月のレビュー・感想・評価
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ただただ胸が苦しくなる
実際にあった事件を元にした映画。さとくんが障害者は要らないと思うに至るまでが軽い。師匠のダンナが映画で賞を取るのはいらない。そんな仕事してる場面が一つもないから。結局、こんな酷いニュースがありました。で終わり。障害者の気持ち、親の気持ち、同僚の気持ち、健常者はどう向き合っていくのか、健常者と言われる人はそんなに偉いのか、介護施設職員のメンタルをどう救っていくのか観客に丸投げのまま。
久しぶりに圧倒的された映画でした
宮澤りえさんが主役ですが、宮澤さんが、美人じゃなくて、肌が汚くて、おばちゃん体型で、性的な魅力を感じられなくて、という役を見事に演じられていて、それが本当に良かったです。
素晴らしい役者になりましたね、宮澤りえさん。
磯村勇斗さんも、とても良かった。
話も演技も、久しぶりに圧倒的された映画でした。
それにしても、怖い映画でした。
ホラー的な要素ではなくて。
さとくんに言いたい・・・
さとくん・・・
君の思想は良く分かった。
でもさ、さとくん個人の倫理観で人を殺めていいのか?
君になんの権利がある?
自分がそう思ったから殺人を犯してもいいなら
僕も個人の倫理観で君を殺す。
何の罪もない人間を殺そうとする魂のある人間の方が
人間じゃない。悪魔だ。だから君を殺す。
僕は刑務所に入るリスクを請け負うよ。
それにそんなにリスクを請け負いたいなら閉じ込められたおじいさんの
部屋の掃除をして毎日面倒見てやってくれ。
あの人たちがかわいそうかそうでないかは君の決める事ではない。
さとくんは自分の倫理観に従ってはいけない。
今こそ法律に従え。
そして彼女の事を考えろ。
宮澤りえさんは赤ちゃんを産んでくれるのだろうか。
どうか生んでほしい。
映画鑑賞者への救いをください・・・
心が無いのは人間ではないのか…
重く、苦しいテーマ。障がい者、自分だったら幸せなのか、家族であったら恥ずかしくないのか、隠したくないのか、生まれてほしくないのか、居なくなってほしいのか、意思疎通できないのは心がないのか、邪魔だと思わないのか。タブー視される障がい者へのそんな気持ち。それを知らないで言うのは所詮、綺麗事。当然、殺人は論外だが、誰もが思うことがある、人間の闇を描いた映画だった。人間の闇でもあり、それを軌道修正するも、また人間だと思う。
花は花で有るように
アマ2人プラにて視聴
途中きつくなって観るのやめようかと思った
社会的テーマと実在の事件を結びつけたいのはわかるが散らかってて本題軽視 軽視してるのに妙にグロい重い演出ちょいちょい入れてくる。
さとくん(植松)の事件に至った心情が描かれず、聾唖の彼女を労るかっこいい描かれ方してる謎
そして主演の宮沢りえ
一回も笑わなかった 強いて言えば旦那役のオダギリジョーがフランスのなんだかで入賞したことで喜んでた時くらいか
施設で働いていたらそんなに辛いことばかりなんでしょうかね
同僚のイジメ男2人もなんでそんな仕事やってるのか理解不能
嘘がどうとかいうけれど嘘で塗り固めたまさしく切って貼ったような月のような散らかったシーン多い
結局さ、実在の大きい事件を利用としただけなんだよ。視聴側のインパクトのためにね。
出演者が著名で良い俳優陣だからこそ残念
偽善を否定するからこそこれが本物の正義だ、と主張する偽善(ややこしい)
特に後半はスローペース。音と臭いとか必要とか言うシーン入れてくるなら入所者の断末魔の悲鳴声入れるべき。
あかずのとびら開いたら汚物まみれの入所者のマスターベーションしてたとか必要か?別にそんなの見たくないしこれが現実だってえがかれても生理的に無理なだけで現実直視をしてないってことにはならんやろ。ただの面白エピソードだし
落ちが雑にぶつ切り。むしろその事件後の入所者家族や職員のケアまでえがくべきだったのでは
ヒトってなんですか?
