ほつれるのレビュー・感想・評価
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現実はこんな感じなのだろう
大きな盛り上がりもなく淡々と進んでいくが
主人公の周りの人たちの気持ちがいつ爆発するか、の怖さがあった。
実際に不倫がバレたら、こんな感じなんだろうと思わされた。
門脇麦の演技がとても自然で良い。
次の場面への長いカットが多かったが、主人公の揺れる気持ちを表現しているのだと思った。
何と面白い話しだろう。
繕ったモノがほつれる感覚を上品な世界観で描く
綺麗事ではない現代のリアル。
共感できない
見る人によって感想は変わるとおもう
門脇麦さん演じる主人公綿子の心の揺らぎを描いた作品。
冒頭、男を残して家を出て電車に乗ると、そこには別の男。
この物語の根幹となっている。
タイトルの意味は漠然としていて焦点が合わないように感じるのは、それだけいろいろな感想があっていいということなのだろう。
考えてみれば不倫というのは恋愛と似ていて、お互いの想いや目的も千差万別にあるように思う。恋愛に、既婚という条件だけが付随する。
このケースでは、木村は綿子の心の支えだったようだ。
木村がくれた指輪をお互いの右手にはめたのは、お互いの立場を侵害しないという意味だと思う。まるで二人は二人いるようだ。
木村は小学生時代に父と一緒に犬の散歩に出かけ、犬が車にはねられた。救急車を呼べと叫ぶ彼だったが、父は何もせず、犬の首を絞めた。これが子供に与えた影響は大きく、次第に会話がなくなり、結婚式にも出席しないほど亀裂が入った。
この父の話は、綿子が交通事故現場から119番通報しなかったことに似ている。
話を聞きながら夫からの電話が鳴るが、綿子はすぐに電話に出た。このことは綿子自身が父の話を自分事として受け止めていないと思われる。おそらく彼女の頭にあったのは、木村が「オレ犬好きじゃなんだよな」といった言葉と、その理由だけだったと思う。
この綿子の想いと視聴側の視点の差が、この作品の見どころだと思う。共感しなくてもいいのだろう。
綿子は逃げているのか、それともわからないのか?
綿子にとって「二重生活」のような生き方に疑問というものはあまりないように思えるのは、もう考えられないところにまで行ってしまったからなのか? 心の支えである人が交通事故にあってもそれを無視できる心の影の正体は何だろう?
綿子は夫との約束を忘れて、友人と山梨に出かけた。それは木村の墓参りのため。
葬式に出なかったのは「実感がなかった」から。そう言いながらも木村の死というものがじわじわと心の中に広がってゆく。
そしてその要因が自分にあったのではないかと思う。
しかしその一方で、結婚記念日のプレゼントを買い、夫と祝う。
綿子の行動に不信感を抱いた夫は、彼女にマシンガン的な質問と「ちゃんと話し合おう」と何度も言う。
夫は離婚という言葉を持ち出す。離婚以外の選択肢をお互い考えてきたはずだ。もう一度やり直すタイミング。しかし綿子にはそのタイミングなど来ていない。
しかし綿子はうまく話せない。言葉にできない。
夫との同居別室生活。夫は彼女の不満は前妻との息子に原因があると思っている。
前妻が引き取った子供を仕事上の理由で預かることに意義はないとしながらも、そもそも不倫がもとで一緒になった二人だった。
子供のことは離婚条件のひとつだったのだろう。
しかし綿子は言う「フミノリが最初に不倫した」 話し合いなんかでは埋まらないことがあるのだ。
綿子が最後に畳みかけるように夫への不満をぶちまけたことで、とうとう綿子の腹が決まる。それを導いたのは他ならぬ夫だ。
「話し合う」ことですべて解決すると思っていた夫と、その間隙に折り合いを付けながらも夫との関係に悩み続けていた綿子。
同じような悩みを抱えている木村に惹かれていく。しかしそれはかつて夫と不倫関係になったのと同じ構造だということに気づけない。
「不倫から始まったからうまくいった」
夫のこの言葉はどこか正しいように聞こえてくる。少なくとも二人には真実だろう。
この作品に恣意的なものはないと思う。だから感じ方も自由だ。
綿子は荷物をまとめ家を出る。
それは「逃げ」だろうか?
