月のレビュー・感想・評価
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優生思想の垂れ流し
初めに言っておきたいのは、この映画は、植松聖をモデルにした人物の歪んだ思想をセリフで延々と垂れ流す一方、それに対抗する言葉を見出しえないまま終わるという点で、殺人犯への共感を呼び起こしたり、差別思想を広めたりしかねない作品になってしまっているということです。
ハンセン病差別を扱いながら理不尽な差別にむしろ乗っかってしまった「砂の器」と同じ誤りを犯しているのではないでしょうか。
また、作中の殺人犯の言う「必要のない人」を、才能がなく夢が叶わないので生きている意味を見出せないでいる人と同列であるかのように描いていますが、両者はまったく違う次元の話ではないですか?
演技陣はよかったので二つ星にしますが、いまも優生思想は確実に存在して、それと知らずに染まっている人がたくさんいます。
たとえば、裁判が続々と起きている旧優生保護法による不妊手術を「子どもを育てることのできない人のためのやむを得ない処置」だと強弁する形で、思い切り優生思想を擁護している人がごまんといます。
その現状を踏まえてなお、これが「本当の現実を見ようとした作品」と言えるのかどうか。私はそうは思えませんでした。
障害者支援施設で働いてます。
高齢者介護施設、障害者支援施設の利用者様には、我が家にはかないませんが、我が家のような環境で、家族のように寄り添いながら、介護支援に心がけて働いています。施設で働く職員へのケア、メンタルヘルスが十分に行われず、職員は精神的にも追い詰められている事も多々あります。
映画『月』にあるように、この様な施設の存在を、多くの皆さんに知って欲しいと思います。障害があろうがなかろうが隔てなく生きていける地域(世界)を望みます。
全編にわたってこんなにも台詞の一言一言が胸に刺さる映画があっただろうか。
封切前から期待していた映画、だが賛否両論の嵐。
難しいテーマ、題材だけに予想していたが個人的には映画の役割りって娯楽でもあったりするけど社会の問題を皆に考えさせるきっかけにすることも担ってると思っている。
あの凄惨な事件を題材としてると言うが、この映画がなかったとしてあの事件を覚えてる国民がどれだけいるだろうか?
人は誰しも大なり小なり問題を抱え悩みながらも幸せに暮らしてる事が大半でしょう、けれど宮沢りえ夫婦や高畑淳子が演じたものにとっては、そんな大半の平凡に暮らす人の影に隠れてつらい思いを抱えて生きている。
そんな一面には目を背けて、出来れば関わらずに生きて行きたいと思うのが普通の社会において、少しでも考えて欲しいというところだろうか。
たまたまモチーフが障害者を隔離する施設において行われてること、そこから殺人事件に至る事ではあったが、他にもこのような見て見ぬ振りや表沙汰にはされていない、否、あえて出さない事がいくらでもあって、一般的普通に暮らす人達、また既得権益のために都合好く悪事を揉み消す権力者や企業など、我々が知らないところ、知ろうとしないところで行われてるということがあるんだと警鐘を鳴らしたのだろうか。
そんな難しく取り上げようとしない問題を取り上げて作品にしたスタッフには敬意を評したい、また演者の台詞のひとつひとつが本当に重い、観るものに問いかけているかの如く一言たりとも聴き逃してはいけないとさえ思う素晴らしい脚本でした。
それを演じた役者さん達すべてが本当に素晴らしく、俳優さん達がこの重く難しいテーマの映画に真摯に取り組んたのがわかります。
磯村勇斗と宮沢りえの掛け合いのシーン、二階堂ふみの酔いに任せて話すシーンなどすべてが我々にも語り掛けてるようであった。
高畑淳子演じる障害者を子に持つ当事者がこの映画を観てどう感じるのか気になるところです。
解決不能な問題提起?
