オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全677件中、201~220件目を表示
イミテーションか本物か
戦後の不都合な真実、の様な話かと思い、 天才エニグマを想起した。 オッペンハイマー、という名前は聞いた事あるだけ。 何故原爆が作られて何故使用されたかは知らなかった。 彼の名が米国で讃えられているかどうか知らないが、日本人にとっては忌み嫌う名であるのは間違いない。 しかし、自分の中では劇中の通り、 実行指令したトルーマンしか知らなかった。 歴史てそんなもんかもしれない。 どこまで史実に忠実かどうかは別として、 2度と大戦を起こさない為にも必要な真実の一つである。 劇中の一番スゴいと思ったのは妻キティ。 彼女が居なければ夫の名誉は成り立たなかっただろう。 演者について。 キリアンマーフィーがこんなビッグバジェットで主演張るなんて、昔は思いも寄らなかったが、物憂げな芝居させたら彼は逸品だ。 他有名な役者陣が脇に多過ぎて、凄く嬉しいんだけど雑念も多くて複雑だった🤣 ゲイリーオールドマン分からんかった😩 まさかフローレンスピューだとわ😱 あの顎はアレックボールドウィンだろ❗️ て思ってたら全然違ったし😅 最後ギリギリ、ロバートダウニーに気付いてスッキリ❗️
核について深く考えさせられる映画
科学技術の発展は、しばしば開けてはいけないパンドラの箱を開ける行為と表裏一体だと思います。 核に関して言えば、人間は核を利用するに至っていますが、核を完全に制御出来ていないという状態が、今も続いています。 核は、まさに自分たち自身を滅ぼしかねないパンドラの箱で、もしかしたら開発してはいけないものだったのかもしれません。 しかしながら、科学技術の発展は、人間にとって無くてはならないものであり、その発展させたいという欲求こそが、人間が人間たる所以なのかもしれません。 そんな事を、観たあとになんとなく思いました。 原爆の恐ろしさや悲惨さを直接的に描いていない映画だからこそ、核の恐怖というものをより感じました。 広島や長崎に落とされた原爆は、今となっては、その気になれば世界中何処でも落とすことが出来てしまう。 日本は唯一の被爆国ですが、どの国だって被爆国になり得ることをこの映画を観た人は、本当に実感すると思います。 遠い日本で過去に起こったことでは無く、過去が今でも続いて、それが世界に拡がっていることに。 オッペンハイマーは、感情の起伏があまり無く、殆ど表情で表現しないキャラクターであるにも関わらず、目で物語るキリアン・マーフィーの演技も素晴らしかったです。 途中、次々と登場する科学者の名前に不勉強のせいで混乱することはありましたが、本当に良い映画だと思いました。
原爆の父とは
例えば日本人としてこの映画を観て、それまでオッペンハイマーを知っていた人がどれだけ居た事だろう そしてアメリカ人も恐らくそうだと思うのだが、原爆を作ったオッペンハイマーを現代に生きる人達がどこまで知っているのだろうか この映画を観て、オッペンハイマーに激しい憎悪を向けることはほぼないだろうし、当時の政治状況を知れる意味でもこの映画の普遍的価値は相当高い ノーラン監督が見据えていた未来も含め、この映画の制作の後に世界情勢がまさしく第三次世界大戦を引き起こしかねない状況で、上映されていることは神の啓示ではないかと、超常的に受け取ってしまう オッペンハイマーとはどういった人物であったのか、不勉強ながら知り得る事が出来たことの意義は大きい
集団レイプ犯の見張りを哀れんでも
