あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。のレビュー・感想・評価
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心の奥に響く映画
水上恒司、福原遥のダブル主演。どちらも大好きな役者さんという事で見に行って来ました。心に染みる良い映画でした。
今平和に暮らせて居るのは、あの時代にこのように自分の人生を掛けて守り戦ってくれた方々のおかげ。
本当は自由に生きたかった。好きな人や家族と平穏に過ごしたかった。沢山の犠牲のもとに今が築かれている。
高校に通えるということすらも有り難いことなのに投げやりに日々を暮らす主人公。
現代に戻り、日々の有り難みを良く分かったのだと思います。
戦争は賞賛される事ではありませんが、あの時代はそれを乗り越えるしかなかった。
感謝の気持ちを持って日々過ごしたいと思う映画でした。
最後の博物館でのシーンは号泣です。夢では無かったと、恋する人は本当に実在して逝ってしまった人なんだと。
原作では百合がもっと横暴なのですが、戦時中の方々への配慮にかける言動が多く、映画の方が好みでした。
そりゃ切ない、だが。
気になってた映画がまだ公開していたので観てみた。
SNSで評判の良かった小説が原作だし、泣けるは泣ける。
でもそんなに心は揺さぶられなかった。
(特攻隊の意義とかではなく)
水上氏と福原さんの演技も良かった。
松坂慶子ももちろん、久しぶりの伊藤健太郎も千代ちゃんも良かった。
なのになんかそこまで響かなかった。
脚本の問題?
主人公の女子高生同様に、戦争を受け入れちゃっていることへの嫌悪感?
公開当時なら全く気にならなかったであろう「お兄ちゃん」。「オレには分かる」ってなかなか言わないなぁと思っちゃったり。自分が集中できてなかっただけかなぁ。
あとエンディングの福山氏の曲が恩着せがましいというか、too muchな気がしてちょっと疲れた。
⭐︎3.6 / 5.0
特攻隊に対する現代人の思いを主人公がぶつけてくれているのですが、今...
優しい語り口で伝える《反戦》
今ならミサイル一発を撃ち込む行為・・
その代わりに
特攻隊員は零戦ごと人間爆弾となって空母に
突撃した。
人間の命を、ミサイル一発と引き換えた非人頭的な行為が
公然と行われていた。
それが今から80前の戦争でした。
この映画を観る意味
主演の水上恒司が言っている事が一番当たっている気がします。
「戦争をまったく知らない子供たちが、過去にこういう史実が
あったことを知るきっかけになるのが、いちばんにベストである」
この言葉に尽きると思います。
ゼロ戦とはなんぞや?
特攻隊とはなんぞや?
生き恥を晒す(さらす)とは、なんぞや?
国にを守るために死ぬ
とは?
家族の幸せのために死ぬ、
とは?
また、《生き神様」と崇め立てられる
意味?
この映画を観れば、その一つ一つの答えを
正確に知る事ができます。
男らしく凛々しい彰(水上恒司)と
正義感の強い負けん気な百合(福原遥)の
80年の時空を超えたラブストーリーの形を借りて、
百合の感じる疑問、
百合の感じる理不尽、
それが先の大戦の間違いだとわかります。
ある意味で小・中学校で勉強する「道徳の授業」より
意義のある映画だと思いました。
ハンカチ一枚ビショビショになるほど泣いたいた
陳腐な映画
割り切った演出がある意味スゴイ
個人的ワースト
遅くなったけど(・_・;)
映画無料券が1月末までで気付いたら後数日しかなくてレビュー読みながらどれも悪くてでもせっかくならと気になってたこちらを観に行きました。
ポスター見てタイトル見て泣けると思ったら『うん⁉️マジですか??』と言う感想でした。
タイムスリップは別に良いけど男性と出逢って食堂の女将さんに助けてもらえて住み込みで働けて、そこに助けてくれた男性が来て再会して恋をするのはまぁ良いけどそこからダラダラと話が進まず‼️
『後何分しかないけど??』『早く飛び立ちなよ』としか思わなくなり、ようやく飛び立ったと思ったら現代に戻ってもしやとこそっとスマートウォッチで時間確認して『えっ⁉️時間ないけどこれで終わりってことよね⁉️』と思ったら案の定終わり。
タイトルからして何とか無事に帰って来て
タイトル通りに“あの花が咲く丘で”また再会してって話なのかと思ったらナシ‼️
よく分からず終わりました‼️
しかも資料館で泣き崩れるし。
戦前〜戦後に生まれた方・経験した方が泣き崩れるなら分かるけど。
ポロポロッとするならまだしも。
『こんな話しても誰も信じる訳ないよね』と誰にも本当の話出来ずに友達と『こうゆうの見ると泣けるよね??』『うん‼️』って話しながらグッと堪える方が良かった。
彼我の18歳の苦悩に違いがあるとは言えないのかも。
<映画のことば>
「生き恥」って、どういうこと?
