オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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さっさと見よう
今の時代、実際にあった戦争や物事を題材にすると上映するな!なんていう連中が出てきたりするが私はこれは上映をしなければならない作品だと思うよ。そして私たちは考え方を改めるべきだとも。
これは単なる歴史劇のようなもので、別にこの行動を称えている訳では無い。あまりにも戦争を知らない、経験をしていない私たちは核がなんなのかを知るにおいてはいいと思うのだ。映画きっかけに知識をみにつけて危機感でも持ったらいいのです。
これを上映している彼らには非は無い。だって彼らが核を作った訳では無いのだから。戦争を起こした訳では無いのだから。むしろこの作品を上映されなかったら、この話でさえ知らない、オッペンハイマーさえ知らない人間だって出てきただろうに。
悲しいから、悲劇だから、なんて理由で作品を中止にしたら見なかったりするのはあまりにも酷い。
なら悲劇的なものはどうしたら無くなったのか、もし私たちが当事者になったらどうすればいいのかを考えるためにあるんですよ悲劇は。喜劇なんかよりもよっぽど自分のためになる。(この作品は悲劇ではなく歴史劇的だが)
たまに外国人は嫌だ、なんて連中がいて理由を聞くと「過去の戦争」の話をしてくる人がいる。これは経験者ならまだしも、それを母に持っていて、もしくは祖母に強く聞かされてなら分かる。ただ、私たちは結局何もされていなくて、しかもその後に生まれた海外の方たちだって別に何もしていない。恨むべきは当事者、そしてトップであることを忘れている人が多い。誰も総理大臣なんかに反論できないだろう。戦争時に反対したら一発でやられてしまうのに。起こしたことが悪なのだから。
みんな人種の壁を勝手に作って、当事者でもない人たちを悪くいうのはやめようと、少しでも思ってくれたらと見ながら考えました。
静かで美しく残酷な爆発
直感的に感じました。
視覚表現的には脚色が入っていても、鮮烈かつリアルな爆音の表現で魅せられるのはお見事。
そのシーン以降、原爆を生み出した苦悩と後悔、誰かに許しを乞う殉教者は何年経っても苛まれ続ける。
「原爆の父」の人間としての側面を、そして原爆が生まれた世界を残酷に観せてくれました。
最高峰の頭脳と欲望と思惑の先
あの当時の空気感をヒシヒシと感じた。
本当に未知であった
原子爆弾を創り上げていくとは?
その過程の緊張感、
手計算で、原子爆弾で何が起こるのか?
実験しても良いのか?
爆発によって
そんな可能性も示唆されていたと
驚く場面もあった。
アインシュタインに
可能性について意見を求める場面もあった。
世界初の原子爆弾の実験
トリニティ実験の行われていく過程、
準備の緊張感、
未明の嵐が去り、カウントダウン、
地上に現れた核の焔は
今の我々はその恐ろしさを知っているが
映画では、悪魔的な美しさで描かれた。
未知の領域に突っ込んでいく
優秀な頭脳達の熱狂ぶりは
その先が未知数という意味では
今のAIの開発競争を彷彿とさせた。
JFKの名前までだして。。。ハリウッドが民主党びいきな事は知っているが、日本人の目は節穴てはないよ!
