キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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血は軽くも薄くもなく、ただただ濃い。
サスペンスといっても大どんでん返しや、伏線張りまくりという訳でもないですが、物語に引き込まれます。
映画の感想とは違いますが
とても贅沢な時間を過ごしたなぁ、と思いました。
長編という事もあって、エンドロールで席を立つ方は多く感じましたが、エンドロールもセンスが光っているので是非最後まで見て欲しいです。
3時間23分
2作連続(ザ・クリエーターと本作)でコケージャンアメリカンがクソみたいに残酷で優位主義者でいかにしてこの世界を思うがままにぶっ壊してきたかっていうのをテーマにした映画見れて世界どうなってるの?って思いましたね(気持ち良い/小気味良い)。
とにかくデカプリオのダメっぷりが最高です。
顔と名前が一致しない(外国の俳優さんの顔が覚えられない)人には訳わかんなくなると思いますが、そこはなんとかおじさんと兄弟だけ覚えてもらって。
ドリンクは持ち込まずレッドブル飲んで頑張りましょう!Good Luck!
IMAXで鑑賞する意味は特になし
スコセッシ監督作はもともと尺長めのものが多いが、前作アイリッシュマンに続いて今作も200分超えの3時間26分! まあ、岩井俊二に3時間使うならこっちだろうということで鑑賞(キリエに失礼)。マフィアだの詐欺師だの平気なツラして世の中に巣食うヤバいやつら(ホメ言葉)をいつものように描いていて、作劇を楽しむスコセッシ作品として長尺を飽きずに観届けられた。
ただ、今作はこれまでの監督作とちょっと異なる印象で、白人に蹂躙されるネイティブアメリカンの悲劇が物語に組み込まれていることにより、面倒見のいいおっさんの皮をかぶったデ・ニーロはじめ、待ってました!な連中が次々登場し悪行を働く一方で、モリーら先住民たちへの哀れみが並立していて、白人どもの非道ぶりを素直に楽しめない感じ。
それは歯並び悪くウケ口気味な顔面演技を続けたディカプーの、殺人まで犯してもモリーには変わらぬ愛を注ぐアーネストというキャラのどっちつかず感にも表れているような気もした。ただのボンクラといえばその通りだけど。
そんなわけで、今作では、FBI捜査官のジェシー・プレモンスが姉さん女房のキルスティン・ダンストの尻に敷かれる姿も勝手に想像しつつ、そっちを応援したくなってしまった。
ちなみに虫の声エンドロールは沈黙サイレンスの焼き直しだろうか。
ダメんずやらせたらレオ様最高ですww
帰省したタイミングで“ん10年ぶりに”両親と映画鑑賞✨✨✨
3時間超えの映画を集中し続けて観ることができるのか些か不安だったけど全く心配無し。終わってみたら『あれ?あっという間だったかも!』と。事件全般の後日談を後世で上演されている舞台という形でコンパクトに紹介してくれた手法にはマジ感謝😂(←)アレがなかったらさらに30分は延びたんぢゃない??)まぁ、あっという間体感だったけど、後から目や頭がズーンと重く感じてはいたけど💦💦💦
表向きは優しく慈悲深いイケおじデニーロを頼って戦争から戻った“調理場の”ヒーローレオ様。
善人の皮を被った狼と男の見栄とエゴを振りかざす典型的なダメんずがオイルマネーを手にしたネイティブアメリカン達を見下し(いや、ダメ男はただの女好きか😅)自分のものにするためなら殺しも『やむなし』といった具合にホント軽〜い感じでどんどんバンバン殺していくお話。
