「上映時間の割に「愛の物語」として物足りない」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
上映時間の割に「愛の物語」として物足りない
先住民の一家を皆殺しにしていく白人の有力者の鬼畜の所業もさることながら、大統領への直訴があるまでそうした事件の捜査が行われなかったという司法制度もどうかしていると思う。
この映画が、米国史の暗部をえぐり出そうとした意欲作であることは間違いないだろう。
オーセージ族の場合は、石油の利権を享受する富裕層なので、あからさまな人種差別はないものの、自由に自分の財産を使えなかったり、虫けらのように殺されて受益権を奪われたりと、白人にいいように食い物にされていたという様子が理解できるようになっている。
ただ、やはり、3時間半という上映時間は長過ぎるのではないか?
決して無駄な部分や不必要な部分があるとは思わないのだが、それでも大河ドラマとか年代記のような起伏に富んだ見どころがある訳ではないので、どうしてもテンポの悪さや退屈さを感じてしまうのである。
特に、これだけの時間をかけて丹念に描いている割には、ディカプリオ演じる主人公のキャラクターが、今一つよく分からないのはどうしたことだろう?
最初に、自らを「女好き」と称していたのに、どういう経緯でオーセージ族の妻のことを一途に愛するようになったのかが、納得できるような形で描かれていない(「金好き」なのはよく描かれている)のである。
彼が、インスリンと共に妻に毒物を注射していたのは明らかだが、本人がそのことに気付いていたのかどうかも定かではない(気付いていなかったとしたら相当に愚鈍だが•••)。
主人公が妻や子供のことを心から愛していたということは、デ・ニーロ演じる彼のおじにとっての最大の誤算だっただろうし、それが事件解決の鍵にもなっているだけに、ここのところは、もっとしっかりと描いて欲しかったと思う。
ラストの、ラジオの公開放送で事件の顛末を説明するくだりも、スコセッシ自らが物語を締め括るのは良いのだが、残念ながら、あまり効果を上げているようには思えなかった。