月のレビュー・感想・評価
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誰しもの問題を誰しもが逃げるから先が見えない
石井裕也監督、宮沢りえ主演(ひょっとすると磯村勇斗が主演?)の、実際に起きた障害者殺傷事件をモチーフにした小説の映画化で、原作は未読です。
この事件は「PLAN 75」の冒頭にも似たような事件をモチーフにしていましたが、作品の方向性は全く違っていました。
YOU TUBEの舞台挨拶で宮沢りえが「賛否が出る作品だと思うが観て欲しい」と述べていましたが、見る人は最低限上記の“実際に起きた事件をモチーフとした小説の映画化”だという位の予備知識は頭に入れての鑑賞した方が良いと思われます。
そして、そうではなく全く予備知識なしで見た(若しくは見せられた)人の否定論は無視しても構わないと、個人的には思っています。
それと“賛否”と言うより、この映画の場合は映画そのものよりも現実に起きている事件そのものの“可否”、“良否”、“善悪”を観客に問いかけている作品であり、いくら否定しても現実社会では実際に起きてしまっている事に対する問題提起でもあるので、そちらの言葉の方が適切な様に思えました。
更には、本作はあくまでも小説の映画化で(原作は未読だが)本作の主要登場人物は完全に創作された人物であって、現実とは全く違う架空の人物だという事も忘れず前提として見るべき作品だと思いました。
何故なら、多くの否定派のレビューには現実の事件や加害者を物語と混同している発言が目立ちましたからね。
ここからは個人的な話ですが、私は障害者と暮らした経験はありませんが老母との二人暮らしで、95歳と68歳が一緒に日常生活を送るのには(お互いにでしょうが)意思の疎通だけでもままならず、様々な苦労やストレスが伴います。
日々の暮らしの中で、このままだと気が狂ってしまうのではないかとまで感じてしまう時があります。母親は認知症ではありませんし、他人から見ると歳の割にはしっかりしている様にも見えます。
そういう意味では凄く恵まれている環境なのですが、それでもそのように感じてしまうしストレスも溜まってしまうというのが現実なのです。
なので、もっと酷い障害や症状を持っている人たちに対して家では面倒見れなくなった場合、どんな立派な施設であろうが、赤の他人に面倒を見て貰わなければならないという(逃れられない)現実があります。
この映画ではまるでホラー映画の様に薄暗く不気味な施設として描かれていますが、考えて(想像して)みて下さいよ。
本作の主人公であり加害者さとくんの台詞の「こんなにきつくて辛くて気が狂いそうになる仕事を月十七万円の給料でしているんだよ」って意味を政治家も国民一人一人も、もっと考えた方が良いと思いました。
正直、普段最も考えたくない項目でもあり、出来たら蓋をして見えなくしてしまいたい部分であるのはよく分かりますが、自分で思っている以上に今後の人生に誰しもがのしかかってくる問題でもある訳です。
どれだけ愛情豊かな人間だったとしても、肉親でもない重度な障害を持つ人の世話をしながら過酷すぎる仕事の中にいると人はどうなってしまうのだろう?…本作はそれを「自分には関係ない世界だ」と思っている人にこそ見て欲しくて作られたのだと思えました。どんなに逃げたくても逃げることの出来ない問題ですからね。
