ほかげのレビュー・感想・評価
全120件中、1~20件目を表示
居酒屋から覗く闇の戦後社会
『ヴィタール』でまさに作風の「跳躍」を見せた塚本監督は、『野火』で更なる変貌を見せた。その『野火』と本作『ほかげ』をあわせて「戦争」をより立体的に描く。「日本映画が描く戦争とは『銃後』だ」との伝統に則るなら、本作こそ正統派戦争映画なのかもしれない。
「穴蔵から覗くかのごとき都市」から「居酒屋から覗く戦後社会」へ。焼け残った居酒屋で売春をしている女の元へやって来る者たちに、刻印された戦争の傷痕を見る。また、社会学者の宮台真司が、初期塚本作品に見出した「自己確証が(意外にも)自己破壊を帰結することで(意外にも)癒される」というモチーフは変奏され、本作で、ふたりの男に分かち持たれた。復員兵は戦争の悪夢に侵食されて廃人となる。テキ屋の男は『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三のように、かつての上官に復讐する。自己破壊と他者破壊。その根源に戦争があることを、間接的に描き出す。
『KOTOKO』で自己パロディを通過し、日本の近現代史の中の「戦争」を注視することで、塚本作品は一層深みを増した。居酒屋の女が、性感染症(おそらく梅毒)に罹り、戦争孤児だった「坊や」と別れる際に、盗んだ拳銃を置いて行かせる。塚本作品も「個人的暴力」から「国家的暴力」注視へとシフトしたのだ。
戦争という火に翻弄される影
火の影と書いて「火影(ほかげ)」だが、ここでの火とは戦争のことか。戦争が終わって残ったものは半分焼けた居酒屋、そこで1人、身体を売りながら生きる女性、転がり込んできた身寄りのない子どもと奇妙な共同生活が始まる。戦争の火が消えて遺されたものたち、生きるのもやっとの世界で寄り添う人々。戦争という火に翻弄された影としての人々の物語と観るべきか。
物語は、身寄りのない少年を軸に二つの展開がある。前半は、居酒屋での趣里と少年との束の間の共同生活。後半は少年と片腕が動かない元兵隊の森山未來との旅。森山未來の何を考えているかわからない雰囲気が怖い。旅の目的がわかってくると、彼も戦争の残り火が消えないで苦しんでいる人間だとわかってくるのだが。
2023年の年末は、太平洋戦争を題材にした作品が、大作映画、恋愛映画、アニメと重なり、どう戦争を描くかということの議論が起きていた。この作品もまた独自のアプローチで戦争を見つめた作品として、それらの作品群とともに観て色々なことを考えてほしいと思う。安易に正解は決められない。
居酒屋を舞台にした壮大な反戦ドラマ
終戦後、瓦礫と化した町の片隅で居酒屋を営み、奥の座敷では体を売って生計を立てているヒロインの視点で、物語は進んでいく。店には腹を空かせた少年や、心に深い傷を負った復員兵や、闇市で強かに生きるテキ屋の男たちがやってくるが、外の状況はあまりよく分からない。
塚本晋也監督の演出は、小さな窓(居酒屋)から大きな世界(瓦礫の町の状況と人々の生活)を覗き見するようなミニマムな手法に徹している。その効果は、膨大な予算を注ぎ込んだどんな戦争ドラマよりも強力だ。居酒屋を舞台にした壮大な反戦ドラマ、というのが率直な感想だ。
もう1点、別の復員兵に関するシーンでは一瞬鳥肌が立つほど怖い思いをさせられる。戦争の残虐を人物の顔と格子窓の光で表現したキラーショットは、今思い出しても体が震える。なぜなら、そこにも監督の強い思いが込められているから。大枠から細部まで、メッセージ性がパワフルな作品だ。
壊された世界で生きる
朝ドラなんかだと終戦や戦後の生活は「希望」をもって描かれることが多いし、苦難を描く場合でも明るい明日を夢見てひたぶるに生きる人たちとして描かれます。
とはいえ街も生活も、親しい人たちもみんなぶっ壊され、虚無感や深刻なトラウマに苦しめられ、絶望の日々を生きた人たちも少なくないでしょう。
戦後80年を迎え、若い人たちは戦争経験者とまったく交流したことがない人たちもいると思います。
戦争や戦後の苦難、壊されてしまった様々なこと。
伝えていくことの大切さをかみしめる作品です。
戦火の影
戦後を描いた作品はそんなに見たことがないけど、敗戦国の日本は一からやり直して、世界を代表する大国になった!みたいな話に転嫁しやすい。
