月のレビュー・感想・評価
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考えたくないものを見せつけてくる
私が今まで観てきた映画の中で、これ程心苦しく自分自身に刃が突き付けられるような映画はありませんでした。
自身の中の差別意識や見ない、考えないようにしてくる部分を容赦なく見せつけてきます。施設の中の残酷な現実と一見平和な、しかし各々の登場人物たちの歪みや苦しみが察せられる生活のシーンの対比が生々しいです。
障がい者とは何か?を考え、現実に起こってしまったラストのとある犯人の行動。視聴者にもあなたはどうするのか?を問いかけてきます。
ん〜
なかなか評価しずらい作品ですがわたしは観てよかった。あの事件のことも改めて調べたり考えさせられるきっかけになりました。
この作品に出演されてる全ての俳優さんはなかなか大変だっただろうなと思いますがだからこそ沢山の人に見ていただきたい。
現実?悪意?
実話を元にした作品ということだが、施設の描き方が異常に悪意を感じた。
現実というより、誘導したいのだろうか?
反面、宮沢さん、オダギリさん、磯村さん、二階堂さんの演技は真に迫っており、作品に深みを感じた。
反動が心配になるくらい。
もっと広く
見たくないものには目を背けてしまうという趣旨のセリフが出てきますが、この映画が短期間でさして話題にもならず限られた上映館で終わってしまうことが惜しまれます
障がい者の問題に正面からぶつかった映画です。事件を起こす元職員の描き方もリアルです
妄想的解釈や幻覚らしき症状もかなりリアルに描かれ、モデルになった事件の犯人と重なるところが多々あります。元職員の考えを独善的妄想的と批判するのは簡単ですが、それでは済まされないよと問いかけてきます。やや説明的なセリフもありますが、この問題の深さ、難しさを考えさせられます。
残念なのは、結局、世間はこの映画に背を向けて、見ざる、聞かざる、言わざるになるだろうなということです。この映画がヒットするような社会であってほしいです。
レビューを書いている人も内容を見ると施設の関係者や患者等の経験を持つ人が多く、関係のある人以外のコメントが少ないのです。それ以外の人に多く勧めたいのに。
私は施設の関係者ではありませんが、就いていた仕事の関係で、この映画で思い出されたのは、見学などの経験がある、特別養護老人ホーム、刑務所の保護房、家族の要望に従って監禁しているだけではないかと疑いたくなるような劣悪な私立の精神病院、障がい者施設などです。声や音、臭いも含めて。虐待をする職員も出てきますが、低賃金で、入所者に振り回され、なかなか生きがいを見出しがたい環境で待遇も悪いことからすれば、強くは責められません。最近では一番考えさせられる映画でした。
恐怖の中に垣間見える現実
津久井の障がい者施設で起こってしまった殺傷事件がモチーフの映画です。
相模原市出身者として、これから社会の障害をなくしていく者として、
見なければならない作品だと思っていました。
上記の事件がなぜ起こってしまったのかはわからないですが、原因と思われるいくつかがこの作品の中に散りばめられていたと思っています。
・施設で働く職員が、まるで障がい者を人ではないかのような扱いをする場面。
・暴れる障がい者を鍵付きの個室に監禁する場面。
・差別的な発言をする職員を、冗談だとして無視する施設長。
・働いている職員の、逃れようもない家庭の現実。
・悲しみにくれる主人公がその悲しみの答えを求めて、映画の障がい者施設で働くさま。
それらいくつかのプロットが混じり合った結果、映画の世界に引き込まれていき、
鑑賞が終わった後も、まるで現実感のないような気持ちが続きました。
振り返ってみると、過去に私が精神科の閉鎖病棟に入院した時に感じた苦しみと似ている点がいくつもあったかなと思います。
入院中は心も頭も重苦しい状態でしたが、暴れた患者が鍵付きの個室に移動されるさまを見たときは、どうしようもなく やるせない気持ちに心が覆われたものです。
そして、いつ出られますかと医師に聞いても、もう少しと言われ続け、先の見えない毎日。
これが病気なのか・病気でないのか、障がいなのか・障がいでないのか...