逆に日常で少しでもそのような日々を送っている人は逆効果の場合もありますので見ない方が良いかも知れません。
「月」ってタイトルをつけた理由は分かりませんが、球体であるのに表側しか見えないからこそ月は愛されるのでしょうね。世の中もきっとそうなんだと思いますよ。
完成度は高い
ストーリーの良し悪し、善悪の話は一旦横にして、演技や関係性の描き方は良かったと思う。
誰に感情移入できるかと言うと、わたしはオダギリさんだった。辛いことがあったなかで笑顔でいようと努めるけれど心の傷は埋まらない、そんな描写がすごく刺さった。
二階堂さんの冷酷に淡々と事実をしゃべるところはさすがの演技力。『何者』を思わせる感情の昂り方で見入ってしまう。
磯村さん、宮沢さんのやりとりは臨場感があって、尚且つ「お前はどうなんだ」というメッセージも感じて考えることがたくさんあった。
ストーリーは実際の事件の全容を詳しく知らない身としてまさに目を背けていたことに目を向けさせるためのきっかけとして成立していると思った。事実とは違う点があるのかもしれないが、0から0.1にはなっているはずだと思う。個人的な考えだけれど、事実だけならドキュメンタリーにすれば良くて、物語になっているのは入り口としては大成功だろうとおもう。
気になったのは画面を2分割する編集で、そこまで入り込めていたのが一瞬で戻された感じがしてそこが残念だった。あと月明かりは本当にあの明るさでよかったのか(作品を通しての明るさの統一感について)は色々と思うところがあった。
みんなに見てほしい映画です。
元入所施設職員として、映画館で鑑賞して、1300円のパンフレットもしっかり読みました。監督、スタッフ、俳優さんの思いがつまっていて、取材や見学、そして、入所施設での労働を通じて、障害者施設の現状に向き合う作品で、なにより、当事者が俳優として、いきいきと参加をされていて、でも、施設のリアルな実態もリアルに表現されていて、作り手の表現に驚きました。
今の日本の抱えている問題について、議論するきっかけとして、多くの人に見てほしい。議論してほしい。
実際に起きた事件に向き合い、二度と起こさないために何ができるのかを考えていきたい。
素晴らしい映画をありがとうございます。
日本社会の潜在的な歪みを写し出す。
そもそも主人公の夫婦の関係性がおかしい。
3歳で病死した息子について、お互い思いの丈をぶつけ合わない夫婦関係。
施設運営と施設従業員の思想と行動。
これらの異常性が日本社会に普通に蔓延しているという昨今。
数年前に観た映画、「帆花」とは全く正反対の映画。
「帆花」は愛に溢れ、「命」の尊さをリアルに教えてくれた。
日本社会はハラスメントで溢れきっていて、単純な解りやすい優生思想や生産性によって人の価値を決めるという事が日常茶飯事…。
相模原やまゆり園事件をモチーフに作られたという事だけど、どこで起こってもおかしくない現状に自分達は生きているのだと思った。
自ら殺人、殺戮しないにしても無言の圧力や誹謗中傷によって人を死へ追いやる事への抵抗感がない。
ジャニーズ問題が典型。
全ての内容に日本社会壊れてますよぉ❗と警鐘を流す内容。
今、ここにある命が大切。
誰もが唯一無二で、天上天下唯我独尊という事を認め合う社会が大切なのに…。
パワハラ、いじめ、監禁、差別、殺人、隠蔽、忖度、エホバの証人がキーワード
「舟を編む」の石井裕也監督が宮沢りえを主演に迎え、実際に起きた障が...