アカデミーショーを取ったので、バイアスの係った映画だと覚悟して、とりあえず観ました。
この映画を「反戦映画!」と言う人は。。。アレです。
この映画は、原爆には肯定的な映画です。
予備知識と歴史観なく、この映画を観る事は、
真実とは関係なく、米国の都合の良い点だけを洗脳される事への"無謀なる挑戦"であり、ぜったいに勧めません。
主要登場人物数人は、判別できるが、他の人物が誰なのか、どのような肩書で、どんな相関図になっているのか、
背景を理解していない人が、この映画を観ても、まったく意味が解らないのではないかと、危惧します。
僕も判らない人 多々。
また、前半1/3位まで"白黒シーン"は"公聴会前後のできごと"を示すものだと、勘違いして映画を鑑賞していましたが
途中から、その判断の間違いに気づき、
本作の「カラーと白黒とのすみわけ」は、時間軸ではなく
主人公:オッペンハイマー視点かどうかのポイントである事を、理解する事が たまたま できたが。。。
本作では、交差する"時間軸"の対応と、登場人物の"名前"と"肩書"と"日時"を
絶えず、テロップとして入れ続けた方が、
観ている人には、映画の内面を観る事に専念できて、親切だったと思う。
逆に、鑑賞者に深堀りさせずに、流れだけに集中させる目的と 深い部分を理解させずらくさせる「オレ様」的な手法は
「監督が、自分が創った映画の解釈を、よく魅せる為」の邪道な手法であって、正統派映画で使う手段ではない。
幾度と出てくる 主人公の"脳内シーン"は、「インターステラ」を彷彿させるマトマリがあったが、
日本人からすれば、アレは「ウルトラセブン」の世界で、
絵的には美しいが、物理学者の脳内は、本作品のような映像では けしてない と、理系的には感じた。
セリフを持つ、ほぼ全ての役者が着ている服は、超1級の仕立て の"完璧なる 服のすばらしさ" を魅る事ができた事に感動し、ため息さえ出ました。
個人的な疑問だが、WW1の時点では、既に実用化されていた放射線防御服(鉛服)を研究者たちが、着ていないのは、不用心だと思った。考証的には史実なのでしょうけど。
口封じの為に、施設内の人間を 早期に始末したかったのか?
劇中、ピカソの絵が数点 登場したが、
広島・長崎の被災画像を映画内に出さないならば、代わりに ゲルニカ(ピカソさんによる スペインでの爆撃された街の抽象画)を出す事こそ、本作中では、必要だったと思う。
それとも、当初は作中にゲルニカを入れたが、映画の論点が、そっちに行かない様、ソフトな映画にする為にカットしたのか?
本作は「原爆の比較実験の意味」の重要部分には触れておらず、
ガラス鉢に、B玉を入れるだけで、お茶を濁しているが
アメリカ人自身やアメリカンマジックに汚染された多くの鑑賞者は。。。
『1945年時の日本に対する、国連側が取れる戦略は「原爆投下」と「ダウンフォール作戦(日本上陸作戦)」の2択しかないので、
「原爆投下の方が、両国両軍とも損害が少ない」選択肢だった』と、本作映画でも世論でも弁明しているが。。。
当時の日本は、1944年初頭から、再び和平工作に趣をおいて、再開していたが、
日本が何度も提示した"降伏条件"を まったく譲歩しないアメリカは
日本の持つ全派遣を手に入れる為に、日本を完全に粉砕しなければならなかったのだが、その2択のみの考え方の呈示こそ" 米国の帝国主義"の何物でもない。
当時のアメリカが本当に、和平を選ぶならば、幾らでも手法はありました。
この当時の両国が持っていた考え方を たとえていうと、
"日本の将棋型戦略概念"は、戦争の中で、敵の駒(地域)をドンドンこちら側の味方につけ、
最後は相手が「まいりました」と言えば、戦いが終わります。
即ち、敗者が終焉のタイミング(降参)の権利をもつのに対して
欧米の"チェス型の戦略概念"は、戦いによって、味方(人)も犠牲するが、敵(人)を殲滅し、