正直なところ、トレイラーで見ていた映像からストーリーは容易に想像でき、その想像の域を脱しなかったため、映画を見終わった後も「良かった〜、けどまぁこんなもんか。」くらいに思っていて、そのまま点数をつけたら恐らく3.6くらいだったかな。
でも鑑賞後にFilmarksの記事でこの映画に関するものを読んで印象が大きく好転💕
かつて実際に起きた事件を元に書かれた小説を原作として描かれたこの映画。元々は原作小説をなぞり、オセージ族の連続殺人事件とその事件解決にD.C.からやってきたFBIのミステリー作品的な脚本で、レオ様はFBIのトム・ホワイト役をオファーされたとか。でも、このストーリーの本質は殺人事件の解決よりもオセージの在り方やダメ男夫妻の愛の物語なんだと訴え、脚本の大幅修正を要求した上に自分がダメんず役を買って出たとのこと。
それを聞いたら映画全体の評価が格段に上がってしまい、気付けば4.4点🍀こーゆー記事を読むことも非常に重要なんだなーと気付かされる良いきっかけになりました😊💜
さすがの二人(Leo&De Niro)
3時間超もしくは3時間前後の映画が多くて慣れてしまったのか、作品そのものが面白かったからだろう、これはそんなに長く感じなかった。
(個人的には、バビロンとかレジェンド&バタフライなどの方が長く感じた)
「キラーズ…」とあるとおり殺人の話で、冒頭からベッドに横たわる人々を見て、これはどう展開するのかと引きこまれた。
そして当時の人種の勢力図がわかり、恐ろしく感じた。
ディカプリオは変わらず上手くハマっていた。流れに抗えないんだけど、妻への愛だけは自分の意思がハッキリしていた。
デ・ニーロは貫禄があり流石。年を取ったがかっこいい。優しいおじさんの笑顔が、裏の顔がわかるにつれ凄みというか存在感を増していたように思う。動じない姿がすごかった。
どうでもよいのだが、映画の中のサロン?ヘアサロンか。床屋とビリヤードが同じ空間にあったが、あの感じがちょっと好き。
あと、他の方も書いてらっしゃるが、パンフ販売がないのが残念!
半端ないオープニングの高揚感とエンディングの余韻。
スコセッシの新作今年一番の期待作。
公開初日に駆けつけたかったけど、上映時間の関係と少しでも大きなスクリーンで観たかったので、一週間経ってしまった。
石油が噴き出してくるオープニングから、ディカプリオ、デニーロの登場、カーレスまで、ワクワクが止まらない。とんでもないものを観ているという高揚感が半端ない。
途中、いつものギャング映画みたいな展開になってきたけど。3時間が全然長く感じなかった。
最後のドラムの響きにのってのダンスの俯瞰から、エンドロールのドラム、雨音、虫の音、コヨーテの鳴き声、いつまでも余韻に浸っていられる。これがまだ3時間続いてもずっと聴いていられる(嘘です)。
アメリカ映画によくある登場人物の後日譚は、よくあるようにナレーションと写真・字幕くらいでよかったかも。ラジオ劇の製作場面風なのは面白かったけど、この作品には合ってないような気がする。スコセッシ監督が自ら最後持ってくくらいだからやりたかったんだろうけども。
それにしてもこの年齢でスコセッシはすごい。
ずっと画面に引き込まれてしまう。
マーベルは映画じゃなくてアトラクションだって批判したのも納得できる。(ジェーン・カンピオンが乗っかってきたのはどうかと思ったけど。)
心の中にいつまでも残る作品でした。
20世紀初頭の米国オクラホマ州。 19世紀末に先住民族オセージ族の...