私は病んで鬱になるよりよほどいいように思う。
彼でダメなら引けばいい。
何かに気づくまで、何度も失敗していいと思う。
「自分を責めるな、綿子」
不倫がテーマだが濡れ場は一切なし
加藤拓也監督作品脚本作品初鑑賞
妻綿子と夫文則
子供無し
夫婦関係は冷え切っていた
友人英梨の紹介で木村と出会った綿子
男女の関係に
木村は妻帯者
ダブル不倫
ある日2人は列車に乗り不倫旅行
今風のおしゃれなキャンプの帰りにそれぞれの家へ帰るため駅を出て別れたがその矢先に木村は車に轢かれ亡くなった
英梨は告別式に参列したが綿子は顔を出さず
後々綿子は英梨が運転する車で木村家の墓がある山梨に日帰り旅行
そこで2人は木村の父と会う
木村まだ墓に納骨されておらず
その日は文則と引っ越し先の家を観に行く日で綿子はそれをすっかり忘れていた
文則から電話がかかってきた
英梨や木村の父も電話に出る羽目に
不倫映画だが濡れ場は一切無し
コメディー要素もない
90分未満の短めの映画とはいえそれで「もたせている」たいしたものだ
出来が良い韓国映画を観てるよう
加藤拓也氏がそれだけ有能なんだろう
たぶん
綿子が未亡人に会い軽く説教されるシーンが印象的
こちらからはそのシーンは背中越しで綿子の顔しか見えない
わりと好きな構図
文則には前妻の間に息子がいる
息子と会う口実で文則は前妻と浮気をしていた
綿子も文則も不倫をきっかけにした結婚だった
文則の前妻や息子や息子を世話している文則の母は登場しない
少々とっつきにくい設定
木村の父は息子をはじめナオキと呼んだ
彼の下の名前がナオキとわかるのはこのシーン
綿子も英梨も木村くんと呼び下の名前で呼ぶことは一度もなかった
しかし2人に息子のついて語るとき父なのに息子のことを「彼」と呼んだ
飼い犬の事故をきっかけに中学の途中からずっと精神的に疎遠になったとはいえ
おそらく血のつながりがない親子関係なのかもしれない
話は淡々と進む
だけどなぜか欠伸は出ない
ラスト10分くらいで夫婦喧嘩
浮気相手の木村が既に故人だということを信じない夫文則
綿子が怒りを爆発させるクライマックス
別れることを決心し家を出る綿子
意外にありそうでなかなかない画期的に思える無音のエンドロール
もし映画館で観たら機械の故障を疑ったかもしれない
公開当時地元で上映されたのはフォーラム仙台のみ
通常イオンシネマで上映されるようなタイプの映画ではない
濡れ場がないことで人間としての高い知性すら感じた
自分がもう少しレベルが高ければもっと高い評価ができたのだが迷った挙句結局星3.5
しょせん自分は野暮天だから
自分はレビューで不倫がいかに駄目なのか力説するほど良心的な人間ではない
子供の頃からどちらかといえば模範的ではなかった
ヤフコメ民の多数派と共感したことなどまずほとんど無い
もちろん奨励はしないが叩く気にもなれない
だけどこれって赤の他人だしそもそもこれってフィクションでお芝居じゃないか
映画だよ
出てるのは役者さん
そこまで熱くなれない
まあだいたいいつものことでストーリーそのものにあまりのめり込まず自分に置き換えるという作業をいっさいやらないからかもしれない
本を読むのは好きだが本の内容について登場人物の心情などについて答えなければならないテストは嫌いだった
これを観て怒りを露わにするような人たちに対してどう思うかといえば全く理解できないし共感する気にもなれなかった
そういう人たちと視点が違うんだろう
あるベテラン女優が園児たちの前でディズニーにアレンジされたやつでない本来の『人魚姫』を演じた話を思い出した
王子様をナイフで刺そうとする直前の場面で園児から「殺せ!」とか「殺さないで!」という声が出たという
もし自分がその園児たちの1人ならおそらくそのどちらでもない反応を示したことだろう
濡れ場がない不倫映画はありだけどハッピーエンドの人魚姫なんてやっぱりありえないわ
配役
文則の妻の綿子に門脇麦
綿子の夫の文則に田村健太郎
綿子の浮気相手の木村ナオキに染谷将太
綿子の友人の英梨に黒木華