最後は敵王の動きを完全に封じる 勝利を目的とした
あくまで「勝者側本位による戦いの終焉」する論理に基づいています。
本作の中で、オッペンハイマー氏の悪意を表現してしまうと「坊主にくけりゃ、袈裟までニクイ」と映画評価が落ちる事を恐れて、
映画(映画評価)を護る為に
監督は、あえて、広島・長崎への投下・罪である"汚点"をはぐらかせていたが、
オッペンハイマー氏には、途中 何度も原子爆弾・水素爆弾を中止させるタイミングがあった筈だが、
それをしないばかりか、ウラン型とプルトニュウム型の"比較実験"を 同規模な街を使って行う事を、推奨した人間です。
原爆を作るだけならば、臨界点爆発だけで済む"ウラン型"だけで良い筈なのに、
あえて水爆とは反対方向に分岐を行わせるウランから生成(超ウラン元素)する 第二段階である「プルトニウム」を使用し、起爆剤を必要とさせてまで"プルトニュウム型"を並行させた事は
水爆製造の阻止を裏隠した意図があったと、僕は洞察している。
B玉を使ったプルトニウム型への誘導も。。。
また、原子爆弾開発・製造に当たっての全体オーガナイザーは、オッペンハイマー氏ではなく、
バットサイモンさんが演じた レズリー・グローヴス氏であり、包括的な評価を受ける冪人間は、彼であるが、軍人ゆえ、その名誉?が、民間人であるオッペンハイマーに棚ぼたされただけである。
オッペンハイマー氏は、長崎に落とした2発目のプルトニウム爆弾を、あくまで"製作しただけ"の人間であり
ウラン型 プルトニウム型 双方の開発・製造者でもない 単なる制作現場(ロスアラモス)の現場監督でしかなく。
オッペンハイマー氏が最終進化型である"水素爆弾"に関して、反対をした事は、論点ではなく、
あくまで彼は、当時の流行りである"赤"だったと、僕は考えている。
劇中、「核爆発により連鎖反応で、地球全ての空気まで、連鎖爆発するかもしれない」と主人公達に警告していたが、
故ホーキング博士は、LHC素粒子加速器による 素粒子の衝突実験はブラックホールを2次的に生成し、地球自体を飲み込むかもしれない」と忠告している。
アインシュタインさんを、映画に出したのも、映画に見せかけ的な趣をつけた小ネタでしかない。
オッペンハイマー氏は小賢しいが、本監督も小賢しい。
本作を観て、言いたいことが沢山あったが、ここでは相当な部分を割愛したが、
これ以上の長文は、ここでは辞めて、
後日、FBに書くようにします。
3度鑑賞した「シン・ゴジラ」では、毎回
「日本に原爆を落とす」という脅しで、僕は無意識の内に 涙が止まらなくなるが、
日本人は、けして"原爆被害"の経験を忘れない為に、「シン・ゴジラ」を、たびたび見る事が責務である。
予想外
原爆に対して、アングルが確執なのね。後半は、いらない駆引きかな。結果、使われてしまった原爆。日本人は、きついかな。アメリカ目線の真実。
これ見たら、戦争は駄目。世界平和に武器は、いらない。科学が泣いてるって感じる。
皮肉なもの、天候が違えば落ちていなかったのか
日本人の心にはあまり響かないとは思いますが、半歩進んだのかもしれない。
演技と脚本、演出が特出して良かったかな。
立場が変われば、主張は変わる。それによって状況や歴史は変わる。まだまだ、人類は未熟なまま。
己の行いに責任を持つことの重み。
追記
私にはこの映画は責任転嫁とすり替えなのかなぁと思えた。
博士はユダヤ人として、ドイツに落としたかったのだろう。日本に落としたからこそ、あそこまで、呵責に苛まれたのだろうかと見えました。
これら全ての人類の悲劇は、私怨なのかもしれないと悲しい思いです。
何か一つボタンがかけ違えば、これだけ多くの被害は避けれていなかもしれないと思うと、やり切れない。
同じ過ちばかり繰り返す人類は進化という妄想の中で、嘘と欲にもがいてるだけのように見える。
残念なところが結構ありました。!!!
