月のレビュー・感想・評価
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話せない(心のない?)障がい者の生命は、奪ってもいいのか?
そんな心の塞がる問いかけを投げかける映画でした。
話せない、心がないのは人間ではないから、殺してもいい。
それがさとくん(磯村勇斗)の考えです。
2016年7月26日未明、相模原市の知的障害者施設
「やまゆり園」で元職員・Uにより19人が殺され、
20人が重傷を負った。
犯人のUが国家に与えた損害そして社会的悪影響は
計り知れません。
ある時期、半グレにも属したUは、大麻を吸い犯行に及んでいる。
背中には一面の刺青、
有名になりたい、世間を騒がせたい、注目を浴びたい、
自分の偏見(障がい者は無益な存在だから排除していい)
を社会に訴えたい?
Uの事件は国に数億イヤ数十億の税金を
使わせることになっている。
その事をUは一度でも考えた事があるだろうか?
心底、浅はかな思考力である。
辺見庸の小説「月」には宮沢りえ演じる元有名作家の
堂島洋子は存在せず、石井裕也監督の生み出した架空の人物です。
だから夫(オダギリジョー)並びに、重い障がいを持ち産まれて
3歳で亡くなった長男の事も石井監督が付け足した物語です。
また宮沢りえは堂島洋子と施設で暮らすキーちゃんの二役を
演じている。
キーちゃんは洋子と生年月日が同じである。
施設に入った当初は目も見えたし、歩くことも可能だった。
しかし長年の下肢拘束と、暗闇の方が“おとなしい“との理由で、
目が衰えて見えなくなり、足も衰えて歩けなくなったと言う。
実に痛ましい。
堂島洋子と夫の昌平(オダギリジョー)は重度の障がいを持ち産まれた
息子を3歳で亡くしており、心に深い傷を負っている。
そして予期せず妊娠をして、もしもまた障がいのある子供が
産まれたら・・・と、洋子は出産を躊躇っている。
重度知的障害者施設に勤めた洋子は、施設内での職員の虐待を
目撃してしまう。
ここでも拘禁をしなければ自傷行為をしたり、暴れたりするから、
との理由でさまざまな虐待的行為が行われている。
施設で働くもう一人の陽子(二階堂ふみ)は言う。
重い障がい者は社会から隠されている。
隠蔽されている。
石井裕也監督は、事前に多くの施設を見学して、
実際に見聞きしたことしか映像にしていない・・・
そう話しておられます。
私は、やはり、見ないふりをしている一人だと思う。
実の子供、実の親でなければ、向き合わない現実だと思う。
そして施設は家族には手に負えない、世話のできない人々の
受け皿になっているのが現実なのだとも思う。
そして出産前診断で障がいの可能性のある胎児を選別にかける、
もう妊娠が心から喜べる事柄では無いのは現実なのだ。
重い問いかけの問題作でした。
原作者の辺見庸さんも重病に伏せられているご様子で、
コメントを聞けないのも悲しいし、
ご本人も残念な事だと思います。
社会に問いかけた意義は大きい。
彼が切り取って残した「あの部分」は、彼の心中そのものなのか。
どうして…、あるいは、どんなことがきっかけで彼が介護士という仕事を(結果として)選び取ることになったのかは、本作では明確には描かれていなかったと思いますけれども。
いずれにしても、最初から志して就いた職ではなかったことは、間違いがなかろうかと思います。
そうして、本当の自分の気持ち押し殺して就職はしたものの、さと君がもともと持っていた優生思想的な側面が前面に出てしまった結果ではなかったのかと思うのです。評論子は。彼の…あの恐るべき所為は。
自分なりに苦心してきた取組みを、介護士仲間からあっさりと否定されてしまった(程度のこと)が直接のきっかけで、恐るべき所為に出た彼の内実は、そう考えなければ理解できないのではないでしょうか。
そして、そう理解しなければ、事前に「あなたには心はありますか」と確認するのだから、自分の所為は無差別殺戮でも、大量虐殺ではないなどと公言はできないだろうと思うからです。
つまり、彼の「独自の取組み」は、彼がこの仕事を続けていくための、いわば「安全弁」としての役割を果たして来ていたところ、同僚介護士の心ない言動によって、これが、すっかり外されてしまった―。
ただ、どうしても自分の「独自の取組み」の全部を否定し去ることはできなかったので、その「独自の取組み」のとある部分だけを切り取って残し、それが本作の題名としてら彼の心中を象徴する―。
評論子には、そう思えてなりません。
