その姿は実に健気で崇高だ。そして、そんな彼女の奮闘が実を結ぶ終盤の展開にも、かすかな希望の光が感じられた。
こうした終盤の展開は若干ヒロイックになった感は拭えないが、このあたりは”劇映画”たらんとする作り手側の”良心”だろう。現実を見せるだけであればドキュメンタリーで事足りるわけで、こうしたドラマ性が無ければ劇映画にする意味はない。
もう一つ、本作にはエピローグが登場してくるが、これを観るとここで描かれている物語が何とも皮肉的なものに思えた。命の重さに違いなど無いはずなのに、この差は一体何だろう?と考えさせられる。
監督、脚本はアグニェシュカ・ホランド。かつてはアンジェイ・ワイダの下で脚本などを書いていた作家なので、元々本作のような社会派的な眼差しを持った監督なのだろう。ワイダの「地下水道」のオマージュとも言うべき「ソハの地下水道」を製作して世界的な賞賛を受けたが、その時のヒューマニズムは本作のヤンとユリアの活躍に引き継がれているような気がした。
今回は手持ちカメラによるモノクロ撮影が貫かれ、まるでドキュメンタリーを観ているような生々しさが感じられた。終始重苦しいトーンが続き暗澹たる気持ちにさせられるが、同時に目を離せぬリアリズムも持っている。特に、主人公一家に対する容赦のない追い込み方など、エネルギッシュな演出が光っていた。
タイトルなし(ネタバレ)
幼い子どもを連れたシリアからの難民の家族。
飛行機で向かう先はベラルーシ。
国境を越えてポーランドを経由して北欧に向かう計画なのだ。
北欧には家族のひとりが居、彼らを出迎える予定。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
国境を越えてポーランドへ入ったすぐのことろで、武装したポーランド国境警備隊に発見される。
彼らは、その後、ベラルーシとの国境を何度も行き来する羽目になる・・・
といったところからはじまる物語で、全編モノクロ。
時期的には、コロナ禍がはじまった頃のことで、難民の多くはマスクを着けている。
飛行機内で、シリア人家族にアフガニスタンン難民の女性も加わり、難民側の様子は、主に彼らを通じて描かれます。
映画は、ポーランドの国境警備隊の若い兵士の視点で描かれ、彼には臨月の妻がいる。
新居を構えようとして、リフォーム中。
兵士は、国境を越えて来た難民たちを一時、集合所のようなところに集めるが、すぐにベラルーシ側へ強制的に送り出す。
難民たちが何かを訴えようが、どうしようが。
背後にロシアを抱えるベラルーシは「難民救済」を謳って受け入れるそぶりをみせるが、その実、不法にポーランド側(EU側)に越境させている。
EU経済の混乱、兵力の分散を狙ってのことだ。
当然、ポーランドも同じ手段に出る。
両国にとって難民は招かれざる客であり、相手国を困らせる兵器のようなものだ。
迫害を受ける難民もそうだが、国境警備隊の兵士のストレスも凄い。
酒を飲んでも収まらい。
難民たちに暴力をふるっても収まらない。
暴力の結果、難民が死んでしまうと、政治的な問題に発展してしまうからだ。
どうにもこうにもやりきれない。
さて、第三の視点と難民支援者の活動が描かれる。
彼らにも、出来ることと出来ないことがある。
難民に救助を約束できないし、立ち入り禁止区域に入ることでもできない。
やりたい・してあげたいのは心情的にはわかるが、法律的な問題があり、立ち入り禁止区域への侵入は不法行為、その後の活動に影響が出てしまうからだ。
その支援グループに、コロナ禍で都市部から国境近くの村に越してきた精神科女医が加わり、これが第四の視点となる。
かくして、映画は四つの視点で描かれることで、事態の深刻さが深く描かれることになる。
国境沿いでの難民の押し付け合い描写が繰り返し繰り返し描かれ、観ている間のストレスは相当なもの。
また、これを撮ったアグニエシュカ・ホランド監督をはじめとする製作陣の覚悟は相当なもの。
映画は、エピローグとしてウクライナ戦争勃発後の様子が描かれる。
それまでほとんど難民を受け入れてこなかったポーランドが数十万単位でウクライナからの難民を受け入れた旨が字幕で示される。
ベラルーシと押し付け合いをしていた難民たちは中東からの難民。
ウクライナからの難民受け入れはポーランドのエクスキューズのようにも見え(というか同朋意識が強いのだと思うが)、人種差別の根深さも感じさせます。
映画は、現在進行形の映画というに相応しい作品です。
全60件中、1~20件目を表示