原爆の父という呼び名はは誇るべきことなのか。 黒澤明の羅生門を見習って欲しい。 どの視点から見るかによって多面的に物事を捉えようとしている。 戦争映画こそ多面的に捉えなねばならない最たるものだ。 だからこそ日本は集団レイプされた被爆国なのだから、集団レイプの見張りをしてた舎弟のオッペンハイマーがどれだけ悔いたとて、その残虐さや辛さを描いてくれないとフェアではないのだ。 短いセリフの縞模様の着物を着ていた人が縞模様に火傷したとか、後から死亡者が出たとか欧米人が聞き逃すレベルのささやかな表現ではダメだ。 昭和生まれの日本人は戦争を知らない子供たちであっても親や祖父母から多少は戦争の話を聞いてるし、修学旅行で原爆ドームに行ってその目を覆いたくなる辛い状況を体感しているのだ。 その辺りを世界に見せて欲しかった。 そこを描かないでオッペンハイマーの泣き虫姿を描いても何も同情する気にならない。 そして、音楽が全て陰鬱で暗い。 戦場のメリークリスマスのような美しい音楽と 北野武のメリークリスマスミスターローレンス的なユーモアのある和らぎもない。 火垂るの墓やこの世界の片隅にやゴジラ-1.0を思い浮かべながら2箇所、情けなくなって涙ぐんで観るしかなかった。 戦争に突き進む男たちという生き物は本当に愚かだ。 人間は今もたいして進歩していない所がつくづく情けない。 原爆をどこに落とすか、候補地の中で京都を外す理由が、新婚旅行で行って文化遺産があるから外すといったシーンは失笑ものだ。 この映画をIMAXで観たいという人の気が知れない。 そんな映画じゃないはずだ。本質を見てほしい。 もちろん賞賛された挙句、最後にハシゴを外されたオッペンハイマーはやるせないとは思うけど、悲哀はそこじゃない。被爆した国のこともビジュアルで見せなければ本当の悲哀では無い。 劇場内は若い人が大半で昭和世代少し、戦前戦後生まれの80~75くらいの高齢者はいなかった。 時代劇映画を観に行くとその世代が沢山いるのに。 でもその世代には観せられない映画とも思いながら、じゃあドイツ人はこの映画をどう観るよ?とも思いながら映画館を出ました。
原爆投下シーンの有無は、本作のテーマとは別の話だ。
映画としては悪くないが、「ノーランの最高傑作!」かというとそうでもない。ただし、「メメント」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」といった作品にあった要素をうまく使っており、ノーランらしさという点では満足度が高い。 「原爆の父」オッペンハイマー博士の一人称の物語であるという触れ込みで、彼の目に映ったものだけを描写するという予備知識を得ていたのだが、それに関しては斬新な演出があったわけではないし、他者の視点もあった。 ただ、オッペンハイマーの視点と他者の視点は明確に分けられている。そういう意味では新しい演出ではあった。 他者の視点もあるのなら原爆投下シーンもあってよいではないか、と言われるかもしれないが、他者の視点は、あくまでもオッペンハイマーの身近な人間やエリアの描写だけだ。だから、日本のことやナチスのことは話題には出てくるが、画面には登場しない。 原爆投下シーンの有無よりも問題なのは、これだけ話題になった割には、退屈しがちな作品だったことだ。 原爆が投下されて戦争が終わるあたりまでは、基本的に科学者同士の会話が延々と続くのだが、自分は物理学や核融合やらの理論を知らないので、どんな問題が発生しているのか理解できず、眠くなった。 物理学などのわかりにくい部分を説明しないのは、「インターステラー」の時もそうだったが、あの映画はハードSFながら、エモーショナルな家族愛や、SFらしい画面があった。今回はそういうものがない。いつものかっこいい映像や派手な音響があり、地味になりがちな伝記映画を洗練された映像で仕上げてあるのは見事だが、限界はある。 なぜ本作は大ヒットしたのだろう。 アメリカでは「バービー」とセットで売れた感じになっていて、ノーラン最大のヒットかと思っていたが、興行収入としては「ダークナイトライジング」「ダークナイト」に次ぐヒット。 製作費150億円。興行収入は1,480億円。すごい金額ではあるのだが、他の娯楽に比べてどのくらい儲かっているのだろう。たとえば世界中のディズニーランドの一か月分の入場チケットの販売金額と比べて、映画の売り上げは高いのだろうか。