「体感時間二時間以上」北極百貨店のコンシェルジュさん タニポさんの映画レビュー(感想・評価)
体感時間二時間以上
繊細な動きのあるキャラクター達、ユニークな運び、色彩豊かな画作り…。
本作品「北極百貨店のコンシェルジュさん」は、演出の行き届いた作品、に見える。
ぼくはこの作品を見ていて、ものすごく学びになった。
というのは、自分の中でも、言葉に出来ていなかった部分の、その示唆に溢れていた。
幾らか個人的な文章にもなるが、ぼくとしてはその示唆がこの作品から感じ取れた一番の部分だった。
その示唆というのは、〝慰み〟と〝自己慰安〟は異なる、ということだ。
本作品の主人公は、とても〝いい人〟に見える。
皆の気配りに一生懸命で、何事もよく頑張る。
おっちょこちょいな部分がとてもありつつも、〝よいコンシェルジュ〟になる為、必死である。
だが、と思う。
この主人公の〝いい人〟は何が楽しくて仕事をしているのだろう。
勿論、仕事そのものが楽しいのかもしれない。
それでは、何を喜びとして仕事にしているのだろう。
お客様の喜ぶ姿を喜びとしているのかもしれない。
では、何をもって、哀しみとし、何をもって、怒りとしていたのか。
こう考えると、この〝いい人〟というのは、出来事において喜怒哀楽において、一貫性を感じない。
ひとつの目的の為ならば、前にあった出来事のよくないとしたことでも、利用に走る。
ひとつの思いの為ならば、本来するべきでも無い約束を自らの決断で、勝手に行なってゆく。
この〝身勝手さ〟は〝いい人〟だから、と思う。
ただ、それは〝自らの慰みをよしとしたいい人〟だ。
決して〝傷つきたく無い人〟のように思う。
よって引き起こされる問題というのは、〝自分はいい人〟という前提のもと、あべこべの理屈で、ただ保身に走った道理を他者に投げかけ、よしとしている、と、とても感じる。
ここから、より少し悪く言う。
こうして、本作で描かれていた情緒不安定にも見える主人公は、もしかしたら見えない爆弾でも付けられてるのかと思うぐらいに、他者全てに自分なりの優しさで全力で応える。
その仕事しています、という過程を見せられる70分は、体感時間2時間以上のものに感じた。
ただ主人公の身勝手さをよしとした人々、動物を見せられる映像は、苦しかった。
演出において、細やかな動きがあった。
アニメーションとして見ても、ユニークな運び、があったようにも思う。
画作りにおいても、色彩溢れており、それはそれでいいとも思う。
それでも、ダメであるということを、本作品で分かった。
それは映画を長年でも観てきたという自分なりの自負をもっている自分に対しても、言葉に出来ていなかった所だった。
まるで映画そのものが〝慰み〟に見えた。
主人公や登場人物、もしくは全体から感じ取れるテーマなどの中から、作り手自身の〝傷〟、それに対しての〝自己慰安〟から、受け取るべきメッセージは皆無だった。
ラストの、憧れの人物が未来の自分だった、と言う所だけが伝わった。
それで、と思う。
作り手たち、監督も〝いい人〟なのだと思う。
だが、何をルールとしておもてなしをしているかも無いプロット作りから、〝いい人〟なだけではダメであるということを痛切に感じた。
100ゴミがあれば、100ゴミであると、その責任的立場のある人は言わなくてはならない。
それがプロではないのだろうか。
もしかしたら、それを伝えられない、言葉に出来ない、そうした業界は多いのかもしれない。
いささか、自分の思いが入ってしまった。
これを読む人には傷つく人も多々いることと思う。
ただ、ぼくにも学びがあったことを、とても思った。