劇場公開日 2023年8月19日

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オオカミの家のレビュー・感想・評価

全71件中、21~40件目を表示

3.0ただ凄いしかない!

2023年10月23日
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内容はもう理解できずw
ただただ映像が凄くてある意味釘付け!
本当に初めて観た作品すぎて凄かった!
あの作品を長年かけて作ったのがサイコすぎるw
アートな映画でした。

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AK

4.5悪夢的、しかし文字通り「厚みのありすぎる」映像が強い印象を残す一作

2023年10月12日
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鑑賞方法:映画館

予告編からその不穏かつ想像を超えた映像美によって、「怖そう、でも観たい」という期待を振りまいた本作。

実際の作品は、同時上映の短編『骨』と共に、クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ両監督の、まさに奇想天外な映像感覚と、それを実現するために投じた膨大な時間と労力にただただ圧倒される70分間でした。

予告編でも強く感じられた悪夢的世界観は、予想通りどころか上映時間全てが同じ熱量を持った映像であると言ってもよく、もはや終盤は感覚が麻痺するほど。忘れてはならないのは、本作の世界観はチリの歴史や政治的暗黒面を強く反映したものであるということ。だからこそ、マリアを追いかけるオオカミの不気味な声の恐ろしさが最終盤になってさらに際立ちます。

本作では、キャラクターを構成する主要な素材である、細長い紙などを、動作のたびに解きほぐし、また結びつける、という手法で多くの動きを表現しています。そのため、ほんの数フレームの映像でも、それらを撮影するためにどれだけの時間と手間を要したのか、想像できないほど。

モーションストップアニメに関心のある人には特に、『JUNK HEAD』(2017)、『マッドゴッド』(2021)に並んで、必見の作品と言って良いでしょう

。極めて優れたアート作品として見ることも可能だけど、映像とオオカミの声は間違いなく脳裏に刻み込まれることになるので、この点だけ心して鑑賞に臨みたいところ!

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yui

3.0チリの作品

2023年10月9日
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鑑賞方法:映画館

貴重な作品ですね!

おもしろいアニメーションだけど、なぜオオカミは登場しないの?

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完

4.5あの台詞は観客に向けて…?

2023年10月8日
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鑑賞方法:映画館

怖い

知的

難しい

初見は事前情報なし、2度目はパンフと考察サイトを見て鑑賞しました。

美しく不気味にうつろうアニメーションと随所に散りばめられた不穏な音が異様な雰囲気を盛り上げていて、それだけでこの作品が好きになりました。

ストーリーは初見はカオスで、特に一体誰がオオカミなんだー???状態でした。情報を仕入れると登場人物の関係性が入れ子構造になっていたとは。(共同体の指導者→少女↔子ども達)

内面化された価値観から逃げられなかった少女が痛ましく、また国や家族など、所属している集団の価値観を多かれ少なかれ内面化している自分も他人事ではないと思うとホラーです。ラストの台詞はそういうことなのかなと感じました。

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ニャーコ

2.0よくわからず

2023年10月7日
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鑑賞方法:映画館

映像が不思議だな、どうやって撮影したんだろうな、ということで星二つ。ストーリーはさっぱりわからずでした。

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khapphom

3.0コロニアル・ディグニダ・・?

2023年10月4日
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鑑賞方法:映画館

予告編を見て、その不気味な映像に驚き、調べたら県内で上映中だったので早速、観に行きました。

この映像を作るのに、どれだけの労力が費やされたか。
製作に思いをはせながらも正直、途中で飽きた。
だって単調なんだもん。

ただ発想の原点らしい実在のコミューン「コロニアル・ディグニダ」ついて調べたら、けっこう興味深かった。
映画からは「チリにあるアーミッシュのようなコミュニティ」といった印象を受けたけど、ネットで得た情報が正しければ全然違う、怖ろしいコミューンらしい。
不謹慎かも知れないが、映画のネタとして面白そう・・。

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Syouiti

3.5パンフレット必須

2023年10月2日
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鑑賞方法:映画館

もう、夢に出てきそうなストップモーションアニメ。内容はパンフレットを買って反芻した方が良いと思う。自分は内容よりも、よくぞ、このような作品を作ったことに敬服する。