また、アメリカで大ヒットということだが、そもそもアメリカの映画人口ってどのくらいいて、本作は人口の何割が見たのだろう。 なぜこんなことを考えるかというと、本作が結構わかりにくくて、誰もが楽しめる映画ではないからだ。アメリカでは「オッペンハイマー」はみんなが大好きな英雄なのだろうか。それにしては今まで伝記映画がたくさん作られた形跡もない。 そんなことから、映画産業というのは、実は自分が思っているほどファン層も多くないのではないか、という疑問を抱いた次第なのだ。 いろいろ書いたが、今の時代に本作が発表されたのは明確な意図があった。それは映画を観ればわかることではある。アートも映画も、なぜこの時代に、この作品が作られねばならないのかという理由がなくては、製作費は出ないし、観客も評価しない。 本作を観た人はそれぞれの意見を持ち、議論するだろう。それこそが本作の存在意義なのかもしれない。
最新の理論を形にしたら悪魔の兵器になった
難しいことはよくわからない。 その時代の超天才たちが最新の理論を実践して実験を成功させた。そのプロジェクトは実は国の威信をかけた、大金と大人数を投資して作られた兵器で、たった一個の爆弾で数万の人を一度に消せる、とんでもない代物だった。 研究者として最新の理論を全力で試せる方向が結果的に兵器を作ることになったこと。 最初から作りたかったものは兵器だったわけではない。と信じたい。良心と自分の理論とその実践の成功を見たいという気持ちの中で揺れ続けていた心は、人間らしさがあった、と信じたいのだ。 アカになりたかったわけではなく、その思想の中の一部に共感していたことからも、彼は常に自分がその時その考えが正しいとか共感できる、つまり自分が興味を持った思想やらなんやらを突き詰めて考えたい人だったんだろうなと思う。 この映画自体は、原爆を作った人たちの倫理観を問うというより、オッペンハイマーがどういう経緯で原爆を作って、成功までどれだけの紆余曲折があったか、という、天才物理学者が原爆という悪魔の作品を制作する過程を描いた物語、に見えた。 作り上げたものがうまく機能し、希望した結果を出せたのをみた時、研究者たちの喜びは実験の成功だけであったことを信じたい。 同時にこれは大量殺人兵器であることも彼らはもちろんわかっていたので、実際に使うことに対しての葛藤は見え隠れしていた。 そして次なる水爆に繋がる、学者としての次の大作への、止められない新しい理論への挑戦と好奇心も。 もし違う種類の天才であったなら、こういう葛藤も賞賛もない人生だったろうなぁ。 天才は羨ましい。 がしかし、天才であるが故にある意味その頭脳を利用され続けるのは、そしてそれが世のため人のためという大義名分のもとに兵器を作らされるのだとしたら、それは本当に苦しい生き方だろうと思う。 オッペンハイマー、すごかった。
日本人としては複雑な題材……でも、まずは観た上で論評してほしい
まぁ、被爆国日本としては、色々と複雑な感情を抱くのは仕方のない題材の映画であるのは事実 とは言え、実際観てもいないのにあーだこーだ言うのは一番ダメなことだと思ったので、180分という上映時間にビビりつつもしっかり腰を据えて観て来ることにしました 実際観て分かったのは、この映画が「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーだけではなく、 ルイス・ストローズという人物についてを描いた映画でもあるということ その人を見事に演じ挙げたダウニーJr.がアカデミー助演男優賞取ったのも納得 ただ、この人がどういう立場の人で、たびたび出てくる公聴会のシーンが、一体何を議題にしているのか、という点についての予備知識くらいはないと、ちょっとわかりづらい展開になってしまってますね。