機械に奪われない仕事ランキング上位
「ゴキブリが出たら殺すでしょ?」
劇中、サトくん(磯村勇斗)が重度障害者の事を
ゴキブリに例え、精神的な限界に達した時に
言い放った言葉。
ですが仮にゴキブリだとしても、人間がお金を払い
「このゴキブリは殺してはダメです。」
と言えば、そのゴキブリは殺してはいけません。
そういうシステムです。
"一般的な能力"と言われる物差しが、少し高く感じる現代
受賞歴のある小説家、魅力的な絵が描ける青年、リアルマニア、
コマ撮りアニメを作れるイケメン、等
私より遥かに才能に溢れた人間であっても
職業カーストの下層 と、されてしまう仕事に従事する
人間は少なく無いと思います。
言い方は悪いですが
社会のシステムとして、下層グループ側になってしまった
比較的健康な人間を許容する事の出来る職業、というのは
人間社会である限り必要必至であり、職業需要を生み出して
いかなければいけないのだと
それっぽい事を言う事はできますが
当人的にはそういう事では無いのだと
正論がどうだとか、堪ったものではない のだと思います。
ストレス濃度が高い職業は
ストレスから視野狭窄になりがちで、物事を俯瞰で見る事が
難しくなっていきます。
頭の良し悪しに関係無く、極端な発想に傾倒してしまうのは
仕方がないのだと思います。
月並みな意見にはなりますが、せめて職場の人間関係は良好に、
助け合って生きていきたいです。
職業偏見も、せめて声に出して傷つけ無いで欲しいものですね。
「頭お花畑かよ、ハハハ!」
と一蹴されてしまうのかも。
ですが、この作品に関してのサトくん(磯村勇斗)は周りの人間、
特に先輩方に優しさがあれば何とか防げた事件かもしれない。
この作品において最もドス黒い感情を抱いたのは先輩方です。
もう怒り心頭が止まりません。
それとも職場のストレスであのような性格になってしまった
ということなのでしょうか…
やはりあのキャラクター達にかけてあげられる言葉は無くて…
同じ職業に就いても、後輩の立場故に強く言っても変わらないし
陽子(二階堂ふみ)は本音が強い人間だと理解してあげても酒で
やられるだろうし、サトくんも人間の本質で納得のいく回答を
答えてあげられず、仕事のストレスでどの道ハッパでイカれちまう。
高齢出産は件は夫さんと話して頂くしか無いし、その辺のストレス
で微妙な心理状況だし…
この職場は遅効性の毒かいな
丁寧に詰んだ状況だなこりゃ…
昌平(オダギリジョー)さんのように
ギリギリでも前向きに
それが難しいけど一番大事だと、そういう事でしょうか。
多くの方々が知っている事かもしれませんが
月の裏側は起伏が激しく見た目が悪いそうですね。
扉一つ、丸い窓の後ろには隠したい事柄がある。
そう勝手に捉え
お酒は飲めないから紅茶で気持ちよくなろうと思います。
あとアクション映画みたいなカメラワークになる所も
結構好みで気持ちいいです。
最後に
従事者の方々には頭が下がる想いです。
必死に働く人間と、何かに必死で打ち込んでる人間は
称賛されるべき、なんだと思います。
作り手の蛮勇を評す。
命とは何か。倫理観を問われ、突きつけられる。
減税して、手取り増やして、弱者も生きていていいんだと思える社会を!、、、というのは立派な考えかも知れないが。弱者は生産性がないどころかコスパ最悪な訳です。全て無くして健常者だけの世の中であれば、とっくに減税もできるしSDGsもLGBTQもある程度解決する面があるのは確かなわけで。人が人である以上、倫理観で許されないがメディアがどんなに命の大切さを謳おうがあの事件の報道を観た多くの人が、いや、どこかでホッとした遺族もいるのではないか?と想像したはず。そうでなければ、なぜ、金だけ払って預けているのか?どーにもならないから?それは施設の職員だって同じことである事実。少なくとも私はフィクションとはいえ、映画の中の犯人の問いに明確な答えは持ち合わせていない。
もっともっと欲しかった
施設の闇の部分が事件のきっかけというか、トリガーというかになるので、その部分を表現しようとしていると思うのですが、闇というか現実の刺激的な部分を表していて、もう少し現実の悪い部分、良い部分織り交ぜて、施設の本質を表現して欲しかったように思います。
それと、さとくんとのやり取りで「認めない」としか反論出来ないのは、辛い経験をしてきた、なおかつ過去に認められたこともある小説家としては物足りないようにも感じました。
制作者側からの意見の押し付けにならないような思いがあるのかもしれないけど、登場人物の一つの意見として、また敢えての製作者側か監督さん自身の意見としてでも、考えを述べて欲しかったとも思います。
正解が何か誰にも判断できないし、繊細な問題で何を言っても反論が出るかもしれないけど、表現者として、そこは意見を発信するべきじゃないのかなと。
最後の昼間の月で発信しているのかとも思えるんだけど、それだと弱いし、遠慮し過ぎにも感じる。
全般的には良さげだけど、もっと踏み込んで欲しいかったなあ。
少々難し過ぎる
何とも表現しにくい作品
作中でもあるが、描いているのが人の心
しかしすべての作品は人の心を描いているものだ。
それ故、わかるようなわからないような難しさが残る。
さて、
月とはいったい何のモチーフなのだろう?