「舟を編む」の石井裕也監督が宮沢りえを主演に迎え、実際に起きた障がい者殺傷事件をモチーフにした辺見庸の同名小説を映画化。
オダギリジョー、磯村勇斗、☆二階堂ふみが出演。この人たちが物語を引き立てるぅぅ、。
自分はどう思うのか
不用なものが多すぎた
迷ったけど
劇場じゃないと
見ないなと思って
見てきた
重いとわかった上で
見に行ったのに
見終わった後辛すぎた
重いし痛いし切ないし
悲しいし見たくないし
そっぽむいて
向き合わずに
気づかないふりして
生きていたい
でも、それじゃぁ駄目だ
何事においても
当事者と家族だけじゃない
逃げるなよ向き合え
知らないとは言わせない
傍観者ではいさせてくれない
鋭い刃は間違いなく私にも
向けられていた
改めて考えさせられた
でも、
残念ながら人にすすめられない
作品だった。せっかくなら
重いけど是非見てほしいと勧められる作品であって欲しかった。
不用な演出、効果音、CG、暗さを演出しすぎ、もっと淡々としたものでよかった。フィクションなら良かったが、これはフィクションではないから。(ノンフィクションではない)だからこそ、最後の数十分も不用だと感じた。無くても結末は皆知っているのだから。妊娠に3.11も容易に盛り込みすぎた感じが否めない。そして終わり方も尻切れトンボすぎた。
重く非常に難しい題材を─
難しいテーマを突きつけられて、かなり引きつけられます。根底にあるものは、普遍的で、個人的なものとしてもその答えを見いだすことはかなり難しいものだと思います。それ故に尚更、食い入るように観賞しましたが、この吸引力は果たして作品に潜む難しい問題の為なのかそれとも巧みな演出によるものなのか─。
決してエンタメ的に難しい問題を扱っていることに異議があるわけではありません。このような社会問題をドキュメンタリーで扱うより、むしろ劇映画で見せられた方が真実味があったり考える度合いもかなり強まると思うので、この作品も非常に意義深い作品であると確信できました。見るものの興味をなるべく引いて、多くの人に見てほしいという意志も感じます。
原作は未読ですが、事件のことは知っています。たまに本当の出来事に脚色を加えて面白く仕上がっている作品を目にしますが、実際の出来事をあまりにも想起してしまう創作物は、多少、眉唾な思いにかられてしまって、せっかくの重要テーマが台無しに・・・。
あのような職員もいるんだろう、実際にそういったニュースも目にするし─、でもあの園で本当にあったことなのか・・・作品として実際にあったかどうかは重要ではないとは承知の上で観賞しているのですが、相当あの事件を想起してしまうので否が応でも作品と事件をリンクさせて見てしまいます。そうなると、演出とか創造性なども、嘘という嫌な意識がまとわりついて、大事な問題が頭の中に入りづらくなってきてしまいます。
この作品で扱われている、医療行為とかハンディキャップとか、もっと大きな括りとしていえば、生きることそのものへのテーマが、あの事件への想起によって、一気に飛びそうになりました。でも、必死に何かが、誰かが、それをくい止めてくれたように思います。それは、新しい命なのか、宮沢さんなのか石井さんなのかオダギリさんなのか分かりませんが、それ故に非常に意味深くそれでいて見やすい作品だなぁという印象です。
人を殺したいという「思考」は自由だが、殺人という「行為」は絶対に許されないのではないか?
意思の疎通ができなければ心がなく、心がなければ人間でなく、人間でなければ殺しても構わないのではないか?
これは、犯行に至る前、磯村勇斗演じる犯人が、宮沢りえ演じる主人公に投げかける問いであるが、それは、同時に、映画を観ている観客に向けた問いにもなっている。
「綺麗ごと」や「建て前」を抜きにして、こうした考えに真っ向から反対することはできるのか?仮に、近親者に重度の障碍者がいた場合、「当事者」として、こうした考えを完全に否定することはできるのか?
映画の中でも、主人公は、「私はあなたを絶対に認めない」と言うだけで、論理的に反論できないばかりか、障碍を持つ子が産まれてくることを望んでいない自分と犯人とを重ね合わせて、自分自身の中にも同じような考えがあることを自覚するのである。
こうしたシーンから、観客も、「重度の障碍を持つ人たちにどのように向き合えば良いのか」を深く考えさせられることになる。
しかし、その一方で、犯人に自分の考えを延々と述べさせることは、観客に「それも一理あるな」と思わせ、引いては、その考えを正当化してしまう危険性があるのではないだろうか?