あまりその辺については説明してくれてないですし 私は観た後でネットでこの人調べたことで、「ああ、そういう事だったんだ……」と腑に落ちましたが、観てる最中は結構わかりづらかったかな 映画の本筋はあくまでオッペンハイマーの人生についてを描いている 原爆開発と、その後についての経緯をあくまで彼目線で描くことに集中した結果、 当初原爆の標的となるはずだったドイツや、そのあと実際に落とされた日本からの視点は完全に排除された形となっていますね そのことで、「実際に被爆した広島・長崎がどうなったのかを作品の中に出さないのはヒドイ!」という意見もよく見かけましたが…… この映画をオッペンハイマーとストローズの二人の人間からの一人称、として描いた以上はそうなるよね、というのは、手法としては理解できました あくまで彼らの視点から描いたのなら、実際に自分で見聞きしたわけではない現地の悲劇についてはああなってしまうのも已む無しではある、と ただ、よくあるあらすじ紹介なんかだと、「実際に原爆が使用された後の惨状を知って、オッペンハイマーは水爆反対に変わった」と書いていますが…… 本作内の描写ではそれは明らかに違いますよね 作中でオッペンハイマー自身が言っていますが、「科学者は理論から結果が予想できるから、どんなことが起こるか想像できる。だけど普通の人はそれが出来ないから、実際に事が起きてからでないと物事を理解できない」(大体の要約) その言葉の通り、作中のオッペンハイマー自身は、原爆投下後の現地写真を見るより前の時点、原爆投下の知らせを受けたそのすぐ後の時点で、実際に人々がどのようにして死んでいったのかを概ね理解し、その光景を幻視しています 彼は原爆を使えばどうなるか理解していたうえで、 一度これを使い、その結果どうなるかを知れば、人々はもう二度とこれを使おうとは思わなくなるはずだ……という事に期待していた、というのがこの映画での描かれ方 しかし現実にはそうはならず、核開発はその後も続き、 かつて「核爆弾が爆発すれば、連鎖反応が止まらず大気にまで火がついて世界が滅ぶ」という結果としては間違えていたはずの計算と同じように、 最初の核爆弾の火を人類にもたらしたことで、連鎖的に核開発が加速し、世界を滅ぼしうるきっかけを作ってしまった……という事に苦悩するプロメテウスになってしまった……というのがこの映画内におけるオッペンハイマーに対する解釈 広島・長崎への原爆投下が成功して浮かれ騒ぐ人々の描写も、日本人からしたら「何笑ってんだよ……人が大勢死んだんだぞ」って思ってしまうけど、 少なくとも当時の一般的な米国民にとってはああ受け止められていた。立場の違いというのはそういうものなんだ、と受け止めないとキツイものはありますが、 オッペンハイマー自身や、陰で泣いたり嘔吐したりしている科学者たちの反応で、そこは緩和されているように思います ちゃんと物事を理解できる人々にとっては、自分たちが何をしてしまったのか、その罪深さは自覚できていたのだ……という形で 全体としては、最初の原爆が開発されるまでの経緯と、その中心だった科学者のその後を描いた映画ではあるが、 決して核兵器肯定でも、それを産み出したオッペンハイマー礼賛でもなく、むしろ反核寄り ただ単に「オッペンハイマーが主役ってだけでけしからん! ふざけんな!」って拒絶するだけの人には、ちゃんと観た上で物申してほしいと思う映画 そして政治的・感情的なお話とは別の、映画としての評価 まる3時間という長丁場にも関わらず、引き込まれる演出と映像・緩急の妙で、その長さを長いと感じさせないノーランの手腕は流石の一言
エンタメ要素はほぼ無い
流石のノーランも今回はエンタメとして仕上げるのは無理だったかな。町山智浩が一回観ただけじゃ理解出来ないと言っていたが確かにその通り。色んな登場人物の説明は全くないし、ナレーションもない。カラーとモノクロの意味も全く説明ないので時代で変えてるのかと思ったら違うし。解説聞いたらやっと半分くらい理解出来た、しかしながら全く共感は出来ない。自分は被爆2世だし。 もう一度観ればより理解出来るとは思うが前半とかたるいし映画館でもう一度はないです。配信されたら又観るかも。
