ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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アスター監督をおそれている
公開間もないのにレビュー数の多さに
今作の注目度がうかがえますね
何を見ても極度の不安に駆られる中年男が資産家の母親に会いに行く奇妙なロードムービー
自室アパートで支度中に荷物と鍵が無くなり荒れ放題の通りにたむろう狂人達に占領された後の部屋には死体まで
逃げ惑う途中車に跳ねられ見知らぬ家族の世話になったり次々に邪魔が入ってしまう
何故か森の一座に助けられそこに紛れ込んだり
と簡単に事は進まない
これは夢?現実?判断が不可能なまま
緊張感と恐怖感の裏でボー以上に狂った登場人物に失笑してしまうシュールなコメディ要素に
居心地の悪さが楽しくなってしまっていた
感情の吐き出し方が実にリアルでこんなに憂鬱顔がハマるボー役のホアキン・フェニックス
土下座モノの怪演です!
希望無き?オチにアリ・アスター中毒の症状は
間違いなく重症化しましたね!
後アパートの鍵は一体どこへ…?気になるぅ
主人公は死なない
毎度のことながら、事前情報はほとんどないまま映画を見た。
4年前に見て(あのころは映画館の席を半分にして回してたね)、奇妙だが記憶に残った「ミッドサマー」を撮った監督の作品で、主人公が「ジョーカー」を演じた役者…というくらい。新聞の映画評をいくつか読んではいて、尺が179分という長さに腰が引けたが、面白そうに感じたので映画館に足を運んだ。
飲み会の席では15分おきにトイレに行くこともある頻尿のおっちゃんである。
2時間程度の映画でもトイレに行きやすいように、出口に近い席に座るようにしている。
本作も、途中で席を立つ可能性が高いので、事前にトイレに入ってペーパーをクルクルと丸めて自前の尿取りパッドを作ってチ〇コにあてがって座席に座った…。
平日昼前の都心のシネコン。客入りは2割に満たない印象である。マニアックな映画である。広い劇場の真ん中近いいい位置に座り、周りに客もおらず伸び伸びと鑑賞できた。
さて本編だが…。
トイレに立つこともなく、3時間の映像劇を楽しんだ、楽しめた。
序盤から中盤にかけての、主人公が目まぐるしくピンチな状態に巻き込まれる展開が面白く、尿意を忘れるほどの面白さがあった――。
見終わってパンフレットを買おうか、と思って売店の棚を見るとサイズが小さい上に価格が1100円もしたので見せてもらうこともなく(見せてくれ、と言えばだいたい見せてくれる)買うのをやめた。
売店には映画雑誌FLIXの特集号が置かれていて、それを立ち読みした。それを買ったほうがおトクだろう…、それも買わなかったけど。
その雑誌の中で映画ライターが書いていたレビュー記事の見出しに「母の呪縛が招く不条理な地獄めぐり」とあった。
大富豪の母親と、母親と別れニューヨークのスラムのポルノショップが入る汚いアパートに住む息子…。なぜそんな親子関係になったのか、映画を見ながら想像するしかないのだが、このライターがいう(プレスからそのまま取っているみたいだが…)のも一面の真理。
まあ、そういう親子関係、母子関係との切り口で見るのも見方としては正解だろう。
ぼくは、この映画の設定含めて、全体の雰囲気がテリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」(1986年公開)に似ていると思った。僕のベスト1に推している映画。