迷って迷って答えを決め続けた延長線上に、今の生活があります。
入院していた頃と変わらない自分の核は、障がい者と同じ、とも言えます。
ただ、安易に同じと言っては、映画で、施設長が開けるのを禁じている扉を磯村君が開けた後のワンシーンのように同調しすぎてしまう危険性があると思います。
ただ、多少誇張している部分はあるかもしれないけど、この映画で表現されたことは、経済成長ばかり追い求める社会の裏で起こっている現実に近いものだと思ってます。
だからこそ、この映画で監督が伝えたかったことを、現実を知らない多くの方に知ってほしいと願っています。
そこで知った感覚が、最後のシーンで宮沢りえ さん・オダギリジョーさんが決意したのと同じように、どうしようもない現実を変える力になると信じています。
これだけは言えます。
最高の映画でした。
PS: 映画で昌平のセリフを聞きながら、節々で感じる空元気の演技に、オダギリジョーさんの凄さを感じました。
目を背けちゃいけない問題
貴方はどう思う?と襟首掴まれながら問われる痛み。 さぁ答えてみろ と後ろ手に縛られているような恐さ。 決して逃してくれない時間が淡々と進む。
観なきゃ観なきゃと思いながらなかなかに敷居の高い介護施設モノは自身に向けた匕首でもあった。
皆んなが観なきゃね。
とにかく救われない映画
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東日本大震災を題材に本を書いたら売れた宮沢。
だがやがて書けなくなり、障害者施設でパートで働くことになる。
震災を取材に行った時には、汚いものや臭いものも多く見た。
但しそれらをありのままに書くことは編集者が許さず、美化して書いた。
それで書けなくなったのだった。日の当たらない障碍者施設を経験すれば、
また何か書けるのではないかという期待も持っていた。
しかし働いてみると最悪で、職員が利用者に障碍者を振るうこともあった。
また近づくことを禁止されてた部屋に、夜勤時に行くと衝撃の光景を見た。
閉じ込められて糞尿まみれで放置されてる障碍者だった。
一緒に目撃した職員の青年のスイッチが、これで入ってしまった。
心を失った者はもはや人間ではなく、存在する価値などない、
だから施設の260人ほどを全部自分が殺す、と言い出したのだった。
もちろん宮沢らは、それは間違ってるとか色々言って止めようとする。
が、結局予告通り最悪の事件が起こってしまい、ジ・エンド。
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とにもかくにも、救われようのない映画。
上記の悲惨な本筋以外にも、色んなエピソードが描かれる。
同僚で小説家の卵の二階堂ふみの話、売れない映画監督の夫が受賞する話、
夭折した2人の子供は病気で「心を失ってた」話、宮沢がまた妊娠した話、
宮沢が障碍者施設を題材にまた書き始めた話・・・。
が、どれも本筋とはそんなに関係して来ない。
青年は言った。誰かがやらなければならない、これは国のためでもある。
ほとんどの人間は単にラクな選択だから善を選んでるだけであり、
本当は手を下す勇気がなかったり、責任を負いたくないだけ。
確かにその主張自体は鋭い所をついてると思う。
またこの青年の、生きる姿勢自体は素晴らしいと思う。
見てはならないものを見て方向性がおかしくなってしまっただけで、
もともと真面目で一生懸命、思いやりもある優しい人間。
また事件を起こした理由に私利私欲が一切ないだけに、救われない。
心を失った者は本当に人間なのか?難しい問題である。
施設での描写を見てると、心のない人間に存在価値は感じない。
周囲に迷惑をかけるし、本人も暴れたりして苦しんでる。
そのまま存在が消えたらいいのにと思ってしまう。
そして普段から目を向けないようにしてる。
これは、きっとほとんどの人間がそうだろう。
自分が被害を被ってないから、殺そうとまでは思わないし、
また殺すなんて可哀想という気持ちがはたらいてそう行動しないだけ。
この映画を見て、こういう問題が実際にあるであろうことを知った。
でも、これからも目をそらし続けたいと思ってるズルい自分がいる。
とにかく色々と考えさせられる映画。そしてとにかくやるせない。