あたかも、どこの障碍者施設でも、暴行や虐待が常態化しているかのような描写(冒頭のテロップも含めて)には疑問を抱かざるを得ないが、そうした劣悪な職場環境が、犯人の蛮行に正当な理由を与えてしまっているようにも感じられるのである。
施設を訪れる入所者の家族が、高畑淳子演じるきーちゃんの母親だけということにも違和感を覚えざるを得ない。こういう家族が沢山いたら、犯人が犯行に走る理由が弱められてしまうからなのだろうが、あまりにも家族のことを軽んじているし、薄情に描いているように思えてならない。
ドラマとしても、何のために二階堂ふみ演じる施設の職員を登場させたのかがよく分からないし、施設の入所者を虐待する2人組や先輩のマンション管理人のキャラクターも平板で薄っぺらい。
この映画の白眉とも言える犯人と主人公との対峙の後、一気にクライマックスになだれ込むのかと思いきや、一転、犯人は鑑定留置となってしまい、犯行に至るまでの流れがどうにも悪くて間延びしているようにも感じてしまった。
何よりも、犯人が多くの命を奪った理由が、「生産性のない者を税金で養うのは無駄だから」なのか、「意思の疎通もできずに寝たきりの状態で生かし続けるのは可哀想だから」なのかがよく分からないのは気になる。
そこは、あえて両方の台詞を言わせて曖昧にしているのかもしれないが、理由がどちらであるかで犯人に対する心象も変わってくるし、やはり、犯行の動機は明確にするべきだったのではないだろうか?
もしかしたら、色々な考え方を羅列して問題を提起し、観客に判断を委ねようとしているのかもしれないが、一つだけ間違いないのは、「思考」には正解がなくても、人を殺すという「行為」だけは絶対に許されないということだろう。
百歩譲って、犯人の思考や動機に同調できる部分があるとしても、その行為に賛同することは絶対にあり得ない。
この映画の最大の問題点は、ラストに至るまで、殺人という「行為」を明確に否定していないところであり、糾弾もしていないところであると思われるのである。
パラレルなノイズ(キャンセリング)
月
ジャンプスケアのような入所者の叫びのシーンは、突然入るのではなく閉じていく。集中するためのノイズキャンセリングのように、見たくないものに蓋をしていることを際立たせるためだ。
寝たきりの入所者に想像で感情移入して感性に思いを馳せる、皆同じ人間だ。その後に長回しのシーンで、非行の宣言と理由を聞く。日常の営みの温もりとの徹底された対比描写が続いていく。
彼は「最後は嘘をつかないで」という。見せかけの討論(自分の中の葛藤を含む)は嘘か。
墓参りで喜びを抑えられないように、皆何かを切り捨てて生きているのか。しかしそうして生きていること自体は辛いはずで、だからか小さな映画祭の受賞にも、涙が溢れ落ちている。
ぜひ観てほしい
★3.5+★0.5
今、こういうテーマで映画を作ることがどれだけ難しいかを考えると、やはり点数も「映画の質+敬意」という感じになってしまう。
今回の★4つはそういう感じ。
多くの方が、あの事件について「否」の立場であるのは間違いない。
でも、そこに「自分」や「家族」を投影すると、心が揺れてしまう。
作中、立ち入りを禁じられた奥の部屋のドアを開けると、糞尿まみれで自分の陰部をまさぐる老人。
私は、瞬間的にあの老人に自分の将来を重ねてしまった。今は障害がなくても、痴呆やケガなどで、数年後こうならない保証なんてどこにもない。
…と思ってたら「ともくん」が同じ事を考えていた。
さすがにドキっとする。
あの事件に向かう経緯を通して、こういう当事者性を観客に求めてくる作りになっている分、非常に観ていて辛い。
ただ、どのくらいこの映画が事実に則しているのか分からないけど、実在するあの事件の「本当の当事者」、つまり被害者やその遺族、現場職員の方はこれを観てどう思うんだろう。