同じく「照らし出すもの」ではあっても、物事の表裏・陰陽・霽(は)れと褻(け)に例えて言えば、さと君の他人から見える外面という「表側・陽・霽れ」を象徴する太陽に対し、月は、さと君の心の内面という「裏側・陰・褻」を象徴するものとして。
その、さと君の象徴が、彼の所為によって血潮に塗(まみれ)るシーンは、本当に耐え難いほど強烈なものだったと思います。
背景には介護産業の、過重労働や慢性的な人手不足もあるでしょうし、世間一般の「障がいのある方々を見る目」というものも、根深く関わっているように、評論子には思われます。
本作は、評論子が入っている映画サークルが2022年に札幌地区で公開されたものの中からベストテン作品として選んだものだったので、鑑賞することにしたものでした。
その期待に違(たが)うことのない重厚な一本として、佳作であったことは疑いがないと思います。
(追記)
評論子が生まれた頃は、田舎では、まだまだ自宅での出産が珍しくはなかったようで。
お産婆さん(今ふうに言えば「助産師」?)のサポートを受けながらということで。
今は地方でも病院での出産が当たり前の時代でしょうし、エコー始め検診機器も充実しているので「子供の障害の有無は、産まれてみなければわからない」と言った時代ではなくなっているので、出産の安全性は格段に高くなっているはずですけれども。
それでもお産に伴う事故は皆無ではないでしょうし、後天的な事故・病気で、思わぬ後遺障害を負ってしまうこともあり得ない話ではないはずです。
そういう意味では、生きていく上で障がいを負ってしまうことは、「神の御業」にも匹敵するような、本当はいつ、誰に起きても不思議でないことなのかも知れません。
日本の社会は、徳川幕府の長い長い鎖国政策から目覚め、(経済的に)欧米列強に「追いつき、追い越す」ことだけを考え、また敗戦というダメージからの戦後復興、そして高度経済成長と、経済の階段を駆け上ってきました。
そして、その駆け上がりのスピードが、世界のどの国も経験したことのないようなものであった故に、その過程で「積み落としてきたもの」も、少なくはないようです。
その一つが、人格的にはまったく対等であるはずなのに、労働面(経済面)では社会に対する貢献度が高くはなかったが故に障がいのある方々を、ややもすれば対等に見ない風潮も否定できないことと思います。
経済の成長だけを過大に重要視してきたこれまでについて、見直すべきことの一つであると思うのは、独り評論子だけではないこととも思います。
(追記)
いかに「明るい」とは言え、やはり月明かりは月明かり。
太陽の明るさと比べれば、そもそも比較になりません。
本作の題名は、やっぱり、これでなければならなかったのだろうと思います。
本作の全体的な画面の「暗さ」も、月明かりを象徴するものと受け止めました。評論子は。
「見えない」と「見ない」は違う!
公開から随分経って、やっと観れた本作。
相模原障害者施設での大量殺人事件を下地にした話なので
観ていて心が苦しくなりそうですが
そこは映画なので、主演の宮沢りえと
オダギリジョーが演じる夫婦の
ささやかな幸せへ焔を消さない様に無くさない様に
丁寧に丁寧に優しさのステップを
重ねて行くシーンがとても心に残りました。
で、なんと言っても、磯村勇斗!!
優しい青年が少しづつダークサイドに落ちてゆく〜〜
こ〜〜〜わ!!
多分、配信とかで観ると逃げ出したくなると思います。
こういう映画こそ、ぜひ、映画館で!!
で、月に8回ほど
映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
映画的に、この障害者施設が、
ヘビが出る様な深い森の中の安物のオカルト廃病院とか
捕虜収容所跡みたいに描かれていることが
ちょっとやりすぎ感があった。
それは、世間の人々つまり「私たち」が目を向けない事、
「私たち」に見せない様にしている事の象徴だとは
理解しているのですが、とても怖い、とても悪い場所
という感じを強調し過ぎててちょっとなんだかな〜〜
と思いました。
事件自体が悲惨だし、実際、意思疎通ができない障害者も
「私たち」が知らないだけで実は沢山いるのかもしれない。
そういう人たちと日々接する施設の職員の人々が
「自身の心を守る為」に「障害者を人として見ない」様に
一種の「鎧」を心に付けるのかもしれない。
その実情を「見もしない私たち」が職員の人々を批判なんか出来ない。
でも、もちろん他人が勝手に殺して良いはずも無い。
そんな重い重い映画でしたが、あえて
この作品を作られた皆さんに感謝と敬意を捧げます。
こういう映画は海外でもあるでしょうか?
