オオカミの家のレビュー・感想・評価
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心削られるが手間のかかった素敵な作品
この映画を観る前に、コロニア・ディグニダを知っておいた方が良いと聞いたので、少し調べて粗方どんなものかを知ってから観た。すると、主人公の恐怖と孤独で心が疲弊していく過程の理解が深まった。心削られながら、手間暇のかかった作風に感心もしつつ、気持ち的に忙しい映画です。エンドクレジットが流れても終わりではなく、の後に、詩が流れるので最後まで観ることをお勧めする。もうメディアが発売されているが、収録を期待したその詩は未収録でがっかりした。併映の「骨」も未収録。
マーリーアー
映像の寓意
マリ〜ア〜〜 マリ〜〜〜ア〜〜〜
チリ南部のドイツ人が作ったコロニーに暮らす美しい娘マリア。
彼女は大切にしていた豚を逃してしまい、厳しい罰を受ける。
耐えきれなくなった彼女はコロニーを抜け出し、森の中の廃墟に迷い込む。
するとそこには2匹の豚がいて、マリアは「アナ」と「ペドロ」と名前をつけ自分の子供のように可愛がるのだが……
ナチスの残党がチリに作ったコロニア・ディグニダをモデルに描いたストップモーションアニメ。
コロニア・ディグニダについては『コロニアの子供たち』とWikiで簡単に予習済み。
『コロニアの子どもたち』ではコロニアの内情や実態を客観的に取り上げていたのに対し、本作ではコロニアに収容されていた人たちの精神的な悪夢を主観的に描いている。
マリアが逃げ込んだ廃墟での生活はほとんどがマリアの精神世界。
「眠るのは嫌い 夢を見るから」というフレーズがシニカルに効いている。
直接的な描写はないのだが、独特のグロを感じる。
『骨』同様裏に隠されたとてつもない恐怖をふんわりと感じる居心地の悪い恐怖だった。
恐怖度に関しては予習しない方が良かったのかもしれない。
「よく分かんないけどなんかヤバくない?」
これがこの監督コンビの味なのだと。
コロニアを知った上で不穏て平穏なこの意味不明な世界観を観せ続けられると、正直少し退屈にも感じた。
さらに子守唄で睡眠誘導してくるので、夢と現実の間を漂うことに。
「眠るのは嫌い 夢を見るから」の言葉の如く、鑑賞後に友達との予定をすっぽかすという悪夢を観たのはまた別の話。
ともかく、不穏な空気は味わえるが個人的には変に期待し過ぎてしまったという印象。
ただ、次々と姿を変えるアニメーション技術は唯一無二で素晴らしく、アニメーション作品としては絶対に観ておく価値のあるものであった。
悪夢的、しかし文字通り「厚みのありすぎる」映像が強い印象を残す一作
予告編からその不穏かつ想像を超えた映像美によって、「怖そう、でも観たい」という期待を振りまいた本作。
実際の作品は、同時上映の短編『骨』と共に、クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ両監督の、まさに奇想天外な映像感覚と、それを実現するために投じた膨大な時間と労力にただただ圧倒される70分間でした。
予告編でも強く感じられた悪夢的世界観は、予想通りどころか上映時間全てが同じ熱量を持った映像であると言ってもよく、もはや終盤は感覚が麻痺するほど。忘れてはならないのは、本作の世界観はチリの歴史や政治的暗黒面を強く反映したものであるということ。だからこそ、マリアを追いかけるオオカミの不気味な声の恐ろしさが最終盤になってさらに際立ちます。
本作では、キャラクターを構成する主要な素材である、細長い紙などを、動作のたびに解きほぐし、また結びつける、という手法で多くの動きを表現しています。そのため、ほんの数フレームの映像でも、それらを撮影するためにどれだけの時間と手間を要したのか、想像できないほど。
モーションストップアニメに関心のある人には特に、『JUNK HEAD』(2017)、『マッドゴッド』(2021)に並んで、必見の作品と言って良いでしょう
。極めて優れたアート作品として見ることも可能だけど、映像とオオカミの声は間違いなく脳裏に刻み込まれることになるので、この点だけ心して鑑賞に臨みたいところ!