未見の人は、こちらも比較で見てほしい。
アリ・アスター監督が生まれた年の公開作品なので、彼はもちろん後年見ているんだろうが。
主人公は瀕死の重傷を負い、なんどもピンチになるのだが、そこはアメリカ映画。死なないのです…。
★5つにしたいところだが、やや長いので半分減らしておく。
襲ってくる情報量の多さに物語の本質を予備知識なしで捉えるのは難しいかも
ときかく映画スタートから思わせぶりな小さなネタフリとその回収に始まり、情報量の多さに圧倒される。そして物語の終盤に単純なある民族に特有な構図の話だと聞かされるのだ。
いやいや1回の鑑賞ではそこまでわかりませんよ監督。
ブラックジョークと感じられるまでにはあと何回観たら良いのだろう。
期待度◎鑑賞後の満足度○ 映画館という非日常空間でのみ成立する様な映画。ボーの抱える存在への不安に共振出来ないと訳分かんない映画。白昼夢(昼日中の妄想)、夢の中の夢を映画にするとこうなるのかな。
①長く脳裏に残るだろう映画体験だし、こんな映画にはそうそう出逢えないだろうけど、傑作というより怪作と言った方がよろしい。
②私、本当に昼日中に妄想を観た(というか体験した)経験があるし、”夢の中で夢を見ていると分かっていて覚めた…と思ったらまた違う夢の中だったという”二重・三重の夢(良い夢・悪夢両方)も結構よく見るし、夢の中ってトンチンカンなのにその中では妙に納得してるとか、そういう人間なので、「なんじゃコレ」というより「そういう映画なんだろな」というのが鑑賞後の感想。
だから意味とか求めるより”体験“する映画なんだろう。
③どこに話が転がっていくのか分からないし、「何で?こうなる」というシーンも多いが、身を任せるしかないのも正に夢みたいだし、大体冒頭から既にマトモな世界じゃない。
“あんな可笑しな街ってある?”、“あるとして住む必要ある?”“大実業家の息子なのに何故あんな生活しか出来ない(大体何の仕事をしているかも分からない)”、
◇中年男の一人相撲劇場
アリ・アスター監督作品といえば、『ミッドサマー』2019の印象が鮮烈です。ホラー映画の定石とは、か弱い清純な少女が恐怖の時空間に押し込められていくプロセス。一方で、ヒロイン-フローレンス・ピューの勝ち気で小生意気な雰囲気によって、あるべきヒロインへの同情や憐憫以上に、「もっと虐められればいいのに」というサディスティックな感覚が入り混じる奇妙なホラー映画体験でした。
この物語の主人公-ボーは薄毛、メタボ体型、マザコンかつメンヘラ系のイケていない独身中年男。この人物を私の心の中でどう整理するか、最後まで不安定なままに移ろうように裏をかかれ続けた感覚でした。ホアキン・フェニックス演ずるあまりにも典型的なる『無能の人』。「こんな奴いそう」という演技のリアリティと突飛過ぎるシチュエーションのギャップ。
主たる素材は『母をたずねて三千里』決められない情ない男の『心の旅🚶♀️』です。有り得ないぐらい治安が悪い街のボロアパートを出発点にして、歪な外科医家族、森の演劇集団、苦難の旅の末にたどり着いた母親の豪邸。そこでは終わってしまった母親の葬儀、その虚構と性的な昇天まで。盛り盛りてんこ盛りのコンテンツ、目まぐるしく変遷する設定、倍速のテンポ感。思考する隙さえありません。
唐突に、小舟に乗って水辺を出ていく男の姿。👩🎨アルノルト・ベックリン#ArnoldBöcklin の絵画🖼#DieToteninsel 死の島を彷彿とさせます。最後に辿り付く屋内の水面は、母親の子宮の羊水でしょうか。母への旅は成長譚ではなく退行して胎児に戻る結末?