20世紀初頭の米国オクラホマ州。
19世紀末に先住民族オセージ族の居留地内で石油が発見され、彼らは一躍、世界屈指の富裕層となった。
石油利権に白人たちは群がり、オセージ族の民には白人の後見人が必要な制度が作られた。
第一次大戦から帰還したアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、オセージ族の後見人で町の有力者である伯父ビル・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼って彼の地にやってきた。
ヘイルはアーネストに自動車運転手の職を世話し、アーネストは富裕オセージ族一家の娘モリー(リリー・グラッドストーン)と知り合う。
アーネストはモリーに恋心を抱くが、ヘイルはそれを利用してモリーの一族が有する財産・石油利権を奪おうと計画、アーネストもその計画に乗せられてしまう・・・
といったところからはじまる物語で、巻頭、オセージ族が石油を発見し、裕福な暮らしを手に入れたことが、短いショットの積み重ねで紹介されます。
この冒頭部分、食い詰めた白人たちが蒸気機関車で多数乗り付けてくるシーンなど、風俗描写も堂々としていて、大作映画感があり、「もしかして『天国の門』的な、米国暗部を堂々とした風格で描く映画かしらん」と期待が持てました。
が、ロバート・デ・ニーロ演じるヘイルが登場してからは、悪い奴らが自己の利益のために暗殺・謀殺を繰り返す、いつものマーティン・スコセッシ監督映画。
殺人も非情なタッチで描かれ、オセージ族側の描写も少ない。
ロビー・ロバートソンの、低く唸るような音楽が常に流れ、陰鬱な気分になってきます。
また、主人公のアーネストも、伯父ヘイルに言われるままに、自らの手で謀殺したり、暗殺者を手配したり、その上、ヘマをしたりと、あまりにも「出来ない男」。
モリーと子どもたちを愛しているのだけれども、ヘイルに逆らう気概もない。
まぁ言うなれば「ヘタレ」。
終盤30分ほどになって、ようやくヘイルに反旗を翻す気概を見せるのだが・・・
先住民vs.悪徳白人、アーネストvs.ヘイルといったわかりやすい対立軸がないので、ドラマとしては観ていてあまり面白い類ではない。
映画最終盤は、公開ラジオショウをかたどったエピローグで、スコセッシ監督本人が暗殺・謀殺されたオセージ族を含む先住民族へのレクイエムを述べるあたりは興味深いが、公開ラジオショウのことがわからないと何のイベントなのかしらんと疑問に思うかもしれません。
映画のタッチとしては『グッド・フェローズ』(鑑賞済み)に近いかなぁ。
異文化を扱った映画としては、『クンドゥン』(未鑑賞)と見比べてみたいな。
人種差別がテーマの犯罪ドラマ
オイルマネーを手に入れるために、インディアンの隣人を殺していくという本当に悪魔のような人間(白人)たちの物語。
白人がインディアン対して差別意識を持っているため、当時は金のためならインディアンを殺すことに大した罪の意識を感じなかったということなんだろうな。
実行犯が殆ど躊躇なくインディアンたちを殺すシーンはスコセッシらしい演出だけど、実際もこんな感じだったんだのかもしれない。
まぁ、オイルマネーが絡むと同族でも殺し合いになることはあるけどね。
インディアンを殺しても顔色ひとつ変えず、
最終的には自分の大切な人まで手に掛けようとする犯人が、自分の血を分けた子供が死んだ(殺された?)と聞かされたときに慟哭するシーンは滑稽の極み。
スコセッシ監督が描きたかったのはそこなんだろうなと思う。
デニーロの演技はお得意な役柄とはいえ、さすがの存在感。
ディカプリオはとても難しい役柄なんだが、完全な悪なのか、利用されているだけなのか、演技の方向性がボヤケてしまっていた感はあるな。
こういう内容の映画なんだから、中途半端に人間性や愛情を絡ませずに『インディアンなんて人間じゃねぇ』と犯人が偏っているくらいに振りきっても良かったのかもしれない。
事実ベースの作品で明確な謎解きも、意外な人が犯人とかのサプライズ的などんでん返しもなく、予想通りの範疇を超えない内容だが、それでも飽きさせないのは演出が上手いからなんだろうな。
宣伝内容に興味が持てた人なら観に行って損はないと思う。
生々しい
映画館にて鑑賞しました。
3時間を超える上映時間でしたが、つまらないなぁ、と思う部分はありませんでした。だからといって、短く感じたというわけでもありません。もう少し時間が短いといいな、と思いましたが、これだけ描いているとこうなってしまうのかな、とも感じました。
最初から事件の犯人が分かっている形で話が進んでいきますが、いつモーリーに魔の手が伸びるのか、とヒヤヒヤしました。
アーネストは心が弱い奴だなと思いますが、自分としては人間臭さを感じました。レオナルド・ディカプリオの演技もとても良かったな、と思いました。また、言わずもがな、といいましょうか、ロバート・デ・ニーロ演じるヘイルのオフィサー感はやはり尋常じゃないですね。
少し詩的な言い方をすると、インディアンの土地から採掘された石油に市場価値が付いてしまった瞬間に、先住民の文明・文化が資本主義の人間の欲望に飲み込まれる運命が決定づけられたんだなと感じました。このように書くとインディアンが一方的に弱者に感じますが、物語の端々に白人(資本主義側の人間)から見るインディアンの特性も描かれているように見えました。
石油だけがインディアンを追い込んでいったわけではないのでしょうが、彼らが石油を手にしていなくても、彼らの生活が残り続けたというビジョンも見えないのが少し切ないですね。
これは!