こういう映画に英語字幕を付けて海外で上映して
海外の反応が知りたいと思う。
とにかく暗い場面の映像が多い。
神奈川県にあった障害者施設での障害者は社会には要らないという理由から大量殺人事件を起こしたのをモチーフに描かれている。
小説家の洋子が障害者施設に就職して、その施設の現実を目の当たりにする。
部屋には鍵をかけ、暴力的なことも日常茶飯事、不都合なことは見て見ぬふり、衛生的にもかなり厳しい。
陽子の言葉に「洋子の東北の震災をテーマにした小説には現場のおいや音が感じられない」みたいなことがあったが、まさに外向きには障害者がその人らしく・・・みたいなことを謳い文句にしているものの、現実との乖離がある。
洋子は3歳で亡くなった、寝たきりでしゃべることのできない男の子がいた。その子と目の前の障害者の扱いにだんだん不信感を持つようになる。わが子がそんな扱いをされたらどう思うんだろう、と。
でも、そこしか行くところがない、という現実もあり、不都合なことは目をつぶらないといけないことも出てくる。
そして、スタッフもそんな環境で働いていると、障害者への憎悪や偏見、メンタルの崩壊も生まれてくる。そんなメンタルの崩壊が事件につながってしまったのがこの作品のテーマになっている。
事件そのものよりも、そこに至る雪崩のようにメンタルが崩壊し、一過性の思いではない事件への決意の狂気が静かに描かれていく。
回転ずしのような食事はよく幸せの象徴で描かれることが多いが、食べている時に事件が中継されているのは、事件もメンタル崩壊も幸せもすべて紙一重で、きっかけさえあれば誰でもそっち側になってしまうということである。
2時間半ほどだが、あっという間に感じた。
障害を持つ子供さんの家族は…
コミュニケーションできないお子さんを持つ両親だからこそ、頑張れる 日々仕事して施設代など稼いで生きていく…障害者家族は彼 彼女がいるから生きていける…
だから、気づける事だってある。
五体満足で、何処にでも存在する家族より、大事なもの…大切な事が見え気づけるのなら、蓋をしたがり、目を背ける人こそ、人間ではないなと思う。
やりすぎ感は否めない
石井監督の映画は初めて鑑賞
まず最初に、皆さんのレビューのように整理した内容にはならない。
映画を見直さなくても、これからも似たような事件は起こるのだろうけど、
そんな時に時々思い出しては書き加えていきたいと感じています。
始まりの震災イメージのショットから暗闇に懐中電灯の光が当たっているところしか
見えない状況が続く。ここにも意味があるのだろうなと思いながら観進めていく。
観終わって時間が経つが、改めて思いなおしても、問われているのはそこで、
人は見える世界しか理解できないということ
映画の感想としては、こんなに暗い病院ってあるの?
ちょっとリアリティーなくない?
こんな職場なら誰でもおかしくならない?
そこらへんはちょっとやりすぎ感が否めない。
さと君が、耳の聞こえない彼女に「今から…」と宣言するシーン、
その前に一度「本当に聞こえないの?」と聞くシーンがある。
さと君はどこかで彼女に止めてほしくて、奇跡でも起こって止めてくれ
と心の底では思っていたのではないかと思うのです。
汚い自分を汚くてはいけない。と思うのではなく
汚いことをありのままに受け入れる。
本当に難しいです。
ひとまず終了
考えたくないものを見せつけてくる
私が今まで観てきた映画の中で、これ程心苦しく自分自身に刃が突き付けられるような映画はありませんでした。
自身の中の差別意識や見ない、考えないようにしてくる部分を容赦なく見せつけてきます。施設の中の残酷な現実と一見平和な、しかし各々の登場人物たちの歪みや苦しみが察せられる生活のシーンの対比が生々しいです。
障がい者とは何か?を考え、現実に起こってしまったラストのとある犯人の行動。視聴者にもあなたはどうするのか?を問いかけてきます。
ん〜
現実?悪意?
