世界のはしっこ、ちいさな教室のレビュー・感想・評価
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ジュマペール Prof! 聖職の碑ダネッ!
1.ブルキナファソはフランスが旧宗主国。この映画での一番大事な国。
2.ロシアはフランスにとっては仮想敵国。ロシアであっても、モスクワから遠いから、一人の女性の独自の努力で、子供たちは良い教育を受けている。
3.バングラディシュはフランスとは無関係のイギリス連邦に属する国。最近は日本のプランテーションとして、アパレル製品の輸出が世界4位で、アジア最貧国から脱出した。けれども、それでも悪習慣(宗教)として女性は虐げられている。
その三つを比較する経緯で話は進むが、ブルキナファソは未だに最貧国だけども、彼女の努力と理解ある住民とフランス からの援助でだんだん良くなっている。とこの映画は言いたいのだろう。それが主題。
さて、この映画はドキュメンタリー風な映画として鑑賞した。時系列に映像を並べて見ているとドキュメンタリーでは矛盾する場面が沢山ある。ヤラセとは言わないが、映画であるからには、フレームの中に収まり過ぎている。話が予定調和で進み過ぎる。
従って、ドキュメンタリー風の良心的フィクション映画として鑑賞した。
さて、彼女達の努力と子供に教育を施す事に異論はないが、教育と言う行為が二律背反な事も理解すべきだ。つまり、同化政策と言う国家的な犯罪行為を人類は重ねている。幼児婚と同じくらい重大な犯罪である。
カナダのイヌイットの同化政策で、7000人近い児童が虐殺された歴史を鑑みて、昨年、ローマ法王がカトリックの長として、その地へ謝罪の行脚を行っている。
邦題が「世界のはじっこ」とされているが、どこから見てはじっこなのだろうか?さすがフランス人と思ったが、原題は「Etre Prof」「教師になる」だ。
邦題をコピーした配給会社の稚拙さが伺える。また、
「はしっこ」まで行かなくとも、女性差別は大都会にもたくさん存在するし、高等教育を施されても、学習は日々必要に感じる。
従って、現実的には、個人の叡智を育む教育が必要であって、個人の努力だけでは駄目である。ただでさえ、教師はブラックな仕事として大日本帝國では流布している。風評被害じゃない。
そして、
僻地教育にこそ、パンデミックで培ったAI導入を検討すべきだと思う。
追記
3年目を迎えたブルキナファソで、3年前と同じ服を着た少年が、彼女の前を歩く。笑えるね。ちゃんと演出をした方が良い。
【”学びは子供達の人生を変える事を信じて。”シベリア、バングラディシュ、ブルキナファソで厳しい環境下、子供に学びの喜びを伝える3人の女性教師の崇高な姿を描くドキュメンタリー作品。】
■今作に登場する、崇高な3人の女性教師たち
1.世界最低ランクの識字率であるブルキナファソの僻地に赴任したサンドリーヌ先生。
ー 彼女は、識字率を上げたいという思いの中、粗末な学校の建物の環境改善にも奔走する。そして、字が読めなくて泣いていた少年にマンツーマンで叱る事無く、”学びの喜び”を伝えようとする姿が素晴しい。ー
2.雪深きシベリアに住む遊牧民のエヴェンキ族と共に移動しながら、生徒達に学業とエヴェンキ族の”文化”を伝えるスヴェトラーナ先生。
3.違法である児童婚を防ぎ、子供や女性の人権を守りたい、と年の半分は洪水で土地が消えてしまうスナムガンジ地域で奮闘する若きフェミニストであるタスリマ先生。
- 彼女は教え子の一人で、中学進学を希望するヤスミンの字が読めない、娘を結婚させようとする母親を必死に説得する。
そして、彼女の指導もあり、見事にヤスミンは中学に合格するのである。-
<今作が鑑賞していて心に響くのは、3人の女性教師たちが、「子供達には明るい未来がある。その為には学びによる知識が必要である。」という信念を持ち、行動する姿である。
今作は、素晴らしいドキュメンタリー作品であると私は思います。>