コメディなのかホラーなのか、シリアスなのか間抜けなのか、妄想なのか現実なのか、宙ぶらりんのまんまで休むことなく過ぎる時間。情報量過多な露出狂的個人語りは、SNS社会と過度に大衆化した動画コンテンツ流布へのカウンターパンチ的な映像作品。そんな風に私には捉えられました。
壮大なこけおどし
真っ先に思ったのは、本作が、A24が同社史上最高額の製作費を投じてアリ・アスター監督に自由に作らせた(実際のところ、どうだったのだろう?)結果、出来上がった「壮大なこけおどし」ではないか、ということ。
次に思い浮かんだのは、作風こそアスター監督とは全く異なるが、ウディ・アレンの初期監督・主演作だ。『アニー・ホール』『スリーパー』『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』など一連の作品において、ウディ・アレン演ずる主人公はいずれも、母親の影に怯え「信じられるのは死とセックスだけ」とつぶやくような「こじらせ男」だ。
一方、本作の主人公ボーも神経衰弱気味で、映画も精神科医とのカウンセリングのシーンから始まる(正確にはその直前に“プロローグ”があるが)。いかにも「ウディ・アレン」風の幕開けだ。また主人公が巨大なチ●●コに襲われるシーンは、映画『SEXのすべて…』の中でアレンが母乳をまき散らす巨大おっぱいに襲われるシーンを思い出させる。
ただ、アレン作品とは決定的に異なる点もある。それは、ボーが母親に刷り込まれたトラウマのせいで異性との性交渉を恐れていることだ。それだって、いかにも「精神分析的」ではあるけれど。
そんな心配性の彼が、ゾンビみたいな連中?で溢れかえったスラム街を後にして、母の元へ旅立つ。怪しげな外科医夫妻の邸宅に滞留したり、森の中の芝居を見ながらしばし妄想に耽った後、なんとか母の葬儀が営まれる実家の豪邸に到着。棺に収まった母の首なし遺体と対面し、さらに初恋の女性とも再会するが…。
この後しばらく辻褄合わせのような「あのヒト」の説明セリフ(?!)が続く。ここまでのいきさつで、フェリーニの『女の都』みたいな「幻想譚」、あるいはベルイマンの『野いちご』みたいな「相剋譚」であると、一応了解しているつもりだが…。
長いなぁというコチラの思いは置き去りにして、なおもボーの“地獄めぐり”は続く。開かずの屋根裏部屋を覗いて腰を抜かし、思わず「あのヒト」に手を上げてしまい、湖水に小舟を滑らせて、いよいよラストかと思ったら…。
羊水に始まり、羊水に還る? 胎児が見た悪夢??——いかようにも括れそうな本作だが、これで上映時間179分は長い、長すぎる。正直あと60分は切ってほしい。たとえば中盤の「森の芝居」のくだりや後半の「読み解きセリフ」のシーンなどほんとに必要?と思ってしまった。
ボーが、一歩出ると死体も転がる自室で、バスタブにお湯を張って呑気に入浴していると、ぽたりぽたりと…っていうイミフ過ぎる「恐怖シーン」とか、妙に心惹かれた描写も散見されるだけに惜しい…。
難解すぎでしょ…
分からないけど、面白い映画
★世の中には「分からなくて、つまらない映画」と「分からないけど、面白い映画」がある。本作は間違いなく後者だ。
★アリアスター監督の映画は、ヘレディタリーもミッドサマーも「身近で温かいはずのもの(家族や共同体)が、実は一番恐ろしい」ということで共通していると思うけれど、本作もそこは同じ。ただ、あくまで主人公の主観(幻覚、幻想)で物語が進んでいくので、観客は恐怖より滑稽さや不可思議さに目がいってしまう。多くの人が、本作の感想として「笑えた」「可笑しかった」と言っているけれど、素直な感想だと思う。
★物語を通して、ボーが常に不安であり、その根底にあるものが「罪悪感」であると明らかになる。この「罪悪感」が難しい。アブラハムの宗教を信じる人々は、神に対する罪悪感(原罪と言い換えてもよい)を意識の根底で抱いていると、聞いたことがある。ボーもユダヤ人だ。欧米の人々には理解できるのかも知れないが、日本人にとっては、ちょっと理解しづらい面があるかもしれない。しかし、敢えてその意識そのものを鑑賞(観賞)するスタンスで臨めば、本作は楽しむことができると思う。演技や音楽は素晴らしいし、何より画が美しい。見とれてしまう場面がいくつもあった。
