月のレビュー・感想・評価
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人、命、心、、、愛
長女が産まれた時、看護師さんの「五体満足ですよ。」の声に自然と涙が溢れた。
大病をしたことがなく、仕事も休んだことがない。ある年配の方に「丈夫な身体に産んでもらって親に感謝しなよ。」と言われて、素直に感謝した。
ある時、障害がある子どものドキュメンタリー番組を見ていて、複雑な気持ちになったことがある。
答えは出ない。出せない。
表現に賛否はあろう。
メイン・キャストとスタッフがそれぞれ最高の仕事でこの作品を世に出してくれたことに敬意を表すとともに感謝したい。
宮沢りえとオダギリ・ジョー演じる夫婦の愛の物語としてもう一度観たい。
俳優ってしんどいだろうな。
「Gメン」や「ゆとりですがなにか」で俳優さんたちがいきいきと楽しそうに演じてるのが解る気がする。
宮沢りえと磯村勇斗はこの辺で一度はっちゃけた役でリフレッシュした方がいいんじゃないかと、心配になるほど役に入り込んでいた。鬼気迫るものがあった。
追記
宮沢りえが主演でなかったら観ていなかっただろうし、
オダギリ・ジョーでなかったらただただ暗い物語になってただろうし、
磯村勇斗でなかったら嫌な映画になってただろうと思う。
あらためて素晴らしい俳優さんたちなんだと思った。
あなたは、あの犯人と何が違いますか?
望ましい現実と、望まない現実。その端境に何があると思います?。
先日「アンダーカレント」を観て、家族を大切にしようと思いましたが、その一方で、老いて身の回りのことができなくなった親の手を引いていると、これがいつまで続くのかしらと思う私です。
少しネタバレしますが、泣きながら人の道を説く洋子師匠と、それを冷静に見つめる、もう1人の洋子師匠…。全くもって泣きたいのは、私のほうです。だって世の中、イヤなもの、見たくないもの沢山ありますけど、一番見たくないのは、自分の本心だよね。映画は二時間半で終わるけど、私の生涯、まだ終わらないのよ。この先、もう1人の自分と対話しながら過ごす羽目になりそう。
そう思うと、もう一度観るのはキツイ映画です。でもだからこそ、一度、キッチリ観ることをお勧めします。2倍速できない劇場でね。
どんな理由があろうとも、ヒトは生きる。格好良く死ぬことより、最期まで生ききることが格好いい。だとしたら、他者がそれを阻害する、この世界は…。
ところで…
あなたは、あの犯人と何が違いますか?。
この映画、新聞の解説に、そう記されていました。何が違うのかしら。私の正義感は、私を何処に連れて行くのかしら。
「オーバーフェンス」
月は、世界をほんのり照らすだけでなく、ヒトの心の闇まで照らすようですが、どん詰まりな世界でも、フェンスの先には何かある。そう思わせてくれるのが、本作。併せご覧下さい。
やまゆり園をモチーフにする必要があった⁈
誰しもの問題を誰しもが逃げるから先が見えない
石井裕也監督、宮沢りえ主演(ひょっとすると磯村勇斗が主演?)の、実際に起きた障害者殺傷事件をモチーフにした小説の映画化で、原作は未読です。
この事件は「PLAN 75」の冒頭にも似たような事件をモチーフにしていましたが、作品の方向性は全く違っていました。
YOU TUBEの舞台挨拶で宮沢りえが「賛否が出る作品だと思うが観て欲しい」と述べていましたが、見る人は最低限上記の“実際に起きた事件をモチーフとした小説の映画化”だという位の予備知識は頭に入れての鑑賞した方が良いと思われます。
そして、そうではなく全く予備知識なしで見た(若しくは見せられた)人の否定論は無視しても構わないと、個人的には思っています。
