月のレビュー・感想・評価
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「かつてあったことはこれからもある」
作家の堂島洋子は、最近書けなくなり障害者施設で働くことに。夫は彼女を師匠と呼び、夫婦の息子は幼くして亡くなっていた。施設で働くさとくんは、入所者に優しかったが次第に。
実際の事件をモチーフにした作品。犯人の思想変化と、主人公の出生前診断に関する悩みを絡ませた物語。犯人の変化については少し強引な感じで、事実と異なるんだろうと思いました。心がないから人間ではない、だから殺す、の短絡思考には理解できるはずがない。優生思想と出生前診断については、どうしても割り切れないと考えてしまう当事者の苦悩が理解できます。
月は象徴的に出てきます。しかしシンプルで不自然なタイトルは、「つくい」をもじったのだろうか。
宮沢りえが始終辛い顔をしていて、同情してしまいます。
重いテーマ×重いテーマ
実話を元にした小説の映画化ということですが、胸が苦しくなるほど
重たい作品ですね。障がい者施設ことと夫婦のこと。二つのテーマ(話)が
交差してるって気がして、それが個人的には気に入らなかった。
夫婦のこと、高齢出産やそれに伴うリスク、子を亡くす悲しみ……
それだけでも重たいテーマなのに、施設の問題と絡めるのはどうなんだろうな。
個別に描いて、問題提起してほしいな、と感じました。
なんか、救いがないんですよね、この映画。つらくなるだけ。
なぜさとくん?
森の中に隠されて存在するかのような重度障害者施設。
そこで以前勤務していた元職員が、神の代わりに自分がと話せない意思の疎通ができない入所者を殺害した事件。
元々からあった障害者への差別意識、
自身の彼女とは一線を画し意思の無い者は人でない考え、
大麻等麻薬により精神に異常を来たしていた、
日常の勤務からの凄惨な状況からの不安定な心理状態、
同僚からのイジメ、がひき起こしたのだろうか?
話せない意思を持たない者は人ではないのか⁉️
対比なのか、
同僚洋子は大震災をテーマにした小説で世に出ながら
その後作品が書けなくなっている。
小説が売れないからと障害者施設に勤めに来た。
ここの理由が判然としないが。
夫昌平と二人暮らし、
息子翔一を低酸素脳症で3歳で失ってしまい
夫婦共にその傷あとが癒えていない。
この息子も何も話せなかった。
また洋子は妊娠しているが産むことに躊躇っている。
出産前検査を受けるかどうかも考えている。
堕ろすという出産前の胎児を亡き者にすることも、
殺人と同じことだと、
出産前検査で障害等が見つかったから産まない選択と
何ら変わりはない、と言われていたような。
施設の同僚さとくんは絵が上手くて紙芝居を作り話すが、
臭くて汚いモノをなくそうと言い、
ラストに お爺さんが犬を殺す 設定にしていたが、
🌸花咲か爺さんの話、どうだったかな?
このさとくん、🇯🇵の死刑の際の絶命の様子にも詳しい。
犯人役だなとわかった。
入所者に虐待もしさとくんを虐めて来る同僚なんかは
ある意味チャランポランでコイツらじゃない。
とても自分でこれが正しいと言える言葉が見つからない。
きーくんの母が泣き叫んでいたこともほんとなら
多分亡くなった方にショックを受けてないところも
あるのだろうなあ。
子供さん葬儀後の焼き場のショック‼️
大人子供に関わらず辛い瞬間。
ましてやこの子胃ろうだったとか。楽しみって何だったのか。
ちょっと難しすぎて
この事件はニュースでも大々的に報じられたから覚えている。 「障害者...