雑然とした事務所、建物のあちこちで蜘蛛が巣を張り、廊下の奥は見えないほど暗く、どこからかうめき声が聞こえる。
映画に登場する職員の中に、この仕事が社会のために必要だ、と誇りを持って働いている人は一人も登場しない。
私は傍観者だから、当然それを求めるのは綺麗事なのかも知れないけど、現実にああいう施設が必要な患者とその家族が存在するという現実の中で、その綺麗事なしで日本中すべての施設が運営されているなら、それは余りにも救いがないし、私は決してそうではないと信じたい。
また「収容された人々はコミュニケーションが取れなかろうがもちろん人間で、人間を殺してはいけない」って事実は、法的にも倫理的にも生物学的にも揺るがないのに、犯人がそれを打ち明けた際に主人公は「私は認めない!」を繰り返すだけで、まるで個人的な見解の相違の様にしてしまっている。
耳の聞こえない彼女も、まるで耳が聞こえていないから止められなかったみたいな描き方。
そう、この映画は全体を通して、犯人が自然と犯行を思い立つことを後押しし、そして誰も彼を思い留まらせることがない設定に、あえてしてしまっている様に感じた。いわば、彼の犯行を「こうなったのは仕方ない」と言おうとしている様に。
おそらく作り手もわざとそうしているんだろうけど、そこはなんだか「意地の悪さ」を感じてしまう。
細かな部分について、その奥の部屋の老人が立ち入り禁止にされている理由もよく分からない(園長が面倒みてるの?)し、冒頭から始まる東関東大震災のエピソードも、本質的にこの話とは違う気がする。
散りばめられたピースが、どれも何となく本筋と噛み合わない。
気になるところはたくさんあるけど、そんなの吹っ飛ぶくらいやはり宮沢りえの熱演が素晴らしい。
記者会見で言葉を詰まらせてたけど、そりゃ、あの演技しようと思ったら、よっぽど役に没入しなきゃいけなかっただろうし、それだけで拍手モノ。
この社会的にも歴史的にも大きな事件を、風化させちゃいけない。
不都合な事実は見せたくない、見たくない、という心理
2016年のやまゆり園の大量殺傷事件を下敷きにしています。
事件の関係者にとってはとても辛い内容だし、私も観ていてきつかったです。本作における犯人がもともと正義感の強い人物だった、という描き方には、批判もあるでしょう。
制作者も、万人が手放しで絶賛する作品を作るつもりは無かったと思います。
冒頭、青白い三日月の下、元作家の洋子が歩く線路上には、おびただしいガラクタが散乱し、よく見ると魚も散らばっています。振り返ると大量の瓦礫があり、東日本大震災の事だと分かります。ただ、汚泥は全くなく、魚は腐っていない、つまりこれはイメージで、真実ではありません。これが本作を象徴していたと思います。洋子は同僚の陽子に、「あなたはきれい事だけを書いている」と言われます。鋭く胸を抉られるセリフが幾つかありました。
洋子は作家業に見切りをつけて障碍者施設で働き始めます。大変で、感謝される事も少ない仕事にやりがいを感じられず、洋子の目には担当のきーちゃんの姿はぼんやりした影のように映ります。
熱心なさと君や心無い職員の様子を見、厳しい現状を目にするうちに、きーちゃんが一人の女性に見えて来ましたが、事件は起きてしまいました。
事件は本当に辛く悲しい事で、犯人の主張を正しいと思う人は居ないでしょうが、では何が正しいのかと問いかけてくる作品でした。
とても重たい作品に出演した方の勇気に感服しました。
ただ一つ、私は事件の細かい所までは知りませんが、犯行前にさと君の外見を敢えて実際の犯人に寄せたのは、良くなかったです。
企画ありきで作った作品
どうしても、この作品を作らなきゃいけない理由が見つからないのが苦しいところか。
ベタ褒めしてる人は、たぶん映画関係者の身内か露悪な映画が好きな人な気がする。