オッペンハイマーの幾多の苦悩を描写
原爆産みの親オッペンハイマーの人となりや開発過程や赤狩りにおける苦悩が描かれていました。オッペンハイマーの笑顔が殆ど観られなかったようにやや重いストーリーでした。戦後の時代背景である赤狩りでは権力志向が強い老策士に嵌められたり人生は決して幸福な道のりではなかったようです。ただ素朴な性格なのか女性関係には驚きもありました。広島長崎への原爆投下についてはロスアラモスでの核実験成功後のスピーチの場面で幻想としてケロイド状の女性の顔や誰もいない座席を映すことで被害者への心の葛藤を描いているように思いました。なお赤狩り追及場面などで登場する数多くの人物とポジションは追いきれず。3時間の長さは感じませんでした。
予習は必要
学者先生という職業は思想や感情もなく象牙の塔にこもりただただ研究に没頭して、と思いがちなところ。 作品中ではそうではなく共産党員にもなりかけたり組合活動したり女にだらしなかったりという学者像とは違う面が見える。 英雄だったりレッド・パージされたり毀誉褒貶半ばする人で研究と実践と国家への貢献でハイになったり投下したことによりダウナーになったり人となりが描かれるわけだけどなんかこの人に感情移入がなかなかできないのは話がわかりにくいからだと思う。 時間軸が行ったり来たりするしアインシュタイン以外は誰が誰だかよくわからなくなるし。 原爆ができたところでほぼほぼ使う必要がなかったのに詭弁でもって落とした、というのが日本公開が遅れたように思えた。 しかし、それが当時の対日感情でありイエローモンキーになら落として万人単位で死んだって構わないという差別感情だろうから当時を反映してるなら変なポリコレする必要ない。 つまり何が言いたいかというとクリストファー・ノーランらしく難解にして冗長
テーマがテーマだけに面白いとかって感想にはなりにくい作品。 前半は...
テーマがテーマだけに面白いとかって感想にはなりにくい作品。 前半はノーラン節とでもいうような展開についていくのが大変。登場人物も多く時間軸の行き来を高速で処理していかないと難しく訳わからない。 実際一緒に観た奥さんは前半眠りに落ち、後で聞いたら上に書いたとおりだった。自分はC・ノーランということでネタバレ覚悟で予習していったから構成が読めていたので何とかなった。多少勉強していくことをお勧めする。 ポイントは戦後の原子力委員会でのやりとりから回想いていくということ。
人間の欲望と限界
時代の要求に応えて原爆実験を成功させた主人公が、その後時代の変遷から あらぬスパイ容疑をかけかれて弾劾されるという、時代に翻弄された物理学者オッペンハイマーの決して順風満帆ではい生涯を描いたもの。その実験成功から1ヶ月以内に広島、長崎に落とされたことが、描かれるまでもなく生々しい。しかし映画の主題はあくまでオッペンハイマー個人の生涯で、彼が神などではないことを証明している。むしろ、彼が神を信じていたのかどうかが気になった。
研究者から破壊者、世界の憂い
バーベンハイマーと言われるほどアメリカで話題となった作品 もう一つのバービーはほぼ日米同時公開 題材が題材なだけに配給が懸念されたが何とか公開 研究者の苦悩から開発への熱意、恋人、そして国の英雄からの転落 最後の演説後のあの描写はゾクッと来るものがあった 全世界の人に観てもらい核の抑止力について考えてもらいたい
ノーラン監督、ごめんなさい
