ほつれるのレビュー・感想・評価
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自業自得だが、綿子の悲しみと苦しみには同情する。門脇麦さん黒木華さん共演なので鑑賞。思ったより黒木華の場面が少なかった。内容も画面も曇天のようにどんよりで気が滅入るが面白かった。
綿子と木村(チャラ男?)が不倫しなければ、木村はあの場所で事故に遭うことがなかったし、綿子も木村を失う悲しみに暮れることはなかった。だから不倫したからそうなったという意味で自業自得なのだが、とにかく綿子は大切な人を失ってしまったのだ。その悲しみは不倫だろうが本妻だろうが片想いだろうが関係ない。また夫とうまく行ってない悩み、苦しみは別案件で、大切な人を亡くした悲しみとは別問題。
僕は、木村との想い出に涙ぐみ、失くした指輪を探すことに必死になってしまう綿子が可哀想でならなかった。まあ、不倫しなければ良かったんだけどね。
綿子と木村の妻が対面する場面は、ドキドキというよりワクワクした。まあ、見てるほうは外野の野次馬だから気楽なもんだ。綿子は会いたくないだろうが、僕がもし木村の妻ならゼッタイ夫の不倫相手の顔(ツラ)を見てやろうと思うだろう。相手が自分よりきれいだったり若かったら怒りも倍増、ムカつきいー。
あと、冷えきった夫とのことだが、ずっとサッサと分かれろよと思ってた。まったく見ててホントにイライラしたぜ。
だから終盤、綿子が離婚しようと言ったときは思わず親指立ててイイネ印してウシッ(ヨシ)と小声でつぶやいてしまったヨ。夫がそのあとスグに分かったと言って離婚に同意したときも、「ヨッシャー」と思って引き続きイイネとウッシ(小声)した (台風13号のせいか、初日金曜夕方なのに客が7~8人しかいなかったから、おそらく誰にも聞こえなかったと思う たぶん)。
夫が後でヤッパシ別れないとか言ったときには、チッとか舌打ちしちまったぜい、マッタク。
綿子は夫と別れたようだし、その点に関しては僕としては一応ハッピーエンド。
内容が、不倫、大事な人との別れ、冷えきった夫婦関係で、綿子夫婦の家の室内もモノトーンで、外の場面もどんよりしているから、見終わってスッキリ楽しい気分ということはないが面白かった。
薄い…
冒頭、主人公の女が不倫旅行後、あることがきっかけにうっすらとした日常が崩れていく。
全員が自分の事を棚にあげ、他人を攻撃しまくる…そんな映画でした。
シチュエーションは若くして金持ちのイシキタカイ系の人が中心で、私としては全く感情移入ができませんでした。こんなに何でも手に入る生活をしていたら、不倫ぐらいしかすることがないでしょうよ。
『たとえ金持ちであったとしても人の心は買えないのだ』などとはおっしゃれないでしょうが、『一概にそうでもないかもよ』と思います。
優しさを持った人が全く出てこない。唯一黒木華さんの安定した演技が救いでした。
監督さんは人に恨みでもあるのでしょうか。この映画に人はいません。
タイトル『ほつれる』よりも『ほぐれる』で良かったような気がしました。
(ほつれるだと意味的にだけではなく耽美にきこえる)
あと、スタッフロールにもちゃんと音楽を入れてくださいね。演出上入れなかったのかもしれませんが、映画の余韻に浸ることなく無音の館内にいるのは正直つらかった。(みんな帰っていくし)
どっちもどっち? 不倫だらけの上品な昼ドラ
不倫相手の事故死をきっかけに夫に不倫がバレたので離婚した。ひと言で言えばそういう話だ。
主人公の綿子と木村はダブル不倫、そもそも綿子と夫の文則の関係も不倫始まり(と確かさらっと言っていた)、実は文則も過去に不倫と、不倫だらけの話なので、フィクションだろうが不倫をするやつの内心なんか見たくないという人は見ない方がよい。
そういう内容なので後味はよくないが、門脇麦と田村健太郎の絶妙にリアルな冷めた夫婦の空気感を「こんな感じありそう、あるある」と覗き見するような気分で楽しめる(すみません)ことは請け合いだ。会話の言葉遣いやリズムも妙に生々しい。
本作の加藤拓也監督(30歳、若い)が書いた舞台劇「綿子はもつれる」が物語のベースになっている。観劇した方のレビューで読める範囲で舞台版のあらすじを見たが、設定や基本的な話の流れはある程度共通である一方、構成はかなり変えられているようだ。
