エリザベート 1878のレビュー・感想・評価
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エリザベートの憂い
映画を観たあと、それまでエリザベートとは?というのをあまり調べていなかったので、映画の補足説明として話すと彼女は望んで夫のフランツ・ヨーゼフ一世と結婚したわけではない。
お妃候補の姉の付き添いで行った結果、フランツ・ヨーゼフ一世が妹に一目惚れ(実際は二目惚れとも)した結果、結婚することになったのだが、果たして本当に愛があったのかは謎でしかない。付け加えていうなら、複数の愛人がいたこともエリザベートは許していたみたい。
仕方なく結婚し、窮屈な宮殿暮らしのストレスが頂点に達し、ついに我慢の限界を迎え、逃避行をするようになる。ラストの船から飛び降りるシーンは自殺したかのように見えるが実際は60歳まで生き、滞在先のスイスで貴族反対派の人間により殺されてしまいました。
フェミニストの監督なのか?結果シシィを好きになれない描かれ方可哀そうすごい鬱映画
過激な薬物注射自慰セックスシーン 必要ある?全編を流れる陰鬱な歌歌詞がすごく気になった
それを超えてもいいのは華麗な伝統と格式を誇るウィーン宮廷の様子ビクトリア朝の晩餐会馬丁との恋(ほぼジェーン・エアの貴族の世界ではないか!!)
たぶんビィスコンティのどの作品よりも映像美が完成されていると思った
歴史に疎いくせにこの手の作品が好きと言う矛盾🤣
ヨーロッパ宮廷随一の美しい称された
エリザベートの晩年の一年が描かれていたようですね🤔
Wikipediaで彼女のことを調べてみましたが
作品とは少々イメージが違います。
幼少期、父親の影響で自由奔放に育った故に
宮廷生活の窮屈さ、夫や娘との確執もあり
拠り所はどこにあったのだろう。
自らを窮地に追い込まむような言動も
それらの反動だったのでしょうか。
にしても
王女が常にエリザベートに対して冷ややかで
無表情でむしろ軽蔑しているかのような態度です。
病院への慰問帰り
「たばこを吸うなんて恥ずかしい」と
母親に言い放つあの表情は正直不愉快でした。
今では考えられませんが
当時の女性の平均寿命が40歳だったようで
故に、40歳の誕生日を迎えたエリザベートは
夫の心無い言葉に傷つきます。
そしてハゲ散らかしたおっさんのくせに←
若い(18歳)人妻に言い寄るんですよ、全く腹立つったらありゃしない💢
そんなストレスを発散するかのような
過度なダイエットと運動に
励む姿はなんだか切ないです。
←お前は見習って励め🤣と言われそう
彼女の生涯の終わり方が、
実際の彼女のソレとは全く異なります。
どちらも衝撃的ではあるけれど
本作の方が嫌だなぁ💦と思わるものでした。
.
私の声を聞いて
エリザベート皇妃を、スラリと背の高いヴィッキー・クリープスが熱演。
常に注目され、皇妃としての振る舞いを求められる。息の詰まるような日々。澱のように溜まっていく鬱屈した思い。
以前、国立新美術館の『 THE ハプスブルグ 』展で見上げた、息をのむ程に華やかで美しいシシィ( とお呼びしても良いですか ? )の大きな肖像画に、もう一度逢いたくなった。
映画館での鑑賞
私には理解できなかった。
フェミニズムの映画…という情報と中指を立てたフライヤーの写真のみの情報で見ました。
1878年に生きたことはないけれど、コルセットで締めつけられ、髪を編み続けられるなど、自由はあまりなかったことだけは想像できます。
でも、この人の異性や自分の子どもへの距離感には共感できるところが一切ない。
王妃の付き人(?…何と呼ぶのか分からず)が結婚したいと話した時も、その人の幸せなどそっちのけで「素のままの私を愛してくれるのは…」みたいな発言😓
結局は、王妃様で当時としては恵まれた環境…お金に不自由しない‥の中、自分の自由にならないものがあるのが気に入らなかった(平均寿命からして)死期の近い人のわがまま?としか映らなかった映画。
ただ、絵の美しさに⭐️半分乗せました。
虎に首輪を着けるかの如く、抗う白鳥にコルセットがギュ~っと締め付ける。
ポスタービジュアルから一目惚れで鑑賞したい!と思っていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…面白い!