それと“賛否”と言うより、この映画の場合は映画そのものよりも現実に起きている事件そのものの“可否”、“良否”、“善悪”を観客に問いかけている作品であり、いくら否定しても現実社会では実際に起きてしまっている事に対する問題提起でもあるので、そちらの言葉の方が適切な様に思えました。
更には、本作はあくまでも小説の映画化で(原作は未読だが)本作の主要登場人物は完全に創作された人物であって、現実とは全く違う架空の人物だという事も忘れず前提として見るべき作品だと思いました。
何故なら、多くの否定派のレビューには現実の事件や加害者を物語と混同している発言が目立ちましたからね。
ここからは個人的な話ですが、私は障害者と暮らした経験はありませんが老母との二人暮らしで、95歳と68歳が一緒に日常生活を送るのには(お互いにでしょうが)意思の疎通だけでもままならず、様々な苦労やストレスが伴います。
日々の暮らしの中で、このままだと気が狂ってしまうのではないかとまで感じてしまう時があります。母親は認知症ではありませんし、他人から見ると歳の割にはしっかりしている様にも見えます。
そういう意味では凄く恵まれている環境なのですが、それでもそのように感じてしまうしストレスも溜まってしまうというのが現実なのです。
なので、もっと酷い障害や症状を持っている人たちに対して家では面倒見れなくなった場合、どんな立派な施設であろうが、赤の他人に面倒を見て貰わなければならないという(逃れられない)現実があります。
この映画ではまるでホラー映画の様に薄暗く不気味な施設として描かれていますが、考えて(想像して)みて下さいよ。
本作の主人公であり加害者さとくんの台詞の「こんなにきつくて辛くて気が狂いそうになる仕事を月十七万円の給料でしているんだよ」って意味を政治家も国民一人一人も、もっと考えた方が良いと思いました。
正直、普段最も考えたくない項目でもあり、出来たら蓋をして見えなくしてしまいたい部分であるのはよく分かりますが、自分で思っている以上に今後の人生に誰しもがのしかかってくる問題でもある訳です。
どれだけ愛情豊かな人間だったとしても、肉親でもない重度な障害を持つ人の世話をしながら過酷すぎる仕事の中にいると人はどうなってしまうのだろう?…本作はそれを「自分には関係ない世界だ」と思っている人にこそ見て欲しくて作られたのだと思えました。どんなに逃げたくても逃げることの出来ない問題ですからね。
逆に日常で少しでもそのような日々を送っている人は逆効果の場合もありますので見ない方が良いかも知れません。
「月」ってタイトルをつけた理由は分かりませんが、球体であるのに表側しか見えないからこそ月は愛されるのでしょうね。世の中もきっとそうなんだと思いますよ。
日本社会の潜在的な歪みを写し出す。
そもそも主人公の夫婦の関係性がおかしい。
3歳で病死した息子について、お互い思いの丈をぶつけ合わない夫婦関係。
施設運営と施設従業員の思想と行動。
これらの異常性が日本社会に普通に蔓延しているという昨今。
数年前に観た映画、「帆花」とは全く正反対の映画。
「帆花」は愛に溢れ、「命」の尊さをリアルに教えてくれた。
日本社会はハラスメントで溢れきっていて、単純な解りやすい優生思想や生産性によって人の価値を決めるという事が日常茶飯事…。
相模原やまゆり園事件をモチーフに作られたという事だけど、どこで起こってもおかしくない現状に自分達は生きているのだと思った。
自ら殺人、殺戮しないにしても無言の圧力や誹謗中傷によって人を死へ追いやる事への抵抗感がない。
ジャニーズ問題が典型。
全ての内容に日本社会壊れてますよぉ❗と警鐘を流す内容。
今、ここにある命が大切。
誰もが唯一無二で、天上天下唯我独尊という事を認め合う社会が大切なのに…。
パワハラ、いじめ、監禁、差別、殺人、隠蔽、忖度、エホバの証人がキーワード
「舟を編む」の石井裕也監督が宮沢りえを主演に迎え、実際に起きた障が...