一般的に言われているのが月の重力による地球や動物の変化だが、見えないし感じないこと故、価値があるのかわからない存在ともいえる。
「心がないなら、生きる意味も価値もない」
このセリフを月に見立てたのだろうか?
映像の中で月は、冒頭の暗闇に光る三日月と最後に小さく遠くに薄っぺらい昼間の三日月としてのみ登場する。
実際に太陽の光を反射して光る月は、光の幻影とも取れる。
冒頭にあるテロップ
同じことが繰り返されるという意味
これはかつてそうであって、今でも変わらないことを示唆する。
いつの時代でもなくならない偏見した思考。
作者は、実際の事件をモチーフにしながら、こんな事件はいつまた起きてもおかしくないと言いたいのだろうか?
そして、群像
人は他人の中に自分の群像を見る。
だから反応する。
特に反感は如実に現れた自分像
ヨウコも、陽子も、サト君も、お互いの中に、障害者の中に自分自身を見る。
さて、、
この作品のコントラストは奇妙だ。
そして無力だ。
ヨウコはTVの映像を見て「行かないと 行ってやれることを」というが、やれることはすでにできなかったのではないかと解釈した。
やれる可能性は、夫がサト君と再会した話と、キイちゃんの夢 胸騒ぎがすでに伝えていた。
今さらあの施設でヨウコがやれることなど何もない。
ただ、
「これから先どうなるかわからないとしても、この先も頑張って生きて行こう」
これだけがこの作品の中の唯一の「正しい答え」なのかもしれない。
二人がお互い「好きだ」と確認したことも、二人の人生にとって大切なことかもしれないが、事件とは基本的には関係ない。
むしろサト君とショウコでさえも、お互いに好きだということを確認し合っている。
この二人の記念日が、答えを出す日にした日が事件の日という設定も、いったい何を意味したのだろう?
コントラストにしか見えない。
月とは、いったい何だろう?
そして、
やはり理解できないサト君の思考
施設の障害者の言動を四六時中聞かされることで起きる異常を、彼は訴えた。
最初はヨウコ同様「こんなの間違ってます」と院長に訴えていた。
措置入院によって益々思考が明確になったのだろうか?
サト君は心のあるなしこそ、価値のあるなし、意味のあるなしを決めたようだが、紙芝居を読み聞かせながら「臭くて汚いものって何だろうね?」というあたりは恐ろしさを覚えた。
既に狂っているのは明らかだが、その根底の闇の深さは計り知れない。
同僚はサト君の中にヒットラーを感じているが、この社会によって価値基準が決められることそのものに彼は参ってしまったのかもしれない。
この彼のまったく理解できない思考と、堂島家そして陽子という人物の根本は同じようではあるが、そこから手に取った何かが彼らを大きく異なった存在にしてしまったのだろうか?
そもそも、
この作品が問題にしたことは何だったのだろう?
