キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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スコセッシのキャリアの集大成的作品
沈黙、アイリッシュマンという本人にとっても念願の大作を撮り終えて、肩の荷が降りた後にスコセッシが何を撮るのかなと思っていたが、キラーズオブザフラワームーンは、まさかのその二作に勝るとも劣らないヘビー級の作品で、作品としての完成度の高さに驚かされた。
スコセッシは「カジノ」ぐらいまでで完成した自分のスタイルを一旦封印して,20年ぐらいかけて自分のスタイルを再構築してきたと思うが、今作はその集大成という気がする。テーマ性においても、暴力と信仰というスコセッシのいつもの二つのテーマが「沈黙」よりも巧みに織り込まれて、更に洗練されているように感じた。
内容的には予想される悲劇がただただジワジワと起こっていく、アメリカの暗部を描いた陰惨な内容であるにも関わらず、ノンフィクション小説を読むかのようにのめり込んで3時間半見てしまう。上手く言語化出来ないが、今作を見ている間、物凄く「映画を見ている」という満足感があった。フィルム時代の大作長編映画を見ている時のような満足感と言ったらいいだろうか。撮影、編集、音楽、衣装、セット、役者陣の演技、全てが高いレベルにあるからこそ、このような風格が生まれているのかもしれない。
リリー・グラッドストーンの静かな悲しみと諦めの混じった演技、ディカプリオの、力ある物に屈して、飲み込まれていってしまう男の演技も素晴らしかったし、かつてのあの「怖いデニーロ」を久しぶりに見れたのもうれしかった。デパルマのアンタッチャブルを思い出させる剃刀シーンや、グッドフェローズと同じように法廷で指を指されてデニーロが睨み返す場面等、ニヤニヤして見てしまった。
その他にも法廷場面の意外な配役に、エピローグのラジオ番組、そしてまさかの本人登場という意外なメタ演出。オーセージ族の宗教観を表す様々な象徴的イメージや音の効果も素晴らしい。ボリューム満点で、いくつものレイヤーがある本作は集大成と言うにふさわしい大作だと思う。
大傑作
藤井風の「何なんw」が聞きたくなった
この映画のライブ感に痺れる!
血は軽くも薄くもなく、ただただ濃い。
3時間23分
IMAXで鑑賞する意味は特になし
スコセッシ監督作はもともと尺長めのものが多いが、前作アイリッシュマンに続いて今作も200分超えの3時間26分! まあ、岩井俊二に3時間使うならこっちだろうということで鑑賞(キリエに失礼)。マフィアだの詐欺師だの平気なツラして世の中に巣食うヤバいやつら(ホメ言葉)をいつものように描いていて、作劇を楽しむスコセッシ作品として長尺を飽きずに観届けられた。
ただ、今作はこれまでの監督作とちょっと異なる印象で、白人に蹂躙されるネイティブアメリカンの悲劇が物語に組み込まれていることにより、面倒見のいいおっさんの皮をかぶったデ・ニーロはじめ、待ってました!な連中が次々登場し悪行を働く一方で、モリーら先住民たちへの哀れみが並立していて、白人どもの非道ぶりを素直に楽しめない感じ。
それは歯並び悪くウケ口気味な顔面演技を続けたディカプーの、殺人まで犯してもモリーには変わらぬ愛を注ぐアーネストというキャラのどっちつかず感にも表れているような気もした。ただのボンクラといえばその通りだけど。
そんなわけで、今作では、FBI捜査官のジェシー・プレモンスが姉さん女房のキルスティン・ダンストの尻に敷かれる姿も勝手に想像しつつ、そっちを応援したくなってしまった。
ちなみに虫の声エンドロールは沈黙サイレンスの焼き直しだろうか。
ダメんずやらせたらレオ様最高ですww
帰省したタイミングで“ん10年ぶりに”両親と映画鑑賞✨✨✨
3時間超えの映画を集中し続けて観ることができるのか些か不安だったけど全く心配無し。終わってみたら『あれ?あっという間だったかも!』と。事件全般の後日談を後世で上演されている舞台という形でコンパクトに紹介してくれた手法にはマジ感謝😂(←)アレがなかったらさらに30分は延びたんぢゃない??)まぁ、あっという間体感だったけど、後から目や頭がズーンと重く感じてはいたけど💦💦💦
表向きは優しく慈悲深いイケおじデニーロを頼って戦争から戻った“調理場の”ヒーローレオ様。