「舟を編む」の石井裕也監督が宮沢りえを主演に迎え、実際に起きた障がい者殺傷事件をモチーフにした辺見庸の同名小説を映画化。
オダギリジョー、磯村勇斗、☆二階堂ふみが出演。この人たちが物語を引き立てるぅぅ、。
自分はどう思うのか
不用なものが多すぎた
迷ったけど
劇場じゃないと
見ないなと思って
見てきた
重いとわかった上で
見に行ったのに
見終わった後辛すぎた
重いし痛いし切ないし
悲しいし見たくないし
そっぽむいて
向き合わずに
気づかないふりして
生きていたい
でも、それじゃぁ駄目だ
何事においても
当事者と家族だけじゃない
逃げるなよ向き合え
知らないとは言わせない
傍観者ではいさせてくれない
鋭い刃は間違いなく私にも
向けられていた
改めて考えさせられた
でも、
残念ながら人にすすめられない
作品だった。せっかくなら
重いけど是非見てほしいと勧められる作品であって欲しかった。
不用な演出、効果音、CG、暗さを演出しすぎ、もっと淡々としたものでよかった。フィクションなら良かったが、これはフィクションではないから。(ノンフィクションではない)だからこそ、最後の数十分も不用だと感じた。無くても結末は皆知っているのだから。妊娠に3.11も容易に盛り込みすぎた感じが否めない。そして終わり方も尻切れトンボすぎた。
重く非常に難しい題材を─
難しいテーマを突きつけられて、かなり引きつけられます。根底にあるものは、普遍的で、個人的なものとしてもその答えを見いだすことはかなり難しいものだと思います。それ故に尚更、食い入るように観賞しましたが、この吸引力は果たして作品に潜む難しい問題の為なのかそれとも巧みな演出によるものなのか─。
決してエンタメ的に難しい問題を扱っていることに異議があるわけではありません。このような社会問題をドキュメンタリーで扱うより、むしろ劇映画で見せられた方が真実味があったり考える度合いもかなり強まると思うので、この作品も非常に意義深い作品であると確信できました。見るものの興味をなるべく引いて、多くの人に見てほしいという意志も感じます。
原作は未読ですが、事件のことは知っています。たまに本当の出来事に脚色を加えて面白く仕上がっている作品を目にしますが、実際の出来事をあまりにも想起してしまう創作物は、多少、眉唾な思いにかられてしまって、せっかくの重要テーマが台無しに・・・。
あのような職員もいるんだろう、実際にそういったニュースも目にするし─、でもあの園で本当にあったことなのか・・・作品として実際にあったかどうかは重要ではないとは承知の上で観賞しているのですが、相当あの事件を想起してしまうので否が応でも作品と事件をリンクさせて見てしまいます。そうなると、演出とか創造性なども、嘘という嫌な意識がまとわりついて、大事な問題が頭の中に入りづらくなってきてしまいます。
この作品で扱われている、医療行為とかハンディキャップとか、もっと大きな括りとしていえば、生きることそのものへのテーマが、あの事件への想起によって、一気に飛びそうになりました。でも、必死に何かが、誰かが、それをくい止めてくれたように思います。それは、新しい命なのか、宮沢さんなのか石井さんなのかオダギリさんなのか分かりませんが、それ故に非常に意味深くそれでいて見やすい作品だなぁという印象です。
ぜひ観てほしい
★3.5+★0.5
今、こういうテーマで映画を作ることがどれだけ難しいかを考えると、やはり点数も「映画の質+敬意」という感じになってしまう。
今回の★4つはそういう感じ。
多くの方が、あの事件について「否」の立場であるのは間違いない。
でも、そこに「自分」や「家族」を投影すると、心が揺れてしまう。
作中、立ち入りを禁じられた奥の部屋のドアを開けると、糞尿まみれで自分の陰部をまさぐる老人。
私は、瞬間的にあの老人に自分の将来を重ねてしまった。今は障害がなくても、痴呆やケガなどで、数年後こうならない保証なんてどこにもない。
…と思ってたら「ともくん」が同じ事を考えていた。
さすがにドキっとする。