原爆が実際に使われるまで、ストーリーを続けて欲しかった。
この映画の中で戦争がどういうものか??も中に入れて欲しかった。
何故、原爆が必要だったのか??がイマイチ表現力不足なのは凄い残念です。
共産主義だとかソ連のスパイ容疑の裁判は少し短くしてもらい他のことにストーリーの焦点をあてて欲しかったのも残念でした。
あくまで伝記映画。強い反戦反核メッセージを期待する人には…。
強い反戦反核メッセージを期待する人が見ると星1・2の作品になると思う。オッペンハイマー(長いので以下オッピー)の伝記映画であること、アメリカ人向けに作られていることを理解した上で鑑賞した方がいいかな。
ただひとつ注意点。NHKの取材でノーラン監督が『どう考えるべきかを伝える映画は、決して成功しないと思います。』と言っているので強いメッセージ性がなくて当然だしそこは監督の意図通りの作品になってると言える。核兵器について関心を持つための入門映画という点でよくできている。
☆音楽
・IMAXで見た恩恵を感じるのは実質2箇所のみ。冒頭の原爆シーンの爆発音は劇場内の空気まで震えているのがよく伝わり圧巻。オッピーを称賛する足踏みの音の圧力がすさまじかった。
・トリニティ実験のボタンを押す直前の音楽は緊張感と不安をよく表せていて素晴らしかった。音楽であそこまで緊張感を高められるのはすごい。
☆映像・演出や脚本等
・爆発の炎や煙の表現は不謹慎ではあるがアート表現として魅入られる感じ。
・ほとんど会話劇なのでカメラワークの工夫は特に見受けられない。
・場面も時系列もころころ変わるので置いてけぼりくらわないようにするのが大変。ストーリーも分かりにくくなるのがデメリット。
しかし、もしこの会話劇を時系列順で見せられたら間延びして退屈だったと思うのでこれでOK。
・カラーと白黒で視点を分けていたが必須レベルの表現になっているとは思えない。前情報無しで見た人は直感的にカラーが時間軸が新しく白黒は古いと思ってしまい余計な混乱を生んでいるように思う(そう解釈したレビューがあった)。
アメリカ人なら当然知っているであろう前提条件も日本人は知らないし、作中のセットから時間軸の新旧を判断するのも難しいから仕方がないとも言えるが。まぁ台詞をしっかり読み込めてかつ歴史的事実の順番を知っていれば一応序盤で時系列が理解できる可能性はある。でもカラーと白黒の違いについて考える暇があるなら台詞や役者の表情、今見ているシーンの社会的背景等に脳ミソのキャパを使いたい。
・マンハッタン計画とオッピーがそれに参加する経緯とその機微がわかる。オッピーの大学講師時代は共産主義に傾倒する人々への眼差しは危機感はありつつも少し緩かったが、計画進行中に少しずつ厳しくなり、終戦後には赤狩りが表立って始まりおおごとに。全てオッピー視点ではあるが社会的背景がじわじわと変わっていく様を映像作品で見るのはその空気感も伝わってくるようでおもしろかった。
ここまで考えると星4をつけようと思えるのだが、問題はメインストーリー。
強いメッセージを出さない意図で作り、原爆称賛でも反戦反核でもなく伝記映画として事実をそのまま描いているために『それが事実ですね。わかります。そりゃ当時のアメリカ人ならそう言う反応・そう考えるのは当然ですね。でも、だから何?』という感想を持ってしまう。『だから何?これ何の映画だっけ?』という感想では困惑してストーリーの評価ができない。
『だから何?』の原因はオッピーの人生に感情移入できなかったこと。
オッピーがあの性格(毒林檎の殺人未遂・女にだらしない・卑しい靴売り発言)&劇中の言動に自分の意見や強い主張もなくブレブレだったおかげ(?)で終始客観的視点で映画を見てしまった。この視点で見るのはいいこともあるが、オッピーの伝記がストーリーの基軸なので感情移入できないと映画を見終わった時『事実述べるだけならノンフィクションドキュメンタリー番組でよくない?』との結論になってしまうのだ。(ブレブレ具体例は長いので省略)