ポスタービジュアルのイメージ程のファンキーさではないが、皇族の縛られた規律に出来るだけ従おうとするが、持ち前の自由奔放な精神から苛まれ、抗おうとする魅力的なエリザベートが描かれている。
ポスターの中指を立てる姿や劇中に舌を出したり、煙草を吸う姿は反抗の現れかと思うが、煙草を吸うエリザベートはまるで楽屋でリラックスして客席の様子や愚痴を言う芸人のような振る舞いで常に大衆を気にしなければいけない息苦しさを体現している。
皇妃と言う縛りは反発するかの如く、行動の果てに薬物やタトゥーに行き尽くすのはある意味はちゃめちゃ。でもそれが良い♪
時代背景にそんなに詳しくはないので何処までが忠実で何処までがフィクションかは正直分からないけど、観た感想としてはそこに重きを置くのではなく、作品として1878年を舞台としていてもその時代に囚われ過ぎない様にしている姿勢が垣間見える。
宮廷内で弾き語りで演奏されるRolling Stonesの「As Time Goes By」やエリザベートが後半で舌を出す仕草は単にアカンベーする茶目っ気だけでなく、有名なアインシュタインの舌を出す写真のオマージュにも思えるし、ラストの客船はどう見ても1800年代の物には思えない。
様々な波乱万丈な半生の出来事をあの1年の中に散りばめたりした感はこの時代の背景を忠実に描こうとするとエリザベートがより奇人に映るのを魅力的な人物にしようとした結果ではないかと思う。
ただ浴槽に服のまま入る習わしは…多分違うよなw
観ていての感じた難点は中指を立てるエリザベートほどのファンキーさは劇中で感じられなかったのと何処かに皇族の物語とあってかの遠慮も垣間見えるような…
もっと自由奔放の代償が描かれていても良かったかな?は個人的な一意見。
エリザベート役のビッキー・クリープスの熱演が良い。
「OLD」や「ファントム・スレッド」のイメージよりも数日前に鑑賞した「アウシュヴィッツの生還者」で主人公のハリーに寄り添いサポートするミリアムを演じていて、そこの印象が強かっただけに今作のエリザベートではキャラが違い過ぎてそれが面白い。ビッキー・クリープスの役幅の広さとも言えるが、個人的には高貴さを醸し出しながら自由奔放な役と言う難役を見事に演じている。
40歳と言う年齢はいろんな部分で変換期で身体の自由は若い頃よりも効かなくなる。新陳代謝も悪くなるし、いろんなキレも悪くなるw
かと言って、精神的に衰えたかと言うと経験値が存分に蓄積されているだけに若い頃とのギャップに“まだまだ”と抗おうとするだけにタチが悪いw
“一般大衆のとって40歳は平均寿命”と言われてもある意味「籠の中の鳥」だから、そんな現実に驚きながらも“そんなん知ったこっちゃ無いわ”と思ってしまう。
皇妃として、妻として、母親として責務を果たそうする分、「女」としての葛藤に苛まれる。
実年齢でもドンピシャのビッキー・クリープスはまさしく適役で新しい魅力のエリザベートを演じているかと思います。
配給会社のトランスフォーマーは近年では名作を連発してるけど、個人的なイメージは「ムカデ人間」や「武器人間」「アフリカン・カンフー・ナチス」など、たま~に超ド級の爆弾を落とす怖さとユーモアを兼ね備えた配給会社ですが(褒め言葉です♪)、こういった名作も提供する緩急が上手い。
虎に首輪を着けるかの如く、抗う白鳥にコルセットを着けさせるのは無理と言うもの。
いいじゃんいいじゃん!
世間や堅苦しい規律に中指立てたって。
煙草の煙ふかして愚痴を言ったって。
コルセットなんてめんどくさいもん外して、ありのままを晒してたって。
皇妃様がやるから痛快で、その抗いがエンタメ感満載。
個人的にはお勧めの良い作品です♪
「もっと締めて!」
奇しくも、直近で観賞した作品での印象的な使われ方をされた"ハンガリー舞曲№5"からの繋がりである、ハンガリーとの二重帝国関係先のオーストリアが舞台(ロケーションは色々な国に行くが)の王女の1年間の物語である
一風変わっていたのか、それとも其処まで追込ませていたのか、女王の心の解放を赤裸々に描いたストーリーテリングに仕上がっている
事実とフィクションのバランス感も奇を衒っていて興味深く、ラストのオチは賛否両論あるようだが、落とし前の付け方としては定石だったのではないだろうか? 改変することで、この歴史とは違う一つの"マルチバース"の世界観を構築した点は映画の可能性を拡げた意欲作である
所謂、『ジェンダー問題』としてのプロットは、表層的な部分かなとは感じる 今の時代に即しての対比は、根本を探るという点に於いては有効だが、あの時代、しかもその時代でさえ前時代的生活様式を尊ぶ閉ざされた世界を今更否定しても詮無き事 そしてあの時代でさえ世情がそれを許さない雰囲気をゆっくりと包み込み、まさに"黄昏"を匂わせているのは古今東西同じであろう
今作を鑑賞して誰でも起想する騒ぎがこの国にもあり、それは現在でも続いている
逃れられない呪縛は正に"コルセット" 強く絞めることを願うのは、本人の意志?それとも家族?はたまた勝手に夢を願い奉り立てる市囲? 様々なメタファーとしての
シークエンスを差し挟む事で、作品中の王女の心のヒダを丁寧に易しく表現しているカインドネスを評価したい
