哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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面白い!!
前提として
・3回目(1回目は映画館)。
・ヨルゴス・ランティモス監督の他作品は未視聴。
・原作は未読。
面白い!!
ベラという女性の半生を、圧倒的な成長速度で描いている。半生となると回想とか時系列が飛んだりするものだが、ベラという特殊な存在のおかげで2時間の感覚で納めている。共感と感心を抱かせながら、すばらしい演技力で進んでいくので、空想上の人物・物語とは思えない。
ベラみたいな女性、めっちゃいいよね。ダンカンとの考え方の違いとか結構好き。自由の捉え方とか、恋人とかセフレで終わる男女の関係性とか妙にリアル。
ハリー&マーサと会話しているときの楽しそうな表情とか、マックス&ゴッドとの家族てきな落ち着いた雰囲気とか……ベラという存在を応援したくなる。
世界観は奇天烈、奇妙、だけどどこか美しい。そして時に残酷な一面を見せる。"現実"という概念を具現化したような空間。
音楽も不思議。曲というよりもBGMだろうか。クラシックの一面も感じる。奇妙で奇天烈、だけど温かい。
この作品だからこそ、合う世界観および美術と、音楽。かなり吟味しかつ大胆に創ってある。これだけも一見の価値がある。
曖昧と言えば曖昧だが、そのおかげでベラたち人間の言動が際立って見える。
映像がモノクロとカラーで変化するのも好き。ベラの心情や知識の増加によって広がる世界を、カラーで描いているようにも見える。劇的な感情の変化ともとれる。
後半でゴッドの家が「こんな色していたのか!」と分かるのも楽しい。赤子は生まれた後に色覚が発達していく、と聞いたことがあるがその暗喩もあるのだろう。
セリフはちょこちょこ名言じみたものが出てくるので、会話シーンも楽しい。人生の捉え方とか男女や社会の見方とか、なにかしら変化を与えてくれそう。
知的好奇心も刺激してくれる。
作品のテーマ的な部分として、女性と男性の人間性を描いているように感じた。
ベラを通して赤子・少女・青年・成人の女性像を、マーサで老齢となった女性を、スワイニーで別の道筋を通った老齢女性を。
逆に、ゴッドで父性、ダンカンで性への渇望と支配欲、マックスで誠実さ、ハリーで少年のような幼さ、アルフィー将軍で暴力性、というように複数の男性で一つの男性を描いていいるように感じた。
ベラはもちろんだけど、ゴッドとマックス、ハリーが推し。クリストファー・アボットさんのヤギには笑った。再現度が高すぎる。というか全体的にキャストの面々が演技力高すぎる。
欠点を上げるとすれば、結婚式のあとの展開で少しダレるぐらいだろうか……でもあれは必要なダレ方だと思う。終わり方も良い。
R-18なのはセックスシーンとか性的な描写がモロに出てくるからだけれど、それだけでこの映画を敬遠するのは勿体ない。非常に面白くて考えさせられる。
高校生でも観てほしい。
人間として生きてく上で、少しだけ心を強く聡くしてくれる。そんな作品。
現代版フランケンシュタイン
成人の身体に胎児の脳。
フランケンシュタインの現代版といった趣の話。
テリーギリアムのような魚眼でベラバクスター(エマストーン)の成長をつづっていく序盤、ベラが夢中になるのは、最初は食べ物、つぎは(身体は大人なので)性欲。
身体は大人だけど頭は新生児という描写と、屋敷内を闊歩するキメラ生物。前半は絵として映画的ではあるけれどそれがどうしたというような話だった。
しかしダンカン(ラファロ)と享楽的な旅行に行き、放蕩しながらも社会構造や人間関係を知り、アイデンティティに目覚めていくと、じょじょに歪んだ世界が見えてきて、言ってみればギレルモデルトロからランティモスへ変わっていく感じがあった。
とりわけアレクサンドリアの城塞の高みから地上の賤民を見下ろした時から映画の様相が変わる。それはベラが世界の不平等に憐憫を感じて社会主義的な思想へ傾向した瞬間でもある。
子供の頃「社会主義とか共産主義とはどんな思想なの?」という質問を親にしなかっただろうか。親は「それはみんな平等にするという思想だよ」と答えるので、(子供の)わたしは「それなら社会主義や共産主義のほうがいい思想なんだね」と言う。この会話は子供時代の定番で、そこまでがセットになっている。