本来ならこのブレブレも「この人もまた弱い1人の人間」と捉えられるし感情移入に貢献するはずなのだがそうは思えなかった。また、作中描かれたオッピーの人生をもう一度振り返ると「原爆開発成功で持ち上げられ称賛の嵐→罪悪感等から精神的負担が大きくなる&水爆開発に反対→今までの言動と私怨により赤狩りに遭う。聴聞会で吊し上げ。昔の科学者仲間は味方になったり批判的証言をしたり色々でこれも精神的負担増。大統領にも幻滅され栄光とは真逆の掌クルックル」こう文字で見るとなるほど、科学者の凋落を表現できているように思えるが映画を見終わった感想がそちらに意識が向かなかった。
日本人だから感情移入できなかっただけじゃない?と言われればそれまでなのだが、理由はそれだけでは無いように感じる。具体的理由が思い当たりはするのだが、まだイマイチ明瞭にできていないので、今後いい感じに言語化できれば追記したい。
この映画を見て核兵器に関心を持った人は広島・長崎へ行って資料館の展示や復興した街、そこに住む人々や観光に来た外国人の笑顔。そして展示を見る人々の表情(来館者には日本人も外国人もいるだろう)を見てほしい。人間が持つ高い共感力が、もう原爆で亡くなる人を出してはいけないという思いにつながる。そのためのスタートラインがここだと思う。
日本に使えだと!
オッペンハイマーの栄光と苦悩の映画だな。
やはりソ連、ドイツも原爆考えてたのか。
そのドイツは降伏した、だがまだ日本がいる、だから日本に使えか。トルーマンはともかくスターリンまでそんな事言ったのは知らなかった。まあ不可侵条約を平気で破った国だからな。
投下候補都市から京都は貴重な文化遺産が多いから外す。小学生の時先生が言った通りだ。京都が空襲された話も聴かないし。
実験の時、防護服も着ず素手で原爆触ってたようだけど大丈夫だったの?
IMAX画面サイズ頻繁に変わり過ぎ、疲れます。
アメリカ現代史のなか原爆開発者の生涯
共産主義と人民戦線、冷戦と赤狩り。1930年代の若き原子物理学者たちも時代の流れに翻弄される。核兵器の開発は彼らに大きな力と深い苦悩を生み出す。原爆開発の父と讃えられた、その晩年の葛藤を初めて知った。原爆投下に至るアメリカとアメリカ国民のあまりにも無邪気な空気。その一方で無差別殺戮の現実。オッペンハイマーがそれを受け止めきれずにいるのは分かる。しかし、1950年代にはすでに湯川秀樹やアインシュタインらによる反核へ動きが物理学者からも始まっている。国家の軍事戦略に深く関与しすぎたための限界か。この作品を日本に持ってきた配給会社に感謝。
オッペンハイマーの伝記の映画
という印象が強い。後半はストローズとの確執、戦いの物語。
カラーと白黒で場面分けしているが、時間が行ったり来たりで理解しづらい。
アインシュタインを、新しい物理を理解出来ない過去の人扱いする場面はいただけない。
ただ、プリンストンの高等研究所での再会の場面は、最後シーンでこの映画の意味合いを説明する。
オッペンハイマーの授賞式などの場面とかぶりながら。
原作?のアメリカンプロメテウスの最初の翻訳(上下巻、PHP)は訳がひどいという。特に物理の関連項目で。
現在のハヤカワ版(上中下巻)は、たぶんそのせいで物理学者(山崎さん)の監訳者がついたのだろう。
PHP版は絶版のようなので出会うこともないだろうが。
セックスシーンもあんな場面に入れ込むのは私は好みではないのでいらないシーン。
奥さんもだいぶひどい人のよう。オッピーも女性関係はひどいが。
思っていたのとだいぶ違っていた。
ストローズがあの俳優とは、まったくわからなかった。(今回、嫌な奴リストに入った。)
物理学者のブラケットも嫌な奴なのかな?映画のように。
前半から気合を入れて見ないといけないが、終盤にも体力を残しておかないといけない
とてつもない映画でした…!