一つ、今作にて自分なりの心が惹き込まれた点は、世間と王宮との生活対比を幻想的に構築した場面転換ではないだろうか? 中世ヨーロッパの世界観からの、汽車や大型船の登場、時期は改変されているが映写カメラの登場などは、馬車や乗馬、そして肖像画といったものとの隔世の感を見事に表現していて、困惑を観客に抱かせる印象付けとして見事である その流れで、ハープで奏でる"As Tears Go By"は、ローリングストーンズの曲があの時代にもう生まれていたのかも知れないという錯覚も受け入れてしまう魔術もしっかり忍ばされていて、なかなか抜け目のない油断ならない強かさも印象付けられる ヘロイン中毒や刺青も、現在と照らし合わせると眉潜める行動も、本来ならば自由闊達さが性格の王女を蝕んだ結果という、ステレオタイプかも知れないが解りやすい作りではないだろうか
明治時代の日本では、天皇中心とした社会構築に勤しむ間、このようにヨーロッパでは一歩先の時代の中心で産声を揚げ始める自由主義 同じ時間を共有していても進歩に差を感じる事の興味深さをふりかえる上で大変面白い内容であった
1877年のクリスマス、ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリ...
1877年のクリスマス、ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート(ヴィッキー・クリープス)は40歳を迎えた。
容色の衰えは自分でも自覚しているが、皇帝からは「常に、国家の象徴としての存在であるように」を言われている。
食事はほとんどとらない。
眠れない。
皇帝からの愛は受けられない。
そんなストレスは、ますますエリザベートの精神に影響を与えていく・・・
といった内容。
「エリザベート」といえば「ミュージカル」「宝塚歌劇」、というのが世間的な認識らしく、劇場内にはその方面の映画を期待した婦人たちが数多くみられましたが、こちらとしてはその手のことには疎く、挑発的なポーズをしたポスターデザインから、ミドルエイジ・クライシスか、アイデンティ・クライシスか、妙に興味がそそられたわけです。
映画は、女性のクライシスを淡々と描いた内容で、広々とした城内が妙に寒々しそうにみえるあたりも含め、リアリティをもって描かれます。
それには、主演のヴィッキー・クリープスの存在が大きいわけで、ドイツ語、ハンガリー語、フランス語、イタリア語、英語と複数の言語による台詞をしゃべり、本物かと疑うほどコルセットで締め上げて細くしたスタイルに、発明されたばかりのキネマトグラフの撮影の際のおどけぶりとか、躁鬱の傾向があったのかどうかわからないほどの、演技の振れ幅です。
美貌の点からいえば、ヴィスコンティ監督作『ルードウィヒ 神々の黄昏』のロミー・シュナイダーの方が一枚も二枚も上なのだが、自分を縛るつけるなにものかに抵抗する姿には、どちらかろいうと華やかさに乏しいヴィッキー・クリープスの方が相応しい。
華やかさに乏しいといえば、いとこのルートヴィヒとの禁断の恋模様など、恋愛事情もいくつか描かれるが、これらもまた華やかな演出はしていない。
唯一、全編を彩る現代音楽の使い方がロマンティックな雰囲気を醸し出しているが、それとて、メロディ以上に歌詞の内容が重視されている。
最終的には、1878年に暗殺されたとされるエリザベートだが、映画はそこに一捻り加えている。
ちょっと『テルマ&ルイーズ』を思い出したりもして、自身のアイデンティ・クライシスを突破したのか、自滅したのか、爽快さからはやや遠い。
ということで、期待していたとおりの内容なのだけれど、どこか物足りなく感じる。
原因がどこにあるのかはわかないのだけれど。
自縄自縛
歴史に疎いので不安があったのですが、懸念が的中しました。
エリザベートについても、時代背景やその他も解説がないため、手探り。
ストーリーやキャラクターが面白ければまだよいのですが…
大きな事件がなく、断片的に淡々と出来事が語られる。
エリザベートに関しては、ポスターからもっとパンクな感じかと思っていたら、意外と精神弱め。
自由に振る舞っているようでいて、最低限の体裁は守るし、体制を打ち砕く意思もない。
窮屈さを感じつつも、コルセットを「もっと締めろ」と言うなどスタンスが曖昧にも見えた。
結局、彼女を縛っていたのは彼女自身ではないのか。
また、役割やイメージを押し付けられることと不貞をはたらくことは別問題だと思う。
そういった面でも、特にエリザベートを応援する気持ちが湧かなかった。
メッセージ自体は理解するが、あくまでフィクションならもっと振り切ってほしかった。
死という自由...。
1877年のクリスマスイヴの日、40歳の誕生日を迎えた皇妃エリザベート、40歳(1年)の時の話。
公務におわれ日々退屈、窮屈、ストレスな日々を送ってたエリザベート...ある時そんな窮屈な日々から抜け出そうと計画を考え始めたエリザベートのストーリー。
作品観ての感想は、こういう家柄に生まれたのは幸か不幸かって感じですかね。
金の無い家に生まれたら羨ましい世界かもしれないけど...。
こちら側で生活してる人からすれば普通の生活がしたいだろうし、どんな家に生まれても悩み、窮屈、退屈、ストレスは必ずあるという極論な感想(笑)
美の部分に関しては、若さ美しさで存在価値を測られてきたこの時代の女性は大変だったんですね~
美に関しては意識する者、しない者といるけどカッコよくいたい、キレイでいたいと意識してる人はそれなりに努力されてますよね!この時代に限らず!