あの事件に向かう経緯を通して、こういう当事者性を観客に求めてくる作りになっている分、非常に観ていて辛い。
ただ、どのくらいこの映画が事実に則しているのか分からないけど、実在するあの事件の「本当の当事者」、つまり被害者やその遺族、現場職員の方はこれを観てどう思うんだろう。
雑然とした事務所、建物のあちこちで蜘蛛が巣を張り、廊下の奥は見えないほど暗く、どこからかうめき声が聞こえる。
映画に登場する職員の中に、この仕事が社会のために必要だ、と誇りを持って働いている人は一人も登場しない。
私は傍観者だから、当然それを求めるのは綺麗事なのかも知れないけど、現実にああいう施設が必要な患者とその家族が存在するという現実の中で、その綺麗事なしで日本中すべての施設が運営されているなら、それは余りにも救いがないし、私は決してそうではないと信じたい。
また「収容された人々はコミュニケーションが取れなかろうがもちろん人間で、人間を殺してはいけない」って事実は、法的にも倫理的にも生物学的にも揺るがないのに、犯人がそれを打ち明けた際に主人公は「私は認めない!」を繰り返すだけで、まるで個人的な見解の相違の様にしてしまっている。
耳の聞こえない彼女も、まるで耳が聞こえていないから止められなかったみたいな描き方。
そう、この映画は全体を通して、犯人が自然と犯行を思い立つことを後押しし、そして誰も彼を思い留まらせることがない設定に、あえてしてしまっている様に感じた。いわば、彼の犯行を「こうなったのは仕方ない」と言おうとしている様に。
おそらく作り手もわざとそうしているんだろうけど、そこはなんだか「意地の悪さ」を感じてしまう。
細かな部分について、その奥の部屋の老人が立ち入り禁止にされている理由もよく分からない(園長が面倒みてるの?)し、冒頭から始まる東関東大震災のエピソードも、本質的にこの話とは違う気がする。
散りばめられたピースが、どれも何となく本筋と噛み合わない。
気になるところはたくさんあるけど、そんなの吹っ飛ぶくらいやはり宮沢りえの熱演が素晴らしい。
記者会見で言葉を詰まらせてたけど、そりゃ、あの演技しようと思ったら、よっぽど役に没入しなきゃいけなかっただろうし、それだけで拍手モノ。
この社会的にも歴史的にも大きな事件を、風化させちゃいけない。
不都合な事実は見せたくない、見たくない、という心理
2016年のやまゆり園の大量殺傷事件を下敷きにしています。
事件の関係者にとってはとても辛い内容だし、私も観ていてきつかったです。本作における犯人がもともと正義感の強い人物だった、という描き方には、批判もあるでしょう。
制作者も、万人が手放しで絶賛する作品を作るつもりは無かったと思います。
冒頭、青白い三日月の下、元作家の洋子が歩く線路上には、おびただしいガラクタが散乱し、よく見ると魚も散らばっています。振り返ると大量の瓦礫があり、東日本大震災の事だと分かります。ただ、汚泥は全くなく、魚は腐っていない、つまりこれはイメージで、真実ではありません。これが本作を象徴していたと思います。洋子は同僚の陽子に、「あなたはきれい事だけを書いている」と言われます。鋭く胸を抉られるセリフが幾つかありました。
洋子は作家業に見切りをつけて障碍者施設で働き始めます。大変で、感謝される事も少ない仕事にやりがいを感じられず、洋子の目には担当のきーちゃんの姿はぼんやりした影のように映ります。
熱心なさと君や心無い職員の様子を見、厳しい現状を目にするうちに、きーちゃんが一人の女性に見えて来ましたが、事件は起きてしまいました。
事件は本当に辛く悲しい事で、犯人の主張を正しいと思う人は居ないでしょうが、では何が正しいのかと問いかけてくる作品でした。
とても重たい作品に出演した方の勇気に感服しました。
ただ一つ、私は事件の細かい所までは知りませんが、犯行前にさと君の外見を敢えて実際の犯人に寄せたのは、良くなかったです。
きれい事と現実
さとくんは今の日本社会の「象徴」
建前の善人より、本音のやりとり
衝撃的問題作
久しぶりに邦画でヒリヒリするほどの緊張感を味わえた作品でした。
