「エルヴィス伝記映画を補完する物語、ケイリーのかわいさで加点あり」プリシラ ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
エルヴィス伝記映画を補完する物語、ケイリーのかわいさで加点あり
ケイリー・スピーニーの出演作を初めて見たのだが、冒頭のシーンで彼女が振り返った瞬間、あまりのかわいらしさに目が釘付けになった。物語前半の、栗色ヘアに薄づきメイクの姿がとにかく美少女。声も愛らしい。そりゃエルヴィスも惚れるでしょう。
そんな、学園もののヒロイン然として現れたプリシラが、エルヴィスの間近でその強烈な光と影に晒され、彼の好む色に染められて、だんだんと変わってゆく。
プリシラ視点の話なので、エルヴィスの半生についての詳細な描写はない。そこを説明しすぎるとエルヴィスが主人公になってしまうので、本作の主旨を考えると妥当な扱いだろう。
この手法の副作用として、エルヴィスがあのように精神的に荒れていった理由もどこかすりガラスの向こうの風景のようになっている。そのため、彼が恋人をお人形のように都合よく扱う姿が、スーパースターになった男の単純な勝手さや気まぐれのようにも見える。もちろんいかなる事情があれ、女性の人権軽視やDVは駄目なのだが、男性側の背景も見えてこそ、物語としての厚みが出る。
エルヴィス自身が置かれた状況は、既に皆が知っているという前提なのかもしれない。私は、バズ・ラーマン監督の「エルヴィス」を思い出していた。
「エルヴィス」では、プリシラは物語の中盤から登場する。脇役ということもあり、彼女の感じる寂しさや、自由を制限されることへの葛藤はほとんど描かれない。終盤、彼女がエルヴィスの元を離れる理由は、取り巻きが与えたドラッグによって、ステージの外での彼が亡霊のようになってしまったからだ。浮気の疑惑などは気にしていない。夫としてのエルヴィスはもういないと思ったから、彼女は子供を連れて出ていった。「私はもう捧げ尽くした。何も残っていないの」と言い残して。
この「捧げ尽くした」と思うまでのプリシラの内面について、「エルヴィス」では仔細な描写はない。そこを深掘り(と言うには物足りないが)したのが本作だとも言えそうだ。「エルヴィス」のプリシラはより肝の座った女性という印象だが、本作はプリシラ本人の自伝が原案なので、現実のプリシラの心情により近いのはこちらの方なのかもしれない。
しかし、最後にプリシラがエルヴィスの元を出ていくくだりはやけにあっさりしていて、えっこれで終わり?という感じだった。ずっと彼女がエルヴィスの都合に合わせて生き、服の好みも彼に否定され、グレースランドの事務員との雑談さえ制限されるといった様子で、息苦しい生活は十二分に描写されていたのだから、出ていく時にそのフラストレーションを存分にぶちまける方が映画的なクライマックスが作れてよかったのではないか。
男の意のままに生きてきた女性が自分の意思で行動する姿で、フェミニズム的な何かを表現したかったのかもしれないが、いささかパンチ不足だった。
「エルヴィス」のような作品と合わせて観て、プリシラのパートを補完するのにちょうどいい、そんな程度の見応えだ。
この時代を舞台とする作品に共通する見どころは、やはりファッションやインテリア、自動車のデザインだ。プリシラの衣装のバリエーション、60年代のかっこいいクルマを見ているだけで楽しい気分になる。ジェイコブ・エロルディのエルヴィスもなかなかさまになっていて、ビジュアル面では満足度の高い作品だった。