栗の森のものがたりのレビュー・感想・評価
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栗が川を流れるだけで感動させる力がある映画
不穏なおとぎ話であった。ショットの完成度が非常に高い。どのショットもばっちり絵になっていて、それらを観るだけでも感動できる。冒頭の穴を埋めているシーンはややスローモーションをかけているのか、なんだか超現実的な白日夢のような美しい雰囲気。特に好きなのは、たくさんの栗が川を流れていくショット。ただ栗が流れているだけなんだけど、自然の摂理のようなものを強烈に感じさせて大変に印象深い。
舞台はイタリアの国境近くにある村で厳しい寒さに襲われる土地。一人息子がでていき、病に伏した妻を介護しながら生活している老人、夜中に医者の所に連れて行ったらそっけない対応をされるときのわびしい感覚。身を斬るような寒さと人の心の冷たさを融解するのは、自然の美しさと帰らない夫を待つ美しい女性との出会い。栗の森が二人を結び付ける。その出会いが現実なのか、幻想なのかもよくわからない。寓話と現実が入り混じる桃源郷で見る夢のような作品。美しい幻想に浸れる至高の時間だった。
"ヤブ医者"
物語が静かに淡々と進んだり戻ったり混乱する時間軸や不穏な雰囲気から色彩豊かな季節が絵画のようで、不意にノリの良い音楽が流れたり死神のような三人が登場する場面はコミカルな描写に映ったり、栗売りの女性が主人公かと思いきや大工の老人マリオが中心に語られる劇中、説明を省いて映像で描かれるマルタの過去や現在が幻想的でミステリアスにも。
マリオやその他老人が熱狂する賭け?のルールが知りたくなったり、マルタの部屋の壁紙が素敵だったり家具にも目移りしてしまう、全体的な雰囲気が嫌いにはなれない興味深い作品でありながら退屈感は否めない。
内容が僅少だが、僅少なだけに、情報量の多い映画では与えられないよう...
内容が僅少だが、僅少なだけに、情報量の多い映画では与えられないような豊かさを与えてくれる、そんなような映画。ドラマを映画にしたとか、アニメを映画にしたとか、色々なジャンルがあるのだけれども、こういう映画は、こういう映画こそ、映画としてでしか表現できないような映画。鑑賞時の環境がすごく大事になる映画だけど、今回は客席の具合も自身の少し倦怠的な精神状態もあいまって非常に良い状況で見ることができた。
なんのことやら、さっぱりわからん。
映画の予告編を観て、鑑賞をそそられた。鑑賞前に他のレビューを読んで、これは観る人によって評価が別れる作品だなと感じた。
鑑賞してみると何が言いたいのが私には分からない作品だった。時代背景も現代なのか19世紀なのか分からない。馬車、ランプが出てきて昔の話と思いきや、裸電球、電話、自動車が現れて現代(但し、50年前)の設定だと判明する。追想、夢、白昼夢、幻想、幻覚と入り乱れ脈絡なくて話が分からなくなる。美しいショットもあるが、他のレビューアーが言うほど私には多くはなかった。冒頭と最後の方に同じ映像が流れる。棺桶を収めるべき墓穴に棺ではなく、いが栗を埋めるのだ。この栗は生命(または自然)の象徴であって、人間もその一部でしかないと言っているのではないかと思えた。背景に絶えず自然音が流れているし、洗面器に溜められた水から波の音が聞こえる。
観る人によりいろいろな解釈ができる映画に監督はしたがったかもしれないが、私には何のことやら、さっぱりわからない。。思わせぶりが高い映画で、監督はこの作品を理解できるかとほくそ笑んでいるかもしれない。バロック美術の影響を受けていると書かれたレビューもあった。でも私はあまり感じなかった。
シルヴィ・バルタン
各カットがそのまま絵画みたいで魅了された。室内シーンは余白としての暗がりが効果的で、きっと監督はフェルメールとかカラヴァッジオとかが好きなんだろうなぁ。これだけでも観てよかった。
内容はまさに寓話であるが、文化的背景の差、例えば「東方三賢人」のような言葉が惹き起こすイメージの広がりが平均的東欧人に比べて少なくとも評者はずっと小さいことでモヤモヤする場面が少なくなかった。
ところで、スロベニア語で「息子」を”sin”と綴るとはなかなか意味深。
死ぬほど眠かった…
『ノベンバー』や『ヴァージニア』観た時と同じ感覚に陥った…
静かで暗くて幻想的、夢か現実か分からなくなるような描写…
作風が似てます。
死ぬほど眠かった…(笑)
期待したんだけどな…(苦笑)
僕はダメです(苦笑)
映画自体のクオリティは悪くないので、この評価。
珍しいスロベニア映画で、風景や建物が美しく、そこも良かったです。
何か起こることを期待してしまう自分。
争いや事件が起こるわけでもない。
何かが起こることを期待して観てしまう自分の前提が、この作品を観ていると、その浅はかさが嫌に思えてくる。
作られた世界ではなく、ひとに忘れられた、とある場所の景色がとても豊かで、自然光で撮影された映像からは、匂いや気温、肌触りみたいなものを感じさせるほど美しく、とくに綿毛や波で表現する風の存在は見事。
老夫婦の営みは「消えるもの」として、かすかな希望と切なさを表し、静かな絶望を抱えて立ち去る女性の存在はアクセントにもなっている。そして、老夫婦の息子は、どこか能天気に描かれる。
人にはひとりひとりに物語があって、その物語を繋ぎ続けて、ひととして全うすることに、しみじみと浸ることのできる作品。
イタリアとユーゴスラビアの国境あたりの山村、1950年代。 妻に先...