体力と神経を使い果たした感じです…
正直に言うと被爆国の当事者である日本人にとっては決して気分の良い映画ではありません。
胸が痛くなるシーンも多々あります。
公開か否かで議論が長引いたのも納得で、見るべきではないという反対意見も尊重します。
しかしこれは紛れもなく反核映画。
私はまた一つの歴史の勉強になりましたし、公開されて、見て良かったと思いました。
内容に関しては時系列が常に前後するものの、ノーラン監督作品にしては比較的解りやすい方なのではと。
ただし登場人物をしっかり把握しておかないと、終盤の“真のクライマックス”で置いていかれる事になります。
IMAXでの鑑賞は凄まじいの一言。
しかしその効果は映像よりも音に出ていて、恐怖を感じる原爆実験はもはや爆風を感じる程だし、オッペンハイマーの心境を表す無段階音楽による没入感が半端ではない。
そういった意味ではIMAXだけではなくDolbyシネマやシネマサンシャインのBESTIA、イオンシネマのULTIRA等の轟音系シアターも十分選択肢に入ると思います。
全編の90%は会話シーンで上映時間3時間は長い…という意見もありますが、私は仕事終わりのレイトショーで観てもそこまで長さを感じませんでした。
むしろ音響効果のせいで眠くなる暇など無かったです。
凄まじい
日本で公開されるのを楽しみにしてました。
映像、音、話の流れ、すごい映画体験をしました。
登場人物が多くて理解しずらい所もあったのでもう一度見ようと思います。
理解しないともったいない気がします。
上映時間が3時間ですが、割とあっという間に終わりました!
4月9日 追記:2回目行ってきました。YouTubeで予習復習もして見たので理解することが出来ました。難しいけど難しいで終わりたくなかったので理解出来て良かったです。
改めてすごい映画でした!
これは、一人の物理学者の物語。観る前に事前予習をしっかりしてから観ましょう。
時代背景、政治、ある程度の物理学などの知識を観る前に詰め込んでおいた方が良いです。
物理学者としての探求心と、その結果生まれた悲劇。 オッペンハイマーの葛藤は、現代社会においてもなお、多くの議論を呼ぶテーマです。
科学者にとって、知識の探求は崇高な使命です。しかし、その探求がもたらす結果には、倫理的な問題が常に伴います。オッペンハイマーの場合、原子爆弾という恐るべき兵器の開発に携わったことによって、多くの犠牲者を生み出すことになりました。
戦争終結に貢献した英雄として称賛される一方で、オッペンハイマー自身は多くの犠牲者を生み出したことに対する罪悪感と苦悩に苛まれ続けます。映画では、彼の複雑な内面と葛藤が繊細に描かれており、観る者に深い問いを投げかけます。
オッペンハイマーの物語は、科学技術の発展と倫理的な責任について、現代社会に警鐘を鳴らしていると言えます。科学技術の進歩は人類に大きな利益をもたらしますが、同時に、使い方を誤れば取り返しのつかない悲劇を生み出すことも忘れてはいけません。
映画「オッペンハイマー」は、単なる伝記映画ではありません。私たちに、科学技術と倫理、そして人間の業について深く考えさせてくれる作品です。
エンドロールには特にこだわったものはありませんが、最後まで余韻に浸った作品となりました。
IMAXのサウンドは、彼の心情をこれでもかっていうくらい表現してくれていたと思います。
近くにIMAX上映館があれば、ぜひIMAXで体験されることをおすすめします。
PS.