生々しい本音のぶつけ合いをここまで描いた作品も珍しいし見ごたえも十分ありました。
磯村勇⽃演じる青年の穏やかで冷静に主張する言葉に影響されてもおかしくないと感じるのは自分の年のせいもあるのかも。
人間とは何か?生きるとは何か?を問いかける強烈な作品でした。
宮沢りえとオダギリジョーの理想の夫婦の関係と磯村勇⽃と二階堂ふみの働く介護施設の厳しい現実。
衝撃的なラストをどう考えるか、尊厳死も含めて難しいテーマだと思いました。
娯楽作品ではないですが今を精一杯真面目に生きてる人が見るべき作品です。
おすすめ度は100%です。原作もじっくり読みたいと思います。
障がい者と施設の描画が酷い
事実を元にされている物語なのでこれはさすがにキツい。フィクションなら良いけど、、、
あんな暗闇で、、、職員さんも仕事しにくいだろうに。
犯人が事件を起こす動機付けの部分なんだろうけど、それでも酷い。一瞬退出を考えてしまった。
完全な作り話でエンタメも割り切れば良いけど、事実を元にしていると、どうしても被害者や遺族・関係者のことが気になります。この描画だと全員が深く傷つきそう。
ついでに、3.11と出生前診断までまとめて不快。
また、出てくる人、みんないろいろな意味で胸くそ悪い。観ているだけで病みそうだし、演者も辛かったと思います。
映画や小説なので、殺人者の完全否定だけでは行けないと思います。加害者にも理由や事情があったり、どこか共感できる部分があっても良いと思います。ただ、このストーリーだと、まるで施設や障がい者に殺される理由があったかのような表現です。これはいくらなんでも酷すぎる。
正直、この事件は考えさせられた。
自分が障がい者側なら、、、家族なら、、、職員なら、、、いろいろな目線があります。
自分で意思表示が出来ず、「ココロ」がないのであれば、殺して欲しいと思うし人もいるでしょう。また、介護疲れしている家族もいるでしょう。
かと言って、殺して良いということではありませんが。
といいつつ、、、最後まで物語に惹き付けられたのも確かです。なんとも評価が難しい。
河村光庸氏の火中の栗を拾う姿勢に拍手
例の大事件をモチーフにした劇映画、原作ありきの映画化とのこと。当然に観て楽しいものであるはずもなく、観客1人1人に問題を突きつける、その意味で本作の価値は十分にある。しかしだからと言って内容が重いと暗鬱になったり、否定の声も当然に呼び起こす、現実そのものを提示しているから重いのも当然。劇映画と言うフィクションを通して作品としての存在意義は、ファンタジーだろうとアクションだろうとコメディでも、現実から乖離すればする程にある。一方でリアルな現実を描く社会派なり告発物も観客の目を覚まさせるだけでも十分に意義はあり、賞賛の対象ともなる。だが、同じ現実なのに本作のようなテーマは日常の現実ではなく、恣意的に隠された現実だからアレルギーも引き起こしてしまう。
本作とは全く完全に意味を切り離して参考までに提示すれば、日々私達が美味しく頂いているフライド・チキンやら焼肉やらステーキの根底には、屠殺をし解体する業務があるにも関わらず、私達は見ようとせず完全に避けている。ニュースで戦場の悲惨を映し出す際に非業の死をとげられた死体は完全にボカされる、最大の要点にも関わらず死者の尊厳の美名のもとに現実を隠してしまう。もっと分かり易く例を挙げるならば、東日本大震災での津波の映像に大抵「津波の映像が流れますご注意下さい」とか。私とて猛烈に胸が痛み、避けたい自分を知ってしまう。
この世の中、美しき人生を謳歌するために、心穏やかに過ごしたい。恐ろしいものは避けたいし見たくもない。そんな見なくても済む現代社会を私達はせっせと作ってきた。本作の問題点はここに尽きるのではないでしょうか。社会が形成する以前は、人は動物を殺し肉を自ら切り刻み生きるために食してきた。人の死体なんてそこらじゅうで目にしたはず、手も足も出ない自然災害の破壊も否応なく直面した。そして、非健常者だって当然周囲にいたはず、可能な限りの支えを分け与えたり、逆に差別され虐待されたかもしれない。高齢者は姥捨て山に置き去りにした、口減らしと面倒のために。すべては自分の生活圏内にあった。そんな厳しい現実と接しながら生きてきたはず。