生きていくことは、恥ずかしいことなんかじゃない。
戦時下にあった当時(昭和)の18歳と今(令和)の18歳ー。
今(令和)の18歳は何不自由ないと評され勝ちですけれども。
しかし、各地で開催されるようになってきた「子ども食堂」にも象徴されるように、保護者の雇用の不安定さ=収入の少なさから、食べるものもなく、お腹が空いたら水を飲んで空腹を凌(しの)ぐという18歳も、いないではないと聞き及びます。
(本作で、百合の家庭も、父親が不慮の事故で亡くなってからか、経済的には苦労があったようです。)
戦時下にあって戦役に従事しなければならないことで、その命脈の限りが見えている当時の18歳が不幸で、今(令和)の18歳が不幸でないと、どうして言い切れるでしょうか。
彼我の苦悩には等差はないともいえるメタファーが、そこに描かれていたように思えてならないのです。
そんな境遇からだからこそ、今回の出来事を契機として、そういう境遇に負けずに将来を切り開く決心を固めた百合の決心が、いつそう清々(すがすが)しかったとも思います。
充分に秀作であったと思います。
評論子は。
(追記1)
本作についての世評も、このサイトの大方のレビュアーの評も、本作は「(とくに若い人向けの)反戦映画」という意見が大方であることは重々に承知してはいるのですけれども。
しかし、上記の意味では、背景として戦時下を描いていても、いわゆる「反戦映画」としての色彩は(飽くまでも、それは、いわば対比の一面であって)そんなに色濃くはなかったのではないかと、評論子は受け止めました。
評論子のように馬齢を重ねてきてしまった者から見れば、100年時代とも言われる「人生これから」という、まさにスタートラインに立ったばかりのはずの18歳の悲哀というのは、当時も、令和の今も、そうは変わっていないのかも知れないと言ったら、それは果たして言い過ぎでしょうか。
(追記2)
百合のお父さんは、溺れかかった子供を助けようとして、亡くなったようです。
そのことを批判的に受け止めているかのような百合は、助けようとした子供のことは考えているが、後に残された百合や百合の母親の生活のことは何も考えていないなどと言いますけれども。
しかし、その百合自身が、空襲から逃げ遅れた老人?を、簡単には見捨てることができず、倒れてきたものの下敷きになって、自分が動けなくなったりもしてしまいます。
百合自身が同じ竿頭に立たされてみると、少しも躊躇(ちゅうちょ)することなく、父親とまったく同じ行動に出る―。
「蛙の子は、やっぱり蛙だった」ということなのでしょう。
そう思いました。評論子は。
そして、百合の母親にしても、実は百合と同じ気持ちだったのかも知れないとも思いました。評論子は。
しかし、百合の手前そうとも言えず、「人助けのために亡くなったお父さんは立派だった、家族の誇りだった」と、取り繕(つくろ)っていたように思えてなりません。
あるいは、自分にそう言って聞かせて、夫が亡くなったことを、何とか自分自身にも納得させていたのかも知れないとも思われました。
評論子には。
(追記3)
ツルさんは、預かった手紙は、やはり投函していたのではないでしょうか。
百合が間違って落としてしまった文箱から落ちてしまった手紙は、あとで終戦記念館?のショーケースの中に、切手に消印がされた状態で展示されていましたから。
たぶん、ツルさんが直(す)ぐには投函しなかったのは、出撃しても、帰還することが、初期の頃は、ままあったからではないでしょうか。