★アリアスターの映画が好きなホラー好きはもちろん、ホラーがあまり得意でなくてもホアキン・フェニックスが好きならば間違いなく楽しめる。上映時間が長尺なのが些か気になるが、ホアキンの全力の演技を見れば納得。監督がカット出来なかった気持ちが分かる。劇場で見たほうが没入感も増すと思うので、上映中にぜひ。
最近こういうのヤオイ映画が流行ってますね
これでもかこれでもかと続く悪夢のオンパレード
普通の映画だと登場人物が悪夢をみる。で、例えば子供時代のトラウマが原因でしたとかその理由を探っていくことで話が進む。つまり悪夢はドラマのきっかけとかにはなるがそれ自体は別に主題じゃない。
ところがこの映画は全編が悪夢といって良い。ボーが体験するすべてが抜かりなく悪夢である。悪夢を力技で繋ぎ合わせて一本の映画にしちゃったという感じがする。
映画の最初の方の悪夢の例を上げると
・扉の隙間から騒音の苦情のメモを入れられる。身に覚えはない。メモはどんどん入り苦情のトーンもだんだん高まる。
・絶対に水で服用しなければならないくすりを飲んだら断水する。向かいの店のペットボトルを買いに行きたいが鍵を盗られ外に出られない。
・外に出たら今度は建物に入れなくなる。そのうち路上にいた人たちが部屋に入り込み好き放題しているのが外から見える。
体調が悪い時とかに実際に我々も見てしまいそうな、悪夢あるあるネタを次から次へ繰り出してきているという感じがする。
これが映画が中盤にさしかかると、精神を病んだ元兵士が何処までも追いかけてくるとか、森の舞台で別の人生を経験するとか、悪夢がエスカレートしてくる。
子供の頃、再会を約束していたエレインがボーの目の前に現れる。これでボーも救われたかと思いきや、それもまた次への悪夢に繋がるという念入りなことなのです。
子離れできない母親、親離れできない子どもの関係が映画の軸にあって、最後で一応の決着がつくのだが、これだけ主役に悪夢を体験させるしつこさ、ねちっこさがこの監督の持ち味っていうことなんでしょうね。
映像シュールレアリズム
アリアスター、芸域を広げるの巻
最近YouTubeで見たフィラデルフィアの下町はドラッグゾンビでほぼ主人公の住んでる地区と同じ状態で、決して誇張とも言い切れない状態であった。そんな街に住むユダヤ人でわりとビビりの男が抱える家族(母)との確執を、ゆるいホラーと悪夢的映像で謎解きする映画。どっからどこまでが夢なのか、騙したのか騙されたのか?
そう、、テリーギリアムの「ブラジル」をマザコンにフォーカスしたような作品です。あとちょっと長かったファンタジー駒撮り部分はチリの「狼の家」チーム絡んでるのかな?色んな表現があってミシェルゴンドリーのようでもあった。
監督の家も家庭事情複雑だったらしい。
ユダヤネタ満載なのは町山氏の監督インタビューを見て知った。どうりで私念も入りここまでの大作になったのではなかろうか。
アリアスターはこんなシニカルなコメディもやれるのね。本来恐ろしいシーンが笑えて死ぬ気がしないのに、不意打ち的に爆死する。
そんな巧みな肩透かしでたっぷり楽しんだ後の強烈な虚無感をお楽しみください。
家族の確執って、結果そういう事だよね。
PS.噂だが制作費全然回収できてないらしい。
僕はミシュランマンが怖い
幼いころ白くてモコモコしたものが怖かった。
ソフトクリームすらミシュランマン見える時があった。
人は分からないものが怖い。
正体不明のミシュランマンは何するかわからない。だから怖い。
僕にとってのミシュランマンはボーにおける全身タトゥーマン。
ボーは劇中、何度も「なぜそんなことをするの」と聞く。
非難よりも疑問に近い。
全裸の殺人鬼に襲われた時もトニーがペンキを飲んだ時もそう聞く。