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hanataro2

4.5制作十か条にどんな映画か集約される

2023年10月1日
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これはカメラによる絵画である
人形はいない
全てのものは彫刻として変化し得る
フェードアウトはしない
この映画はひとつの長回しで撮られる
この映画は普通のものであろうと努める
色は象徴的に使う
カメラはコマとコマの間で決して止まることはない
マリアは美しい
それはワークショップであって、映画セットではない

上記がこの映画の全てであり、これは正確に遂行されている
映画館で観て欲しい映画、絵画、彫刻である

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SPEC2 THEEND

5.0悪夢のような世界を追体験

2023年9月29日
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鑑賞方法:映画館

怖い

知的

難しい

 家の壁にドローイングされた絵と、紙や粘土で造られた人形などを組み合わせながら、悪夢のような映像世界を追求したストップモーションアニメ。

 二次元の絵と三次元の人形をシームレスにつないで見せたテクニカルな表現が白眉の出来栄えで、これまでに見たことがない斬新さに圧倒されてしまった。
 こうした映像体験はストップモーションアニメの大家フィル・ティペット作の「マッドゴッド」以来である。両作品のテイストは全く異なるが、刺激度というレベルでは甲乙つけがたい毒とアクの強さで、まったくもって前代未聞の”映像作品”である。

 ただし、純粋にアニメーションの動き自体のクオリティは決して繊細とは言い難い。絵や造形物も雑然としていて、何となく前衛っぽさが漂う作りだと思った。
 逆に言うと、この洗練さに欠ける作りが、全体の異様な作風に繋がっているとも言え、結果的に他では見たことがないような唯一無二な怪作になっている。

 物語自体はシンプルながら、様々なメタファーが込められているため観る人によって如何様にも解釈できそうである。

 鑑賞後に調べて分かったが、マリアが脱走した集落はピノチェト軍事独裁政権下に実在した”コロニア・ディグニダ”を元にしているということである。これはある種のカルト集団だったようであるが、当時の政権とも裏では繋がっていたと言われている。
 本作は物語の構成も少し変わっていて、その”コロニア”が対外的な宣伝を目的に作った映像作品…という体になっている。ただのダークな御伽噺というより、政治的なプロパガンダになっているあたりが面白い。もちろんそこには皮肉も込めているのだろう。

 製作、監督、脚本はチリのアート作家クリスタバル・レオンとホアキン・コシーニャというコンビである。本作が初の長編作品と言うことだが、こんな”ぶっ飛んだ”作品を作ってしまうとは、一体どういう思考をしているのだろうか?常人には全く想像もつかない。
 尚、本作は元々は、各地の美術館やギャラリーでインスタレーションとして製作された作品ということである。企画から完成まで5年の歳月を費やしたということであるが、それも納得の力作である。

 また、映画上映の際には同監督作の「骨」という短編が同時上映されるが、こちらも中々の怪作である。

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ありの

1.5一体お金を払って何を見せられているのか…

2023年9月25日
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鑑賞方法:映画館

難しい

あれ?ルーム間違えた?と前説的な短編があった後(これもよくわからん😵🌀)本編に
ドイツからチリに移住してきたドイツのコミューンでの話
このコミューンから脱走した娘の話
娘は森で迷子になって、空き家を見つける そこにコブタが二匹いて、何故かコブタが人間の様相を呈して、人間化していく 回りにはオオカミがいて外に出ることができず、食料が尽き果て、しまいには可愛がって育てた豚に食べられそうに…
因果応報というか、コミューンのなかで皆と協調しながら生活しなさいと言いたかったのかどうか…
皆の感想を読んでみます

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ろくさん

3.0事前情報なしだとさすがにわからない

2023年9月25日
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鑑賞方法:映画館

怖い

難しい

とあるコミュニティの宣伝映像という形で作られた、ということですがこれを見て、そのコミュニティに参加したいと思える人間いるのでしょうか?隠喩暗喩だらけなんだろうと感じることはできても、どう見ても不気味なおかしなコミュニティに洗脳もしくは縋り付くしかない極限状態というのが伝わってくる。これがある程度コミュニティに染まった状態なら、より理解と共感できるのかもしれない。
そもそもが不気味な映像としか言いようがなく、心理的抵抗というか染まってたまるかという反抗心が始めから芽生えるのでこれはプロパガンダ映像としてはダメダメのダメなんだけど、こんな映像ですら素晴らしいと感じるイカれた感性に染まったコミュニティというのは伝わって来た。何回か見ると印象変わるかも。変わりたくないが。