「心の痛み」
物事ではなく人の命に関する心の痛み
鋭い感性を持つ陽子
彼女が目指す小説家の夢と、才能のない残酷さという現実
嘘が嫌いだという彼女は、ヨウコからもサト君からも嘘つきだと言われるが、自分を隠そうとすれば嘘が出るし、相手の嘘も探したくなるのだろう。
特に陽子がヨウコの内面を見抜いた指摘は的を得ていた。
やがてヨウコは再び書き始めるが、声にできない言葉をどのように表現したのだろう?
「間に合った」のは文藝賞への応募だろう。
サト君がショウヘイに言った「息子さんに見せたかったんでしょ」というのも鋭い視点だ。
この作品が後に賞を取ったのだろうが、サト君の思考が益々わからなくなる。
人の心がわかるサト君
心がわかるからこそ、意思疎通出来ない障害者を価値がないと思うのだろうか?
古来からあった価値と意味という概念
それは他人軸で測られるのものではなく、自分軸で見つけるものだろう。
自分自身を俯瞰すれば、その価値も意味もないように思えることがあるのは事実だ。
でも少し生き生きとしているときには、そんなことは一切考えないものでもある。
自分のこと 自分の価値 自分の生きる意味 勝手に悩み苦しむ自作自演
他人の価値 他人の生きる意味 この領域には踏み込んではいけないのかもしれない。
この作品に感じるコントラスト
そこには自分軸と他人軸の違いが隠されているのかもしれない。
しかし、難しい。
人類が繰り返しているのは何だろうか?
隠ぺい 冒頭の言葉
そして「新しいものは何もない」という言葉
これらは問題提議で視聴者に考えることを促しているが、コントラストが強すぎてどっちかになってしまうようにも思えてしまう。
思考が、簡単に一周まわって考えることを止めさせてしまう。
やっぱり難しい。
臭いものには蓋をしろ?
幻想的な月夜の風景。そして東日本大震災の惨状。心の傷が未だにイヤされてないように思える堂島洋子(宮沢)。東日本大震災を扱った小説で脚光を浴びるものの、それからは全く小説が書けない。夫の昌平(オダギリジョー)は人形アニメーション作家を目差しているが、マンション管理人のアルバイトで食いつなぐ。
同僚のさとくん(磯村)が危険な思想を持っていた。ヒトラーにも通ずる優性思想。噛み付かれたり、幽閉されている障がい者の実態を見てバケモノへと変化していくさとくん。心がない者はヒトではない。やがて彼は洋子の告発によって精神病院へ入所することになるが、わずか2週間で退院・・・そして実行へ。
障がい者施設の実態は確かに隠蔽工作があったように描かれてはいるけど、どうせなら税金を使った杜撰な管理をもっと描いても良かったのでは?とも感じる。助成金や闇の事実など、所長のモロ師岡ならいくらでも抱えていそうだ。暴力や虐待などももっと深刻に扱ってもらいたかったところだ。
重すぎるテーマを中心に様々な闇を抱える登場人物。ちょっと詰め込みすぎとも思うが、生きること、生まれてきたことを上手く表現していた。そして「月」。冒頭の幻想的な三日月やアニメーションの月、そして「月に追いかけられている」と感じるさとくん。井上陽水の「東へ西へ」を口ずさむ様子も彼の心の中を見透かしたようで意味深だった。
盛り込みすぎの要因の一つ。二階堂ふみ演ずる陽子はクリスチャンの家庭に育つが、旧約聖書も詳しく知っている様子から、ヒトラーとユダヤ人の関連もほのめかしていたこと。回転寿司のタマゴにしたって・・・考えるのはよそう。
重たさと温かさが残る誠実な映画。
とても難しい題材を、誠実に映画化した石井裕也監督に拍手。
その上、しっかり映画としての面白さがある。
複雑な思いの中で、綱渡りするような話運び。観客をどこに連れて行くのか、と思いながら見続ける。
感動とは別な気持ちかもしれないけど、重たさと温かさが残る映画だった。見応えのある映画だった。
宮沢りえがほぼすっぴんで、皺だらけの顔で熱演。オダギリジョーとの夫婦役がいい味が出ていた。磯村勇斗も良かった。
やっぱり石井裕也監督は天性の上手さがあるというか、物事を外さない力がある。誤魔化さない誠実さも感じる。
「船を編む」がよく出来ていたのは、シナリオが良かったからと思っていたが、あの頃から演出が的確だったんだといまさら思う。
