「ホロコーストの生存者による貴重な証言 ダニエル・ハノッホ」メンゲレと私 大岸弦さんの映画レビュー(感想・評価)
ホロコーストの生存者による貴重な証言 ダニエル・ハノッホ
メンゲレと私(ホロコースト証言シリーズ3部作)
大阪十三の映画館「第七芸術劇場」で鑑賞。2023年12月12日
パンフレット入手
ホロコーストの生存者による貴重な証言
ヨーゼフ・メンゲレはドイツ人医師、ダニエル・ハノッホはユダヤ人
リトアニア出身のユダヤ人、ダニエル・ハノッホ。1932年にリトアニアのカウナスで、3人兄弟の末っ子として生まれた。
1941年6月にナチ・ドイツのリトアニア侵攻によってハノッホ一家はカウナスのユダヤ人ゲットーに強制収容される。1944年7月、ロシア軍の反転攻勢でゲットーは焼き払われ、ハノッホ一家は牛車に乗せられ、ナチスの親衛隊と目的不明の旅へ赴く
1945年1月18日連合軍の攻勢に押され、ダニエルたち約40名の少年たちと他の囚人たちはナチスの親衛隊に連れられ"死の行進"を開始する。途中で多くの囚人が過労死したり、ナチスの親衛隊によって殺害された。ダニエルたちは屋根がないオープンワゴンの列車に積まれ、死体で体を覆って寒さを凌いでいた。オーストリアのマウトハウゼン強制収容所に到着するが、ここの囚人たちは飢えており、アウシュヴィッツよりも酷い状況であった。マストハウゼン収容所は、絶えず連合軍の空爆にさらされ、吹き飛ばされたナチスの親衛隊肉片を鍋で煮て食べる囚人たちのグループを、ダニエルは目撃している。カニバリズム(人肉食)
次に到着したグンスキルヒェン(オーストリア)小キャンプでは、6つしかないバラックの半分が泥に沈み、ほとんどの囚人が疫病でやられていた。
いよいよ戦争末期となると、システムは崩壊、死者は近くの森に放置され、ナチスの親衛隊や看守は囚人たちから奪った囚人服を着て逃げ出した。
戦後は1946年に難民船でパレスチナにたどり着き、イスラエルで自らの戦争体験を語る活動に尽力した。
日本語パンフレットがあることで理解が深まることになりました。
ホロコースト証言シリーズ3部作
「ゲッベルスと私」 「ユダヤ人の私」「メンゲレと私」