嘘だらけの世界の中で、誤った真実に染まる時・・・
実際に起こった犯罪を基に作られた作品、結構見ます。こんな事言うと、危ない人に思われるかもしれないけど、好きなんだからしょうがない。
まぁ、あくまでエンターテイメントとして楽しんでいるんですが、本作品は予想をはるかに超えてました。 何度も見たいって思う作品じゃないけど、面白かった。そして、考えさせられます。ズッシ〜〜ンって感じで、胸が苦しくなって、思いっ切り疲れました。
森の奥にある重度障がい者の施設で働くこととなった元人気作家の堂島洋子(宮沢りえ)。さとくん(磯村勇斗)や陽子(二階堂ふみ)という同僚と出会い、様々な障がいを持つ人達に触れる事で、自分の中の何かが変わっていくのを感じる。
しかし、それに併せ、この重度障がい者施設には、表に出てこない暗部があった・・・
宮沢さんを始めとする豪華で芸達者な役者陣に圧倒されます。
ちょっとしか出てきませんが高畑さんの一言に泣かされました。
【ネタバレ】
とにかく、磯村さんの壊れっぷりが凄まじい。元々、彼が殺人鬼?を演じるって事で、ホラー感覚で見始めたんだけど、とんでもない誤算でした。確かに血塗れにはなりますが、直接的な描写はなかったんじゃないかな。だから尚更、そこに行き着くまでの過程が恐ろしい。
最初から、ちょっと変わった雰囲気を漂わせてはいたんだけど、軟禁されていた障がい者を見た途端、キレちゃった。
話が出来ないという事は、心が無いということで、ヒトとして認められない。ヒトでない者は生きている資格がないから、この世から消してしまおう・・・
この考えに固執されていく。
精神科で治療を受けたみたいだけど、思想が変わることはない。自分は正しいと思い込んでいる。
周りにおかしな人ばかりいると、普通でいる自分を変だと感じてしまうこともあるらしい。
障がい者に対しては、自分も恐怖を感じることがある。身の周りにいるわけではないが、同じ電車に乗る時など近づかないようにしてしまう。やはり、何を考えているのか解らないのは、自分の思いも伝わらないと感じてしまい、何をされるかわからないという偏見を持ってしまう。
だからって、即排除とまではいかないが、違う目で見てしまうという事は否定できない・・・
そんな自分を恥じながらも、どうしようもない虚無感に落ち込んだ一本でした。
生きていて良かった
「茜色に焼かれる」は親子の再生物語、「愛にイナズマ」は家族の再生物語、そしてこの「月」は夫婦の再生物語にしたかったのかもしれませんが、全編に描かれている暗くて冷たい重度障がい(障害ではない)者施設での目を覆うほどの蛮行が途轍もない虚しさ、やるせなさを作り、
夫婦の小さな幸せのエピソードをかき消してしまいそうになる。
それでも私は夫婦の回転寿司での馴れ初めや、オダギリジョーが小さな映画祭で賞をとって「生きていて良かった」と言い嬉し涙を流す宮沢りえが好きだ。
磯村勇斗が勝手(共感するなどゼロ)に選別し、死に至らしめた「きーちゃん」だって、宮沢りえが優しく語りかけてくれた時、声には出せないが、きっと「心」の中で「生きていて良かった」と思ったと思う。
「心」がない人などいないと思いたい。
心身共に調子が良いときに観ましょう
覚悟して観ましたが…
題材となった事件はリアルタイムで知っていたし、周りに障害者福祉施設で働く方もいます。
なので、心して鑑賞に臨みました。
とにかく最初の方から
「嘘」だらけの会話が怖くて怖くて。
特に
「あなたには話せるような気がする」
いやいや、それはダメでしょう…とか。
144分の中には、いろんなテーマが提示されていました。
その感想はそれぞれがそれぞれに違うような気がします。
シンプルに私が思ったことは
人間という生き物は決して特別ではないのだな
っていうことでした。
高畑淳子さんが最後、
全てかっさらっていったような気もしました。
タイトルなし(ネタバレ)
UNEXTで鑑賞🎥
すごく胸が痛くなる映画でした。
実話の事件を元にした映画で
だからといって殺していいわけでは
ないけどなあ。
終始暗かったです🥲
問題の外からみているものをみていた
エピソードが多すぎる。本題を誤魔化しているようにしかみえない。施設の職員や利用者のエピソードがあってほしかった。障害者の方を出演させたからOKじゃない。そもそも職員が近寄ったことがない部屋の利用者さんってなんなの?放置とかないでしよ??初めて行きますって何??ファンタジーなの?