イタリアとユーゴスラビアの国境あたりの山村、1950年代。
妻に先立たれた老紳士、夫が戦後戻ってこない女性、が軸で。
現実の、近所づきあい、看病、森の栗拾いなども、アート的で
時折、天国(?)からのお迎えのような場面も入りつつ。
まるでおとぎ話か絵本のような、美しい森の、
美しくも悲しい、後味はほんわりとするお話でした。
丁寧につくられた絵画的な映画であるが、内実が伴っておらずもどかしい印象。
ある意味、もったいぶったつくりの映画ではあるが、
結局のところ、老婦人が流感にかかって亡くなり、
旦那にもそれがうつって亡くなるだけの話で、
そこまで深い内容を感じさせる映画でもなかったような。
久しぶりに「終わり」って出て、
「おい終わりかよ!」って気分になりました(笑)。
少なくとも、同じ映画館で観た『ノべンバー』や『マルケータ・ラザロヴァー』ほどの衝撃性や重厚さはなく、若干「ファッション文芸」映画のきらいもあるのでは。
それはそれで、徹底した映像重視の姿勢で、美術史的な視座をもって画面を作りこんでくれていれば納得もするのだが、宣伝で強調されていた「フェルメールやレンブラント」を意識した画面作りといえるくらい、引き込まれるようなバロキッシュな美観をたたえていたかというと、それほどでもなかった気がする。
たしかに、室内のシーンは明確にフェルメールやシェルダンを意識した調度や調光がみられたし、暗闇にろうそくの明かりで浮かび上がる様子は、レンブラントやジョルジュ・ラトゥールなどの北方バロック絵画を思わせる。
指を用いた賭け事の様子や、結婚式のダンス、死を前にして現れる三人組(亡霊? 天使? 田舎芝居? 楽団?)などは、ピーテル・ブリューゲルやヤン・ステーンなどの北方の風俗画からもモチーフを得ているのだろう。
冒頭の栗の埋葬(再生?)や森に舞う風花、木にもたれる老人、海辺を歩く若い女など、個々のシーンも一応のところ、美しく撮られている。
ただ、たとえばエルマンノ・オルミの『木靴の樹』や、 ヴァーツラフ・マルホウルの『異端の鳥』の如き、徹底した絵画的描写あるいは中世的スラブの再現的描写には至っていなかったというのが正直な印象だ。どうせやるなら、徹頭徹尾(ヴィスコンティのように)すべてのシーンが絵画として切り出せるくらいにやってほしかった。
ところどころで「破調」として比較的唐突に挿入される歌謡曲、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」(64)やパガニーニの主題を用いたポップス(調べてみたら、ベティ・ユルコヴィッチというクロアチア人歌手の歌った1963年の『パガニーニ・ツイスト』という曲らしい)も、なんで1950年代の戦後すぐの時代を扱った映画で、60年代半ばの曲をわざわざ使わないといけないのか、今一つ得心がいかない。ダンスシーンにしても、馬車で乗客が踊りだすシーンにしても、話の雰囲気に曲が合っているようにもあんまり思えないし……。ついでにいうと、馬車の女性二人が台詞を読み合わせているのは、1932年の映画『グランド・ホテル』(グレタ・ガルボ主演)の冊子らしく、さらに年代感がめちゃくちゃである……。
何よりこの映画の場合、いろいろと回想や幻想を取り交ぜて大変凝ったナラティヴで通しているのだが、その結果として映画が深まっているかというとそうでもないのが気になるところ。単に叙述がわかりにくく「文芸映画っぽくなっている」だけで、内実が伴っていない感じがどうしても否めないのだ。
まず出だしは馬車に揺られている弱り切った老人の回想として、そのあとは栗拾いの若い女の家での「回想内の回想」として、奥さんの発病から死の床に就くまでと、その後の出来事が小出しに紹介される。そこに、死の床に現れた天使たち(?)の幻影や、いるはずのない若い女の(戦争から戻らない)旦那さんの幻影などが当たり前のように挿入され、時系列も行ったり来たりを繰り返すので、お話は非常に追いづらい。
だが結局そのことで、この棺桶づくりの老大工の人生の機微だとか、奥さんへの無骨ながらも年齢を重ねた夫婦ならではの愛情、あるいは村から出ていこうとする若い女への複雑な想いなどが殊更深められるわけでもなく、単純に限界集落に生きる侘しさのようなものがやたら強調されるだけで、正直、あまり物語が胸に沁み込んでこない。
このへん、やはり監督さんのグレゴル・ボジッチも、プロデューサーのマリーナ・グムジも1984年生まれのまだ若い才能であり、「型」からは入れても、まだその「型」に見合った内実を伴わせることが難しいのかな、と。
個人的には、枠組みと題材から当然期待されるレベルの感興に届かないのが物足りないし、もどかしかった。