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木花咲耶

4.0マリア。

2023年9月24日
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予告編が素晴らしすぎたので、本編は途中、ちょっぴり寝てしまいました、、
とは言え、この世界観、、芸術です。
二次元アニメーションと、三次元クレイアニメ、時々パペット、、。どんな撮影現場だったのか、覗いてみたくなりました。

いゃー、もう一度、観たい。

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Sakiko

4.0観といたほうがいいよ!

2023年9月19日
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面白い! 意味を考えずに、
ただアニメーション映像を観ているだけで充分楽しめる。チリにもやっぱりこんな才能ある人がいるんだなー、と分かっただけでも得した気分。併映の短編『骨』はちょっときつかったです。

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つくねと皮以外は塩

4.0難解さがより不気味さを際立たせる

2023年9月17日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

難しい

萌える

事前に、コロニア・ディぐニダという場所を取り扱っているというのは聞いていたので、全く内容が入ってこない訳では無いのだが、豚やオオカミといったものが、何を表しているのかは、はっきり分からない。
多分、何度か見ないと理解できないものも多いのかもしれない。
ただ、アニメーションの展開の仕方は、本当に度肝を抜かれる。
クレイなどの造形を変化させるだけでなく、部屋の壁に絵が描かれて、物語を語る手法は、全体的な空間を演出するのには、とても見応えがある。
これは、3Dアニメでは絶対にできない、アナログだからこその描きかた。
だからこそ、独特な世界観が人を魅了するのだろう。

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由良

3.0不思議な世界

2023年9月16日
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鑑賞方法:映画館

実写も混ぜてのアニメで、不思議な世界が描かれてます。恐怖の世界が描かれているのかと思いきやそれほどでも無かったですね。結局、マリアの空想の世界だったと言う事ですかね。

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ごっとん

4.5恐怖芸術

2023年9月15日
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鑑賞方法:映画館

怖い

上映館が少なく局地的に話題となっていた本作。すさまじいものを観せられた。二次元と三次元と絵画と紙粘土と…言葉ではまるで説明不能な表現は観てみるしかない。

でもって全編がなにかと怖い。ずごごごみしみしの音効が怖い。マ、リーア~の声が怖い。劇伴が怖い。塗料だらーが怖い。ブタが怖い。でかい顔が怖い。古いフィルム見っけましたな設定が怖い。鑑賞後に調べたらコロニア・ディグニダがそもそも怖い。「金髪と白い肌で美しくなった」って、ナチのアーリア人種優越論そのままだし…。

気が狂った人が作ったとしか思えないけど、公式サイトの監督2人はフツーのおっさん。ただ、どんだけ手間暇かけて作ったのだと想像すると、やっぱり狂っているに違いない。

同時上映の短編も不気味だけど、本編観た後ではかなりファニー。

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ジョンスペ

0.5ストップモーションは、ジャンクヘッド を観てズッポリハマりましたが...

2023年9月15日
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鑑賞方法:映画館

寝られる

ストップモーションは、ジャンクヘッド
を観てズッポリハマりましたが、その後の
MADGODも全く・・: 本作こそはと
多少期待して見ましたが更に・・
難解とかのレベルでは無く、ただ率直に
「つまらない」だけの苦痛の時間でした
映像はそれなりに楽しめましたが
私には理解出来ませんでした。

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Leojiji

4.5これは凄い!「崩壊と再構築」の永劫の連鎖によって自己と世界の不確定性を描くデカルト的傑作。

2023年9月12日
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鑑賞方法:映画館

あれだけインパクトのある予告編とポスターアートを見せられると、もはや観に行くしかない感じはひしひしとあったのだが、やたら難解そうな雰囲気も漂っていて、果たして自分にアジャストできるのか不安もあった。
だが実際に観てみると、「意味がよくわからない」以上に(そんなことはどうでもよくなるくらい)ぶっ飛んだ映像体験が待ち受けていて、もう大★大満足。
併映の14分の短編「骨」(べつに映画comに項目が立っていたので、そちらに感想はつけました)も含めて、真の天才の仕事に、ただただ圧倒された。