アメリカの「福田村事件」だ。しかし、根は更に邪悪で闇深い、何せ人間だと思っていないから。
奪い取る事に全く罪悪感が無い、銃が許されている、ダラダラ裁判社会。最後スコセッシは、ああいうエンディングにするのが当事者としての精一杯では無かったのか?
日本の話じゃないので「福田村」程ヒットしないかも。これも一つだけ、奥さん役凄く気品が有った。
やはりスコセッシ監督はスゴイ
多くの口コミでも出てますが3時間半近い作品で、トイレ2回くらい行かないとと思ってたら、ドラマチックなオープニングから緊張感の続く展開であっという間のエンディングでした。脚本、監督、俳優全てが素晴らしいからですね。デニーロといえば個人的にはマイ・インターン が大好きなんですよね。あんなお年寄りになりたいという願望です。本作でも71才のスコセッシ監督と70才のデニーロ、お互い歳を重ねて長年ぶりの夢のタッグも素晴らしい。もちろんレオ様も最高の演技を見せています。アカデミー賞何部門とれるのか楽しみです。
円熟した俳優たちの素晴らしさ
デカプリオもデニーロも馬鈴を重ねているが、若い時にはない演技の凄みみたいなものが出ていて、素晴らしい。デニーロはもはや言うことはない。あれだけの演技が出来る俳優は日本には存在しない。デカプリオも、かつての美少年の面影は何処にもなく、ふてぶてしいオヤジになってしまったが、ふてぶてしさの中にも、少しマヌケな要素と純粋さとの微妙なラインの演技が出来る名優になった。この二人の名優の素晴らしさを再発見するだけでも、この作品の価値はある。内容は事実に基づいたミステリーサスペンスだが、上映時間が長過ぎて、少しだれてしまった。原作を読んでから、鑑賞する方が良かったのかもしれない。
マーティン・スコセッシ健在
206分もあるのに長さを感じなかった。マーティン・スコセッシ健在。
偶然見つけた油田のオイルマネーで潤ったネイティブたちが、あっという間に白人たちに搾取されて破滅に追い込まれる後味悪い話かと思ったら大分違った。
オセージ族がやられている描写が続いたあと、一転してFBIが介入して事件を追求する話になっていくのだ。
ディカプリオは、何も自力で考えない気弱で顔だけは良いクズ男アーネストなりきりで、相変わらずスゴい演技力。
デニーロは、元々が親切親身な篤志家良い人の体でも絶対裏があるだろ、と疑いたくなる風貌なので、この役はピッタリと思う。
金の為なら殺人も厭わず、だが自分の手は汚さない。そして甥すらも最初から抹殺する計画で利用するという真性クズ、というのに納得してしまう。
オセージ族は物静かだが頭が良い、と認めながらも、自分たちを凌駕するほどとは思いもせず侮っていた「キング」が、逮捕、裁かれる立場に置かれるのは気分が良い。