『選別』すれば必要のないものが必ず生まれる
今のこの社会の尺度で計れば誰もが思うこと。
当事者にならなければ他人は一生悩む事も苦しむ事もないのも事実。
すごく真っ当な事。
でも知ってしまえば⋯⋯何かを変える事が出来るのか。おそらく変わりはせず変えることも出来ないだろう。
さとくんのセリフには耳を塞ぎたくなる理想や現実も多々あった。
モデルとなった事件の被害者の氏名の非公開なども色々な事情などがある事がこの作品の答えの一つと言える。
とても重く辛いテーマに主人公のバックグラウンドを絡めて見えない事や理解しがたい部分を噛み砕いたのがいい。
誰も見たことのない月の裏側を見せてくれた作品。
いつの日かこの作品の答えが、誰もが納得のいく答えが月明かりではなく太陽の下に照らされる社会になればいいと願います。
終わり方が不満
実際の事件を元にされた映画。
犯行の様子は、わりと忠実な感じにしたようですね。
犯行が行われ、ニュースを見てるとこで終わるのはちょっと中途半端か、
その後ももう少し見たかった気がしました。
さとくんの心理は丁寧に描かれていたけど
重度障がい者施設で起きた事件をモチーフに書かれた辺見庸の小説を映画化した問題作。
この映画の重度障がい者施設で働く、主人公の堂島洋子(宮沢りえ)と同僚のさとくんと陽子と施設にいる入居者の違いは、洋子たちにはとりあえず夢があり、そのことを人に語れるという、あるとすると違いはそれだけというように映画の前半で描かれている。
この洋子たちの暗い日常世界が描かれる前半部分が、実は後半の事件の部分より見ていて苦しい。本当は施設で起きる事件の場面で苦痛を感じなければならないのに、平穏なはずの日常風景の殺伐とした闇が濃すぎて感覚がおかしくなる。
施設で働く洋子たちも洋子の夫も肉体的には健康だけど、日本の社会から経済活動に適さない不要な人間のように扱われている、本人たちもそういう意識を持っている。
さとくんはこの中で一番正直な人間で、自分たちと施設の入居者に違いはなく、同じ側の人間だと確信してしまった人間として描かれている。
そうでないと、さとくんの恋人が聾啞者ということの意味がわからなくなる。さとくんは自分の恋人は手話で会話が出来るからという理屈で、恋人を殺さないのではないと思う。
さとくんは施設にいる言葉を話せない重症の入居者が日本の社会から侮辱されている、見せしめに生かされているように感じて、その入居者たちと自分が同じ存在のように感じられて、自分もその地獄から救われたくて入居者たちを殺したというように描かれている(感想は人によって違うと思う)と感じた。
だけど、最大の疑問は話せないから施設の入居者たちには心がないという、さとくんの思想で、さとくんも本当はわかっていると思う。日本にはペラペラと大口を叩く自称優秀な人間が山のようにいるけど、あの人たちに心があるだろうか。
さとくんも前半では話せない入居者たちに心を感じていたから、童話を読んであげていたのでは、そのことを忘れるぐらいさとくんは自分を含めて入居者たちが社会から侮辱されていると感じたということなのだろう。
結果として重度障がい者たちの苦しみより、介護している側の人間の苦しみの方が強く描かれてしまった感じがある、ラストの入居者の母親の絶叫だけが救いに感じられた。
「かつてあったことはこれからもある」
作家の堂島洋子は、最近書けなくなり障害者施設で働くことに。夫は彼女を師匠と呼び、夫婦の息子は幼くして亡くなっていた。施設で働くさとくんは、入所者に優しかったが次第に。
実際の事件をモチーフにした作品。犯人の思想変化と、主人公の出生前診断に関する悩みを絡ませた物語。犯人の変化については少し強引な感じで、事実と異なるんだろうと思いました。心がないから人間ではない、だから殺す、の短絡思考には理解できるはずがない。優生思想と出生前診断については、どうしても割り切れないと考えてしまう当事者の苦悩が理解できます。
月は象徴的に出てきます。しかしシンプルで不自然なタイトルは、「つくい」をもじったのだろうか。
宮沢りえが始終辛い顔をしていて、同情してしまいます。
全276件中、21~40件目を表示