オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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だいぶ遅くなりましたが?…(本文に続く…)
(タイトルからの続きです…)書きます。
私的な趣向として(鑑賞済みと、未鑑賞のままの封〆(上映終了)の作品を合わせて)…先の大戦関連で、5(升型テレビ拝聴も含めて作…映画は3)作見たうちの…真ん中(時代の趨勢(終局間際のみ)もの)に相応しい作品でした。
因辣(ちなみに)順逆ですが、この作品を柱にして時代背景上…先に鑑れなかったのが…閑心領域(アウシュビッツの前期時の)で、同地域関連で見たのが(同上の後期同の、五十音順で)…シンドラーのリストと戦場のピアニストで(コメントしてる映画(連盟軍*3&4)とは)逆の枢軸側が主人公もので、観たものに同で、関心領域に近かったのが?…(ノモンハン〜ソビエト社会主義共和国連邦→コタンタン(*1&2)半島に渡った、韓国籍(?)の実在した人物(1920-96)の晩年のインタビューから元に生まれた!ドラマ?を映画化した…)マイウェイ12000キロの真実の作品です。
補足‥
*1は…フランス共和国内にあるノルマンディー半島の現地読みで、*2…あの地方は?…ブルゴーニュとも…いや後で確認してから再補記致します。
*3‥連合軍は、歴史教科書の…でして、*4日本ではこの映画の最後の投下(ファットマン)から6日後(1945/08/15)の降伏(武装解除を宣言)した為…ですが、*4実は?…大戦は?…最初は中立も、オッペンハイマーの先祖の地だったドイツで起きた総統暗殺(爆殺)未遂事件で、明るみに无了(なった)偽装亡命に手を貸したとして…国内で解散総選挙を行なって惨敗した中立派に変わって親独派の政権が発足した…パフラウィー朝イランが…偽装亡命の件の国際協力を拒否したために…戦争となり…イランも国連の休日元となった(1945/10/24‥日本では24-5)にサウジと大英帝国の湾岸諸国連合軍(ガルフユニオンズ)に降伏を申し入れたために…完全終戦(先の大戦の日付期間)は?…1937/07/07(or1)-45/10/24(or25)と記録も出来ます*5。
そのためソビエト社会主義共和国連邦に慄いたパフラウィー朝イランが…米英に近寄る政策を執った為?…1979/02/04に宗教革命が起こったのです…。
映画で被爆地の惨状を描かなかったのは、来日の際、オッペンハイマーが広島長崎の惨状を見ることが出来なかったことと同じで、彼の自責の念を描くためだったかもしれないと…
オッペンハイマーについては、
幾つかのドキュメンタリー番組があり、
彼の科学者としてやユダヤ人としての想い、
そして、人間としての苦悩についての
予備情報を得ていたが、
アカデミー作品賞受賞作でもあるので、
それらを超えてエンターテイメント作品
として何を描こうとしているのかと
この作品を鑑賞してみた。
この映画、
たくさんの要素を叩き込むような編集で、
ともすると私は置いてけぼりになりかねない
作風だったが、好感を持てたのは、
出来事の内実や登場人物の思考は多面的で、
決して単純化して描写出来るものではなく、
オッペンハイマーの苦悩そのものも
長尺の上映時間をもって描いていたことだ。
ところで、この作品には広島長崎の惨禍が
描かれていないとの批判があるようだが、
邦画の「ひろしま」や「TOMORROW 明日」
とはスタンスは異なるので、
戦争祝賀会での演説の際に
オッペンハイマーが見る原爆被害者の幻視、
また、ラストシーンでは広島長崎を超えての
人類の滅亡までを匂わしているのだから、
私にはその指摘は当たらないように思えた。
ただ一つ、秘密聴聞会での
愛人との裸の妄想シーンの必要性については
全くの疑問で、演じた2人にも
同じ画面に登場している俳優たちにも
訊いてみたいような恥ずべき演出に感じた。
さて、クリストファー・ノーランは、
「メメント」では時間の逆行、
「ダンケルク」では
異なる時間幅での同時進行、
そしてこの作品では
小刻みなカットバックと、
時間の扱いに特異な手法を使う監督だが、
この作品では、一科学者の思考世界に
観客を引き込む映像手法として
一番成功しているのではないだろうか。
彼の後悔について
連鎖反応
この映画のどこが日本公開を躊躇わせたの?