自分をゼロクリアして油をさすべき作品
心がないなら人間じゃないのか。動けない障碍者は心がないのか。
障害で生まれてくるとわかったら中絶すべきなのか。
この二つを一緒にする考え方が犯罪を生んだというのか。
命がある限り生きるという意志が置き忘れられている。
短絡的な発想が闊歩している。
観る側は混乱する。
もしかしたら自分も、その短絡的な発想に誘導される可能性があるのではないかと。
障碍者殺しの犯罪者と自分が、実は距離が近かったりするのではないかと。
合理的で効率的な自分であろうとあせるあまり、そうでない人たちを排除する意識がないだろうかと。
考えさせられる。いや、錯覚せずに考えるべきなのだ。
いったん自分をゼロクリアして見つめ直す。そして自分のこだわりに油をさす。
突きつけられたものに、ただ呆然としないように。
同感です、解ります
老健に働いて15年になりますが身障者施設の方は本当に大変だと思います。年寄り相手の私でも殴られ噛みつかれ糞まみれなんを仕事だから仕方ないとこなしてきましたが。管理者は自分が面倒みる訳じゃないから現場の職員が大変。精神やられた人も多く指示は入らず、安い給料で休みも無く汚い安いキツいの😢皆メンタルやられるから映画見て、そうそうと同感しました。虐待!?私たちはそれ以上やられてます。でも利用者から
やられても言えない。これだけ高齢者や身体障害者を御世話する仕事の処遇改善が向上しなければやり手なんかいません。まじで給料安くて汚いキツい仕事、こちらが精神やられるから。やっと月の映画見て救われた、私達の現実はこれです
月を見た障害者施設職員から
「月」を見ました。全体的なイメージは障害者施設はあのような感じではあります。私の施設では障害者利用者は80名入所しています。それぞれの利用者が他人には我関せずで生活されています。自閉症、ダウン症の成人の方老若男女です。
脳の病+精神の病ですから、様々社会常識に当てはまらない日常生活っす。社会では3K(臭い汚い気持ち悪い)ですが、我々支援職員はいかに清潔に一般的に正しく、表情よく暮らせるかを支援しています。汚物まみれ、排泄処理、洗体、食事の摂り方、衣類管理など、が仕事ですが、なかなかすんなりとは行きません。各々の拘りや苦手なことに対応するのは大変です。粗暴行為や破壊、自傷、不潔行為に闘わなければならないときもあります。それは、「仕事」という感情だけでは収まらないときもあります。
ご家族さんは極一部を除いてノータッチで、帰宅や面会、外出もなく、連絡さえしてくるな、という家族もいます。身寄りのない方もいます。
それを意気に感じて対応出来ればいいのですが。
ここからが今の障害者施設の大きな問題点です。映画にはなかった施設や行政の闇にしている本当の問題点です。
①家族がなにもしない分、担当職員に責任が来る。(面会に来てもお菓子を食べさせるだけ、エサ)
②家族負担の利用料は一切ナシ。食費、施設利用料(ビジホ一泊分/月)、日用品代、光熱費を月75000円ほどの障害年金で負担します。もちろん、それでは施設運営は出来ません。そこで、施設運営支援金というのが都道府県等から税金が施設に入り、職員の給与となります。あくまで、家族負担はありません。
③その、施設運営支援金を理事長がせしめ、職員には最低賃金を払っています。理事長の親族や評議員の紹介職員が管理者になり、高給取りになって上級生活者となります。職員の処遇改善手当も施設に入るため、すべて人件費に支払いはされていますが、傾斜配布が認められているため、管理者に多く入ります。そして、処遇改善手当があるためある程度給与底上げが出来るため、本来は施設が支払うお金はプールするか、理事が1000万を越える年収を受けています。ほぼ職員は給与やボーナスはジリ貧となっています。
障害者施設というものは、(理事者含め)管理者が現場には入らない、守られた場所からポケットに手を入れて、「どんな方でも困っている人を受入れて、現場で対応を考えなさい」の考えです。
抑えるために引き倒してしまったら、その支援員は逮捕されます。がまん、ガマン、我慢。ストレスより、違う行動が出るのもやむを得ないんです。
管理者は知らなかった、報告はなかったと逃げて行きますが、それは支援員はゴミ扱いなんです。問題起きれば支援員は一生を失いかねない職種です。学生さん、新卒で入るところではありませんよ。事実ですから。