妹を自分の身代わりにしあの選択しか選べなかったエリザベートは可哀想だし可哀想な時代だと思いました。
追記
エリザベートさん調べたら60歳まで生きてるんですね!ラストの描写は何?(笑)
【”40歳までは我慢して窮屈な宮廷生活を送って来たけれど、40歳を超えたら自由に生きるわよ!”。一人の皇妃が自由を求める姿を虚実綯交ぜにした演出で、アーティスティックに描き出した作品。】
ー オーストリア帝国ハプスブルク家最後の皇妃、エリザベス(ヴィッキー・クリーブス。今作の製作にも参加している。)が40歳を迎えた翌年に焦点を当て、虚実綯交ぜにした演出で、彼女の40歳までの生き難さ、40歳を超えて自由奔放に生きる姿を描き出した作品である。-
◆感想
・エリザベスが40歳になるまでは、且つての美貌と痩身を保つために食事はスープのみか、薄く切ったオレンジ三切れか、赤肉のロースト肉をホンの少ししか食べない。
ー そして、当時上流社会の女性が付けていたコルセットを”もっと、キツク!”と侍女を叱りつけながら付ける姿。
コルセットが、上流社会の女性を縛り付ける象徴として描かれているのは、観れば分かる。-
・エリザベスはフェンシングも行い、常に速足で歩いている。乗馬もこなす。
ー この辺りは、史実通りである。-
■1877年、クリスマスイブ。
40歳を迎えたエリザベスは傷病兵の慰問や精神病患者の慰問など公務を熟しながら、自らのイメージを覆す計画を実行に移す。
(但し、彼女はおざなりの公務を行って居た訳ではない。キチンと慰問側に配慮した支援をしている。聡明な女性なのである。)
1800年代後半の女性の平均年齢が40歳だった事に驚きつつも、医者の言葉にベロを出してお茶目に反発する姿。
そして、彼女は自らの髪を結うためには欠かせない、ロングヘアーに鋏を入れ、バッサリと切り落とすのである。
・開明的であったエリザベスが、厳格な宮廷に馴染めずに世界各地を旅していた事は史実であるが、今作では男性の友人ベイと交流し、噂を立てられ息子ルドルフに責められたりするも彼女は気にしない。
ー “ベイとは少し自重するわ・・。”だってさ・・。-
・エリザベスが夫フランツ・ヨーゼフ一世への愛を失っていた事も、内心軽蔑していた事も観ていれば分かる。愛していたら、あんなに自由を求めないよね。
ー 彼女は”籠の中の鳥”で居る事を自ら拒んだのである。特に40歳になってから。
全裸でベッドで寝て居たり、ヨーゼフのベッドに忍び込んであんなことまでしている。夫を弄んでるなあ。怖いなあ・・。-ー
・髪を切り落とした彼女は、それまで我慢して来たが故に、吹っ切れたかのように、今まで以上に自由奔放に振舞うのである。
傷病兵に煙草を与えたと思ったら、彼のベッドに横に寝そべって煙草を咥え、紫煙を燻らすのである。
ー で、幼き娘ヴァレリーに”恥ずかしかったわ!”何て叱られているのである。自由奔放だなあ。更に刺青は入れるは、遣りたい放題である。
序でに体重が50キロをオーバーしても、どこ吹く風でケーキを口にしている。-
<ラスト、イタリアで羽を伸ばしていた彼女は遊覧船の船尾から海へジャンプする。オイオイ。
彼女は、60歳でアナーキストにスイスで殺されているから、自由を満喫した結果であろう。
自由を求めてさすらうエリザベス皇妃を、虚実綯交ぜにした演出で描いた作品。
ナカナカにアーティスティックな作品でありました。>
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