実際の社会はそう単純なことではなく富国や自由には資本主義のほうが適しており、そもそもベラが美食と情交三昧の冒険ができたのはダンカンが裕福であったからであり、不平等に突発的な憐憫を感じたのは彼女が世間知らずだったからである。
だが文無しになって娼婦に落ちてもベラの好奇心と生命力は衰えない。ベラの無知はしたたかさであり、生まれたばかりの脳と成人の肉体がもたらす吸収力の速さによってベラはいちじるしい成長をとげる。結果ベラは次第に周りの人間たちを凌駕していく。
映画哀れなるものたちを見ながら考えるのは誰のことを、あるいはどっちのサイドを哀れなるものたちと称しているのか──ということだが、当初は人体実験で生まれたベラが哀れで、つぎに寝取られた婚約者マックスが哀れになり、つぎにベラのデタラメぶりに嫌気がさしたダンカンが哀れになり、やがて死にゆく創造主ゴドウィンが哀れになり、結局映画は出てくる全員が哀れになって「たち」がついている理由を知るのだが、ベラはたくましさを身につけ、やがてじぶんが乗り回している女の肉体の記憶に決着をつける。
というのもベラバクスターに生まれ変わる前のヴィクトリアブレシントンは虐待と恐怖で女を支配するDV夫アルフィーから解放されるために自殺を選んだ──わけである。
川に身投げしたヴィクトリアの溺死体を拾ったのが外科医ゴドウィン(デフォー)。妊娠していた彼女の胎児の脳を移植してベラバクスターを創り上げた。
ベラは世界を回って知識や知恵をつけ、娼館で渡世術とタフさを身につけ、山羊の脳をDV夫のアルフィーに移植して、哀れなヴィクトリアのかたきを討つという輪廻転生、因果応報の復讐劇でもあった。
ただし映画は風刺でもありコミカルでもあり、リアリズムもファンタジーもあるが、ひとつの明らかな主張/命題というよりはそれぞれの見え方に委ねるという話だったと思う。
個人的には回帰を感じた。ランティモスの原点は籠の中の乙女(2009)(Dogtooth、Kynodontas)だと思うのだが、それへ回帰するのを感じた。なんとなく。
籠の中の乙女はArturo Ripstein監督のメキシコ映画El castillo de la pureza(純潔の城、1972)という映画から着想したそうだ。
1972年の映画のプロットはとある夫が外界が家族に害を及ぼすと確信し、妻と3人の子供たちを「純粋さ」を保つために18年間家に閉じ込めている。──という実際にあった事件からつくった映画で、その脆い状況が、子供たちが思春期を迎えていることに気づくと更にグロテスクに歪んでいく・・・。籠の中の乙女もまさにそういう映画だった。
意図的に世界から遮断されて生きているきょうだいが出てくる。その者らは人間社会を知らないのでめちゃめちゃな規範で生きている。そういうプロットや着想が哀れなるものに重なるところがあったのでランティモスが原点回帰した──と思った次第。
imdb7.9、RottenTomatoes92%と79%
映画はヴェネチアで金獅子賞をとりアカデミー賞ではエマストーンの主演女優賞を含む4部門をとったほか多数のアワードや協会で賞をとった。
ストーンは巧いし、眦(まなじり)だけでいろいろ語ってしまうし、だんだん賢くなっていく感じがよく出ているが作品自体が女優賞を獲れるタイプの作品であり役であったとも思う。
つまり俳優というものはみんな巧いわけだから(巧くないなら俳優やっていないわけだから)ストーンがとくべつに巧いというよりは、獲れる作品に出ることや、獲れる作品をつくるランティモスのような才人に好かれることが重要だと思った──のだった。
言いたいのは、本作のストーンは素っ裸になってとんでもない熱演をするが、とんでもない熱演をどうでもいい映画でやってはいけないという話である。
例によって全く無関係のものを引き合いにするがたとえばStrangeCircus奇妙なサーカスでスパゲッティをわしづかみで食べた女優はその熱演が報われただろうか──という話である。日本のうんこみたいな映画で素っ裸の熱演が報われた人がいましたか──という話である。たとえばヘルタースケルターの主演女優にも言えるし日本映画全体に言えることだがクオリティの低い作品で脱いではいけない──と言いたいのと、日本映画での熱演はことごとく徒労に帰するわけだから、俳優に罪はないにしてもかれらを哀れなるものたちと言うことはできるような気がしたという話。
共感しづらく、いまいち響かず