キングが侮っていたのはオセージ族だけでなく、自国の警察、司法、行政もだ。どうせ金の力でなんとでもできるという成功体験しかないのでずっとそのつもり。時代は変わったのだ。変えたのはオセージの女、モーリーだ。
次々と起きる残忍なオセージ族殺人事件に町の警察も行政も動かない。
さもありなんだが観ていて憤懣やるかたない。
連邦捜査局の捜査官たちが黒のT型フォードで街に現れたとき、「やったぜ!」と思うと同時に、インディアンであるモーリーの嘆願が連邦政府に聞き届けられたんだ!?(意外)と思った。(彼女の持つオイルマネーのお陰?とも思った)捜査官たちが形だけでなくぐいぐいと捜査を進め、キングとその一味を逮捕、裁判に持ち込んで、インディアンは案外公平に遇されている、と思った。
インディアンにも土地の所有権や掘削権、相続の規定など、白人同様に法で認められており、ちゃんと機能しているし、後見制度という理不尽なものがあったにせよ裕福で良い生活をしていた人もいる。
ただ虐げられた存在と思っていたイメージと現実は少し違うようだ。
そして、オセージ族のように、自分たちの「財産」を守れた人たちもいたことにほっとした。
インディアン迫害の歴史は周知のこととなって久しく、そろそろ、ネイティブのステレオタイプなイメージを現実に即して修正できる時期に来た、という判断が動いたかも。
マーティン・スコセッシ監督はそれをやってのけたようです。
ちっとも衰えていない旺盛な意欲に感心しました。
モーリーが気高く美しい。賢いし。
確かに自分を愛しているようだが、「私に何を注射したの!?」と問われて口ごもるような夫には愛想つかすよ。アンタなぁんにも自分で考えないわけ!?ってその場で叩き出しますね。
白人たちがKKKを隠そうともせず、陰湿な手法で先住民の利権を強奪していく
演技しているのは、デ・ニーロ、ディカプリオ、そして悲劇のヒロイングラッドストーンだけで、彼らを支えるのがバックの群衆。
白人たちがKKKを隠そうともせず、陰湿な手法で先住民の利権を強奪していく様子を描いた第一次世界大戦後の西部劇です。
ディカプリオは兵隊帰りの流れ者。搾取される先住民オーセージ族は、集会を開いて反抗の姿勢を示すが、一向に決起しない理由は何でしょうか?
動き出したのは指紋採取や検視もない時代の連邦警察でした。スコセッシ監督と長い付き合いのあるデニーロが演じた悪役は、彼にぴったりでした。人当たりの良いボスはギャングのトップというよりも悪徳政治家に近いが流石にうまい。
想定通り
なるべくちゃんと寝て備えたつもりだったが…途中何度か寝落ちしかけた。
それは想定通りで。汗
サスペンスだが、最近見ているドラマほどハラハラしないのが敗因かな。
さほどハラハラドキドキしない3時間は、長い。
ディカプリオ、役作り?大きくなったよね…。
簡単に相手が見つかるほどイケメン健在?