まあ、観ていて嫌な映画ではないし、終始静謐で物悲しくて、しっとりと浸れる映画ではあるんだけど。
個人的には、老大工が死にゆく妻の身体を棺桶を作るために木切れで測るシーンがいちばん良かった。こういう静的であってもエモーショナルなシーンを、もう少し積み重ねてくれていれば、だいぶ映画の印象も変わったと思うのだが。
あと、パンフやチラシで「フェルメールやレンブラントといったオランダ印象派の画家に影響を受けた」とあるが、フィルメールやレンブラントを印象派と呼ぶことはまずありえないので(アムステルダムの印象派だとアウグスト・アルべあたりか)さすがにどうかと思う。
ちなみに、この映画で老夫婦が命を落とすのが「インフルエンザか結核かチフス」(村の藪医者・談)ってのは、来たる「コロナ」の流行を予見しているかのようでじつに興味深い。
(映画自体の完成は2019年なので、12月から始まったコロナの流行より「先に」この映画は封切られている。)
あの医者が言う「(どうせもう先のない)老人なんだから、冷湿布でもおでこに貼って寝かしておけばいい」という考え方は、まさにその後、イタリアや北欧でコロナ大流行時に政府が採った「老人に特別な医療リソースを割かずに寿命だと思って見限る」という「切り捨て容認論」とも通底していて、そのあたりも含めて実は予見的な作品だったともいえるのではないだろうか。
こういう映画を大切にしたいなぁ。
わくわくドキドキさせてくれる映画じゃないです。
自然のなかで慎ましく生きてきた人達が、色々な形でその地を去らねばならない時、その土地の木や土を、、栗の木を慈しんでいるような映画です。
スロヴェニアの地理や歴史をチラ見したけど、アドリア海にちょこっと面した、政治的に不安定な地域に隣接し右に左に翻弄された小国という感じで、そこを去る人、残る人の気持ちは比較的安定した島国日本産まれの私には到底想像する事もできないのでした。
なんかダムに沈む産まれた村を去る、、感じかなぁ、、、。
幻想や夢が入り混じって、何やら見づらく感じる人も居ると思いますが、この状況で頭の中にある事を視覚化したらこんな感じかなと、、、。
初長編の監督で演出にちゃめっ気も有り、音楽も今風だったり。かとおもうとパゾリーニやタルコフスキー見たいな巨匠ぽい素敵な絵とか、今後が楽しみな監督です。
死にそうな妻を病院に連れて行く老棺桶職人の目が綺麗で見惚れてしまいました。
始まっていきなりでてくる2匹のファイアーサラマンダーは分布的に基亜種のSalamandra salamandra salamandraかなと思う。
栗のお墓
どこを切り取っても美しい画に見惚れた。
アノ三人の登場はパゾリーニみがあって良かった。
何の病気でもとりあえず処方される薬は子供の頃に病気するともらえるシロップ薬を、
落とし穴状態の栗の毬を枯葉で埋め立てはお墓を作って遊んでたのを思い出した。
偶然入った古書店で見つけた美しい装丁の絵本のような読後感
栗葬
イタリアとユーゴスラビアの国境の森のおとぎ話
しみったれた大工マリオの話しに始まって、最後の栗売りマルタと繋がって行くけれど、何のオチもなく次の話しに移ったのかと一瞬びっくり。
ちゃんとマルタとマリオが絡んで夢でみること、過去のことを絡めつつ優しいお話しになって行く。
とりあえず、インフルエンザか結核かチフスなんですね。
そして最後はもう一人………。
最後はほんのりコミカルさもあって、これと言って大きな波はないけれど、なかなか面白かった。
枯れ葉は人生喪失のメタファー
『WANDA/ワンダ』、続く『ノベンバー』、『私、オルガ・ヘプナロヴァー』と、クセがありすぎる作品を提供するクレプスキュール・フィルムらしい1本。
イタリアとユーゴスラビアの国境地帯にある枯れ葉だらけの小さな村を舞台に、守銭奴で息子の帰りを待つ老大工と夫の行方を探す女がひょんな事で知り合い、ディケンスの『クリスマス・キャロル』を下地にしたような寓話が展開する。
監督はスロヴェニア出身で、第二次大戦後、貧困と政治的緊張により故郷を去った村民への哀愁・望郷の念を込めたという。とにかく絵画のような画づくりが特徴的で、『ノベンバー』を彷彿とさせる。テルミンが奏でる劇伴も相まって荘厳なムードで進むのかと思いきや、序盤で老大工が興じる「モラ」と呼ばれるハンドゲームの描写が妙に荒々しかったり、シルヴィ・ヴァルタンの『アイドルを探せ』に合わせて踊るシーンがあったりと、掴みどころがない。
枯れ葉はまるで人生の喪失感を表しているかのよう。日本公開は10月との事で、枯れ葉が目立つであろう秋に観るには最適かも。
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