毎日のように、新聞テレビで伝えられるような虐待、ほぼ全国どこの障害者施設でも起きていますよ。
長々書きましたが、映画ではまったく出て来ない、障害者施設の現実です。
ただし、入所ではなく、自宅からの通所では、大きく変わり、もっとやり甲斐、社会貢献が出来る場所は多くあります。
現状を読んでいただき、ありがとうございました。
匂いは確かにきついが、慣れてしまう
障害者施設で3年半働いていますが、サトくんが言ってる事はある程度理解できました。
匂いについて語っていましたが、確かに最初の頃は戻しそうになった事がありました。しかし慣れてしまえば、汚物が多少手についてしまっても平気だったりします。
サト君のような真面目すぎる職員はメンタルをやられるし、虐待スレスレの行為をする職員は他の職員や保護者と衝突したりします。
サト君は障害者は必要であるか?税金の無駄じゃないか?才能があるのに生活保護と変わらないような金しか稼げないのはおかしくないか?について悩んでいました。
私は世の中の歴史は時間が経つにつれて、自由で平等になるように進んでいるので、いずれは国民全員が介助ロボットや自動運転の車、生活できるだけのベーシックインカム等を手に入れて、貧富の差や障害の有無は格差が無くなっていくと思っています。
その過程である現在は矛盾だらけですが、時間が解決していく事に個人が立ち向かってもしょうがないかなと。
ハッとした場面があって、白髪の利用者が股間を触っている場面でサト君の意識が彼と同化するところ。
私自身も、服を破って裸になった利用者と目が合った時、意識が吸い込まれて気がおかしくなりそうになった事があります。常識が破壊されたような感覚。
映画で表現されたってことはよくある現象なんだろうか・・・
物語の焦点が不明確でテンポが遅すぎで長い
この出来事をテーマにするなら宮沢は架空の人物?彼女の物語とは別にしてむしろ加害者を主人公に焦点を当てなぜ彼はこの職業を選び嫌なら辞めれば良いだけなのになぜ働き続けていたのか?本当の犯人はもっとチンピラ風で他に働く所が無いからやってるみたいな感じだったが?
扱うべき題材なはずなのに、テーマそして構造、描き方が陳腐
人種差別、人間と非人間という思想、優生思想、生が気持ち悪くて臭いということを認めること、あるいはそれを認めずに無いものにすること、「自分とは違う」存在を受け入れられないということ、無いものにすること。今まさに世界で起きている虐殺と限りなく近い思想の種について考えている題材であるはずで、語らなければならないことについて語っているはずなのに、なぜかこの映画を最後まで観ても考えが深まらなかった。残念だった。
それぞれの存在が鏡になって、どちらがどちらなのか誰が自分で、自分ではないのか、そんなふうに問われていく演出はふさわしかった。
しかし、最後まで、「自分は人間」って思っている人たちからの視点でしか描かれないままで、施設の中で生きている人々のこと、この映画を作っている人たちはちゃんと見ていたの?聞いていたの?本当に、葛藤を描いたの?
結局、この映画は「刺さんなかった」。
この映画を作った人も、悲しみ?で言葉を失ってしまっていたのかな…?
すごく、残念です。
結局は何も描けず、すべった感じ。
俳優さんたちも、それぞれの役の人生に向き合って演じたはずなのに。
でも、じゃあ、殺された人たちの人生には誰が向き合ったの?この映画を作る人たちの中で。
最後まで、ミミズや蛇が暗示するだけ?
結局、「人間」に靴で潰される存在のままでしか描かれていない。
何が日の光にあたって美しい、スローモーションで映される障がい者たち、ですか?
そういうカットでしか、彼らを描けませんか?
「側」という、構造を崩さないまま、最後まで「得体の知れないもの」をどうしようか迷う「人間側」の心情しか描かれませんでした。
何を描きたかったの?テーマが謎です。
最後の、入所者の方のお母さんが泣くシーンとかも、悲しい、という感想を抱かせるだけだし。
自分の、子供たち(亡くなった子供と今お腹の中にいる子供の2人)に対する思いと障がい者に対する思いを重ねて揺れる心がテーマ?
うーん…薄い…
自分の心の中の優生思想に気が付かせるのが魂胆…?
それだけ…?