分からないことが多すぎるから恐れるものを多くなる。
ボーはまるで子供だ。彼をそうさせたのはもちろんママ。
支配の悪魔モナ・ワッサーマンは念能力者で領域展開までする。
そんな悪魔すら何かを恐れてる。
続きはnoteで書いてます。無論無料。
リンクはプロフィールにあります。
狂瀾怒濤
アリ・アスター監督の新作、予告から滲み出る不気味さに加え3時間という長尺という、ただならぬ雰囲気を抱えてんなーと思いながら劇場にINしました。
これは気が狂うわ…と思いながら引き攣り笑顔で観ていました。もう途中で振り落とされてから後半は意識半分で観ていた気がするくらいには圧倒されてしまいました。
初っ端、音楽がうるさいから音を止めろと隣人から言われるけど全く身に覚えが無いし、処方された薬が水と一緒に飲まないと死に直結するとかだったりで水を求めて外に出たら全裸男が暴れ回っていたり、カードが使えないからあたふたしてたら、なぜか外の人々がボーの部屋に入って行ったりと、もう観客を突き放して突き進むストロングスタイルに突入していったので、この時点であーヤバいわ(汗)ってなりました。
風呂に入ったら入ったで、天井に男が張り付いていて、そこから全裸で逃げ出したら、警察に撃たれそうになって逃げたら車に轢かれて、そこから他の全裸男に刺されまくるというもう悪夢見てんじゃない?ってレベルでした。これはスリラーでもホラーでもない、コメディだなと頭を切り替えて観ることができたのがまだ良かったです。
そこからボーを轢いた夫婦が娘の部屋にボーを寝泊まりさせるというこれまた唐突な展開で、なんか屋外にヤバい半裸男が暴れ回ってましたし、娘は娘でヒステリックに喚いてペンキを飲んで窒息死したり、そこから夫婦や半裸男に追いかけられたりして、妄想の世界に飛び込んで行ったりするので、意識飛んでた方がまともに観れるんじゃないかってくらいには情報のパンチが凄まじかったです。この妄想の世界も淡々と進んでいくので頭真っ白でした。
主人公のタマタマが肥大化しているの伏線回収が、まさかの父親が巨大ペニス怪獣という奇想天外な回収の仕方をした時にはもう座席からひっくり返っちゃうんじゃないかくらい驚いてしまいました。
そこに発狂おじさんが突撃してきて、ペニスをブッ刺しまくってたら、ペニスの刃に頭を貫かれるという、ゴア強めの特撮でしか観ないような描写をなぜかこの作品で観れたのが謎収穫でした。
母という力があまりにも強すぎる母に囚われたボーが終盤では可哀想になってきて、ただ生まれて、ちょっとイタズラを幼少期にしていたのを母親は自分から奪っていったと解釈していたりと、母親もかなりの毒持ちだったのが明らかになってからは展開的にずっと辛いものがありました。
ラストシーンのコロシアムみたいな場所での尋問はもう置いてけぼりだったので、何やってるんだろう…と一歩引いた目線で観ていました。
子供の頃の悪行(迷子になった時に母親が呼んでるのに出ていかないとか、母親の下着を悪ガキたちに触らせたり持ち帰らせたり)が祟ったラストの転覆は今までのツケが回ってきたのかなと思いました。
撮影前に自分を辱めるために奇声を上げたホアキン・フェニックスは本当怪演でした。文字通り身を粉にする勢いの暴れっぷりで、この人じゃなきゃ1時間も持たなかったんじゃってくらい、俳優としての底力を感じることができました。
全編通してボーの不安を映像化したとんでもない一品でした。なんでこんな作品を作れるんだろうというよく分からない関心が生まれてしまいました。
よく分からなかったという言葉でササっと片付けてしまいたいんですが、どうしても何か引っかかりながら劇場を出てしまったので、このレビューを書いてる時もまだ困惑しながら書いています。罪作りなアリ・アスターに今後も翻弄されていくんだろうなぁと思いました。あー怖い怖い。
鑑賞日 2/18
鑑賞時間 12:40〜15:50
座席 G-1
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