実際には精神的な病に苛まれ、上手に生きていけなかった人が大半なのだろうと思わされた。
前向きであることは必要なことだけど、悪い部分も伝えないと後世は誤認してしまう。
映画としては序盤が退屈してしまった。
銃を捨てて、働いた金で、飯を食う
戦災の残したものはあまりにも大きいて話
壊れた兵士
病に伏せる娼婦
屍を越えてゆく少年はどうなっていくのだろう
基本的に小さな納屋のようなシーンで
被災した町並みはあまり出てこないが
見るまでもないのだろう
ラストは出店が並ぶ町並みが出てくるが
商売人はそんな環境でも活気があって
たくましく感じた。
見てよかった。
感謝と慟哭
闇市・・・・
あの壮絶な戦後の混沌期を、必死で生き抜いた人達に感謝とリスペクトを贈ります
この人達がいなければ、今の自分も、自分達も存在しない
日本という国さえ存在しなかっただろう
この凄まじい行動力と負けじ魂が、日本をここまで復興・発展させたのだと
改めて痛感した作品だ
戦場で上官に命令され、仕方なく「戦友」を56すなどの
自分の罪と後悔に苛まれる男
大きな音が聞こえる度に、大砲や銃声と勘違いし、恐怖に怯える痩せた帰還兵
生き抜くために体を売り、挙句の果てに病気をうつされる若い女性
孤児でありながら、たった1人で適応し賢く強く生き抜く男の子
みんながみんな適役で、いい演技をしていた
男の子の輝く瞳はとても印象的で、吸い込まれそうにもなった
これは塚本監督の采配か? 見事としか言いようがない
当時の彼等が、今この国をみると一体どう思うのだろうか
アメ○カの植民地になり続け、中▼の属国になり、DSにもてあそばれる
それどころか洗脳された国民は、疑うこともせずに何の声も上げない
あの負けじ魂はどこへ行ったのか
凄まじいまでのは行動力や生きる力は捨て去ったのか
彼等が命がけで作った日本という国を
ここまで貶めてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる
そんな映画です
本当の戦後
重い
戦争孤児の修羅場
ゆきゆきて
「外国での戦争が終わった」じゃなくて「外国との戦争に負けた」でしょ。
ただの法螺ー映画。
せっかく、旧国営放送からお借りしているのに、スタジオでしか使う事が出来ない。
せめて、セットに出して撮るとかしないと、引きこもりの春を売る少女なんて、どこの時代も、どこの場所にもいないだろ。風呂や「うん⭕️」はいつすんだ。くせーだろ。
敗戦後「お先、真っ暗って」、そんな事思っていたのか?
梅毒になった女性が「近づかないで」は無いだろ。スピロヘータなんだから、少年と交わらない限りうつらない。ハンセン氏病の偏見をまた蒸し返すのか!
以上、演出が稚拙過ぎる。
僕の時代。上野の山には白い服を着た兵隊見たいな人達が沢山いた。そう言う人達が色々な芸を披露して、小銭を集めていたのを思い出す。
上野へ、亡父と映画を観に行った帰りに、上野動物園に行くと必ずそういった人達にあったものだ。
亡父は言っていた。「信用して金なんかやるな。働かないで楽をしようとするからやってんだ。」って言っていた。平和しか知らない僕には異様に思えたが、亡父は「信用すらな」と言う。
そんな人達がベンチに座ってタバコをふかしていた。まだ、本当のク⭕️ガキだったのでタバコの銘柄などわからなかったが、亡父が吸っていたタバコと違う銘柄だと直ぐに分かった。フィルターというものが付いていたのだ。なぜか直感で亡父の言葉をしんようしてしまった。
亡父は片耳が聞こえず「予科練の甲種に落とされた」と言って「だから、戦争には行けなかった」と言っていた。真意は分からぬが、そんな予科練に受かる様な賢明な男ではなかった。だって、計算が合わないもの。昭和5年生まれで予科練行ったか人なんていねぇだろ。
てなことで、亡父は軍人には物凄くコンプレックスがあったようである。
その兵隊見たいな物乞いも1970年までにはすっかり消える。その後、暫くして登場するのが、ブルーシートである。いつの時代も生活の下手なキャラクターはいるとは思う。
そう言う者を働かせるシステムが必要なんだと思う。勿論、女性が体を売るなんて持っても他。畑のトウモロコシを盗む比ではない。言うまでもなく。
かくして、日本は復活せし。平和ボケは続く。ずっと続いてくれ!