展開としては嫌いではないが…、ベラがいくら脳味噌子供でもここまでモンスター級の破壊行動や破廉恥な行動をするか?とちょっとどん引き。
オーガズムに溺れる描写がやたら長かったのに、貧富の格差に触れたとたん覚醒するのが急すぎて唖然。直前までレストランでうるさい子供を殴って黙らせるとか言っていた割に…。そう、ベラの心情を追体験できないから、共感しづらいのですよね。
父親の実験台になっていた過去を持ちながらも、父親を非難せず愛に飢えた外科医を演じる、ウィレム・デフォーの姿は哀愁を誘う。
ステレオタイプな女性への偏見、男性優位社会への批判、女性の職業の選択肢の少なさ、抑圧、独り善がりな愛を追い求める人間の悲しさ、色々と内包してるけれども、どこか型通りでいまいち響かず。最後のDV男への逆襲はすかっとしました。
面白さより不気味さが勝ってしまった
ちゃんとコメディで、そして映像美
最高傑作
ヨルゴス監督のスーパーノヴァな才能を余すところなく見せつけられた傑作でした。
私はヨルゴス監督に尊敬と共に畏れを禁じ得ない。
このまま健康でアクシデントがなく映画制作を続ければ、
スタンブリー・キューブリックに匹敵する鬼才になり、
このまま進化すれば我々は更なる頂きを見る事になるだろう。
過去作「籠の中の乙女」「ロブスター」「聖なる鹿殺し」
「女王陛下のお気に入り」
その複雑な形態に不穏、不快、不条理などを感じたが、
この「哀れなるものたち」にも一筋縄ではいかない複雑な余韻を感じた。
ヨルゴスが「女王陛下のお気に入り」の成功により、
豊かな資金力と各階の才能を結集して、
エマ・ストーンという勇敢で才能ある女優の協力を得て、
現段階での「哀れなるものたち」という最高芸術が生み出された。
しかしこの映画は単なる女性賛歌ではあり得ない。
ラストのシーン。
自由を得たベラは、ゴッドの後継者たる解剖医になり、
ゴッドがベラに試したような人間改造を進めようとしている。
元夫の暴君のアルフィー将軍は犬のように4足歩行をして、舌で水を飲む
犬人間に成り下がっている。
この結末を喜べますか?
犬にされた人間は「あなたであり、私です」
題名の「哀れなるものたち」
諸説ありそうですが、人間という愚か者たち・・・
①ベラに生きていた胎児を脳に移植手術を施すゴッド(ウィレム・デフォー〕も、
②ベラに金と自由を与えて、進化を手助けしたものの、見事に捨てられる
………………ダンカン(マーク・ラファロ)も、
③ベラ(身投げする前はヴィクトリア)も幼児期から成人して娼館で身を売る経験を
…………………積むエマ・ストーンも。
④ヴィクトリア(身投げする元妻)を束縛・精神的に虐待したアルフィー将軍も、
アルフィー(クリストファー・アボット)は連れ戻したベラの
快楽器官をを切除しろと命じるサイコな男性。
人間は存在そのものが「哀れなるものたち」
そう告げているように私には思えるのです。
いやあ、凄かったです。
端から端まで歩いて30分かかる、街ごと全部作ったセット凄かったです。CGで処理する事も出来るのに、敢えて実物のセットが最高でした。
ヨルゴス・ランティモス監督お得意の魚眼レンズ多用のカメラワークもベスの頭の中から見た世界のようで面白かったです。
エマ・ストーンの覚悟の演技、自らプロデューサーもしているので、監督に言われたからではなく自分の意思であの演技を演じきったのだと思います。あっぱれでした。
マーク・ラファエロのグズグズの演技も良かったです。ハンクー!
音楽、ベラちゃんの発音しっかり聞いて下さい。
不協和音から最後のエンディングのオーケストラまでの変化が物語にぴったりでした。エマ・ストーンのしゃべり方もベラの成長に合わせて変わっていきます。
「POOR THINGS」「哀れなるものたち」 「Poor」どうも...
「POOR THINGS」「哀れなるものたち」
「Poor」どうも、物理的に貧しいという意味で捉えてしまう事が多いけど・・精神的というか・・形而上的に「貧しい、可哀想、哀れ」という意味の方が大きいかも。で、原作者は「THINGS」に人か、人を哀れにさせている「事」を投影しているのかは・・わからないけど・・。ベラを通して「哀れな人」がいっぱい出てくる感じ?
で、凄いね・・人の創造力は・・こんな映画も創っちゃう。
フランケンシュタインの女性版かなぁ・・
良くまぁ・・エマ・ストーンは、この役を引き受けた。
成長の過程での微妙な変化を表現する演技力には脱帽・・。同じ映画をオファーされて演じられる日本人の女優はいるかしらん???