割と簡単に人を殺せる時代だったんだろうか。
計画も行動もあっさりで。
とはいえ、史実に基づいたものなので、観てよかったと思う。
観ている人は少なかったけれど。
愛すべきショミカテ
ネイティブの皆さんが円陣になって踊る〈花〉に見たてたラストの真俯瞰カットを見る限り、本作はその昔オイル利権を握っていた世界一裕福な先住民オーセージ族を次々と殺めていくホワイトたちの物語である。資産家の先住民の皆さんをまるで物を扱うように射殺したかと思えば、毒入りウィスキーや糖質タップリの食事でじわじわと弱らせていくえげつない手口。金のためなら手段を選ばない極悪非道の白人たちをこれでもかと醜く描いた1本なのだ。
1920年代アメリカのオクラホマ州。フリーメーソン!のキング(ロバート・デニーロ)が牛耳るオーセージの田舎町に甥のアーネスト(レオナルド・デカプリオ)が戦地から帰還する。マネーと(太めの)女が大好きなちょっとまの抜けたアーネストは、先住民のモリー(リリー・グラッドストーン)の運転手をしている内にすっかり惚れて込んでしまい結婚するのだが、金の亡者キングが仕掛けたオイルマネーを巡る陰謀の渦中に引き摺りこまれていくのであった。
そんな先住民差別(虐殺)問題に絡めながら、前作『アイリッシュマン』同様に、本作には監督マーティン・スコセッシの自己投影的演出がなされている。一人また一人と一族の人間が天に召されていく様子をリリカルに映し出したシーンには、御年81歳を迎えた巨匠スコセッシの死生観がはっきりと表れているような気がするのだ。「昔の知り合いや映画仲間はほとんど亡くなってしまった。今は犬だけが友達さ」とかつてアラン・ドロンが単独インタビューで語っていたことを、スコセッシも今現在身に染みて感じているのではないだろうか。
昔からずっと一緒にいて自分のことを本当に理解してくれている親戚や友人たち、仕事仲間がほとんど亡くなって一人ぼっちになってしまった時、オーセージの生き残りとなったモリーのごとく、深い寂寥感からわき上がる慟哭の声をあげずにはいられなくなったのではないか。しかも、最後は自分を守ってくれると信じていたアーネストいな、ハリウッドが金に目が眩んだ裏切者だったと知った時、その悲しみにはさらなる拍車がかかることを、この映画は切々と訴えているような気がするのである。
正義は勝った、しかし.....キングやアーネストが逮捕された後のシークエルに、ラジオドラマ風の演出をして見せたスコセッシの真意はどこにあったのだろう。(ブレンダン・フレイザーが出落ちしていた)裁判も含めすべてが茶番劇だったと言いたかったのだろうか。それとも映画を(生で)映画館へ見に行かなくなった観客に対するあてつけなのだろうか。興行的にコスパ最悪の3時間26分という超長尺の本作は、パラマウントのみならずAppleTV+が配給に加わっている。2億ドルの制作費を劇場上映だけでは回収できないと判断されたのだろう。
マーティン・スコセッシにとっては、手間暇かけてじっくり丁寧に作り込んだハンドメイドの映画が、劇場公開のみで元がとれ大きな利益をあげられてこそ“完全なる勝利”といえるのだ。本編の作りとは明らかに異なる、デニーロやデカプリオの声音を真似たなんちゃって声優やスコセッシ本人のキャスティング、そして何ともチープな効果音で再現されたラジオドラマは、ネイティブの皆さんには悲劇以外の何物でもない深刻な出来事を、“勝利”のためとはいえ見せ物にしてしまったことに対する贖罪だったのではないか。
この映画の道義的責任は全部監督である自分にあり、出演俳優等には一切責任はないのです。マイノリティ搾取を屁とも思わないしょうもない白人たちですが、中にはデカプリオ演じるアーネストのように悪事に手を貸しながらも家族を本当に愛した男もいたのです。だから、私たちを嫌ったりしないでね、と。エンドロール後のショミカテ(コヨーテ)の雄叫びは、白人=肉食獣を代表してスコセッシ自ら詫びを入れた、茶目っけたっぷりの演出だったのではないか。
屈指の重量級
小さな土地で起こった連続殺人事件であるが、それを改めてこうして掘り起こした意義は大きいように思う。おそらく、ほとんどの人はこのような事件があったことを知らないだろう。
そして、本作には石油に限らず、土地やそこから生み出される利権を巡って繰り返される戦争に対する暗喩も読み解けた。そういう意味では、現代にも通じる普遍的なメッセージが感じられ、ズシリとした鑑賞感が残った。