もっと広く
見たくないものには目を背けてしまうという趣旨のセリフが出てきますが、この映画が短期間でさして話題にもならず限られた上映館で終わってしまうことが惜しまれます
障がい者の問題に正面からぶつかった映画です。事件を起こす元職員の描き方もリアルです
妄想的解釈や幻覚らしき症状もかなりリアルに描かれ、モデルになった事件の犯人と重なるところが多々あります。元職員の考えを独善的妄想的と批判するのは簡単ですが、それでは済まされないよと問いかけてきます。やや説明的なセリフもありますが、この問題の深さ、難しさを考えさせられます。
残念なのは、結局、世間はこの映画に背を向けて、見ざる、聞かざる、言わざるになるだろうなということです。この映画がヒットするような社会であってほしいです。
レビューを書いている人も内容を見ると施設の関係者や患者等の経験を持つ人が多く、関係のある人以外のコメントが少ないのです。それ以外の人に多く勧めたいのに。
私は施設の関係者ではありませんが、就いていた仕事の関係で、この映画で思い出されたのは、見学などの経験がある、特別養護老人ホーム、刑務所の保護房、家族の要望に従って監禁しているだけではないかと疑いたくなるような劣悪な私立の精神病院、障がい者施設などです。声や音、臭いも含めて。虐待をする職員も出てきますが、低賃金で、入所者に振り回され、なかなか生きがいを見出しがたい環境で待遇も悪いことからすれば、強くは責められません。最近では一番考えさせられる映画でした。
恐怖の中に垣間見える現実
津久井の障がい者施設で起こってしまった殺傷事件がモチーフの映画です。
相模原市出身者として、これから社会の障害をなくしていく者として、
見なければならない作品だと思っていました。
上記の事件がなぜ起こってしまったのかはわからないですが、原因と思われるいくつかがこの作品の中に散りばめられていたと思っています。
・施設で働く職員が、まるで障がい者を人ではないかのような扱いをする場面。
・暴れる障がい者を鍵付きの個室に監禁する場面。
・差別的な発言をする職員を、冗談だとして無視する施設長。
・働いている職員の、逃れようもない家庭の現実。
・悲しみにくれる主人公がその悲しみの答えを求めて、映画の障がい者施設で働くさま。
それらいくつかのプロットが混じり合った結果、映画の世界に引き込まれていき、
鑑賞が終わった後も、まるで現実感のないような気持ちが続きました。
振り返ってみると、過去に私が精神科の閉鎖病棟に入院した時に感じた苦しみと似ている点がいくつもあったかなと思います。
入院中は心も頭も重苦しい状態でしたが、暴れた患者が鍵付きの個室に移動されるさまを見たときは、どうしようもなく やるせない気持ちに心が覆われたものです。
そして、いつ出られますかと医師に聞いても、もう少しと言われ続け、先の見えない毎日。
これが病気なのか・病気でないのか、障がいなのか・障がいでないのか...
迷って迷って答えを決め続けた延長線上に、今の生活があります。
入院していた頃と変わらない自分の核は、障がい者と同じ、とも言えます。
ただ、安易に同じと言っては、映画で、施設長が開けるのを禁じている扉を磯村君が開けた後のワンシーンのように同調しすぎてしまう危険性があると思います。
ただ、多少誇張している部分はあるかもしれないけど、この映画で表現されたことは、経済成長ばかり追い求める社会の裏で起こっている現実に近いものだと思ってます。
だからこそ、この映画で監督が伝えたかったことを、現実を知らない多くの方に知ってほしいと願っています。
そこで知った感覚が、最後のシーンで宮沢りえ さん・オダギリジョーさんが決意したのと同じように、どうしようもない現実を変える力になると信じています。
これだけは言えます。
最高の映画でした。
PS: 映画で昌平のセリフを聞きながら、節々で感じる空元気の演技に、オダギリジョーさんの凄さを感じました。
目を背けちゃいけない問題
貴方はどう思う?と襟首掴まれながら問われる痛み。 さぁ答えてみろ と後ろ手に縛られているような恐さ。 決して逃してくれない時間が淡々と進む。
観なきゃ観なきゃと思いながらなかなかに敷居の高い介護施設モノは自身に向けた匕首でもあった。
皆んなが観なきゃね。
とにかく救われない映画
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東日本大震災を題材に本を書いたら売れた宮沢。