社会が形成されるにつれ、そういった「悲惨」はまとめて面倒みましょうと、ショックを与えるような事象はあらかじめ取り除きますと。高齢者が介護ケアの名のもとに集められ隔離されるように、障碍者もまた施設に集められるようになった。弱者を切り捨てないと効率が悪いと公言する低能論者までもテレビに登場する時代。胎児を検診結果により異常が見つかった場合は殆ど中絶と言う名の殺人がなされると。こうして優生思想が社会の無意識の要請として肥大化してゆくのです。
ここまで遡らないと、本作での磯村勇斗扮するさとくんのクライマックスでの長セリフに対峙出来ない。だから直接映画の関わりなくとも長々と記してしまいました。命は尊いものです、何故なら肉体と魂(心)の解明なんて出来ないのですから。だから人は人の命を弄ぶことなんか出来ないと思います。
さて、本作はあのスターサンズの作品で、この豪華役者の顔ぶれとあらば観るべきと。亡くなってしまったのが残念至極ですが、甘っちょろい邦画に喝を入れ続けた河村光庸氏の遺書でもありましょう。答えの出しようのない事ですが敢えて火中の栗を拾う姿勢に敬服です。
とは言え、脚本・監督を任された石井裕也には荷が重すぎたのか、身構え過ぎたのか粗が目立つのが残念。あのワインへのクロースアップは何ですか?素人のホームビデオレベル。カメラワークもぎこちなく、なにより脚本の推敲不足なのかセリフもぎこちない。執筆に行き詰り重度障がい者施設でバイトをするなんて、不届き極まりない女を主人公に、おまけに生まれつきの障害のために幼くして亡くなった第一子と言う過去を設定し、さらに第二子を身ごもりその不安を主題に絡ませるのは、当然に辺見庸の原作どおりなんでしょうが、無理がある。しかも宮沢りえとオダギリジョーの夫婦役でしよ、あの名作「湯を沸かすほどの熱い愛」2016年を嫌でも思い出しそのギャップに困ったものです。
しかし、お二人とも熱演なのは確かですよ。ことにも変な役がほとんどなのに、ここでのオダギリジョーは売れてはいないオタク役ではあるけれど、歳のいった好青年として明るいのですから意外も意外。そして本作ではほぼ主演なのがさとくんに扮した磯村勇斗が圧巻なのです。もとより爬虫類的肌感覚の役者さんで人気も実力も兼ね備え、それでいて作品選択も変態寄り多し。本役を受けて立つ気概に拍手喝采です。狂言回し的な役の二階堂ふみの演技方針もあやふやで、場違いな嬌声に違和感あり。施設の同僚役の2人、虐待に加担し終始悪役然としてますが、普段の働きぶりのポジティブも描いて欲しかった。さとくんの同棲相手が聾唖の設定が作品の中で活きたのかはなはだ疑問。
タイトル「月」と言っても満月は一時もなく、三日月ばかり。フルに完全な月より、欠けたところが圧倒的な三日月が本作の意味するところ。
ZANNEN
いろんな思いが交錯する映画だった。感想としてはだらだら書くのも本意ではないので端的に言って「創作することには社会的に意味が大きいが、映画としては破綻しているかもしれない」ということだ。
前半の東日本震災のシーンからして暗示的ではあるのですが、我々一般人(関与しなかった者という意味で)には見えなかったものを、当事者たちは確実に乗り越えざる得なかった。「知らなかったじゃないでしょ、知ってたよね?」って言う問いを突きつけられたとき、私等は何も返答できないわけです。あくまでも当事者性という壁が眼前をよぎるのみなのかもしれない。
私個人の感想では、後半三分の一は別映画にすべきだったと思います。亡き子の墓前のシーンでは涙が出てくるほど感動的でそこで、完結すべきでした。
しかしこの映画は原作者の思いや多くの関係者がいて、そんな題材を選んだ以上、石井監督に許される範疇ではなかったことでしょう。あくまでも寿司屋でTVを観て、驚愕する主人公なんて観たくなかったそれが感想です。
後半に関しては同監督でもいいし、別監督でもいいのでリベンジを期待します。
全166件中、121~140件目を表示