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■つい、先ほど、大変な震災が能登で起きてしまった。
被害が最小限である事を祈るしかないのだが。
天は、無慈悲なモノである・・。
現実と将来のはざまの子どもたちを見つめる。
シベリア、ブルキナファソ、バングラデシュを舞台に、3人の先生の奮闘と学びに目覚めた子どもたちの姿をとらえたドキュメンタリー。
シベリアでは遊牧民学校(時期によって移動しながら行う学校)、ブルキナファソでは僻地の施設の整っていない学校、洪水の多いバングラデシュでは舟の学校に焦点を当てて、ただただそこでの学校での授業風景を追う。
バングラデシュでは識字率が高くない地域の学校で、若くして結婚させることが教育よりも重視され、それがその家のメンツにもつながる。その中で葛藤する女の子。頑張ってほしい。
後味よーい
「世界の果ての通学路」が
大好きな映画の一つなので
本作も期待して見ました。
この映画もやっぱり
後味がいい。
一生懸命生きること
精一杯学ぶこと
人のために働くことって
素晴らしい。
人生捨てたもんじゃないなと
感じられる映画でした。
多くの人に観てほしい
僻地すぎて言葉の通じない子供たちのいる村の新任教師。
移動し続けて町の学校に通えない遊牧民の為の移動式遊牧民学校。
モンスーンで一年の半分が水没する村の水上学校。
生きていくだけで大変な環境で奮闘する先生と子供たちのドキュメンタリー。
本来の教育ってこういうことだろう。
落ちこぼれを作りたくない、教育の時間を無駄にしたくないと奮闘する先生たちのなんと素晴らしいことか。
若干うまくいきすぎな感じがないわけではないが、多くの人に観てもらいたい傑作。
貴重な現実を描いているけれども、違和感もある
ブルファキソの教師が首都から辺地にやってきて、言葉で苦労しそうだったり、残してきた子どもと連絡を取り合ったりしている場面から、『ブータン 山の教室』のような葛藤も描かれるのかと思ったが、案外馴染んでしまい、ソーラーパネルを値切る場面には、『風をつかまえた少年』との共通性も感じた。
アムールの教師が雪のなかで教室を開き、子どもとのずれに直面するところは、『北の果ての小さな村で』の情景とも共通するようだったが、民族性については逆で、先生の方が精通していた。となかいの橇でやってきて、赴任地ではスノーモービルを使うというのは、効率性の問題もあるのだろうか。
バングラデシュの教師が船で授業をするのは、日本や韓国の病院船のドラマを思い起こした。一方で、『アリ地獄のような街』や『メイド・イン・バングラデシュ』のような過酷さとは距離を置いているように感じられる。児童婚を禁止する法律のことを説明し、母親に進学を勧める積極性は理解できるけれども、母親も笑みを浮かべながら撮影を受けているようにみえ、若い教師がそれほど壁にぶつかることなく進めており、実況撮影ではなく事後の再現演技であるかのように感じられるのが惜しい。
学びで自由に
ブルキナファソ僻地とシベリアの遊牧民のテント、バングラデシュの船の学校3ヶ所のドキュメンタリー
どちらも子供が労働力で学校どころではないよう 特にバングラデシュは人身売買みたいな結婚で児童婚は法律で禁止なのに未だにまかり通っている酷い現状 メイドインバングラディシュの主人公は働いていて労組まで創ろうとしてたからとてもスゴイことだったんだ、と今更ながら知る
シベリアの子供達があんまし本気じゃないかなぁと思ったけど、いずれもとても根気ともに信念も必要な仕事 今後大丈夫かな?みたいな様相は有りましたが、少しずつ前進している 学校教育が当り前な国だとその意義を忘れてしまいがちですが、学びとは?改めて問い直す良い内容 こういう場で学んだ子達が国の未来を変えていくんだろうな
教える、学ぶことの大事さ
様々な辺地で教える教師、そしてキラキラした目で学ぶ子どもたち。
それだけでも大感動なドキュメンタリー。
そして、ブルキナファソの最後のシーンで涙腺崩壊。
全国の子どもに観てもらいたい作品。
Etre Prof!