昨夏、『バービー』と共にアメリカ映画界を席巻し「バーベンハイマー」の造語までもを生み出しながら、被爆国日本では「触らぬ神に祟りなし」の意向が働いて(?)公開が見送られて来た、原爆の父・オッペンハイマーの上映が漸く始まりました。アカデミー賞受賞がかなり硬いと言う前評判が、日本公開の後押しにもなったでしょう。そして、主要部門を実際に独占しました。
そこで、クリストファー・ノーラン監督作の撮影意図に応える気持ちでIMAXにて鑑賞しました。そして、観終えて。
この映画のどこに日本公開を躊躇わせた要素があったのでしょう。原爆開発に向かう政治の力や物理学者の熱意は正邪も善悪もないまぜで、彼がなぜ原爆開発に邁進したのかも明確には示さず、かと言って丸投げではなく観客に正しく考えを委ねています。この綿密な記録は、日本でこそ観られなくてはなりません。不満や疑問ががあれば、日本から映画で答えればいいのです。でも、お涙頂戴戦争映画しかスクリーンにかからない現在の日本ではそれを望むべくもありませんが。
また、原爆投下直後の広島・長崎の惨状が全く映されていない事を非難する声があり、日本人として確かに残念ではあるのですが、オッペンハイマー個人を見つめる映画としてそれは或る意味正しい選択だったろうと僕は理解します。アメリカ人の逃げや誤魔化しとは思いませんでした。
シーツを入れてはならない
第二次世界大戦下、アメリカで勧められた「マンハッタン計画」に携わり、“原爆の父”とも称された物理学者、オッペンハイマー。
そんな彼の栄光と没落の物語。
戦争映画は嫌いだ。
だが決して目を背けてはいけないと、毎年この時期になると無理にでも観るようにしている。
今年は映画自体全然観れていないが、8月9日長崎に原爆が落とされた日に相応しい映画を劇場で鑑賞することができた。
まあ長い。そして難解。
ノーランお得意の時間軸の入れ替えというよりも、登場人物の多さと相関図の複雑さによって、途中からは全くついていけなかった。
オッペンハイマーの人生に興味が持てるかと聞かれたら正直興味は持てない。
この映画は色んな見方ができる。
私は日本人としてどうしても原爆の恐ろしさを基軸にこの物語を観てしまう。
しかし、話のメインはオッペンハイマーの葛藤に満ちた生涯である。
もしかしたら、この映画を未来への希望と捉える人もいるかもしれない。
だが、私はひたすら恐ろしい絶望の始まりに感じる。
どんな見方をしても良い。
1回で物語の大枠を捉えることは不可能に近い。
それくらい深みのある良い映画だと素直に感じた。
だからこそ、賛否はあって当たり前だと思う。
本作は日本公開時、原爆の被害に関する描写がほぼ無いと疑問視された。
だが、個人的には敢えて描かないことで今まで経験したことのないような恐怖を味わった。
実験ではあるが、あの爆発で何万もの人々が殺されたのだと思うと体がこわばった。
実験後、喜びに暮れる関係者たちの姿を見ているとなんとも言えない感情がグルグルと体の中を駆け巡る。
2つの原子爆弾がトラックに乗せられてロスアラモスを出発するシーン。
あのトラックの後ろ姿ほど恐ろしいものがあるだろうか。
戦後、オッペンハイマーに何度もフラッシュバックする閃光と焼け爛れた少女。
あの少女はノーラン監督の娘だと言う。
今回原爆投下や原爆被害に関する描写がないことについてノーラン監督は明言していないが、こういった端々に明らかな覚悟を感じる。
バーベンハイマーとかいう稚拙で醜悪なトレンドもあったが、それを乗り越えて無事日本公開してくれて本当に良かった。
ハリウッドでアメリカの罪に言及するということは革命と言ってもいいのではないか。
申し訳ないが前述の通り、オッペンハイマーの伝記的側面について語ることはできない。
全神経を集中してもついていけなかったのだから。
ただ、こういった戦争への向き合い方といい、脚本の素晴らしさといい、一切手を抜かない感じがやはり嫌いになれない理由。
世界で1番凄い映画監督だと言いたい。
劇伴も毎度素晴らしい。
これを書きながらサントラを聴き少し涙ぐんでしまった。
今もウクライナやガザでは多くの市民が犠牲になっている。
国際社会は分断の危機にあり、核の脅威はすぐ近くにあるこの状況で、唯一の被爆国に何ができるのか。
終戦から今日で79年。
核の傘の下でいつまでも黙っている訳にはいかない。
ピカドンを体験して世界平和を祈る
苦悩
天才の悲劇
苦悩
日本人として観るべき映画。
原爆投下後に英雄と持て囃されたオッペンハイマーが戦後高々数年後には、マッカーシズム吹き荒れる政権下のアメリカで、左翼思想を根拠に非国民扱いされている公聴会での痛々しい姿から物語は始まります。
当時トルーマン大統領との面会で、「自分の手が血だらけに汚れている気がする…」と弱音を吐いた彼に、トルーマンは「地獄へ行くのは投下を決めた自分だから、何も君が気に病む必要は無い」と慰めたその舌の根も乾かぬ数分後、彼の退席を確認したその直後に側近に向かって「あんな臆病者を二度と自分の前に連れて来るな!」と激怒したという逸話が残っています。
当時の彼の悔恨は、アメリカ人の主流派のそれでは無かったのかも知れないし、現在でも多くのアメリカ人が、“原爆投下が戦争終結を早め、多くのアメリカの若者(軍人)の命を救った“と頑なに信じて疑わない事でしょう。
それでも彼の優しさと弱さとは、思想や信条を越えたアメリカの良心と言う事も出来るし、人類普遍のヒューマニズムの体現と捉える事も出来ます。
戦後、アインシュタインを始めとする科学者達が、野放図な軍拡競争に反対したのは有名な話。
長らく、“それでも彼は遂に広島・長崎を訪れる事は無く、被爆者と面会する事も無かった…“と言われていましたが、つい先般、生前彼が被爆者の代表女性数人と通訳だけで面会し、号泣しながら謝罪をしたと言う証言がニュースで報じられていました。
“我は死なり。全ての破壊者なり…“
人類は過ちも犯すが、それでも人類普遍のヒューマニズムは…それでも生き続ける。人は人を信じてきっと良いのだと、そんな事まで色々と考えさせて貰いました…。
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