中途半端な思いと観るべきではなかったという後悔が押し寄せる作品でした。相当の覚悟を持って観る勇気を試される?必要があるかどうか、私的には微妙で作り手の思いや意図が理解不能でした。
残念😢
113
悪臭は精神を蝕む
洋子が小説執筆を再開したときの、小説の冒頭があまりにもありきたりで陳腐、上っ面だけの文言で、これを良しとする程度の映画か、とがっかりした。
だがさとくんと対決した場面の洋子の脳内独白でそっくり覆って、そこからちゃんと見た。
堂島夫妻が、お互いに気を使いすぎ、緊張感できりきりしていて、観ていて疲れる。
オダギリジョーの夫は観た限り優しい人だが、感情を溜め込んで爆発しそうな危うい雰囲気があって(3年も働かないでシュミに没頭させてもらってる後ろめたさから?)、私には二人がなんか居心地悪い、気持ち悪い夫婦に見えた。
夫婦の再生を描きたかったのかもだが、無駄に尺とってるようで思い切って端折っても十分伝えられたのではないかと思う。夫婦のパートの比重はもっと小さくて良いです。
「成功者」の洋子と、埋もれたままで鬱屈のある陽子とさとくん、汚いものにあっさり蓋できる洋子と、向き合ってしまう陽子とさとくん、両者の対比が常にある。
陽子とさとくんの周囲には「汚いもの」しかない。
さとくんは「がんばれ、もっとがんばれ」と自分を叱咤激励して逃げ道を許さずそれらに向き合う。
全部に向き合って我が事にしたら人として崩壊しますよ、全部は背負いきれないし、しなくて良い。神ではないから。
汚いもの全部を我が事として背負い込むさとくんは、ある意味神のような性質なのかも。
生きていい人殺していい人を「自分が」選別するという、人の分限を遥かに超える発想をするのはそれ故か。
施設の同僚たちはクズだが、利用者のことは他人事と割り切って自身の心身を守っているとも言えると思う。
陽子は、他人を「問題に向き合っていない」と非難するが、自分はそうではない、と上から目線のマウンティングのようだ。彼女は嘘をついたりマウンティングしたり飲酒して管巻いたり、自分をごまかし逃げ道を許しているので、極限まで思い詰めることはないと思う。
さとくんはなぜ凶行に及んだのか
原因と考えられるものはいくつも提示されているが、映画として特定し、そこに誘導しないのが良い。
個人的に、さとくんがよく指摘していた「臭い」が、結構な引き金ではと思う。
悪臭は精神を蝕む。鼻につくのでいつまでも記憶に残って何かにつけ蘇ってくるし。
綺麗事とリアルで決定的に違うのは「臭い」だ。
施設の、労働環境が劣悪すぎる。介護職一般、低賃金で重労働、なのに尊敬どころか蔑まれたりする仕事。こんな環境も凶行を引き起こす大きな要因でしょう、職員が入所者を虐待する気持ちも責められない。
例えば同僚が言うようにさとくんが「教師にでもなっていたら」こんな事件は起きなかったはず。
重度の障害者を抹殺することと障害児の堕胎はどう違うのか
どこかのナチが言った、ホロコーストは、ウィルスの駆除と同じではないか
こんな問いについて、おそらくほとんどの人が、線引きの基準を持っているが敢えてあからさまにしない。自分の設定した基準が正しいと言い切れないことを知っているから。
暗黙の了解ということでぼやかしておくと思う。
磯村勇斗がとても良い、というか凄い。
さすがに五代雄介は言わないけど、磯村くんはまだ「アラン」とか呼んでしまいそう。
アランだからとことん向き合っちゃうのかも
モヤモヤ
『舟を編む』の石井裕也監督だけあって、間や演技力を使い、セリフ過多にしない演出はよかったです。
役者陣の演技も素晴らしかった。
しかし、複雑かついろんな感情が同時に芽生える、異様な作品でした。
まだ関係者の記憶も生々しい今の段階で、(時代を切り取る意図の)小説はともかく、目に見える「映像作品(映画)にするなよ」という否定的な気持ちと。
「テレビじゃ踏み込めない心情表現をここまで踏み込んだ」上で、問題提起したことに対する賞賛に似た気持ちと。
(さらに、後述しますが、なんだか気持ちを弄ばれたような不快感も)
まず否定的に感じた要素として、いくら創作小説を原作にしたとはいえ、題材は露骨に2016年の「相模原障害者施設やまゆり園殺傷事件」です。
なにしろ作中の犯行日時が、実際の事件と同じ2016年7月26日未明ですから。