アメリカ米も底をついたので、B地区米を買って来た。まずくないよ。どこの米か分からんけど。B地区ってどこなんだべ。
傷痍軍人の思い出
僕が小さな頃には、「傷痍軍人」と呼ばれる人がまだ居て、白い帷子(かたびら)に軍帽を被り、或る人は失った足を松葉杖で補い、また或る人はアコーディオンを弾きながら軍歌を歌い道行く人の施しを受けていました。物乞いの人を見る事はそれほど珍しくはなかったのですが、傷痍軍人の方々だけはちょっと違っていました。子供心に何だか怖く感じ、触れてはいけない物の様に思えて近づけなかったのです。それは、当時には既に見られなくなっていた戦争の傷跡が露呈している姿への恐怖だったのかも知れません。でも、今にして思えば「この怖さってなんだろう」と言うゾワゾワした思いを言葉に出来ないながらも抱いていた気がします。本作を観ていてあの不思議な怖さとゾワゾワを思い出しました。
戦争によって心に深い傷を負った人々の終戦直後の姿を戦災孤児の目を通して描いた塚本晋也監督の最新作です。「たとえ足を失っても、手がなくなっても生きて帰って来てくれさえすれば」と、家族を戦地に送った人々は祈ったかも知れません。でも、肉体的には五体満足で戦争を生き抜く事が出来たとしても、心が圧殺され摩滅し壊死していたならばその人は「生き抜いた」と本当に語れるのでしょうか。その人たちにとっては戦争直後から新たな戦争が始まったのではないのでしょうか。そうした見たくない物から目を背け、知らない振りし、ごまかし、鈍感でいる事を「生命力」と呼ぶのだとしたら、それは辛い事です。
そうした思いを目力だけで表す趣里さんも森山未來さんも河野宏紀さんも、そして何より子役の塚尾桜雅くんの迫力が際立っていました。
この様な映画を観たら「やっぱり二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」と誰もが思うに違いありません。しかし、我々が注意せねばならないのはその先です。「だから、他国からの攻撃に備えて戦費を倍増せねばならないのだ」と自ら戦争に歩み寄る愚策を押し留めねばなりません。
2025/12/13 鑑賞
タイトル無し
戦後の舞台として作る映畫は様々だと思うが、なぜ戦爭を負けたのかという反省問題より、戦爭反対や戦爭の意味を考えから、戦爭は人の全てを奪うまたは人はどんな辛くても生きて行く強さは今まで見た戦爭映畫で一番深刻に感じた映畫だった。
子供、女、復員兵、テキ屋の男という名前が無い4人から戦爭の色んな一面を描寫する。例えば、人物の生き方と慾望とか...
まず、一番重要なのは子供だと思って、年齢から見ると、これからの日本だというメタファーと思う。武器を使う加害者になろうかそれとも辛い生活を送ろうか、作者は後者の選択を選んだ。「聖なる戦爭は無し」という今村昌平監督の作品の名言が思い出した。
女もあの時代で言えば、力が無くて戦爭へ參加することではなく、戦爭から変わってしまった人たちである。家族のような生活を望んで生き続ける。最後に體が売り過ぎて病気になってしまうことも悲劇な一部だった。自分のことが変えなくて無関心に進むしかないと感じられた。最後にその望むことは他人への希望として殘る。戦爭の女性にとって一番殘酷な一面を描寫した。
復員兵とテキ屋の男は同じく戦爭から騙されて、悪いやつに変えてしまったことだ。前者は良い顔で悪い慾望を持つ一方、後者は悪い顔で良い心を持つ。そういう対立性も非常に良かったと思った。
もし、戦爭が無ければそれらの人たちはどうなるかということは、殘酷の現実にimageになるしかない。更に思い出したのは黒い雨の「正義の戦爭よりも不正義の平和の方がいい」という言葉だった。
本當に勉強になりました。
趣里の表情に迫力があった。 最初はよく分からないキャラだったが、ど...
ピストルを拾ったら、警察に届けましょう‼️
戦争がいかに人々の心に深ーい影を残しているか⁉️そんな深ーい影が人々にどんな災いをもたらすか⁉️人々をどんな行動に走らせるか⁉️そんな戦争後遺症を一人の幼い戦災孤児の視点で描いた作品‼️映画は2つの物語を軸に展開‼️戦後の焼け跡で居酒屋を営み、夜は売春を余儀なくされる女性が、食べ物を盗みに来た戦災孤児との交流に心の安らぎを見出す話‼️そして復員したテキ屋の男が、戦地での上官に復讐する話‼️前者の趣里さんも頑張っているのですが、白眉なのは後者‼️森山未來がテキ屋の男を、静かなる決意を携えた素晴らしい演技で体現‼️戦友の恨みの銃弾を、上官へ一発ずつブチ込んでいくシーンは、この作品の凄絶な見せ場ですね‼️そしてそれを見つめる戦災孤児役、塚尾桜雅くんの純粋な瞳、そして何かを悟ったような表情がホントに素晴らしい‼️撮影当時8歳‼️ウーン、恐ろしい‼️塚本晋也監督もねっとりとした重い作風なんですけど、力強い演出で戦争のもう一つの悲劇の描出に成功してると思います‼️
戦争の犠牲者
戦争は終わらない
全120件中、1~20件目を表示