「世界の果ての通学路」のバーセルミー・フォージェアが製作を手がけていたということで、二番煎じ感を持ってみたのだが、どうもそれとは違った。
またしても、邦題がトラップというわけだ。
『世界のはしっこ、ちいさな教室』という映画の核心には、実はそこへと赴く意味、「私が教えること」の意味を問うことがある。"Etre Prof"には「教師であること、教えること」の意味がそこにはある。
非常に面白いのは、教師としての啓蒙的側面を打ち出しながらも、必ずやそこにへばりつく、いい意味でも悪い意味でもヘゲモニーへの傾きや批判が映し出されているということだ。
サンドリーヌにとってみれば、子ども達に文字を教えること、言葉を学ばせることが社会から国から与えられたつとめなのだが、それは共通語であるun deux troisを習得させることだ。
一方、スヴェトラーナも遊牧民エヴェンキ族の伝統を重視したいと思いながらも、その背後にはロシア語がチラついている。
タスリマは、若くして子どもや女性の権利を守ることを主張するいわばフェミニストなのだろうが、そこには「児童婚」という悪弊が社会に巣食っている。
だから、Etre Profであるいうことは、その社会のまさにポリティクスを背負ってのものだということなのだ。
子どもが愛おしいとか、子供達が可愛い、などという言葉が、この国の者にとってはあまりにも無邪気にナイーブに使われてしまって久しいのだが、Etre Profということは、そんな虚で中身のないものなのではなく、社会全体を子どもたちに投げかけることだ。子どもたちといれば楽しいなどとほざく教員採用試験の面接では決して解決され得ないものがそこにはある。
教育とは極めて政治的であるということを心得よ!
そんなことを考えさせてくれる映画だったかもしれない。
#サンドリーヌ・・・最後の子どもたちへの褒賞は石鹸?だよね。多学年共通の内容を教えるのは難しい。学びの能動と受動を生徒たちに与える集約的な体験学習でした。
スヴェトラーナ・・のほほんとキャンプもどきを楽しんでいるお気楽なこの国の人は、「まじキャンプ」ってできないよね。こちらは、地域を知ろうとする総合型学習でした。
タスリマ・・・・・本当に22なの?おじさんは降参です。意識レベルが半端ないっす。こちらは、どちらかと言えば、因習突破を目標とした受験に向けての知識偏重学習でした。
忘れてしまった学べる喜び
プロデューサーの前作『世界の果ての通学路』では、何時間もかけて歩いて(インドのお兄ちゃんはガタガタの車椅子)学校に通う子どもたちが主役だったけど、今作は学びたい子どもたちのために先生が動く。
それぞれ学力に差はあるし、集中が途切れることもある。おそらく日本では置いていかれるだろうけれど、この先生たちは、子どもたちに勉強したいという気持ちがあれば全力で支える。
ギリ圏外な辺境の村で、謎のソーラーパネルがちゃんと機能して良かった。
バングラデシュの先生は、未だ“女の子に学問は必要ない“という考えの残る場所で、踏み込み方を間違えると、児童婚ブローカーから怖い目に遭うんじゃないかとハラハラした。
シベリアの先生は、勉強だけではなく、自分たちのルーツも教える。文化や風習を絶やしたくないという想いは、今後の子どもたちにどう届くかな?