木村の父の哲也に古舘寛治
木村の妻の依子に安藤聖
道の駅店員の中田に佐藤ケイ
旅館の受付の原田に金子岳憲
靴屋店員の笹井に秋元龍太朗
救急センターの声に安川まり
門脇さんの演技
夫婦のあいだの溝に空っぽな気配が行き来する。
溜まってきた湿気がすなぼこりを塊にするように少しずつ積み上がる。
それを掻き出し、きれいなリビングできれいに並べきれいな言葉で妻を責める夫は、保ちたいプライドの分の糊をそこにいつまでもぐるぐるまぜ入れながら、ものわかりよい大人の男の風味に近づく匙加減を絶妙だと自己満足しているようにもみえる。
自分の嘘を自分の本当で割ってゆるりとのみ込みその場を乗り切る妻の癖は、揺らぐほど曖昧にし見かけをフラットにしてみせる。〝それじゃない安らぎ〟の存在の証拠だった指輪を、現実をぼやかす中和剤にするかのように探す姿は完全に個を生きてると思う。
愛なんてもうどこにもみえない。
一瞬、和んでしまいそうになるほどの笑顔が挟み込まれるたびハッと我にかえり、隣にいる人が違うだけでこんなに人間て表情が変わるんだな〜と、しみじみおもったけれどあの時間も愛とは呼べなかったのかも知れない。
自分だけの一瞬のみが大切にみえるそれぞれの未来はどの道も同じ場所に辿りつかないことをうっすら感じながら、ジリジリとひやひやが混ざる居心地の悪い時間を過ごさせ、後味はもやりと微妙である。
そんな門脇さんの演技は細やかで自然でやはり素晴らしいのが確か。
映画としては秀逸
べつに 別れたくないよ……
胃が痛くなる名作
映画序盤にに大きなことが起きてから、その後大きなことは起きない映画です。
…ですが、ですが、じわりじわりとその序盤の大きなことが後を引き、映画を見る者の心に浸食していきます。
後半は大きなことは起きないのでボーっと見ていると下手をすればただの退屈な映画になってしまいますが、主人公や脇役の役者の方の目の動きや些細な体の動作だけで感情を表すのが上手く、引き付けられます。
気が付けばあなたも主人公の共犯者のような気持になります。
普通の映画はハッピーエンドかバッドエンドかではっきりと分けられることが多いですが、この映画はどちらでもない「ハッドエンド」という見終わった後も考えさせられる終わり方です。
未見の方は是非視聴を
気持ち悪い要素
冷えきっているのに
ストーリーは淡々とすすむんだけど、グサリとささります
冷えきった夫婦、愛人
なのに。なんのカラミもなく淡々と続くシーンの連続なのに見入ってしまう
よくある冷めきった夫婦かと思ったら、とんでもない夫婦だった
”スィート・マイホーム”で、イケメンイケ女に腹を立てたのは、監督な斉藤工も含めて下半身のゆるさに罪悪感を全くもっていなかったからだけど
今回は、もう人種が違います
あきれるしかないというか、近づきたくない
今回は極端にひどい夫婦だけれど、今のフツーは、昔に比べずっとゆるゆるで、それが許される世の中になってきている
これがいいのか悪いのか
恋愛下手には、なにも答えることができません
「結婚するとお互い一人としかセックスしちゃダメじゃないですか」
そ、そのとおりです
胸を張って言われるとドギマギしてしまいます
昔なら、当たり前だったけれど
今どき、こんな事いうと変人にさえ思えてしまう
これはいいのか悪いのか
そもそも結婚って・・・
若い頃は知識が乏しくて
日本の結婚制度がドイツから入ってきたことも知らなかったし
フランスでは事実婚が多いとか、アメリカには戸籍制度がないから手軽に結婚できるとかも知らなかった
色々知っていくと、離婚が悪い事ですなんて言えなくなりました
多様性の時代といわれ、カチカチの形式は窮屈だと言われます
映画を観ていると、色々な問題を突きつけられます
観た人が全てに答えを見つける必要は無いなあ
なんて、たまには逃げてしまったり
今回、違和感があったのは
後半の修羅場のシーン
完全に心が離れてしまっているにもかかわらず、対面に座るのではなく、同じソファーに座るヒロイン
まだ繋がりを持とうとする気持ちがあるんでしょうか?