少なくとも、ヤン・シュヴァンクマイエルやユーリ・ノルシュテイン、ブラザーズ・クエイあたりの諸作品に耽溺しながら生きて来た僕らのような人間にとっては、四の五の言わず問答無用で観るべき映画だし、逆にこの映画でストップモーションアニメに初めて出逢った若いみなさんは、ぜひこれを入口に上記の作家たちの傑作群にもアクセスしてほしいところだ。

― ― ― ―

「オオカミの家」は、チリに実在した「コロニア・ディグディダ」という入植地を題材としたアニメであり、複雑かつ捉えどころのないストーリーラインと政治的含意を有している。
内容的には、ファウンド・フッテージ(見つかった古いフィルム)の体裁をとり、コロニア・ディグディダが作成したプロパガンダ映像という触れ込みとなっている。
要するに、敢えて悪の側に立って(羊がオオカミの皮をかぶって)つくってみたフェイク動画というわけだ。

内容的には、たぶん、こんな感じだ。
コロニーから逃亡した少女マリアは、とある小屋で二頭の豚を見つけ、アナとペドロと名付けて育てる。そのうち、豚は人間の形態をとるようになって、三人は家族として幸せに過ごすことに。最初は、外にはオオカミがいるから出てはいけないといって二人を育てていたマリアだが、ある日、ついに食料が尽きてマリアが外に調達に出ようとすると、逆にアナとペドロに拘束され、二人によって食べられそうになる……。

オオカミと豚の童話/寓話的エピソードといえば、当然グリム童話の「三匹の子豚」が想起される。外敵としてのオオカミを恐れて隠れ処に住まう本作は、まさに「三匹の子豚」を本歌取りしたものではあるが、結局オオカミの本体は姿を現すことなく(かわりにその「声」がナレーターとして常にマリアに圧をかけ続ける。壁には「巨大な眼」だけが現れる)、物語は内部分裂による「新たなコロニー」の解体と、登場人物のメタモルフォーズという意外な結末を迎える。

オオカミが、マリアにとっての支配者であり捕食者でもあった、コロニーの指導者パウル・シェーファーを指すこと自体は論を俟たないが、では「オオカミの家」において、果たして本当のオオカミはいったい誰だったのか? 意図しないままにシェーファーと同じような支配体制をしいて、アナとペドロを束縛するに至ったマリアもまたオオカミだったのか。あるいは、もとはただの「豚」だったにもかかわらず、マリアの被支配下に置かれて順応してゆくうちに、むしろマリアを「食べよう」と思考するに至ったアナとペドロこそがオオカミだったのか。
捉えどころのない「寓話」であるだけに、その真意をいろいろと考えだすとそれこそ切りがないが、本作の主題やストーリーを読み解く秘密は、実はストップモーションとしての「技巧」のなかにこそある。それは間違いない。

― ― ― ―

ストップモーションアニメーションとしての『オオカミの家』には、きわめて明快な特徴が三つある。
一つは、三次元のクレイ&パペットアニメに、二次元の「壁画」のようなアニメが併用されていること。
二つ目に、全編を通じて造形物が特定の形状を保つことなく、常に様相を変化させ続けていること。
三つ目に、上記と関連して、カメラも常に動き続けているうえ、全編を通じてワンシーンワンカットという、長回しのつくりになっていることだ。

まず、三次元と二次元のアニメーションの併用について。
いろいろと脳内を検索してみたが、こういうことやってたストップモーションアニメの作家って今までいたっけなあ? どうも思いつかない。なんだか新機軸のような気がする。
とにかく、演出上の効果は抜群だ。

今回の物語において、登場人物であるマリア、アナ、ペドロと同等かそれ以上に重要なのが「家」であり「壁」であることは、観た誰しもが認めるところだろう。
「家」は、ヒロインを規定する「世界」そのものであり、「法則」であり、「規範」であり、「呪縛」である。
「壁」は、彼女と二匹の豚を囲い込む「世界の境界」であり、「内側に閉じ込めるための檻」であるとともに、「外界から守ってくれる安全な防壁」でもある。