歳を取ると、こういう純粋な子どもたちを観ると、なんか涙腺が緩みがち。
独身で子どもいないのに。
受験戦争って何なの
って思った。世界には最低限の読み書きが出来ない、できる必要すらないという社会で育っている子どもたちがいるのに。
世界のはしっこで、自国の子どもつまり未来の有権者の幸せレベル底上げのために奔走する熱血教師たち、全て若い女性であったことも印象的。
受験戦争の果てに、就活でエントリーシートにエピソードを書きたいがために(すごい偏見に満ちた書き様、ごめんなさい)、短期で開発途上国にボランティア活動に向かう日本の若者との対比を思った。
この国の行く末が気になるなら
ずっと楽しみにしていたドキュメンタリー。分かってたことだけど、感動的(という言葉は好きじゃないけど他に思いつかない)…
5つもの言語が使われるブルキナファソの辺境の村と、トナカイの遊牧のため移動生活をするシベリアの遊牧民の集落、半分が水没してしまったバングラデシュの村、それぞれで初等教育に携わる女性教員の姿を捉える傑作。
彼女らが皆分かってること。教育は可能性であり選択肢を与えること。選択肢こそが未来であり社会そのものをも豊かにする。
選択肢を持ちながら持ち腐れてきた阿呆な二世三世政治家ばかりのどこかの国の政府と同様に、政治だけはそれを理解せず結果的に国の発展を妨げている(ブルキナファソは違うかも)…
ねえ皆さん、僕らはそれを変えられるんですよ。それが民主国家なんですよ。現場の努力を全て無駄にする阿呆な政治家にさよならが言えるんですよ。それをあらためて知らされた1時間半。この国の行く末が気になるなら観なくてはならない1時間半です。
だってさ、親だって子供が憎くて勉強させないわけじゃない。親の生活が苦しいあまりに「選択肢」が見えてないから。だから見えてる中での最適解を選ぼうとする。子供のために良い選択が出来るのならそりゃあ誰だってそれを選ぶよね、ということをヤスミンのママは教えてくれた。
彼女らが戦っているのと同様に、僕らもこの国の将来のため、子供たちの教育のために戦わなくてはならないと思いますよ…
日本人に生まれて良かったと つくづく思う。
そして 自分は 教育を受けられない人々に 無力である
とも感じさせられました。(-_-;)
募金とかも あるでしょうけど 怪しいのが多いしね。
直接 手渡せるのなら 渡しますね。少額でも。
日本は 江戸時代から 識字率の高さで 欧米人を
驚かせていましたからね。
教育は 大切です。今の英語教育は 無意味でわと
時々思ったりもしています。
私にはそんなに刺さらなかったけど…
自分にとって触れたことのない、見たことのない世界で、子どもたちや先生が日々色んなものと戦いながら暮らしているという事実を、自分の目で見られたというのは貴重な体験だった。
子どもたちの成長する姿や、学んで「できた」ときのキラキラとした表情が眩しくて、教師という仕事の魅力を改めて感じた。
ただ、私はどうしても感動するように仕立ててあるドキュメンタリーが苦手で、あれもこれも演出なのでは?誇張されてるのでは?なんて邪なことを考えてしまった😂
先生達が素晴らしいのも、教育の意義についても理解してるけど、「聖職」と何度も言うのが説教くさくて素直に受け取れなかった。自分が教師の立場なので、先生たちの職場環境とか、綺麗な部分だけではない部分を想像してしまった…。教師だって人間🥲
世界のすみに、自分たちとは全く違う環境にいる人々がいるということ、それぞれに地域ならではの課題を抱えていること、その課題に立ち向かおうと戦っている人がいること、それが映像として残り色々な人々に伝わることは、とても意義があることだと思う。
私にはそこまで刺さらなかったけど、この作品を機に世界の子どもたちに思いをはせたり、日本の教育を見つめ直してみたり、だれかの心に深く残るのだとしたら、それはとても価値のある作品だと思う。
丸い世界のはしっこで。
AIだなんだと言われる現代であっても、学ぶ機会すら与えられず文字の読み書きもできない子供たちが世界には沢山いる。一方で自らの人生を懸けて子供たちに学ぶことの素晴らしさを教える先生もいる。
ブルキナファソ、シベリア、バングラデシュ。3つの学校。3人の先生。そして子供たち。世界最低の識字率の向上、児童婚から女の子たちを守る為、遊牧民のルーツを残したい。その国、その地域特有のそれぞれの理想や目的。これこそきっと学校の本来の姿に違いない。
学びたいと望む子供たちがいて、教えることを諦めない先生がいたら、どこであろうとそこが学校になる。世界のはしっこでも、そうでなくても。見応えのあるドキュメンタリーで胸があったかくなりました。
つい80年前の日本の田舎の風景
ブルキナファソ、シベリア、バングラデシュの、世界の端っこのような集落の子供たちのなんと純朴なことか。そこで子供たちを教える若い女先生がまるで二十四の瞳の大石先生のように見える。落ちこぼれだったブルキナファソの子供が、修了式で表彰されるようになるまでに成長していたシーンは本当に感動した。
予想を上回った出来栄え 教育の機会があるかどうかで、 生活の質が天...