善人の皮を被った狼と男の見栄とエゴを振りかざす典型的なダメんずがオイルマネーを手にしたネイティブアメリカン達を見下し(いや、ダメ男はただの女好きか😅)自分のものにするためなら殺しも『やむなし』といった具合にホント軽〜い感じでどんどんバンバン殺していくお話。
正直なところ、トレイラーで見ていた映像からストーリーは容易に想像でき、その想像の域を脱しなかったため、映画を見終わった後も「良かった〜、けどまぁこんなもんか。」くらいに思っていて、そのまま点数をつけたら恐らく3.6くらいだったかな。
でも鑑賞後にFilmarksの記事でこの映画に関するものを読んで印象が大きく好転💕
かつて実際に起きた事件を元に書かれた小説を原作として描かれたこの映画。元々は原作小説をなぞり、オセージ族の連続殺人事件とその事件解決にD.C.からやってきたFBIのミステリー作品的な脚本で、レオ様はFBIのトム・ホワイト役をオファーされたとか。でも、このストーリーの本質は殺人事件の解決よりもオセージの在り方やダメ男夫妻の愛の物語なんだと訴え、脚本の大幅修正を要求した上に自分がダメんず役を買って出たとのこと。
それを聞いたら映画全体の評価が格段に上がってしまい、気付けば4.4点🍀こーゆー記事を読むことも非常に重要なんだなーと気付かされる良いきっかけになりました😊💜
さすがの二人(Leo&De Niro)
3時間超もしくは3時間前後の映画が多くて慣れてしまったのか、作品そのものが面白かったからだろう、これはそんなに長く感じなかった。
(個人的には、バビロンとかレジェンド&バタフライなどの方が長く感じた)
「キラーズ…」とあるとおり殺人の話で、冒頭からベッドに横たわる人々を見て、これはどう展開するのかと引きこまれた。
そして当時の人種の勢力図がわかり、恐ろしく感じた。
ディカプリオは変わらず上手くハマっていた。流れに抗えないんだけど、妻への愛だけは自分の意思がハッキリしていた。
デ・ニーロは貫禄があり流石。年を取ったがかっこいい。優しいおじさんの笑顔が、裏の顔がわかるにつれ凄みというか存在感を増していたように思う。動じない姿がすごかった。
どうでもよいのだが、映画の中のサロン?ヘアサロンか。床屋とビリヤードが同じ空間にあったが、あの感じがちょっと好き。
あと、他の方も書いてらっしゃるが、パンフ販売がないのが残念!
生々しい
映画館にて鑑賞しました。
3時間を超える上映時間でしたが、つまらないなぁ、と思う部分はありませんでした。だからといって、短く感じたというわけでもありません。もう少し時間が短いといいな、と思いましたが、これだけ描いているとこうなってしまうのかな、とも感じました。
最初から事件の犯人が分かっている形で話が進んでいきますが、いつモーリーに魔の手が伸びるのか、とヒヤヒヤしました。
アーネストは心が弱い奴だなと思いますが、自分としては人間臭さを感じました。レオナルド・ディカプリオの演技もとても良かったな、と思いました。また、言わずもがな、といいましょうか、ロバート・デ・ニーロ演じるヘイルのオフィサー感はやはり尋常じゃないですね。
少し詩的な言い方をすると、インディアンの土地から採掘された石油に市場価値が付いてしまった瞬間に、先住民の文明・文化が資本主義の人間の欲望に飲み込まれる運命が決定づけられたんだなと感じました。このように書くとインディアンが一方的に弱者に感じますが、物語の端々に白人(資本主義側の人間)から見るインディアンの特性も描かれているように見えました。
石油だけがインディアンを追い込んでいったわけではないのでしょうが、彼らが石油を手にしていなくても、彼らの生活が残り続けたというビジョンも見えないのが少し切ないですね。
やはりスコセッシ監督はスゴイ
円熟した俳優たちの素晴らしさ
白人たちがKKKを隠そうともせず、陰湿な手法で先住民の利権を強奪していく
愛すべきショミカテ
ネイティブの皆さんが円陣になって踊る〈花〉に見たてたラストの真俯瞰カットを見る限り、本作はその昔オイル利権を握っていた世界一裕福な先住民オーセージ族を次々と殺めていくホワイトたちの物語である。資産家の先住民の皆さんをまるで物を扱うように射殺したかと思えば、毒入りウィスキーや糖質タップリの食事でじわじわと弱らせていくえげつない手口。金のためなら手段を選ばない極悪非道の白人たちをこれでもかと醜く描いた1本なのだ。