スターサンズの名前があるので、例のプロデューサーが企画した後に監督として抜擢されたのが石井監督だろう。
故にこの物語の落とし所に苦戦してる様子が見て取れる。さすが石井裕也でそこら辺の監督よりは、見れる作品に仕上げてる。クオリティが高い。
しかし主演や二階堂ふみの演技は酷かったように思える。コレを熱演!と言って褒めるのはちょっといかがなものか?と思ってしまう。
やまゆり園の時は如何だったのか?少し気になるが、一方的な語り口な気がするのと、主人公の葛藤はどうなんだろう?落とし所がない気がする。
きれい事と現実
さとくんは今の日本社会の「象徴」
自分がどんな思想の持ち主なのか突きつけられた
気が滅入る題材過ぎて正直鑑賞を躊躇していました。
しかし、磯村君とスターサンズの作品なので観ない訳にはいきません。
朝イチの小さなハコでしたが何と9割入り!両隣に人がいるなんて何とも久しぶり。右は妊婦さん!だ、大丈夫かな。
原作「月」は、実際の障碍者殺傷事件をモチーフとし「事件を起こした個人を裁くのではなく、事件を生み出した社会的背景と、人間存在の深部に切り込まなければならない」←ここ大事
と感じた、辺見庸先生が「語られたくない真実」の内部に潜ることに挑戦した小説。
この問題作を映画化したのは実力派・石井裕也監督。
辺見先生の言葉通り、あの事件を主に描いているのではなく、「人間の尊厳」「福祉のシステムの在り方」を軸に我々に問う作品になっていたと思う。
私達が目を逸らしてきた現実の中の
「見ないようにしているだけで、確実にそこに存在している真実」を見せられて逃げ場を失った。
ハンデは入居者ごとに違ったようだが、ここはいわゆる「重度障碍者施設」
寝たきりだったり、自傷、他害があったり、24時間全介助の必要な人々が暮らす施設だ。
他施設や家庭では介護しきれない人々が最終的にたどり着く場所ともいえるのか。
以前読んだ重度障碍者施設で働く職員さんの手記を思い出した。
利用者同士、利用者から職員への
「暴力」は日常茶飯事。
もはや無法地帯だったそう。
そして過酷な労働で職員の入れ替わりが激しく、残された職員もいつも限界寸前で働いている。
休憩もなくサービス残業は当たり前。安全配慮もないに等しい。
施設は監査対策はするが、都合の悪い事は隠蔽。
労基法や労安法は守らない施設も実際に存在するとのこと。。
そんな施設ばかりではないのは承知しているが、実際に上手く機能が果たせていない場所があるのも事実だと知った。
施設の運営が健全でなければ、そこで働く人はキツイだろうなと思ったし、利用者も幸せではない。
職員の精神力でのみ安定が保たれている施設なんて破綻している。
本当に恐ろしい現実だ。
根本的な改革が必要な事は国も私達も知っているのに、臭いものには蓋。。
又、以前住んでいた場所の幼稚園の近くに、障碍者施設の建設の話しがあったが、近隣住人の反対運動が巻き起こり立ち消えとなった事も思い出した。
目につかない「森の中」ならあっても良いが、自分の生活圏内ならばどうか。。
この事も重なり、自分がどんな思想を持った人間なのかと、突きつけられた気がした。
本作の強烈なメッセージだと思った。
さとくん(磯村君)は、私には最初から壊れた人間に思えた。
彼の中での正義感や使命感といったものが、最初から異様な怒りを伴って見えたから。
これは私が、あらすじと、あの事件を知っているからなのか、起きる惨劇を想像できたからなのか、よくわからない。
でもさとくんはあの施設で働いていたから狂ったのではないと思えた。
最初から狂った思想を持った生き物だったのだと。。
いくら酷い現状の中にいたとしてもあの答えに辿り着くのは完全に間違っています。
それは大前提ですが。。
しかし、さとくんの、極端な考え方ではあるが、あの訴えには、全てを否定しきれない自分がいて動揺した。