予想を上回った出来栄え
教育の機会があるかどうかで、
生活の質が天と地ほどの差を生み出すかもしれない地域で、
先生は自分の命を削るような思いで教育の場に立っていると、
とても良く分かる映画だった
観たい度○鑑賞後の満足度◎ 「学ぶ」「学校」「教師」の原点を再認識させてくれる。日本の学校/(小中高)学生からはあまり感じとれないことが、この映画からはビビットに伝わってくる…それは子供達の“未来”…
①「ブルキナファソ」ってアフリカのどこ?とWikipedia で調べたら昔のフランス領西アフリカだったとのこと。といわれても具体的に何処だ?と分からない。場所を知っていた「マリ」の南、「コートジボワール」の北とのことでやっと場所が分かった次第。幾つになっても学ぶことは多いです。
②識字率が低いうえに多方言が多いとのこと。字が読めない、公用語のフランス語が通じない。
でも新米教師のサンドリーヌさんは根気よく教えて行きます。
初めはみんなに遅れていたイヴ君がはじめて数字の15~1を言えたときは素直に感動…
子供達はまるでスポンジのように知識を吸収していきます。
③バングラデシュの教師のタスリマさん、22歳の若さで何としっかりしていること。授業中に娘を連れ出しに来た生徒のお母さんに決然と拒否するところはスゴイ!しかもヒステリックにはならずに笑顔を絶やさず。私には到底出来ません。女性と揉めるのイヤだからさっさと帰すと思う。ヤスミンちゃんが試験に合格して中学に行けて良かった。でも一方でお母さんがお金の遣り繰りに苦労しているか、と思うと複雑な気持ちです。ヤスミンちゃんしっかり勉強してちゃんとした仕事についてお母さん孝行が出来るように祈るばかりです。
④朝青龍のミニラみたいな子供達の為にはるばる何百っキロもトナカイ橇で移動教室をしているスペトラーナさん。終始慈母のような微笑みを浮かべている顔がとてもチャーミングです。
⑤自分に子供や孫がいないから分からないだけで日本の教師も学生も本質的なところでは変わらないのかも知れない。
現在は発展途上の国でも地域でも経済成長を続けていけば、いずれ現在の日本の学校で起こっているような問題も起こってくるかもしれない。
それでも今はこの映画の中の学びの楽しさが分かり始めた子供達の笑顔を抱きしめていたいと思う。
イヴ、頑張ったなぁ
教育とは頭の使い方の訓練という事になるのだろうが、この「頭を使う」というのがまさに人間を人間たらしめている。子供達を人間として自立できるよう導く仕事を聖職と呼ばずして何と呼ぼう?
ドヤ顔で就学拒否したりそれを英雄視する人達は、そういう人達にセーフティ・ネットを提供しているのが他ならぬ教育を受けた人間である事を故意に無視している。恥を知って欲しいが、それも教育が無ければ無理か…
残念ながら現実社会には聖職者の名に値しない教師もいる事は認めた上で,それでも多くの教師がこの三人や「ぼくたちの哲学教室」のケビン校長と志を共有していると信じたい。
学ぶということ
かわいい子どもたちに癒やされるつもりだったのに、途中から涙が止まりませんでした。
特に、バングラデシュの先生。
日本なら、どの子も平等に学ぶ機会が与えられているのに。
先生たちの献身と根性に頼るだけではいけないのではないか。
子どもたちの瞳の光が眩しいからこそ、切に思います。
どうか全ての国の子どもたちが学ぶ機会を得られる世界になりますように、願ってやみません。
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