正直、陰惨なドラマであるし、上映時間も長いので観終わった後にはドッと疲れる。ただ、実際に観ている最中は全く退屈することはなく、話が進むにつれてグイグイと惹きつけられてしまったのも事実である。これもひとえにスコセッシの演出力のおかげだろう。
スコセッシの演出は流麗且つ端正にまとめられている。
冒頭の石油を浴びるオーセージ族の姿をスローモーションで捉えた映像は圧巻のビジュアル・センスであるし、大自然をバックにした美観も作品に一定の風格をもたらしている。また、幾度か描かれるウィリアムとアーネストの対峙は、じっくりと腰を据えた心理描写に専念し、その余りの緊迫感とシニカルなユーモアに目が離せなかった。
そもそも、このウィリアムという名士。表向きはオーセージ族の味方のように振る舞っているが、その裏では彼らを食い物にしている業突く張りな資本家である。金のためなら他人の命など何とも思わない極悪人で、多くのならず者を手下に抱えている。そんな彼の欲望が渦巻く本ドラマは、さながらマフィア映画のような怖さで大変スリリングに観ることができた。
但し、ラストの処理の仕方については、いささか凝り過ぎという気がしなくもない。普通であればテロップで処理しても良いと思うのだが、それを”ああいう形”で締めくくった狙いが自分には今一つ理解できなかった。
また、本作は事件の関係者を含め、登場人物がかなり多く、しっかりと物語を把握しながら観進めていかないと後半あたりから混乱するかもしれない。
モリーには3人の姉妹がいて、彼女たちは夫々にウィリアムによって命を狙われていく。そのあたりの事件のからくりがFBI捜査官の登場によって後半から怒涛のように白日の下に晒されていく。物語がかなりの重量級で、結果として上映時間もこの長さになってしまった。
おそらく興行的な事情を考えるのであれば、設定の刈り込みなどをすることによって、もっと観やすい時間に収めることができただろう。しかし、スコセッシは敢えてそうしなかった。この歴史的悲劇の重みを観客に伝えたいという思いから、なるべく事実を端折らないで映画化したのだろう。その心意気は買いたいが、今回はかなり欲張ったな…という印象も持った。
キャストではスコセッシの新旧に渡る盟友レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロの共演が大きな見どころである。
アーネストを演じたディカプリオの熱演、ウィリアムを演じたデ・ニーロの表裏を使い分けた貫禄の演技、夫々に見事だった。自分もスコセッシ映画を随分と観てきたが、この盟友の共演には感慨深いものがあった。
リキの入った作品。しかし長くて疲れた。 パンフ販売無しなのは残念。...
リキの入った作品。しかし長くて疲れた。
パンフ販売無しなのは残念。
ほぼ情報無しで観たので、意外なキャストにへぇ、カメオ出演の彼の方にもふむふむと。
上映時間知らずに鑑賞は失敗。
予想以上の長さだけど、観てよかった
めちゃ長い映画だけと、凄く興味深かった。
展開が読めなくて終わり方も想像できなかったから、ずっと次どう来るか気になってて、長くは感じるがつまらないとは感じなかった。実際予想外の終わり方で、それもそれでショッキングの結末だと言えるかも。
主人公は自分が操られてることが認識できても結局言われた通りに行動する、いわゆる洗脳状態辺りの描写がとても巧妙で圧倒でした。傍観者だからこそヤバイと分かるが、当事者ならなかなか逃げないよな。
フィクションの部分も沢山あると思うが、これは実話に基づいた話だと考えるとどれほど残酷で恐ろしいのか、想像もできません。捜査官たちが全員揃ったシーンもフィクションだと思うが、マジカッコよかった。何か安心感が一気に湧いてきて、ありがたい。それでも結局権力者は司法の抜け道を知り尽くしてるところがまたリアルで言葉が出ないです。
日本とは全然遠い民族と歴史の話だけど、実際に今でも世界中似てるような出来事、紛争が起こってると思うと、かなり現実的な話とも考えられる。衝撃でした。
23-124
200分越えはやっぱり長い。
だがしかし、非常に面白い作品でした。
デニーロの偽善者っぷり、
怖い😱
グラッドストーンの見透かしたような表情、
怖い😱
金に群がり平気でインディアンを殺す奴ら、
怖い😱
何よりも怖い😱のは、
ディカプリオのクズ男っぷり。
最高にクズでした。
名演技ですねぇ😅
全390件中、201~220件目を表示