犯人の愛称が、実際の犯人の名をもじったものですし。
ナチスは悪と言いながら、優生思想そのものの犯人の思考。
社会的生産性を有さず、自らの意思を他人に伝達する能力がない障害者を、独善的かつ主観のみで生かしていいか、心があるか、と決めつけ選別し、「効率的」に処理する。
その異常さを見せつけられて、胸糞が悪かった。
一方で、誰の心の中にも、無意識に差別的な意識は存在するので、その心のありようや生き方を選ぶのは自分自身なんだということを見せることは社会のためにも必要で。
原作小説は、身体を目ひとつ動かせない入所者「きーちゃん」と、犯人の一人称で、「心があるって何なのか」を問うような内容なのだが…映画だとモノローグだらけで映像に向かないので、元作家の洋子(宮沢りえ)を設定していました。
このキャラの内面を描くことで、犯人の心理を肯定する気持ちと、許さない・許されないという気持ちの両方が誰にでもあると見せたのは、大いに意義はあると思いもしました。
特にラスト近く、洋子の自問自答のシーン(宮沢りえの演技)は圧巻でありました。
同時に障害者施設の職員たちがいかに心を病んでいくかを描写していて、社会そのもの(および国の在り方)に病理の根源があることを指摘していたのは重要。
とはいえ、(追い詰められているのはわかるが)職員たちが入所者たちへ虐待を恒常的に行うのは、ある意味仕方なく、悪者のように描くと受け取れもしました。
こんなに忍耐とプロ意識が必要な、精神的にきつい仕事に、非正規雇用のパートをあて、正規雇用でも月手取り17万程度の低賃金、だれからも感謝されず、家族も見舞いに来ないで評価もされない……
というご指摘はごもっともではあるが。
それは全国の同様の施設に勤務する人々に対する侮辱ではないのかとも感じ、腹が立ちました。
この点が最も手放しで褒められず、私の中にはこの作品を否定したい気持ちが生まれた原因だと思いました。
そのほかに、不快感を生んだ正体はいくつか心当たりが。
自分の中の差別意識へスポットライトをあてられたからかもしれませんし。
もしくは、こんな気持ちが制作側の掌で転がされたから生まれた気もして、作り手側の「俺たち頭いいんだぜ」みたいな癇に障るこざかしさを感じ取れてしまったのかもしれない(これは故・河村光庸氏の企画・プロデュース作全部から匂ってくる共通点ではあります)……と冷静に分析してはいますが。
なんかこう、一言で言い表せません。
あえてまとめるなら「モヤモヤした」かな。
改善策はあるのだろうか
障害者に限らず介護施設に従事する人には、想像しても頭が下がる。言葉が通じない相手は本当に忍耐がいると思う。淡々と仕事をこなしたらジレンマは生まれないのかもしれないが、でも相手は人だし何かしら情は生じる。介護士のケアも必要。こんな事件が起きないよう願う。
重い。ただひたすら重い…そして辛い。
おそらく例の悲惨な事件がモチーフになっていると思いますが、それはあくまでモチーフであり、施設における職員の言動を含めてフィクションだと認識しています。
ただ、あのような障がい者や高齢者の施設には往々にしてありがちな事も実体験として持っています。あれほど虐待されたわけではないけど、あの母親の「(虐待は)分かっていますけど、でもここに預けるしかしょうがないんです」という台詞はとてもよく理解できます。
だから「見たくないものを見ないようにしている」という言葉は辛いです。その通りなのですから。
映画の話に戻ります。
登場人物はみんなどこかしら壊れかけています。犯人だけでなく、あの夫婦も、施設の所長や職員たちも、ビル警備員も、、、
でも、それを許容せざるを得ないと自分を誤魔化していかないと、生きていけないから。
とにかく、重くて、そして辛い映画でした。
凶行を「理解できる」という危うさと「理解できない」という他人事。。それよりもむしろ。
「映画は、匂いを表現できない」
表現者のメッセージを受けた個人的な感想は一見大事なようで、結構どうでもいいことだった。
「挑戦を続ける監督」という謳い文句や、所謂「社会派」とか実際の猟奇犯罪をベースに、、などというセンセーナショナルななにかを期待するなら、評価は低いものになるだろう。しかし、そういった好奇心そのものが命に対する冒涜である。
きっと監督は途中で気づいたんじゃないか?