1920年代アメリカのオクラホマ州。フリーメーソン!のキング(ロバート・デニーロ)が牛耳るオーセージの田舎町に甥のアーネスト(レオナルド・デカプリオ)が戦地から帰還する。マネーと(太めの)女が大好きなちょっとまの抜けたアーネストは、先住民のモリー(リリー・グラッドストーン)の運転手をしている内にすっかり惚れて込んでしまい結婚するのだが、金の亡者キングが仕掛けたオイルマネーを巡る陰謀の渦中に引き摺りこまれていくのであった。
そんな先住民差別(虐殺)問題に絡めながら、前作『アイリッシュマン』同様に、本作には監督マーティン・スコセッシの自己投影的演出がなされている。一人また一人と一族の人間が天に召されていく様子をリリカルに映し出したシーンには、御年81歳を迎えた巨匠スコセッシの死生観がはっきりと表れているような気がするのだ。「昔の知り合いや映画仲間はほとんど亡くなってしまった。今は犬だけが友達さ」とかつてアラン・ドロンが単独インタビューで語っていたことを、スコセッシも今現在身に染みて感じているのではないだろうか。
昔からずっと一緒にいて自分のことを本当に理解してくれている親戚や友人たち、仕事仲間がほとんど亡くなって一人ぼっちになってしまった時、オーセージの生き残りとなったモリーのごとく、深い寂寥感からわき上がる慟哭の声をあげずにはいられなくなったのではないか。しかも、最後は自分を守ってくれると信じていたアーネストいな、ハリウッドが金に目が眩んだ裏切者だったと知った時、その悲しみにはさらなる拍車がかかることを、この映画は切々と訴えているような気がするのである。
正義は勝った、しかし.....キングやアーネストが逮捕された後のシークエルに、ラジオドラマ風の演出をして見せたスコセッシの真意はどこにあったのだろう。(ブレンダン・フレイザーが出落ちしていた)裁判も含めすべてが茶番劇だったと言いたかったのだろうか。それとも映画を(生で)映画館へ見に行かなくなった観客に対するあてつけなのだろうか。興行的にコスパ最悪の3時間26分という超長尺の本作は、パラマウントのみならずAppleTV+が配給に加わっている。2億ドルの制作費を劇場上映だけでは回収できないと判断されたのだろう。
マーティン・スコセッシにとっては、手間暇かけてじっくり丁寧に作り込んだハンドメイドの映画が、劇場公開のみで元がとれ大きな利益をあげられてこそ“完全なる勝利”といえるのだ。本編の作りとは明らかに異なる、デニーロやデカプリオの声音を真似たなんちゃって声優やスコセッシ本人のキャスティング、そして何ともチープな効果音で再現されたラジオドラマは、ネイティブの皆さんには悲劇以外の何物でもない深刻な出来事を、“勝利”のためとはいえ見せ物にしてしまったことに対する贖罪だったのではないか。
この映画の道義的責任は全部監督である自分にあり、出演俳優等には一切責任はないのです。マイノリティ搾取を屁とも思わないしょうもない白人たちですが、中にはデカプリオ演じるアーネストのように悪事に手を貸しながらも家族を本当に愛した男もいたのです。だから、私たちを嫌ったりしないでね、と。エンドロール後のショミカテ(コヨーテ)の雄叫びは、白人=肉食獣を代表してスコセッシ自ら詫びを入れた、茶目っけたっぷりの演出だったのではないか。
屈指の重量級
小さな土地で起こった連続殺人事件であるが、それを改めてこうして掘り起こした意義は大きいように思う。おそらく、ほとんどの人はこのような事件があったことを知らないだろう。
そして、本作には石油に限らず、土地やそこから生み出される利権を巡って繰り返される戦争に対する暗喩も読み解けた。そういう意味では、現代にも通じる普遍的なメッセージが感じられ、ズシリとした鑑賞感が残った。
正直、陰惨なドラマであるし、上映時間も長いので観終わった後にはドッと疲れる。ただ、実際に観ている最中は全く退屈することはなく、話が進むにつれてグイグイと惹きつけられてしまったのも事実である。これもひとえにスコセッシの演出力のおかげだろう。
スコセッシの演出は流麗且つ端正にまとめられている。
冒頭の石油を浴びるオーセージ族の姿をスローモーションで捉えた映像は圧巻のビジュアル・センスであるし、大自然をバックにした美観も作品に一定の風格をもたらしている。また、幾度か描かれるウィリアムとアーネストの対峙は、じっくりと腰を据えた心理描写に専念し、その余りの緊迫感とシニカルなユーモアに目が離せなかった。
そもそも、このウィリアムという名士。表向きはオーセージ族の味方のように振る舞っているが、その裏では彼らを食い物にしている業突く張りな資本家である。金のためなら他人の命など何とも思わない極悪人で、多くのならず者を手下に抱えている。そんな彼の欲望が渦巻く本ドラマは、さながらマフィア映画のような怖さで大変スリリングに観ることができた。