本作の文則役で登場した田村健太郎が舞台にもキャスティングされているが、舞台ではなんと綿子の息子の中学生を演じている。文則のモラハラの気配と雰囲気だけの誠意が混じった感じがとてもいい匙加減で、ハマり役だと思っていたので驚いた。あの喋り方の癖や、墓場の綿子に電話して同行者を確認する場面のねちっこさなど、観ているだけで生理的にうわあ……とくる感じの出し方が上手い。
作品サイトには、監督の言葉として「この作品では当事者性を感じることができない、またはしないで、向き合うことを諦めている一人のもつれが描かれています。」とある。
確かに、綿子は小さな岐路に立つたびに、問題の本質に向き合うことから逃げているようにも見えた。
彼女には、夫の母親と彼の別れた妻との息子が家の鍵を持っていて勝手に上がり込んでくる環境など、同情する点もある。
その状態を最近まで解決出来なかった夫と、話し合いくらいはしたのだろう。だが、愛想を尽かして別れるといった二人の関係の範囲で解決するような手段は取らず、木村との不倫で気持ちを紛らわせている。
不倫という大元の原因に目を瞑れば、愛する人を死によって突然失ったのに誰にも感情をさらけ出せない、という状況の苦しさも想像はつく。しかし彼女は、その木村が車に轢かれたのに、夫に不倫がバレては困るので、119番への通報を途中でやめてその場を立ち去った(つまり反射的に木村よりも夫との生活を守ろうとした。あるいは自分の過ちを隠すことを木村の命より優先した)。それでいながら木村への未練から指輪が捨てられず、かといって夫に見られてはまずいものなのに管理も疎かだったため、結局木村の父親と妻、文則にも不倫がバレてしまった。
一方で、監督がテーマを語る言葉がいくらかっこよさげでも、それを表現するためのモチーフが不倫で、なおかつ主人公が何かを発見したり変わったりすることのないまま終わるのでは、世に数多ある不倫体験談と痴話喧嘩をただ見せられたような気持ちになってしまう。その辺に転がっている話よりドラマっぽいのは木村の死んだタイミングだけ。
確かに、綿子は木村の死によって予期せぬ感情に晒されたり、真実を知った木村の父や妻と対峙したりすることになったが、全て受け身だ。ラストも不倫バレして逆ギレからの悶着がこじれた勢いで離婚。ここにも主体性を感じない。
綿子が夫に新しい財布をもらって、指輪を収納した財布の中身を適当にひっくり返した時に「これはあの指輪が夫の手に渡って修羅場だな」とわくわく……もといドキドキしたり、木村の父が「依子さんに言わないというのも……」と言い出したところで「これは妻との修羅場が来る」とハラハラしたりはした。だが、そういう昼ドラ(絶滅)的面白さだけを期待して観に来たわけではないのだ。予告の何か深い話っぽい雰囲気に期待していたのだが、不倫する人たちの自業自得感が目につきすぎてしまった。
また、木村の父が、車に轢かれた瀕死の飼い犬を楽にしようと首を絞めた、という話がどぎつかったが、木村も彼の父も他の描写が少ないので、その話が物語上何を意味するのかもよく分からず、ただ悪目立ちしたような感じだった。死んだ夫の不倫相手に、冷静にセックスの話をする木村の妻との会話は、そこだけ非現実的で浮いていた。
映画館で私と同じ列の5席ほど離れたところに座っていた60代くらいと思われる一人客の男性は、中盤ごろからこちらに聞こえてくるほどの声で「別れたらええねや……はよ別れや……」とつぶやき続け、離婚が決まったら静かになった。
不倫の方が燃え上がる
テーマは「不倫」。
題名の意味するところは、二組の夫婦の妻と夫の関係性だろうか?
田村健太郎が、一見、誠実そうだが、理屈っぽさが鼻について、生理的な嫌悪感を抱いてしまいそうな夫を好演している。
翻って、門脇麦演じる妻の方は、一体何を考え、何をしたいのかがよく分からなかった。
基本的に長回しの会話劇が続くのだが、特に不倫がバレた後の「妻と不倫相手の妻」の会話と、「妻と夫」の会話には、見ているこちらが息苦しくなるような緊張感が漂っていて、スタンダードサイズの画面の閉塞感も効果を上げている。
その一方で、そうした演劇的な見応えはあるものの、映画的な面白さがあまり感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
ラストは、「最初からそうしておけば良かったのに」と思えるような、あまりにも当たり前のところに落ち着いて、延々と何を見せられてきたんだろうという気分になる。
ただ、「不倫関係だった頃の方が、お互いに優しくて、うまくいっていた」といった台詞には、妙に生々しい説得力を感じてしまった。
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