あの台詞は観客に向けて…?
初見は事前情報なし、2度目はパンフと考察サイトを見て鑑賞しました。
美しく不気味にうつろうアニメーションと随所に散りばめられた不穏な音が異様な雰囲気を盛り上げていて、それだけでこの作品が好きになりました。
ストーリーは初見はカオスで、特に一体誰がオオカミなんだー???状態でした。情報を仕入れると登場人物の関係性が入れ子構造になっていたとは。(共同体の指導者→少女↔子ども達)
内面化された価値観から逃げられなかった少女が痛ましく、また国や家族など、所属している集団の価値観を多かれ少なかれ内面化している自分も他人事ではないと思うとホラーです。ラストの台詞はそういうことなのかなと感じました。
コロニアル・ディグニダ・・?
制作十か条にどんな映画か集約される
悪夢のような世界を追体験
家の壁にドローイングされた絵と、紙や粘土で造られた人形などを組み合わせながら、悪夢のような映像世界を追求したストップモーションアニメ。
二次元の絵と三次元の人形をシームレスにつないで見せたテクニカルな表現が白眉の出来栄えで、これまでに見たことがない斬新さに圧倒されてしまった。
こうした映像体験はストップモーションアニメの大家フィル・ティペット作の「マッドゴッド」以来である。両作品のテイストは全く異なるが、刺激度というレベルでは甲乙つけがたい毒とアクの強さで、まったくもって前代未聞の”映像作品”である。
ただし、純粋にアニメーションの動き自体のクオリティは決して繊細とは言い難い。絵や造形物も雑然としていて、何となく前衛っぽさが漂う作りだと思った。
逆に言うと、この洗練さに欠ける作りが、全体の異様な作風に繋がっているとも言え、結果的に他では見たことがないような唯一無二な怪作になっている。
物語自体はシンプルながら、様々なメタファーが込められているため観る人によって如何様にも解釈できそうである。
鑑賞後に調べて分かったが、マリアが脱走した集落はピノチェト軍事独裁政権下に実在した”コロニア・ディグニダ”を元にしているということである。これはある種のカルト集団だったようであるが、当時の政権とも裏では繋がっていたと言われている。
本作は物語の構成も少し変わっていて、その”コロニア”が対外的な宣伝を目的に作った映像作品…という体になっている。ただのダークな御伽噺というより、政治的なプロパガンダになっているあたりが面白い。もちろんそこには皮肉も込めているのだろう。
製作、監督、脚本はチリのアート作家クリスタバル・レオンとホアキン・コシーニャというコンビである。本作が初の長編作品と言うことだが、こんな”ぶっ飛んだ”作品を作ってしまうとは、一体どういう思考をしているのだろうか?常人には全く想像もつかない。
尚、本作は元々は、各地の美術館やギャラリーでインスタレーションとして製作された作品ということである。企画から完成まで5年の歳月を費やしたということであるが、それも納得の力作である。
また、映画上映の際には同監督作の「骨」という短編が同時上映されるが、こちらも中々の怪作である。
一体お金を払って何を見せられているのか…
事前情報なしだとさすがにわからない
とあるコミュニティの宣伝映像という形で作られた、ということですがこれを見て、そのコミュニティに参加したいと思える人間いるのでしょうか?隠喩暗喩だらけなんだろうと感じることはできても、どう見ても不気味なおかしなコミュニティに洗脳もしくは縋り付くしかない極限状態というのが伝わってくる。これがある程度コミュニティに染まった状態なら、より理解と共感できるのかもしれない。
そもそもが不気味な映像としか言いようがなく、心理的抵抗というか染まってたまるかという反抗心が始めから芽生えるのでこれはプロパガンダ映像としてはダメダメのダメなんだけど、こんな映像ですら素晴らしいと感じるイカれた感性に染まったコミュニティというのは伝わって来た。何回か見ると印象変わるかも。変わりたくないが。
マリア。
難解さがより不気味さを際立たせる
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