だがやがて書けなくなり、障害者施設でパートで働くことになる。
震災を取材に行った時には、汚いものや臭いものも多く見た。
但しそれらをありのままに書くことは編集者が許さず、美化して書いた。
それで書けなくなったのだった。日の当たらない障碍者施設を経験すれば、
また何か書けるのではないかという期待も持っていた。
しかし働いてみると最悪で、職員が利用者に障碍者を振るうこともあった。
また近づくことを禁止されてた部屋に、夜勤時に行くと衝撃の光景を見た。
閉じ込められて糞尿まみれで放置されてる障碍者だった。
一緒に目撃した職員の青年のスイッチが、これで入ってしまった。
心を失った者はもはや人間ではなく、存在する価値などない、
だから施設の260人ほどを全部自分が殺す、と言い出したのだった。
もちろん宮沢らは、それは間違ってるとか色々言って止めようとする。
が、結局予告通り最悪の事件が起こってしまい、ジ・エンド。
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とにもかくにも、救われようのない映画。
上記の悲惨な本筋以外にも、色んなエピソードが描かれる。
同僚で小説家の卵の二階堂ふみの話、売れない映画監督の夫が受賞する話、
夭折した2人の子供は病気で「心を失ってた」話、宮沢がまた妊娠した話、
宮沢が障碍者施設を題材にまた書き始めた話・・・。
が、どれも本筋とはそんなに関係して来ない。
青年は言った。誰かがやらなければならない、これは国のためでもある。
ほとんどの人間は単にラクな選択だから善を選んでるだけであり、
本当は手を下す勇気がなかったり、責任を負いたくないだけ。
確かにその主張自体は鋭い所をついてると思う。
またこの青年の、生きる姿勢自体は素晴らしいと思う。
見てはならないものを見て方向性がおかしくなってしまっただけで、
もともと真面目で一生懸命、思いやりもある優しい人間。
また事件を起こした理由に私利私欲が一切ないだけに、救われない。
心を失った者は本当に人間なのか?難しい問題である。
施設での描写を見てると、心のない人間に存在価値は感じない。
周囲に迷惑をかけるし、本人も暴れたりして苦しんでる。
そのまま存在が消えたらいいのにと思ってしまう。
そして普段から目を向けないようにしてる。
これは、きっとほとんどの人間がそうだろう。
自分が被害を被ってないから、殺そうとまでは思わないし、
また殺すなんて可哀想という気持ちがはたらいてそう行動しないだけ。
この映画を見て、こういう問題が実際にあるであろうことを知った。
でも、これからも目をそらし続けたいと思ってるズルい自分がいる。
とにかく色々と考えさせられる映画。そしてとにかくやるせない。
自分をゼロクリアして油をさすべき作品
心がないなら人間じゃないのか。動けない障碍者は心がないのか。
障害で生まれてくるとわかったら中絶すべきなのか。
この二つを一緒にする考え方が犯罪を生んだというのか。
命がある限り生きるという意志が置き忘れられている。
短絡的な発想が闊歩している。
観る側は混乱する。
もしかしたら自分も、その短絡的な発想に誘導される可能性があるのではないかと。
障碍者殺しの犯罪者と自分が、実は距離が近かったりするのではないかと。
合理的で効率的な自分であろうとあせるあまり、そうでない人たちを排除する意識がないだろうかと。
考えさせられる。いや、錯覚せずに考えるべきなのだ。
いったん自分をゼロクリアして見つめ直す。そして自分のこだわりに油をさす。
突きつけられたものに、ただ呆然としないように。
同感です、解ります
老健に働いて15年になりますが身障者施設の方は本当に大変だと思います。年寄り相手の私でも殴られ噛みつかれ糞まみれなんを仕事だから仕方ないとこなしてきましたが。管理者は自分が面倒みる訳じゃないから現場の職員が大変。精神やられた人も多く指示は入らず、安い給料で休みも無く汚い安いキツいの😢皆メンタルやられるから映画見て、そうそうと同感しました。虐待!?私たちはそれ以上やられてます。でも利用者から
やられても言えない。これだけ高齢者や身体障害者を御世話する仕事の処遇改善が向上しなければやり手なんかいません。まじで給料安くて汚いキツい仕事、こちらが精神やられるから。やっと月の映画見て救われた、私達の現実はこれです
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