ノーラン監督作品は時間遷移が行ったり来たりして物語についていくのに疲れる作品。
多分、あと何度か観直すかもしれません。
ただただ映像美と圧巻の演技力、映画として極めて優秀
日本人なもので、素直に面白いと言えないところがありますが、鑑賞して損はない作品でしょう。
Cノーラン監督作品らしく一番の見所が圧巻の映像美と音楽の融合なので映画館で見たほうが良い、というか映画館で鑑賞しなければ価値がない作品とも言えます。
特に度々登場する、核分裂、太陽のコロナ爆発、脳内のシナプスなどを具現化したような幾何学的イメージの不可思議な映像と音響の爆発は出色でした。このシーンでは一瞬言及されたストラヴィンスキーを引用したような不協和音が歪で不気味で激しい音像、おそらく1945年当時を再現するために電子楽器一切無しのクラシック音楽寄りの編成で構成された楽曲が素晴らしかったですね。
あと意外だったのは映画の三分の一は、ソ連側のスパイの嫌疑をかけられたオッペンハイマーを糾弾する聴聞会のシーンで構成されていたこと。
それはともすると退屈しそうなシークエンスですが、嫌疑を追求する側とされる側の一切の妥協のないお芝居に魅入ってしまい退屈しませんでしたね、俳優陣の演技力は凄まじいものがあります。
それにしてもオッペンハイマーの人物像、資産家の家に生まれユダヤ人で、資本論を原語で読破し社会主義に入れ込み文系もいけることをひけらかす傲慢な感じ、鼻につきますよね〜。
あの時代の傲慢な知的エリートの脆弱性の象徴としての描き方として完璧に描写してましたね。
何故知的エリートが脆弱かというと
当時、ソ連のスパイが主導で各国の上流階級の知的エリートの理想主義を利用して社会主義が阿片のように広がり、ソ連の思惑通り、ソ連=社会主義に対する警戒感が和らげられたのです。
軍事力無敵で経済最強のアメリカすらも、ソ連の思惑通り内部から切りくずされていきました。
劇中に社会主義仲間との集会が何度もありましたが、あれは要はオッペンハイマー博士がソ連の掌の上で踊っていたにすぎない訳です。
博士は現実を見ていた政治家や官僚とは戦後、ソ連に関する観点で意見が合わず対立し遂には公職から追放されます。
この両者の差異をCノーランは出自に求めているようです。ストローズには靴売からの成り上がりを劇中さかんに主張させ、かつ最終学歴高卒の叩き上げトルーマンとの対立も明確に描いていますね。まるで生まれながらに資産家の博士とは、叩き上げのトルーマンやストローズとは真逆の出自であるが故の対立かのように。
ちなみに博士とストローズの対立の原因となった、アイソトープ=放射性同位元素の輸出入の規制、これは現在の安全保障の視点ではストローズの意見が正しいことが結論付けられています。
このように、Cノーランの感覚は左翼優勢なハリウッド人の中ではかなり冷静に両面が見えているように思えて好感が持てます。
映画の感想とは別に、個人的に考えさせららたのは、戦争自体への賛否はともかく、原爆という戦略兵器を「市街地に投下した」残虐性について少なからずも個人的内省を抱く人物を描いただけでも米国人としては進歩的なんですよね。だからアカデミー賞とっている訳です。
原爆は戦争を終わらせたことを一般米国人は評価していますが、非戦闘員の殺傷は明確な国際法違反です。米国人はこの点に関して全スルーですよね。
原爆を市街地ではなく、海中に投下する、例えば東京湾のど真ん中に投下することでも十二分に脅迫効果はあったはず、しかし彼らは原爆が人体に与える影響、戦略兵器としての有用性を示すデータが欲しかった。だから市街地に投下した。
彼らは国際法を捻じ曲げても全く気にしない。
日本人としては、彼らの歴史観にモヤる気持ちはありますが、事実上の属国ですので生暖かく見守るほかないのでしょうね。
映像の圧倒的情報量
ノーラン監督らしい、時間いじりの表現・映像中の圧倒的情報量・破壊的兵器を作り出そうとする葛藤・それを戦時とはいえ人が住んでいる市街地で使用することの倫理的葛藤・アカ狩りへのストレス等で、3時間はあっという間でした。私は単調な映画だと眠くなりがちなのですが、それはクリアしました。砂漠の中での原爆の爆発テストの描写は、密度が濃くて息をするのも忘れるほどでした