小説を書いている人の話とかはこの映画では本当にどうでもいい。
だいたい主要人物の周りの人が嫌な人すぎない?同じ職場の人とか、あんな人いるの?? リアリティがなさすぎる。映画ってそういうもん?映画によってはアリだけど、この場合はなしだと思います。なんであんな嫌な人なのかの理由づけがほしい。
こんな中途半端につくらないでほしかった。
とても腹が立ちました。
自分が被害者になるということを考えて観てほしい映画
私は学生の時からボランティアで重度障がい者の方の介護をしており、
毎日一緒に過ごしただけでなく、学校から帰ってからも近所の重度障がい者の方のお世話をしたり、
大人になってからも老人ホームや病院の介護の仕事に関わったこともあります。
要介護になると喋れなく手足口と全身硬直の利用者さんで食事排泄諸々全て手伝わなければいけません。
水分は全てとろみをつけておかずは全て細かく刻んで火傷をしないようにフーフーして、ゆっくりあげます。
力が強い方だと何度も殴られたり噛まれたりしましたが、
なりたくて障がいになったのでは無いし、
私はやり返したりしませんでした。
なのでその人達を殴ったりする人がいるというのを見た事が無かったので、そういう人もいるのだとびっくりしました。
障害者という属性を理由にした殺人は、憎悪犯罪です。
そういう属性を持っている人は誰でも対象にするという酷い犯罪であり、
殺人はいけないけど、考え方は分からなくもない」とネット上で平気で言う人々もいたり、障害者団体などが「誰の命も大切だ」と意見を公表すると冷笑する人たちがいたり、植松被告に同調するような人が見られるのは
理由があれば人を殺して良いと考えている人が多いということであり、その事実が一番恐ろしいです。
植松死刑囚は
世の中に役に立たないと思った人を狙った。
つまり、今障害を持つ人だけじゃなくて、
私たちがこれから交通事故に遭って動けなくなったり、
年を取って寝たきりになったりしたら
全員殺害すべきだという主張です。
限られた人を狙ったものじゃなくて、
「誰でも役に立たなくなったら殺害すべきだ」というのが植松死刑囚の考え方なのです。
「考え方は分かる」と言う人は、自分が被害者になるということを考えていないから、言えるのだと思うのです。
神奈川県相模原市の障害者施設に元職員の男が侵入して45人を殺傷した「津久井やまゆり園事件」
を元にした映画
重くてズーン 考え込んでしまう映画
何の予備知識もなく見たのですが、かなり重い作品でした。
それだけなく、観る者を突き詰めるような「問いかけ」があり、とても苦しかったです。
映画というのは、万人とは言えなくとも、皆に「感動」、「衝撃」、「感慨」、「伝達」等を投げかけるものが多いのですが、この作品は、そんな紋切り型が決まったものではありませんでした。ラストになって、夫婦の再出発という予感が多少見えても、「救い」が見えてきたわけではありません。
2016年に起きた相模原殺傷事件。
津久井やまゆり園事件がモチーフになっていますが、映画はあくまでもフィクションです。
しかし、監督が投げかけてくるものが苦い現実というか、誰でも心に秘めている「見て見ぬふり」「他人事」「差別感」、これをどう説明したらいいのかと、映画を観たあと、考え込んでしまいました。
さと君が洋子(宮沢りえ)にいいます。
「僕は洋子さんと同じ考えです」
洋子が妊娠して、「子供に異常が見つかった場合、中絶を」と悩んでいるのだから、「無駄なものは排除しないといけない」という考えは洋子と同じというのだ。
かなり偏った言い分でもあると捉えられますが、もしも、私自身が同じ立場にあってそんな言葉を投げかけられたら、やはり考え込んでしまいますし、どんな言葉で返事をすればよいのか。
映画を観る数ヶ月前に、たまたま、知人と「障害者に対する強制不妊手術」について、少し語り合ったことがあります。そのとき、少し調べたのですが、1948年から1996年までは、「旧優生保護法」というものが存在しました。つまり、「不良な子孫の出生を防止する」ために、精神障害や知的障害などを理由に本人の同意なく強制的に不妊手術を行うことを国が認めていました。