もう、理解不能でした
なので、古い人間には異世界の物語として退屈する事なく観れました
まあ、今回はハッピーエンドでしょう
最初から終わってるもん、
配給会社の名前がビターズ・エンドというんです
調べたら、最後の最後(いかにそれが不愉快なものであろうとも)って書いてありました
いかにもですね
修羅場好きな人向け
綿子(門脇麦)と文則(田村健太郎)は文則に連れ子がいるものの都市型のDINKsという感じ。夫婦仲は破綻しているが別れずにいる。綿子は木村(染谷将太)と定期的に不倫旅行をしているが、その最中に木村は交通事故で死ぬ。一緒にいたことがバレてはまずいので黙止する綿子を良心の呵責が蝕んでいく。・・・。
都市の中産階級の気配。
居住も被服もおしゃれな風情のグランピングとか、週末へ山梨へ行く都会人の感じ、見ているだけでへどがでる。
いかにもビターズエンドに出てくる感じの人種がいかにもビターズエンドで描かれる感じの都市生活を生きていてなんなんこいつらと思った。
浮気は人類のポピュラーな行為だと思う。是非もない話で、そんなことがアートハウスになっているのがしゃくにさわる。不倫して、相手が死んだ。それがどうしたってんだ。たんなる肉欲を不条理ドラマ風にもっていくのがしゃくにさわる。
だいたい綿子と文則は初対面のようにぎくしゃくしており、そういうふたりが同居していることじたいがホラーだった。
孤独が苦にならないことは立派なことではないし、一人であることは誇れる状態ではないと思う。
しかしこれほどまでにうざったいならぜったいやだ──という世界が描かれる。
仲良くやるのが、それほどまでにめんどうでまだるっこしいなら、孤島や僻地や隔離に喜んで志願してやるわ。
ホラーのごとく気まずいのにふたりでいる理由がわからない。とっとと別れろよ。
同監督のわたし達はおとな(2022)と同じで、どうでも修羅場や気まずい空気感を出したいわけでしょ。でもなぜ?その動機や意図が解らない。なんでそんなものを見せたいのか?なにがおもしろいのか?
演技派ともてはやされひっぱりだこの門脇麦だが個人的には不安しか覚えない。不安と気まずい空気感で満たされた映画を見て、どういう種類の感興があるのかわからず。
つまりわたしの考えはこうだ。
わたしたちは日本社会で嫌なことに遭っている。さんざん日本人の嫌な側面を見ている。
それにもかかわらず、娯楽という位置づけの映画において、現実の修羅場と同空気の綿子と文則の痴話喧嘩を聞くのか?門脇麦の絶叫を聞くのか?
ボクたちはみんな大人になれなかったみたいに業界人がつくって業界人が絶賛の帯文を書く内輪映画だと思った。
ただしじぶんでじぶんに嫌なら見るなよとは思いました。
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