また主人公が原爆の悲惨さを知るシーンがいくつかあって、被爆者を直接的に写すことは無いけれど、壮絶な被害の表現があります。一般民間人の膨大な犠牲者が出たことは十分に伝わりました
難点を言えば登場人物があまりに多く、マット・デイモンや、ケネス・ブラナー、レミ・マリックのような顔が識別出来る方以外の俳優が時を越えてあちこちに出没しだすと、混乱します。ネットの登場人物紹介コラムを読み込んで鑑賞しても駄目でした
制御できるのか?破壊神を
「マンハッタン計画」を指揮して原爆開発に成功し、アメリカのプロメテウスと呼ばれた科学者、J.ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いたアメリカ映画。クリストファー・ノーラン監督作品。
映画のハイライト(そしてオッペンハイマーの人生のハイライトだったのかもしれない)は、最初の原爆実験「トリニティ」である。あの緊迫感と迫力、そしてそこに至る過程の途方もないスケール。砂漠の真ん中に突如、世界最大の実験場をつくり、そこで働く人間たちの町をつくり、新たな神の火をつくりだすという人類史上最大の「プロジェクトX」が、圧倒的リアリティをもって描き出される。質量ともに世界最先端の映画プロダクションでなければ到底不可能であったろう。・・・その観点からすれば、素晴らしい映画だと言うことができる。
しかし、トリニティ成功後、日本への原爆投下を正当化し、落とす場所を選び、実現に向かっていく過程が、見ていて息苦しくなるほどつらい。実際に広島と長崎で起きたことに対し、この映画におけるその描き方に対し、分けようのない怒りと悲しみを感じる。
それだけではない。原爆は他の兵器とは違う。これによって人間は、世界を確実に破滅させることができるようになった。人間のもてる最大限の英知と能力を結集して行きついたゴールは、「世界の破壊者」(オッペンハイマーが引用した『バガヴァット・ギーター』の一節)であったのだ。後戻りはない。これ以上先のゴールもない。破壊の後には何もないからだ。
翻って、登場人物たちはどうしようもない卑小さ、弱さ、愚かさを見せ続ける。人間の本質は変わらない。それが魅力でもあるのだから。
そしてこの世界の存続は、人間が破壊神となった自分自身を制御し続けられるかどうか、の一点にかかっている。
キャストについて:
オッペンハイマーといえば、長身でガリガリに痩せた特徴的な姿が思い浮かぶ。キリアン・マーフィーが周囲の人々よりも背が低いのにはどうしても違和感があった(キャスティングの責任)。一見して「普通じゃない」と思わせるカリスマ性がもう少しほしかった。
マット・デイモンがレスリー・グローヴズを見事にリアルに演じている。
エドワード・テラー(ベニー・サフディ)の造形が素晴らしい。リーダーに何を言われようと周りにどれ程嫌われようと一切気にかけず、常に、絶対に、自分の正しさを疑わない。オッペンハイマーを刺す証言をした後、自分から握手を求める(オッペンハイマーはなぜか拒否せず握手する)。ああ、テラーはきっと、そういう人だったのだろう…。
欲望とパワーゲームの果てに
オッペンハイマーが科学者としての好奇心と探究心を政治的意義で着色されて、利用されたお話。本作はあくまでこの科学者がどういう人生を歩んだか、または巻き込まれたか、という角度から描いていて、それはそれで面白かった。アメリカ国内のパワーゲーム、政治的思想、そこに関わることを拒否し続けたアインシュタイン…。新しいことを開発する熱意と活気はわかるが、あの大爆発のテストのあとに、どういう心境で全員歓喜したのかが、理解に苦しむ。どう言い訳したって、水爆も原爆も大量殺人兵器であることには変わりないのだから。
独特の描写と熱風や湿度を感じるようなスクリーンは、さすがノーラン監督だった。
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