最後、なるほど、将軍をアーして、ゴドを・・コーするんだと思っていたら、ヤギだった(笑)
思ったのが・・これ男性バージョンだったら、ただの性犯罪者に育ってしまうのではないかなぁ・・と。
松本人志氏あたりは、もしかして、こんな感じで脳が成長したのかも・と・・・。
評価の高さにびっくり
邦題が素晴らしい
現代版「フランケンシュタインの怪物」
Disney+で鑑賞。
ヨルゴス・ランティモス監督の作品は本作が初めましてだけど、「ロブスター」「聖なる鹿殺し 」「女王陛下のお気に入り」のタイトルは知っているし、監督の評判は噂には聞いていた。
本作に限れば、寓話的というか“作り物的”な世界観や色使いは、ウェス・アンダーソンっぽみを感じ?
本作の原作となる1992年に発表されたアラスター・グレイの同名小説は未読なんだけど、橋から投身自殺をしたエマ・ストーン演じる女性の遺体を手に入れた天才外科医ゴッドが、彼女のお腹の子供の脳を彼女の肉体に移植。ベラと名付けて育てつつ経過を観察しているという物語は「フランケンシュタインの怪物」の再構築というか、現代版アップデートという印象だった。
本作の主軸は、主に様々な男たちとのセックスを通してベラが“セカイ”を知り、やがて自己を確立するわけだけど、そこに悲壮感がないのは、それらが常にベラ自身の選択であるからなんだと思う。
逆に、父親に虐待され他の愛し方を知らないゴッドや、無知なベラを思い通りにしようと駆け落ちするも結局ベラに依存していくダンカンなど、本作に登場しする男たちは常に何かに縛られ、不自由な思いをする「哀れなるものたち」だという事が物語を通して明らかになっていく。
そういう意味では哲学的だし、フェミニズム的な物語とも言えるけど、ポップで軽やかな映像世界がそうした思想を上手く包み込んで、観やすくしていると思った。
苦手系かと思いきや。。。
人間全てが哀れに感じる映画
まぁ賛否両論あるとは思うけど、素直に面白かったよマ王は😁
てっきり「フランケンシュタイン」の亜種映画だと思って観たら全然見当違いでソコだけかなと(流石は前情報を調べないマ王)
でR18だったけどコレで成人指定は映倫厳しくないか?
エマ・ストーンのSEXシーンをエロティックに感じながら鑑賞する輩も無くは無いと思うけど、マ王は普通に観れたぞ←オカシイのかな?
ていうかこの映画で欲情する人間は哀れだ🤣←エマ・ストーンがそんなに美しくないのかもしれない
グロシーンも思ってたのとは違ったし、つくづく映倫の基準に疑問符だらけなマ王です🌀
内容は一人の女性の成長記であり一人の女性がどれだけ虐げられてるのか(現代でもね)というテーマだと感じたけど、原作読んでないからなぁ😅←感想文だからね
登場人物のほぼ全てが何らかの欠点があり、映画では殊の他に大きく誇張して描かれている😶
その姿に違和感が無いのは転じて自分自身にも存在する部分なんだろうと思ったマ王だったので、自己啓発セミナー的な映画なのかもしれない😵💫
兎に角、エログロを期待して観に行くと肩透かしに合い、内容が理解できたのならハンマーで殴られたような衝撃を受ける映画ではあります✨
でもココの舞台って地球ではないよね😳←コレも見当違いかも
最後までオチを解らせない作りはマ王的には満足でした😁
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
エログロ度★☆☆☆☆
エマ・ストーンのセクシー度(★は個人に任せます)
様々な弊害が待っているかもしれない、でも自由に生きろ
熱烈ジャンプ!そして哲学する身体
前半はケン・ラッセルが作ったような映像で痺れた。衣装も室内装飾も家具も小道具も建築もリバティ・スタイル、アール・ヌーボー、ゴシックが混淆して、空の色も海の色も音楽もどぎつい悪夢のようだった。カメラが魚眼レンズみたいで自分の目もぐるぐるした。
哀れなる複数形:Poor THINGS。ゴッドは父親による荒療治で哀れなるものを持っていない。持っている者は仕事に邁進し感情を抑え他者を束縛し他者の快感を禁じ「自分の」子どもを生ませることが第一と思いこんでいる哀れな複数形。マイ・フェア・レディがどこかに居ると夢想している哀れな複数形。
ベラはピグマリオン効果からも自由、完全に解き放たれている。私のすべては私のもので誰かのテリトリーではない。自分で気持ちよくなれることも方法も知っているし、選ばれるのでなくて自分が選ぶ。男性がリードするのが決まりの社交ダンスでもベラは一人で自由に踊る。