もっと描くべきものがあったはず。
こんなことは事件を知っている人なら考えることなはずです。映画の中ですべきなのは、その先の対話だと思います。
〈月〉も、ハイタッチも、二階堂ふみさんの役の存在(〈嘘〉について考えさせるとか、汚いものを見るとか)も、映画のテーマの中で結局はほとんど意味がないままだった。
本当に残念な映画です。
重要な映画になり得たはずなので、とっても残念です。
残念であることについて書きたかったので、評価すべき点については書きません。
もうすでに賞も取っている映画なので、されるべきところはされていると思います。
そういうわけで、テーマとしては表面的に似てしまっている『ロストケア』の方が考えるに値する映画だと思いました。
でも、この映画『月』が考えるべきなのは、「見たくない現実を見ないようにしている人々 ー あなた」ではなく、差別、と、それが罷り通ってしまっている社会のありようですよね。「あなたも犯人みたいなことを考える人の一人かもしれない」などと刃を向けるのが目的になってしまっていては、問いかけ、考え続けることにはなりません。
問題は、個人の思想だけに問われているのではないと思います。この映画はそこまでいけなかった。
最後に。
「この人話できますか?」
と訊くさとくんのことは、
心に残り続けるかもしれません。
彼が何に葛藤していたのか、のヒントとしては。
結局、作り手は、ほとんど彼の思想についてしか興味がなかったのではないでしょうか。
「報知映画賞作品賞」
今年231本目。
11月終わりの報知映画賞作品賞、磯村勇斗さんが助演男優賞、二階堂ふみさんが助演女優賞、12月11日の授賞式の2日後に見ましたがどうしても行きたかった作品。同時期公開「愛にイナズマ」の石井裕也監督でその映画の俳優の演技が素晴らしかったですが、そちらが作品賞じゃないんですね、「月」どれだけ凄いんだと前評判通りの映画でした。授賞と石井裕也監督で内容は書かなくてもいいかなとこの2作で一番好きな監督になりました。
フィクションだからこそ描ける事件の本質的問題点
7年前の相模原市の重度障害者施設やまゆり園での犯罪史上最悪の大量殺傷事件を題材に、作家辺見庸氏が書き起こした小説を映画化。私は小説は未読。
現実の事件の裁判の経過も注目され報道されていたので、この作品を観る自分の意識も、なぜ犯人は凶行に及んだのか、次第に狂って行く様に最初は意識が向いていたが、非常に丹念に描かれる主人公の宮沢りえとオダギリジョーの夫妻の癒しがたい深い傷跡にじわじわと心を奪わてゆくにつれ、別の重要なことに徐々に気づかされてゆく
園長の無責任で投げやりな姿勢、犯人となる、さとくんを虐める同僚二人組のよくあるだろう理不尽な振る舞い、二階堂ふみ演じる作家志望の職員の家庭の歪んだ家族関係、彼女自身のストレスと他者への攻撃性など、丁寧な描写が観るものに突きつけてくるものは何か?
それは我々自身の社会が直面する人権意識の希薄化や反差別の後退など危機的な状況そのものであり、社会にとって不都合なことを見て見ぬフリをし、無かった事にしている自分自身じゃないか!モヤモヤしながら家に帰って来て今こうして書き始めて思い当たったことだ
なぜ気づく事になったか?それは主人公の宮沢りえさんとオダギリジョーが別々の場面で、恐怖に怯みながらも勇気を振り絞って気持ちを言葉に出してくれるからだと思う、そこに心震えてしまうのだ
果たして自分なら出来るだろうか・・・
事件性に目を奪われてこの映画の真価を見落としてはならないと思う 真実に目を向けさせる見事なフィクションだ
重いテーマを受け入れることができなかった
たまたま、数年前に撮影現場に遭遇。
宮沢りえとオダギリジョーがベンチに座って談笑しているようなシーンだったので、どんな作品なのか公開を楽しみにしていたが、公開日が決まり、映画の内容が判るにつれ、観るべきか考えてしまった。
とても重いテーマであって、鑑賞した後の気の持ちようが定まらないだろうと予測できたので。
意を決して鑑賞したが、やはり難しかった。
2時間で語るには重い内容だった。
今のご時世、さとくんって、どこにでも居るような気がする。
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