リアリティーを追求することの放棄こそ重要だと。
折しも中東での混乱の直後の公開はとても示唆的である。本当の暴力から遠くはなれた安全地帯から見下ろして批評するという傲慢さ足りうる。
自分は、この事件の責任は、あくまでも「個人」の犯行だとする。イデオロギーに支配されほころび探しの論理に囚われ「盲信」に陥った「個人」の犯罪だと思っている。
ただし、身体感覚の伴わない「死」や「暴力」が画面の向こうにあり、情報に溢れた「脳化」社会でロゴスに囚われた状況は誰にでもありえる。実際に行動するには勿論環境要因が伴うだろう。しかし凶行を「わかる気がする」とか「せっかくの才能が何故?」などと「理解しようとする」ことこそが、地獄への入り口だとしておく。
だってそれって、ただの好奇心ですよね?
誰もが陥りやすい評論社会。まさにイマココ(レビュー)の状況である。
逆に「こんなひどいことするなんて!信じられない❗」と自分とは一切に関わりがないと文字通り「汚物」に蓋をして想像を放棄する無責任を問うのが映画の主旨である。
その上で、この映画は社会を問う問題作としてではなく、ゾーンとしての感情を扱う映画として上質だと訴えたい。
私自身、ミステリー好きが高じて作品からなにかを読み取ろう、映画の醍醐味は考察にあり、などと一興に高じていた自分の愚かさに恥ずかしさを隠せない。だからこそ犯行そのものを主軸に添えず、平行した一つの結果とした作り手の良心に安堵した。
派手でも斬新でもなく、心象の揺れに効果的なカメラ運び、陰影、役割それぞれ演技の熱量バランス、「リアリティ」と「想像性」など、表現に対する作り手の真剣な態度を感じ取った。
扱ったテーマだけに事件そのものに触れずにはいられないが、筋そのものは難解ではない。しかし作り手の想いを「わかろう」とするのは容易ではない。「映画」としての味わい深さは、真剣に見るほど個々人それぞれの感想のグラデーションが浮き出るような奥行きのある仕上がりとなっていると思う。
物語の根幹には「汚れ」がある。「穢れ」ととるとイデオロギー臭くなるが、そのような気高いものでもない。
美しくもなく逆に過剰にえげつなくもない映像が「そこはかとない良心」を感じる所以だ。表情や台詞や声の調子、小道具を深く味わうべきだと思う。
そうすることで「謎解き」や「考察」に興じている自分の愚かさに気づく。
裏返して言えば、ミステリー好きこそ見るべき映画なのだ。がっかりするか内なる何かに気づくかで、人間を計られているとすら思う。
もし、収容された人たちを見て「目を背けたくなるのなら」なにも言わずに席を立って家でゆっくりワインでも飲んでいなさい。きれいなものだけを見て暮らせばよい。
もし、映像に「刺激の物足りなさ」を感じたなら、自分も病院に行く側足りえることを自覚しなさい。
と、ここまで散々不要な前置きをして、少しだけ感想を書く。
夫婦の物語である。
子どもを失って、横に並んで食事する二人の表現者は「同じ方向を向いて」もしくは「寄り添いながら」生きていこうとした。世にいうフランススタイルか。
(私は、夫婦は同じ立ち位置ではなく別の個人、平行線じゃなく、互いに補完し合うものだと思う。ただ、それができるのは間に子どもがいるからだ。などというと働く女性からはお叱りを受けるのだろう。)
対照的にラストでは、回転寿司店で「互いに向き合って」生きていくことを決意する二人に届くニュース。
絶望でも希望でもない。月と太陽が互いを照らして生きていく決意と深い闇。
ただ互いを見つめて「生きる」だけ。
「死ぬ」のは一度だけ。
実際に身近な死を見たり聞いたりもしないうちから
「人が死ぬってあっけないもんだよ。そんなに知りたいなら試しに死んでごらんよ。」
と知ったようなことを聞いて死んでいく子どもが増えているのかもしれない。
演出について。
「さとくん」の俳優は、変な色気を出さず真摯に役に向き合っていた。
ギラギラせず、冷徹でもなく、ただ観念と思い込みと想像力と偏った知識に飲み込まれただけ。ストイックに、嫌みなく、共感を呼び起こそうとせず、演じていた。