そのことの賛否についてはここでは触れませんが、戦前からこうした「産児制限運動」を主導していた知識人の一人に「太田典礼」という医者がおりました。その人の主張とさと君の主張が似通っているのにはびっくりしました。(太田典礼は『安楽死のすすめ』という本を出し、避妊具リングを開発した人です)
太田典礼は「もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である」と言い切っていますし、また、「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない」とも言っているのです。
さと君の「心がないなら人間ではない」という主張は、意味はわかっても、とうてい理解納得できるものではありませんが、太田典礼という医者であれ、さと君であれ、今後、同じようなことを主張する人が出てくる可能性は否定できません。
命の尊厳、生命の尊さって、一体、何だろう。
ただのむごたらしい殺傷事件を再現しただけの映画ではないことは間違いないですが、美辞麗句と言われようと、「生きているだけで愛」も否定したくない自分がいます。
違う意味で社会風刺映画
希望と絶望
十人十色を感じすぎる映画です。
捉え方考え方受け取り方って本当に人と人は違うなと。
苦しいお話ですが現実にたくさんある話なのだろうなと思ってしまいます。
正義ってなんでしょうね。正解ってなんですかね。
あなたも俺なのでは?その問いに、私はすぐにNoが言えない。
苦しい映画だった。あなたはほんとうは重度の障害者にいなくなって欲しいと思っているのではないか?問いは、質問者と回答者の立場を何度も逆転させながら、映画を観る私に、繰り返し突きつけられる。多くの人が答えに詰まる瞬間を味わうはずだ。
題材となった2016年7月の「相模原障害者施設殺傷事件」を調べてみる。死刑囚となった実在の人物と、劇中で事件を引き起こす人物と、否応なく巻き込まれる登場人物たちと、それを安全な場所から観ている私たちとの間を、問いが串刺しにする。あなたはどうなんだ?ほんとうか?嘘をつかずに答えてくれないか?あなたも俺なのでは?
石井裕也監督が宮沢りえに与えた原作にはない役割が、磯村勇斗の「さとくん」と二階堂ふみの「ようこ」が繰り返し突きつける「問い」を、さらにリアルで説得力あるものにしていた。
映画を見たあとに、Wikipediaで実際の事件直後にどんな議論が巻き起こったのかを調べると、多くの人がその問いにまともに答えられなかったことがよく分かる。
苦しい映画だったが、かすかに希望も読み取れた。それが救いだった。
伝える本質
善と悪。こういう作品もあって良い。
モチーフにされた事件を知った時、私の第一声は「ははっ、ぶっ飛んだやつがいるなぁ!」だった。詳細を知った後も「へぇー」って感じだった。何ならまだ若い犯人の人生が終了してしてしまった事に同情さえした。
自分はさとくん側の思考だった。だから彼の言わんとする事が理解できるし共感もできた。
でも実際それを口に出しちゃいけない・行動を起しちゃいけないよね、という正常さもある。そこが彼との違い。でも、もしゲームの世界なら罪にならないから同じ事をしていると思う。
少なくとも私は大切な人生を、彼のようにこんな事で棒に振るような事はしない。知らん顔してスルーができる。
遺族や関係者の気持ちも分からない。なぜなら私には遠い世界の話だから。もちろんある程度想像はできるが、無理に共感する必要性も感じない。そこはしたい人だけがすればいい。
ま、その辺は各々考え方が違うから何でも良いですけどね。考え方は人それぞれです。
監督さんも勇気を出したな、と思った。内容が内容なだけに相当な覚悟を要したと思う。オファーを受けた演者の方にも称賛を送りたい。
「問題作だ!」と批判する事は簡単。内容からして世間の大半がそう思うだろう。
なら観るなw
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