白状すると公開2日目に一度通常スクリーンで観に行ったのだが、満腹感と寝不足、事前になんとなく耳にしていた複雑な構成に頭がついていけず、あんなに楽しみにしていたのに途中うつらうつらしてしまう始末。ものすごい敗北感と後悔で、2度目の鑑賞へ。今度はさらによい環境でということでDolby cinemaを選択。 結果として2度目であっても、事前情報を入れた上で観ても十二分に楽しめる作品だと認識。 説得力のないコメントだと言われておかしくないのだが、なぜこんなに面白いのに初回ドロップアウトしてしまったのかわからない。 ただ伝記映画であることを考えるとネタバレだのはそこまで意識しなくてもよくて、ある程度予習したほうが楽しめる作品なのではと思った。 日本の描かれ方については賛否両論あるのだろうけど、自分はこの作品でも原爆の恐ろしさを感じられると思う。 最後に必要なのは想像力だから。 なので直接的な表現がないから観るべきでない作品だとか言う意見には全く賛成できず、我々日本人を含め世界の人に観て欲しい。 あの熱狂した学生達のシーンからは、実験シーンと並ぶ怖さを感じる。 一言でまとめられないが複雑な心情を、主観と客観で描いていったのはすごかった。 感情の揺れを自然現象のカットを通すのもよくできてるなあと改めて思う。 IMAXではないが、大画面でよい音響で観るのは本当におすすめだという意見に同意。 映画館で観て欲しい。 最後にもう一度、1度目はついていけなくてごめんなさい。
面白かった
複雑だと聞いていたのでネットで登場人物の予習をしてから見た。おかげで、人間関係を見失う場面は少なくて済んだ。それでもあまりにも密度が濃すぎて、頭がついていけない箇所がいくつもあり、もう一度見るか解説読むか、、となった。そうした複雑さや情報の過剰さも含めたエンタメとして、高いレベルの演出テンションを保ったまま最後まで突っ走る充実した3時間だった。 モノクロ部は、最初はこの部分いるの?と思ったが、見終えると、主人公を捉えるもう一つの側面として必須だったと分かった。ダウニーJRの小物感溢れる佇まいは見事だった。 人物評伝ものは、つい一歩引いて見てしまうことが多いが、ネタが原爆なだけに読後感は超重量級だった。日本人にとっても特別なテーマで、敢えての間接描写が続く一連のシーンは動悸が止まらなかった。変な横槍を跳ね除けて、公開されたのは本当に良かった。
人類がまだ存続しているのはただの偶然か
3時間ものでしかもドキュメンタリーのようなものでありながら、最後まで退屈せず楽しめました。トリニティ実験のところはドキドキするものの、日本人的にはどういう思いで見守ればよいのか・・・若干複雑でしたw 原爆開発後、時折オッペンハイマーが閃光(の幻影)を見るのが印象的であり良い表現と思いました。まぁ・・・そういうことだよね・・・っていう。 私が今こうやってレビューを書き込んでいる今この瞬間にも閃光が走るかもしれない。 新しい世界になったというのはそういうこと・・・・
全日本人が観るべき
この映画の内容を知らずに観たのですが たまたま偶然、数日前に広島の平和資料館を観に行ったばかりというタイムリーなタイミングでした こっちの世界で何が起きていて あっちの世界では何が起きているのか それはお互い実際には見ても聞いてもいないわけで ちょっとした日常の口げんかと同じことだと思うのです 日本の描写が無かったことはどうでもいいことで あちらで何が起きていたのかを中心に描写するのであればあえて必要なかったことなんだろうと思います 何でもそうですが 新しいものを発明や発見した科学者は尊敬に値すると思いますし、作った人は賞賛されるべき それをどう使うかは、全くもって別の問題です どう感じるかは観た人それぞれで結構だと思いますが とりあえず 日本人全員観た方がいいんじゃないかと思います
今一度、風立ちぬを見直したい
面白いと思う部分もあったし 退屈だと思うシーンもあった アインシュタインとの対話シーンはとてもよかった この勢いでオッペンハイマー周りを見たいと思ったところで、未来のシーンに飛ばされる 細かい史実は誰にもわからないから、しょうがないことなんだろう 日本公開が危ぶまれたが、想像していたよりもそのあたりはマイルドだったし 戦争の最中なら仕方のないことなのではと思う範疇だった しかし見終わってふと思ったのは 似たような題材でも、宮崎駿監督の「風立ちぬ」は本当に面白く、よく出来た作品だなという感想だった
全677件中、201~220件目を表示