若かりし頃のはつらつとした宮沢りえから記憶が止まっている自分としては、主人公の「後ろめたさ」よく表していたと思う。場面によって、痩せこけた初老のようにも、洗練された少女のようにも見え、やがてそれこそトリアー作品の魔女狩りの主人公を体現していた。
若い頃から渋くてカッコいいイメージのオダギリジョーはシリアスどころか能天気に登場したが無論苦悩を背負っていないわけでもない。カッコよくない善人としての演技に好感をもった。
二階堂ふみも安定の振り幅のある演技で惹き付けられた。
さとくんの彼女のソフィーぶりは誰もが見逃さないよね。
(オマケみたいに書いた。)
人、命、心、、、愛
長女が産まれた時、看護師さんの「五体満足ですよ。」の声に自然と涙が溢れた。
大病をしたことがなく、仕事も休んだことがない。ある年配の方に「丈夫な身体に産んでもらって親に感謝しなよ。」と言われて、素直に感謝した。
ある時、障害がある子どものドキュメンタリー番組を見ていて、複雑な気持ちになったことがある。
答えは出ない。出せない。
表現に賛否はあろう。
メイン・キャストとスタッフがそれぞれ最高の仕事でこの作品を世に出してくれたことに敬意を表すとともに感謝したい。
宮沢りえとオダギリ・ジョー演じる夫婦の愛の物語としてもう一度観たい。
俳優ってしんどいだろうな。
「Gメン」や「ゆとりですがなにか」で俳優さんたちがいきいきと楽しそうに演じてるのが解る気がする。
宮沢りえと磯村勇斗はこの辺で一度はっちゃけた役でリフレッシュした方がいいんじゃないかと、心配になるほど役に入り込んでいた。鬼気迫るものがあった。
追記
宮沢りえが主演でなかったら観ていなかっただろうし、
オダギリ・ジョーでなかったらただただ暗い物語になってただろうし、
磯村勇斗でなかったら嫌な映画になってただろうと思う。
あらためて素晴らしい俳優さんたちなんだと思った。
モチーフとしての大量殺人犯、舞台装置としての恋人
原作未読です。
前半のさとくんの紙芝居のくだりや、施設長へ意見するなどの真面目な青年像と、大麻や刺青、金髪などの嗜好がキャラクターとして重ならず、違和感がありました。
観賞後、気になって事件記録を読み、実際の犯人に寄せた結果だとわかりましたが、無理に寄せない方が良かったのではないでしょうか?
犯行動機の安直な優生思想を観客に投げ掛ける崇高なテーマにしてしまったのはモヤモヤします。
聾唖者の恋人の存在はコミュニケーションの可否を犠牲者の選別に用いた犯人の身勝手さを際立たせる装置となっていました。フィクションに舵を切るのなら、普通の感覚の持ち主が、異常な思考に落ちていく過程を描いた方が良かったと思いますが、宅飲みシーンの異様さに「元々おかしな人だな」と印象づけられてしまいましたし、陽子の深酒発言が隣にいることで「ヤバイ人ばかりの職場だな」と思わされてしまったのも残念です。
俳優の皆さんの演技が素晴らしかっただけに、現実に引きずられてしまった設定が惜しいと思いました。
ハリボテの月
別名『ロストケア2』。
個人的にはまったく合わなかった。
登場人物全員が、「そんなこと言う!?」という台詞を連発してリアリティがない。
不穏感を煽るためか家も施設もいちいち不自然に暗い。
わざわざ爆音の店で愚痴を言ったり、逆に最後の回転寿司屋では有線すらかかっておらず、無音。
冒頭の文字演出からはじまり、すべて台詞で説明。(さとくんの彼女はさとくんに喋らせるのが役割の大半)
モブが丁度いいとこで丁度いい単語をわざとらしく話す。
洋子がもう一人の自分に言われた台詞は正鵠を射てたように感じたのに、何事もなく執筆を継続。
さとくんが事を起こすのにわざわざ白っぽい上着を着てるのも、血を際立たせるためだろう。
などなど、題材としては重いものではあるが台詞も演出もあざとすぎて響かず…
劇中で、洋子の小説は綺麗なところしか書いてないと言われるが、本作はその逆に感じた。
「こんなに昏いところまで描いているんですよ」という作為が見えて鼻白んでしまう。
そのくせ介護・介助のシーンは少なく、洋子がきーちゃんを特別視する様子も薄かった。
役者陣の演技は良かった。
特に情けなく子供っぽい昌平を演じたオダギリジョーは素晴らしかったと思う。
あなたは、あの犯人と何が違いますか?