出撃しても、会敵できなかったり(敵艦と遭遇できなかったり)、悪天候で攻撃ができなかったりして、やむなく基地に引き返して来ることは、特別攻撃が始まった当初は、時としてあったようです。
もちろん、「敵艦がいる」という索敵(偵察)情報に基づいて出撃する訳ですけれども、レーダーも普及していなかった当時の日本軍としては、太平洋で敵艦隊に遭遇するのは「プールの中で、たった一匹の泥鰌(どじょう)を探すようなもの」とも例えられたと聞きます。
それゆえ、いわゆる「死に場所」になかなか遭遇できずに、かえってそのことの苦悩が、戦争映画などでは描かれていたりもしているようです。
(もっとも、終戦間際には、物資不足から戦闘機の燃料も充分には行き渡らなくなり、最初から片道分しか給油されなかったりもしたようではありますけれども。)
英霊の訃報(戦死公報)よりも先に遺族に手紙が届いてしまうと、いろいろと不味(まず)かったのかも知れません。
むしろ、戦死公報を受け取って悲嘆に暮れる遺族(両親)は、次いで、息子からの決意が伝わる肉筆の手紙を受け取って、いくばくかは慰藉される…特攻隊員の最後の慰安施設である「陸軍指定食堂」を預かる女将のツルさんの、せめてもの心配りだったのだと思います。
評論子は。
そして、これらの郵便に切手が貼られていたことの方に、評論子は感慨がありました。
この手の郵便物は、当然「軍事郵便物」として、料金は無料の扱いだったはず。
軍の郵便物として、軍が差し出すのなら。
畏(おそ)れ多くも畏(かし)こくも、天皇の統帥権に基づく軍事行動に、料金を課すなどという発想は、そもそもなかったはずですから。
しかし、そういう扱いにすれば、当時のこととして投函前に軍の検閲を受け、それ故、手紙の中身には本当の心情は書けなかったのでしょう。
それで(軍事郵便物としてではなく)私信として、わざわざ切手を貼ってツルさんに投函を頼んでいた-。
当時の状況からすれば、あり得ないことではなかったものと思います。評論子は。
(追記4)
本作の監督さんは、CM作品のご出身で、長編作品はようやく二作目とお聞きします。
しかし、そう言った鋭い感性をお持ちであることについては、刮目すべき人物なのかと思ったりもしています。
良い作品(秀作)に出会ったことのほか、これからが楽しみな監督さんに出会えたことで、ダブルで嬉しい思いの評論子でした。
涙!涙!涙!こんなに涙が出るのは何故だろう?
泣けた!
とにかく泣けた!
こんなに泣いたの久しぶりだった。
(ハンカチで涙を拭き続けていました。)
過去に特攻隊の歴史を
学んでいただけに
特攻隊員の若者達が
仲間を思いやり
眩しい笑顔で
キラキラした瞳で
明るく元気に描かれるほど
泣けて泣けてどうしようも無かった。
「命を大切にする。」
「夢を持って生きる。」
「愛する人々の幸せを願う。」
など
今の時代では
普通で
当たり前の考え方
しかし
それが許されない時代
普通が普通ではない時代
とにかく
我慢、我慢、我慢の時代
それでも
人を思いやり
互いが互いを助け合う
人々の必死の姿
見ていて胸が熱くなった。
観賞後
「平和である事の大切さ」
「生きている事の素晴らしさ」
「日々生活出来ているありがたさ」
「愛する家族と食卓を囲める尊さ」
このような思いの波が
押し寄せてきて
また泣けてきた。
本来素晴らしいはずの
若いと言う事が
こんなにも
切なく見えるとは、、、
言葉になりません。
あの百合の丘に行きたい
役者と撮影技術の凄さ
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