DOGMAN ドッグマンのレビュー・感想・評価
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おりこうさんな犬たち
上質なサスペンス
題材はよいが深くはなかった
素晴らしかったの一言。
前々から気になっていたので鑑賞。
自分も幼少期に受けた深い傷を抱える者として
とてもとてもカタルシスを感じて、魅了されました。
主人公のダグラスが、過去について語る形式であるにも関わらず
なんとかうまくいくようにと、祈りながら見ました。
そして、自分の大好きなタバコもたくさん出てきて
ダグラスが煙草に火をつけるたび、一緒にタバコに火をつけて見ました。
リュック・ベッソンの、気品があり知性の高いヴィランを描くセンスはピカ一。
神とシェイクスピアと聖書、どれも、人によって捉え方や取り入れ方が違う。
そこに持ってきての、あの主人公のキャラクター設定。たまりません。
真の悪とは何か?反吐がでそうになるほどの悪は、2人だけ。
そして、ダグラスを演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズの凄み。かっこよかった!
でも、これを好まない人もいるんだろうなあとも思いました。
しかし、自分にとっては、何度でも見返したい作品。何もかもが完璧だと思いました。
本当に、本当にかっこよかった!ラストも完璧。久々にいい映画を見ました。
犬達の健気さに泣ける
作品自体は⭐️4つだけど犬達がかわいすぎる
4.5!!
ちょっとジョーカー的なエッセンスもあるけど、そこまでのメッセージ性はないかな?って感じです
ケイレブの怪演が光る
ギャングとの争いがラストなんだけど少しスケールが小さいんだよねえ
でも、主人公がどうしてこうなったかを丁寧になぞっていくんだけどそれが面白くてどんどん先が気になってしまう
犬達が利口で、また健気すぎて顔見てるだけで泣けてくるんだよね
お願いだから犬達には攻撃しないでギャングさん!!
って違う意味でハラハラしてしまった。
もっとダグラスにヒーロー性みたいなのがあるとスカッと面白くなるんだけどなぁ
2があるとしたら犬を使った闇の仕置き人みたいなのを見てみたいなぁ
監督そういうの得意じゃん笑
心の輝きを取り戻すということ
この作品に描かれるダークヒーロー的主人公ダグラス。
その壮絶な過去
「生まれつきの悪などいない すべては環境が作り出したこと」
キリスト教徒の多くが神の存在に疑問を持っている。
宗教観と法律と環境
これが作り出したものがこの社会
ダグラスの少年時代
犬小屋の中で何年も過ごした。
父という単なる暴力マシン
その中で犬と心を通わせるようになる。
ようやくそこから抜け出したとき、同時に歩く自由も奪われた。
ダグラスはやがてドッグシェルターで働き始める。
しかし州が施設を壊す決定をしたことで、廃墟を改装して犬たちと暮らし始めた。
さて、
ダグラスの境遇を考えると、ダグラスの行動に選択の余地はなく、彼の言った「人は神の操り人形」という言葉も納得できる。
ダグラスの生き様に共感できるのがダークヒーローになれる要因だろう。
富の再分配
この考えは古くから日本にもあった。 ねずみ小僧 清水の次郎長 石川五右衛門…
なお、
アメリカ社会は、国だけが暴力機関である軍や警察を装備するのを良しとしない。
日本のように国だけが軍や警察を保持すれば、国の決定と地方との思いが分断した時対処できなくなるからだ。
だから州軍や皆から選ばれた保安官制度があり、最後は自分の身は自分で守るため銃の所持が認められている。その維持のためにライフル協会が存在する。
この社会的価値基盤と人力ではどうにもならないことに対しキリスト教がある。
しかし誰も神というものがどんなものなのかを説明できない。ただ、何でもかんでもそれが神だと言ってしまうことは可能ではある。
つまり、
ダグラスの主張に正面から異議を唱えるのは難しく、彼が狂っているのか加害者なのか被害者要素があるのかどうかについて、エブリンは思惑していたのだろう。
エブリン
彼女は最初に女装した男の名前を訪ねるが、彼は答えず質問をする。
彼の質問に自分自身のことを少しだけ話したことが、ダグラスが自身のことを話すきっかけを作った。
生後9か月の子持ちで離婚した黒人女性
このことだけで彼女に何があったのかダグラスは想像した。
エブリンの母が元夫のことを話すが、つまりエブリンの父と夫はダグラスの父と兄に等しいことが伺える。
ダグラスの勘は犬の感覚ほど鋭いのだろう。
少し話しただけでエブリンのことを見抜いている。
これは私が勝手に思っていることだが、動物や鳥たちは自分が見たことをそのまま相手に映像として伝えることができる能力があると考えている。
だから映像のような犬たちの行動も実際にあり得ると思う。
特に犬は特定の人間に愛情を持つと、その人が家に帰ってくるタイミングさえ正確に把握できることがわかっている。
人間は、動物が言葉をしゃべれないことを馬鹿にする節があるが、彼らにとっては言葉など不要なのだろう。人間の方がよっぽど頭が悪い。
ダグラスも犬と同じ能力を開花させたのだろう。
訓練などではない。
さて、
ダグラスはエブリンとの会話で自分自身と神について再考することになる。
彼にとっての環境は地獄であり、神がしたことだ。
やっと自由を手に入れた時、歩く自由を神によって奪われた。
この社会は弱者を食い物にしたあげくごみのように捨てる。あたかも捨て犬のように。
ダグラスは犬の心がわかる。犬だけが家族
「あなたの力になりたい」
ほとんど聞いたことがなかった温かい言葉。
思い出した優しかった母
そしてサルマ
彼女の演劇 淡い恋心
そしてショースナックで歌ったこと。
自分自身の中にあった輝き。
「どう対処するのかは自分で決めること」
「決めるのは、自由意志」
ダグラスの根幹にある社会に対する抵抗