望ましい現実と、望まない現実。その端境に何があると思います?。
先日「アンダーカレント」を観て、家族を大切にしようと思いましたが、その一方で、老いて身の回りのことができなくなった親の手を引いていると、これがいつまで続くのかしらと思う私です。
少しネタバレしますが、泣きながら人の道を説く洋子師匠と、それを冷静に見つめる、もう1人の洋子師匠…。全くもって泣きたいのは、私のほうです。だって世の中、イヤなもの、見たくないもの沢山ありますけど、一番見たくないのは、自分の本心だよね。映画は二時間半で終わるけど、私の生涯、まだ終わらないのよ。この先、もう1人の自分と対話しながら過ごす羽目になりそう。
そう思うと、もう一度観るのはキツイ映画です。でもだからこそ、一度、キッチリ観ることをお勧めします。2倍速できない劇場でね。
どんな理由があろうとも、ヒトは生きる。格好良く死ぬことより、最期まで生ききることが格好いい。だとしたら、他者がそれを阻害する、この世界は…。
ところで…
あなたは、あの犯人と何が違いますか?。
この映画、新聞の解説に、そう記されていました。何が違うのかしら。私の正義感は、私を何処に連れて行くのかしら。
「オーバーフェンス」
月は、世界をほんのり照らすだけでなく、ヒトの心の闇まで照らすようですが、どん詰まりな世界でも、フェンスの先には何かある。そう思わせてくれるのが、本作。併せご覧下さい。
やまゆり園をモチーフにする必要があった⁈
夫婦、家族の話が主軸にあって、やまゆり園を題材とする必要があったのだろうか、、「事実に基づく」とは銘打っていないのであくまでフィクションとして製作されているのだけど。心を痛める関係者が多すぎると思う。
誰しもの問題を誰しもが逃げるから先が見えない
石井裕也監督、宮沢りえ主演(ひょっとすると磯村勇斗が主演?)の、実際に起きた障害者殺傷事件をモチーフにした小説の映画化で、原作は未読です。
この事件は「PLAN 75」の冒頭にも似たような事件をモチーフにしていましたが、作品の方向性は全く違っていました。
YOU TUBEの舞台挨拶で宮沢りえが「賛否が出る作品だと思うが観て欲しい」と述べていましたが、見る人は最低限上記の“実際に起きた事件をモチーフとした小説の映画化”だという位の予備知識は頭に入れての鑑賞した方が良いと思われます。
そして、そうではなく全く予備知識なしで見た(若しくは見せられた)人の否定論は無視しても構わないと、個人的には思っています。
それと“賛否”と言うより、この映画の場合は映画そのものよりも現実に起きている事件そのものの“可否”、“良否”、“善悪”を観客に問いかけている作品であり、いくら否定しても現実社会では実際に起きてしまっている事に対する問題提起でもあるので、そちらの言葉の方が適切な様に思えました。
更には、本作はあくまでも小説の映画化で(原作は未読だが)本作の主要登場人物は完全に創作された人物であって、現実とは全く違う架空の人物だという事も忘れず前提として見るべき作品だと思いました。
何故なら、多くの否定派のレビューには現実の事件や加害者を物語と混同している発言が目立ちましたからね。
ここからは個人的な話ですが、私は障害者と暮らした経験はありませんが老母との二人暮らしで、95歳と68歳が一緒に日常生活を送るのには(お互いにでしょうが)意思の疎通だけでもままならず、様々な苦労やストレスが伴います。
日々の暮らしの中で、このままだと気が狂ってしまうのではないかとまで感じてしまう時があります。母親は認知症ではありませんし、他人から見ると歳の割にはしっかりしている様にも見えます。
そういう意味では凄く恵まれている環境なのですが、それでもそのように感じてしまうしストレスも溜まってしまうというのが現実なのです。
なので、もっと酷い障害や症状を持っている人たちに対して家では面倒見れなくなった場合、どんな立派な施設であろうが、赤の他人に面倒を見て貰わなければならないという(逃れられない)現実があります。
この映画ではまるでホラー映画の様に薄暗く不気味な施設として描かれていますが、考えて(想像して)みて下さいよ。