エマ・ストーン=ベラの濃い眉毛に漆黒の長い髪はフリーダ・カーロのようで暑く熱い。知性と感性がどんどん磨かれて瞳の力も強くなる。ハンナ・シグラ(何歳になっても素晴らしい。俳優だからこそ顔をいじってはいけない)が演じる"なんでもどんとこい”マーサとベラの出会いと会話はとても笑えた。ベラはマーサから、言語化する自由、読書の楽しみ、豊かな語彙、批判能力を素早い速さで吸収した。そして死なざるを得ない多くの子どもたちに対する想像力と悲しみをもう既に自分のものとしていた。
おまけ
色んな方々のレビューを拝読し不完全でも自分の考えをまとめたくなりました。この映画で最も大事なテーマは女性のセックスです。そのシーンが多いのには理由があります。ベラはいやいやでなく思わせぶりも焦らすことも媚びることも挑発も形だけの恥ずかしポーズもしません。したくなったら「熱烈ジャンプしよ!」と自分から相手に言います。思いっきり気持ちよくなって楽しみます。相手が休憩必要になったら、そうなんだ、と学習して無理強いしません。自分の体のこともよくわかっています。いきなりの人にはもう少し私の方の準備が必要なのでは・・・と言います。社会(異性愛男性メイン)が形成した枠組みに閉じこめられ内面化した人達に向かって、縛られなくていいんじゃない?自分が選ぶことじゃない?とベラは言ってる気がします。自分の体が感じることを禁じる他者は一体どこからそんな権限を得ているのでしょう?以上のことを全部伝えるには山ほど多い裸シーンは必然でした、壮大な旅と人との出会いと共に。
絶望して一度自殺したベラがその絶望の理由を知らなければならないのは、聡明に成長した彼女にとって避けて通れないことでした。だから以前の夫の元に一旦戻ったのです。このお話の最初から最後までが理路整然、私たちに大きな笑いと大きなメッセージをプレゼントして貰った思いです。
雰囲気が良かった
予告で不思議な感じのお洒落な意識高い映画だなぁ、と思って、後はアカデミー賞とかそういう権威につられて観た。
実際現代じゃなくて、でもリアルな昔ではないファンタジーがまぶしてある世界観で、色とか音とかが映画館で観ていて気持ち良い作品だった。
たまに凄くバッチいというか、直視しがたいものも沢山あった。生々しいって言葉が合ってた。エマ・ストーンの全裸を沢山観た。アメイジングスパイダーマンの時に見たかったな。
ストーリーはハッピーエンドなのかよく分からなかった。
主人公が、観ていた僕の思い通りに成長しなかったところが、ある種のリアルを表現していたのかもしれない。
死体を見つけたら、普通に通報しましょう。
悪趣味なことはしないでください。
どうレビューしようかと迷う作品。笑 まず、当然のことながら、エマス...
どうレビューしようかと迷う作品。笑
まず、当然のことながら、エマストーンが良い。良すぎます。かなり振り幅のある難しい役だったのではと思う。
(最初の脳みそ子供の頃はちょいとオーバーな感じがあったかな~なんて個人的には思ったな)
濡れ場も、エマがやってるんじゃない、ベラがヤってるって思えて、セックスシーンの奥深さを感じた。
官能的にも見えるし、コントにも見える、みたいな。めちゃくちゃかっこよかったです。
内容は、割と笑った!意味わからんすぎて、え、なになに???笑 ていうおかしさ。
(ベラの「old clitoris」っていう表現にグッときました笑)
ダークな雰囲気の割に、ユーモアがあって、その辺のセンスは好きだな。
エマもプロデューサーをやってると知って、エマ自身も面白い人だから、いい感じで作れたんだろうなと。
ただ、思ったよりエンタメだったなっていうのが正直なところ。
題名が意味深感を出しているせいだろうか。
命を軽んじているのか、大事にしようとしているのか。
女として身体を売って稼いで、女としての快楽を求めるけど、女・男ではなく平等に自由を求めるのか、いや、女は全部欲しい。笑
男だって全部欲しい。色んな矛盾もひっくるめて、「哀れなるものたち」なのでしょうか。
ベラは最初の方に「性」という、人間に備わった原始的な楽しみを見出し、色んな経験をするにつれて、知的な楽しみも見つける。
言うたら人造人間なのに、誰よりも人間らしい。言葉を覚えて、自分の気持ちを表現できるようになっていくところが、確実な成長を感じさせる。
やっぱり、不条理や悲しみを覚えてからが成長だ!って思った。ないことに越したことはないけども。
衣装も映像も申し分なく、世界観を作り上げていた。
その豪華さのせいで、中身とのバランスが、個人的には少し混乱した。
監督の頭の中を覗くような感じで、なんだかこちらも、色んな経験をした!って思えるような作品。
全496件中、21~40件目を表示