エブリンが言った「法律」そして「自由意志」
やがて彼は「自分は神の操り人形なんかじゃない」と思ったのだろう。
従来思い描いていた「彼の神」との別れを決断する。
「端然と自分で選択する」
彼は再び犬に依頼し脱獄した。
しかし、その意味はすでに変わっていたのだ。
彼はエブリンに頼んで脱獄のための着替えを用意させた。当初は単に脱獄を計画していた。
だが、エブリンとの会話から彼の思い込みのすべてが覆された。
彼は着替え脱獄する。
目的は目の前にある教会の前に立つこと。
その下に両足で立ち、神に向かって叫ぶ。
「あんたのために、この足で立っている。あんたのために立ってる!」
「行けるよ。いつでも」
バックで流れる歌
「後悔なんかない だって私の人生 私の喜びは、今日、あなたとともに始まる」
ダグラスが初めて認識した自由意志 自由な選択
それはサルマと一緒に芝居をした歌の中に隠されていた。
ショースナックで歌った歌の中に隠されていた。
ダグラスの神に向かって叫んだ言葉、それは神の願い 彼の頭の中に聞こえてきた神の願い その神の願いをリフレインしたのだ。
神の願いとは、ダグラス自身の真の願い 自由に歩けるようになること 自由意志とは神の言葉そのものだったことに気づいたのだ。
教会の十字架に朝日が差し込み影を作る、その影と彼が重なり合う。神の想いが彼に降りたのだ。
私は自分の足で立てる。それを選択できる。
いつでも、どこにでも行ける。
「いつでもどこにでも行きなさい」と言った神 つまりダグラスの本心
私の今日という日は、私がいて初めて成り立つ。
その今日を、喜びで迎えなければならない あなたと共に。 真の私の心とともに
私の、私自身の自由な意志こそ、神の真の願い。
だから私は歓喜に満たされて叫ぶ。
「あんたのために、この足で立っている。あんたのために立ってる!」
「行けるよ。いつでも」
「後悔なんかない だって私の人生 私の喜びは、今日、あなたとともに始まる」のだから。
神の願いが聞こえた時、初めてこの世界のすべてが認識される。
ダグラスは例え牢獄に入れられたとしても、その環境を作り出したのは法律なんかではなく、自分自身だと理解する。
そして歩く自由を手に入れる訓練をする。
長い間勝手に歩けないと決め込んでいた人生にさようならをする。
勝手に作った「彼の神」 つまり偽の神とさようならをする。
この瞬間からダグラスは神とともにいることを知る。
真の「私」の想いがわかった。
素晴らしい作品に胸が打たれた。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが素晴らしい
🐶🐕🐩🦮🐕🦺
IN DOG WE TRUST
野良ワンコたちを操って悪者をやっつけるエンタメ系ムービーと思いきや、リュック・ベッソンにしてはアクションも控え目で、割りとアーティスティックな1本に仕上がっている。『ニトラム』でニートなサイコ・キラーを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズが、本作では車椅子生活を余儀なくされたドラッグ・クイーンを演じている。当然アクションには制限があるわけで、主人公ダグラスの代わりに頭のいいワンコたちが手となり足となり悪を成敗するのだが、ハッキリいって想定内、新鮮味のある演出は今回特に見当たらなかった気がする。
ベッソンによれば、父親によって犬小屋に閉じ込められた少年のニュースを新聞で知り、その後のストーリーをベッソンなりに想像して組み立てたシナリオらしい。ダグラスの兄ちゃんで、ドメバイ親父にべったりのキリスト教原理主義者が登場するのだが、本作はその原理主義の名のもとに弱者を平気で傷つけようとする輩へのアンチテーゼになっているという。宗教、マネー、暴力。それらを武器とする絶対的権力に立ち向かうため、神が不幸者ダグラスに犬を遣わしたという設定だ。
じゃあ、それら原理主義者たちの束縛から自由になるためにはどうすれば良いのか。今までのベッソンだったら、当然犬を使ったバイオレンスに突っ走るところだが、今回そこら辺の描写をかなり抑制しているのである。ドッグステーションの管理人からドラッグ・クイーンに転身を遂げたダグラスは、アーティストとしてこの世に蔓延る原理主義者たちと対峙するのだ。それだけに、エディット・ピアフやマレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンローをカバーしたダグラスの歌声が何故か口パクだったのが何とも悔やまれるのである。
映画は、ダグラスと同じく精神的な痛みを抱えたシングルマザー精神鑑定医師による事情聴取形式をとっている。女装はしているものの、女医の質問に対して終始落ち着いた口調で回答するダグラスの様子に、ハンニバル・レクターのような異常性は全く感じられない。至極まっとうなのである。ワンコたちもそんなダグラスの気持ちを汲み取って、あくまでも自由意思に基づいて行動するのである。「私は立っている!」“フランダースの犬”というよりも、ローマ教会という絶対的権力に真っ向から対立したマルティン・ルターを意識した演出だろうか。
“IN GOD WE TRUST”の文字を硬貨に印刷することを、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは神への冒涜だと批判したらしい。皮肉なことにアメリカは、その後文字通り金を神と崇めることによって経済的発展を遂げ、No.1の地位を築けたのである。しかし、世界中の不幸を一人で背負いこんだような人生を送ってきたダグラスにとって、信じるべきはアメリカという国でも金でも神でもないDOG(GODの逆さ読み)だったにちがいない。
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