但し、ラストの処理の仕方については、いささか凝り過ぎという気がしなくもない。普通であればテロップで処理しても良いと思うのだが、それを”ああいう形”で締めくくった狙いが自分には今一つ理解できなかった。
また、本作は事件の関係者を含め、登場人物がかなり多く、しっかりと物語を把握しながら観進めていかないと後半あたりから混乱するかもしれない。
モリーには3人の姉妹がいて、彼女たちは夫々にウィリアムによって命を狙われていく。そのあたりの事件のからくりがFBI捜査官の登場によって後半から怒涛のように白日の下に晒されていく。物語がかなりの重量級で、結果として上映時間もこの長さになってしまった。
おそらく興行的な事情を考えるのであれば、設定の刈り込みなどをすることによって、もっと観やすい時間に収めることができただろう。しかし、スコセッシは敢えてそうしなかった。この歴史的悲劇の重みを観客に伝えたいという思いから、なるべく事実を端折らないで映画化したのだろう。その心意気は買いたいが、今回はかなり欲張ったな…という印象も持った。
キャストではスコセッシの新旧に渡る盟友レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロの共演が大きな見どころである。
アーネストを演じたディカプリオの熱演、ウィリアムを演じたデ・ニーロの表裏を使い分けた貫禄の演技、夫々に見事だった。自分もスコセッシ映画を随分と観てきたが、この盟友の共演には感慨深いものがあった。
23-124
マーティン・スコセッシ監督がレオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ...
マーティン・スコセッシ監督がレオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、ジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンら豪華キャストを迎え、実話を基に描いた西部劇サスペンス。
3時間をこえる長編、、物語がしっかりしててあっという間に終わっちゃいました。
スコセッシ円熟の作劇
先住民ルーツのカナダのデヴァリー・ジェイコブスという方がこの映画を批判している。この人は私は知らないが作家で俳優でありカナダではそれなりに重鎮らしい。いわく「悲痛、過酷、容赦がなく不必要に生々しい」「白人の男性キャラクターが深く造形されている一方でオセージ族のキャラクターは浅く類型的」
祖先の虐殺がテーマであり前者の感想は納得出来るが後者の感想はややスコセッシ監督初め制作、出演者には気の毒な感じがする。
一般に善良、無作為な被害者たちに比べれば、冷酷非情で計画的な殺人者たちのほうがキャラクターが濃くなるのは当然。この映画でもキングやアーネストは実際の殺人には手を染めず実行犯となるプアホワイトの連中のキャラクターの立ち方は凄い。特にアナを殺したケネス(だったけ?)の気持ち悪さはハンパない。
そしても一つ。オセージ族は元々はミシシッピ川沿いのオハイオ辺りに住んでいた種族で、合衆国政府に追われ居留地を転々として映画の舞台となるオクラホマ州グレーホースにやってきた経緯があるのです。つまり住んでいるところは祖先の地ではなく土地との精神的結びつきが弱い。急速な生活の白人化によって身体的に脆弱化もしており全般にエネルギーが減ってしまった状態にある。映画の中でも虐げられる一方の人々として弱々しく描かれるのは史実として間違いはないのです。だからこそリリー・グラッドストーン演ずるモリーの神々しいほどの美しさ、病気になるまでの逞しさが引き立つのですが。
そうそう、映画冒頭のオセージ族の人々がパイプを埋めるところ、意味がお分かりの方ご教示下さい。
マーティン・スコセッシという人は移民であるとか「そこに仮に住んでいる、ルーツは別だが帰る術を持たない」人々を描かせたら本当にうまいですね。それにしても80歳になっても題材を見つけてきて脚本を書きこれだけの大長編を制作してしまうパワーは凄いです。
流石に「ウルフ・オブ・ウォールストリート」なんかと比べたらケレン味は少し減ったけど元々、スコセッシの持ち味は軽みにあると思っているので十分満足しました。
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