本作の主人公であり加害者さとくんの台詞の「こんなにきつくて辛くて気が狂いそうになる仕事を月十七万円の給料でしているんだよ」って意味を政治家も国民一人一人も、もっと考えた方が良いと思いました。
正直、普段最も考えたくない項目でもあり、出来たら蓋をして見えなくしてしまいたい部分であるのはよく分かりますが、自分で思っている以上に今後の人生に誰しもがのしかかってくる問題でもある訳です。
どれだけ愛情豊かな人間だったとしても、肉親でもない重度な障害を持つ人の世話をしながら過酷すぎる仕事の中にいると人はどうなってしまうのだろう?…本作はそれを「自分には関係ない世界だ」と思っている人にこそ見て欲しくて作られたのだと思えました。どんなに逃げたくても逃げることの出来ない問題ですからね。
逆に日常で少しでもそのような日々を送っている人は逆効果の場合もありますので見ない方が良いかも知れません。
「月」ってタイトルをつけた理由は分かりませんが、球体であるのに表側しか見えないからこそ月は愛されるのでしょうね。世の中もきっとそうなんだと思いますよ。
完成度は高い
ストーリーの良し悪し、善悪の話は一旦横にして、演技や関係性の描き方は良かったと思う。
誰に感情移入できるかと言うと、わたしはオダギリさんだった。辛いことがあったなかで笑顔でいようと努めるけれど心の傷は埋まらない、そんな描写がすごく刺さった。
二階堂さんの冷酷に淡々と事実をしゃべるところはさすがの演技力。『何者』を思わせる感情の昂り方で見入ってしまう。
磯村さん、宮沢さんのやりとりは臨場感があって、尚且つ「お前はどうなんだ」というメッセージも感じて考えることがたくさんあった。
ストーリーは実際の事件の全容を詳しく知らない身としてまさに目を背けていたことに目を向けさせるためのきっかけとして成立していると思った。事実とは違う点があるのかもしれないが、0から0.1にはなっているはずだと思う。個人的な考えだけれど、事実だけならドキュメンタリーにすれば良くて、物語になっているのは入り口としては大成功だろうとおもう。
気になったのは画面を2分割する編集で、そこまで入り込めていたのが一瞬で戻された感じがしてそこが残念だった。あと月明かりは本当にあの明るさでよかったのか(作品を通しての明るさの統一感について)は色々と思うところがあった。
みんなに見てほしい映画です。
元入所施設職員として、映画館で鑑賞して、1300円のパンフレットもしっかり読みました。監督、スタッフ、俳優さんの思いがつまっていて、取材や見学、そして、入所施設での労働を通じて、障害者施設の現状に向き合う作品で、なにより、当事者が俳優として、いきいきと参加をされていて、でも、施設のリアルな実態もリアルに表現されていて、作り手の表現に驚きました。
今の日本の抱えている問題について、議論するきっかけとして、多くの人に見てほしい。議論してほしい。
実際に起きた事件に向き合い、二度と起こさないために何ができるのかを考えていきたい。
素晴らしい映画をありがとうございます。
日本社会の潜在的な歪みを写し出す。
そもそも主人公の夫婦の関係性がおかしい。
3歳で病死した息子について、お互い思いの丈をぶつけ合わない夫婦関係。
施設運営と施設従業員の思想と行動。
これらの異常性が日本社会に普通に蔓延しているという昨今。
数年前に観た映画、「帆花」とは全く正反対の映画。
「帆花」は愛に溢れ、「命」の尊さをリアルに教えてくれた。
日本社会はハラスメントで溢れきっていて、単純な解りやすい優生思想や生産性によって人の価値を決めるという事が日常茶飯事…。
相模原やまゆり園事件をモチーフに作られたという事だけど、どこで起こってもおかしくない現状に自分達は生きているのだと思った。
自ら殺人、殺戮しないにしても無言の圧力や誹謗中傷によって人を死へ追いやる事への抵抗感がない。
ジャニーズ問題が典型。
全ての内容に日本社会壊れてますよぉ❗と警鐘を流す内容。
今、ここにある命が大切。
誰もが唯一無二で、天上天下唯我独尊という事を認め合う社会が大切なのに…。
パワハラ、いじめ、監禁、差別、殺人、隠蔽、忖度、エホバの証人がキーワード
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