同時に洋子(りえちゃん)も自らの心の中の本音とぶつかり対話する。
「本音と建前」「理想と現実」
私の心もぐらぐら揺れた。
そしてさとくんが言う
「がんばります」という言葉。
「がんばらなければいけません。
実行するには持久力が必要ですし、途中でやめるわけにはいきません。
だけど、がんばります。」
そして「がんばれ〜みんながんばれ〜」と口ずさむ。
ここが1番気持ちが悪かった。気持ちの持っていきようがなかった。
動悸がした。
震災や出生前診断、優生思想もテーマに組み込んでおり、強烈に重たい作品だった。
答えの出ない問いかけだが、人ごとではないとの確信もある。
未来なんてわからない。
私も事故にあったり、病気になって、寝たきりになるかもしれない。
それこそさとくんの言う「意思疎通が出来ないモノ」になる可能性だってあるのだから。
そして最後まで考えても見つからない答え。
あの夫婦の子供が病気がなく産まれてきて欲しいと願ってしまう私は、優生思想の持ち主なんだろうか。。
磯村君、りえちゃん、オダギリさんの演技は力強く、作品のテーマに負けない気迫を感じた。
りえちゃん代表作になるのでは。
⚪︎追記⚪︎
あるレビュアーさんのレビューを拝読し、考えた事があった。
洋子もさとくんも陽子も昌平もみな
「何かを作る人」だった。
しかし皆、それを批判されていた。
他者に評価されない不完全な物を生み出している所は、本作のテーマにもある「命の軽重」にも絡んでいるのかなと。
唯一、人間としての善性を保っていた昌平の作品が受賞した事も意味があったと思う。
建前の善人より、本音のやりとり
衝撃的問題作
久しぶりに邦画でヒリヒリするほどの緊張感を味わえた作品でした。
生々しい本音のぶつけ合いをここまで描いた作品も珍しいし見ごたえも十分ありました。
磯村勇⽃演じる青年の穏やかで冷静に主張する言葉に影響されてもおかしくないと感じるのは自分の年のせいもあるのかも。
人間とは何か?生きるとは何か?を問いかける強烈な作品でした。
宮沢りえとオダギリジョーの理想の夫婦の関係と磯村勇⽃と二階堂ふみの働く介護施設の厳しい現実。
衝撃的なラストをどう考えるか、尊厳死も含めて難しいテーマだと思いました。
娯楽作品ではないですが今を精一杯真面目に生きてる人が見るべき作品です。
おすすめ度は100%です。原作もじっくり読みたいと思います。
障がい者と施設の描画が酷い
事実を元にされている物語なのでこれはさすがにキツい。フィクションなら良いけど、、、
あんな暗闇で、、、職員さんも仕事しにくいだろうに。
犯人が事件を起こす動機付けの部分なんだろうけど、それでも酷い。一瞬退出を考えてしまった。
完全な作り話でエンタメも割り切れば良いけど、事実を元にしていると、どうしても被害者や遺族・関係者のことが気になります。この描画だと全員が深く傷つきそう。
ついでに、3.11と出生前診断までまとめて不快。
また、出てくる人、みんないろいろな意味で胸くそ悪い。観ているだけで病みそうだし、演者も辛かったと思います。
映画や小説なので、殺人者の完全否定だけでは行けないと思います。加害者にも理由や事情があったり、どこか共感できる部分があっても良いと思います。ただ、このストーリーだと、まるで施設や障がい者に殺される理由があったかのような表現です。これはいくらなんでも酷すぎる。
正直、この事件は考えさせられた。
自分が障がい者側なら、、、家族なら、、、職員なら、、、いろいろな目線があります。
自分で意思表示が出来ず、「ココロ」がないのであれば、殺して欲しいと思うし人もいるでしょう。また、介護疲れしている家族もいるでしょう。
かと言って、殺して良いということではありませんが。
といいつつ、、、最後まで物語に惹き付けられたのも確かです。なんとも評価が難しい。
全283件中、221~240件目を表示