同時に、「壁」は物語を映写する「スクリーン」でもある。
レオン&コシーニャは、クレイやパペットをこま撮りで操る一方で、「壁」を用いた様々な絵画表現の形でも物語を展開する。三次元と二次元のあいだを自由に行き来しながら、変幻自在にそのあり方を流転させてゆくマリアたち三人のキャラクター(クリスチャン・ボルタンスキーによる人形と影の織り成すインスタレーションを少し想起させる)。
「壁」は、三人を外界から分かつ機能を持ちながら、その「上」で彼らが生きる二次元の「生活空間」としても機能しているのだ。

一方で「壁」には、マリアたち三人以外にも、監視者の巨大な眼が立ち現れたりもする。すなわち、壁の上には「壁の中で暮らす」三人も存在すれば、「壁の外にいるはずの」オオカミも存在するというわけだ。

なぜそういうことになるのかというと、実はこの「家」と「壁」それ自体が、マリア自身の精神世界の具現化に他ならないからだ。
この家は、カルト集落から逃げて来たマリアの「癒しのシェルター」であると同時に、二頭の豚を我が物とし続けるための「豚小屋」でもある。
すなわち、この「家」は、被支配者であるマリアが支配者から自らを守るための隠れ処であると同時に、支配者であるマリアが被支配者である二頭の豚を閉じ込めておくための檻でもあるということだ。
なんにせよ、この「家」という「場」は、マリア自身がこしらえた彼女のための場所なのであり、彼女の内的世界そのものといってもいい。
そして、外界と家の内部を分かつ「境界」としての「壁」もまた、マリア自身がこしらえて設定した「世界の果て」であり、マリア自身が規定した「世界の外形」でもある。
「家」と「壁」はマリアを閉じ込めているように見えて、実はマリア自身がこの「家」と「壁」を自分の領分として決めて、頑なに守り、維持している。

極論すれば、マリア自身が、「家」であり、「壁」でもあるのだ。

このあやふやで多重的な状況が、物語が「人形」にとどまらず「壁」にまではみ出してくる原因となっているし、逆に言えば、本来なら単なる舞台背景でしかない「家」や「壁」をもう一方の主役として際立たせる結果にもなっている。
要するに、本作では「キャラクター」と「家」はメインとサブではなく、混然一体となったひとつの内的世界として「マリアの心象風景」を表わし続けており、その具象化こそが「壁」をスクリーンとして用いる本作独特の技法だ、ということだ。

― ― ― ―

第二、第三のポイントである、物質と視点双方に見られる「万物流転の法則」。
この特異なセンスが、本作を特別なものにしているのは確かだ。
通例、ストップモーションは「命なきモノを動かすことで生命を吹き込む」ことで満足する。アニメ作家にとっては、どんなモノを動かすかというのは重要で、そのモノは明確でゆるぎないキャラクターを伴っていることが大半だ。
ところが本作は違う。
マリアのキャラクターも、アナやペドロのキャラクターも、まるで一定しない。
一定しないどころか、常に生成されては崩壊する過程を繰り返していて、すべては常にあやふやで、不定形で、不確定のままだ。
物語のシチュエイションと、時間の経過によって、三人のキャラクターは留まることなく千変万化しつづける。一続きのワンシーンのなかで、三人は何度もぐずぐずに朽ち果てては、仕切り直すように頭部と手だけから細胞分裂のように増殖&再生成される。
その結果生まれた三人の外観は、つねにまちまちだ。張りぼて細工のようなとき、二次元の壁の絵のとき、マネキン人形のとき。ましてアナやペドロは、もとは「豚」だったのがいつの間にやら人間に成り上がっているし、年齢も子供だったりもう少し大きく見えたりと、定まった姿というものをまるで持ち合わせていない。
そんな生まれては崩れ、生まれては崩れする三人を、一人称かも三人称かも定まらないカメラが、ひたすら家の室内をうろうろと動き回りながら、追い続ける。

起きている現象と、その結果語られる物語は、難解かつ不鮮明だが、表わそうとしている事象そのものはきわめて明快だ。
要するに、アイデンティティが定まらない。
だから、形も定まらないのだ。

コロニーから逃げて来た少女。
「オオカミの家」は、彼女の内的世界だ。
少女には、確たるものがない。
だから、生まれ続ける。
そのとき、そのときの自己規定によって、
新たな自分を獲得しては、
あやふやなまま崩れてゆく。
同居人は豚なのか、人なのか。
アナとは誰なのか。ペドロとは誰なのか。
それも、マリアの「認識」ひとつで流転する。
そのとき、そのときの他者規定によって、
新たなアナ像、ペドロ像が一から再構築される。

でも、それって我々だって同じじゃないのか?
いま、ここにあるアイデンティティが確固たるものだなんて、誰が決められる?
本当は、自分も、他人も、世界も、時間の経過と関係性の変化のなかで、常に形を変え、その瞬間、その瞬間、生まれ直しているのではないか?
おそらく、レオン&コシーニャのコンビは、コロニア・ディグディダの寓話にかこつけて、そういったことを我々に問いかけているのではないか?
「常にエゴとはなにかを問いかけ続ける」
「その結果として、何度も何度も自己が再規定される様を、きちんと“かたち”で表現する」
その意味で、本作はきわめてデカルト的な哲学的思索を視覚化した作品だと、僕は観ながら思ったのだった。

― ― ― ―

最後に一点、「言語」と「音楽」について触れておく。

本作は、ドイツ語とスペイン語のチャンポンで作られている。
チリの民間人の一般的な言語はスペイン語だが、コロニア・ディグディダはドイツ人入植者のコロニーであり、そこで使われていた言語はドイツ語だからだ。
オオカミのナレーションは、当たり前のようにドイツ語をしゃべる。
マリアは基本、スペイン語で話しているが、いざという瞬間、たとえば「助けて!」と誰かに祈るときはドイツ語に立ち返る。これが妙に生々しい。
コロニーの支配的生活から脱したマリアは心機一転、新たな生き方を模索しているはずなのだが、言語において旧コロニーへの心理的依存が抜けていないことが現れているから。
本当はマリアもまた、オオカミかもしれないことがドイツ語から漏れ伝わるから。
人間は、育った「悪い環境、親、教育」の呪縛からはそう簡単に逃れられないし、叱る言い方も縛る言い方も、やられたことの繰り返しになってしまうから。
マリアが、アナとペドロを慰撫する時歌うのは、ブラームスの子守歌だ。
鳴り響くBGMは、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と「ローエングリン」(このフィルムがプロパガンダ映像を模していることに留意)。
そもそも本作の土台となるグリム童話自体、チリではなくドイツの童話である。
新コロニーの破綻とマリアの迎える最後は、アイデンティティをついに確立し得ないパペットの視覚的不安定性とともに、「ドイツに汚染された言語と音楽」の面でもアプリオリに暗示され続けていたといえる。

なんにせよ、個人的には傑作だと思った。

何か大きなものに支配された世界に生きる、
よりどころのない、あいまいな「私」という存在。
そこに自らを被せて見られる人にとって、
本作は「聖典」として、永遠の輝きを放つことだろう。

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じゃい

1.0スゲエんだろうけど

2023年9月10日
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難しい

寝られる

つまんなかったです。

相当根気強く撮ったのはわかるんですけど、
面白く観られないとなあ、、、

「MAD GOD」観たときも似たような気持ちだったわ

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Sue Cat Boy

3.0皮肉たっぷりのアートでホラーな映画

2023年9月10日
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鑑賞方法:映画館

難しい

コロニア・ディグニダという元ナチスが作ったチリにあるドイツ系移民の楽園(自称)がモチーフの映画。
みんな誤解してるみたいだから私たちのすばらしさを映画を通して伝えようみたいな皮肉たっぷりのセリフから始まる。
とにかく遠回しに表現してるので、ずっと考えながら観るような感じ。
じりじりと不気味な映像が展開していき、独特の世界に引き込まれる。
オオカミと子豚が出てくるけど、誰がオオカミで誰が子豚なのか、最後までつかみどころのない映画だった。
個人的にはもっと短くしてもよかったかなと思う。

同時上映の骨はもっとわかりません!

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ひとふで