「普通のオッサン ファンタジー」PERFECT DAYS K2さんの映画レビュー(感想・評価)
普通のオッサン ファンタジー
昨年12月22日に配信された読売新聞オンラインの、柳井氏とヴェンダース監督の対談によると、ヴェンダース監督は、「平山さんは、今の私たちの世界が必要としているキャラクターだ」と前置きしながら、今作は『ファンタジー』であり、監督が寓話的、理想的に創造したファンタジーの平山に、役所広司という稀代の名優がリアリティを与えて実像化してくれたことに感銘しているようだ。
そもそもファンタジーなのだから、トイレにウンコやゲロが無いだとか、浅草から渋谷に首都高通勤はおかしいとか、ボロアパートがメゾネットで駐車場付きだとかいうリアリティの粗探しや、東京都・ユニクロ柳井・電通への下世話な非難・酷評はおかしいような…。
また、このレビューサイトに多く集まっている、今作を満点で高く評価し、ルーティン、ルーティン、清貧、清貧…と連呼し、感動、感涙しているレビュアーの方々は、おそらく今までの努力と運により人生全般が順調であり、家庭・人間関係も円満、老後まで経済的な心配も皆無で孤独とも無縁、自身の人生の最後まで、清掃や道路工事警備員のような仕事に就くことも、ボロアパートでの質素で定型的で慎ましい独居老人生活をすることなど全く実現性が無いから、フランダースの犬を観たような感情になるのであろうか?
私の感想はというと、平山に、現在から近い将来をリアルに自己投影でき、当たり前の日常として、穏やかにシンクロできた。
ここのレビュアーたちが『貧困層』『負け組』『底辺の仕事』『孤独』と呼ぶ生活をリアルに生きる還暦独身男である私の経験から言えば、平山のような暮らしの未経験者が思うほど孤独でもなく、自由でもなく、仕事の貴賤を考えるゆとりもない。経済事情から、なりふり構わず働かざるを得ず、家賃は安く生活用品は必然的ミニマルで、仕事と家事を一人で毎日きっちりこなすためには当たり前に定型的な生活となる。鍵や財布・免許証、腕時計などの生活基礎的なモノを忘れたり失くしたりしないよう、いつも決まった同じ場所に必ず置くのは当たり前。同じ時間に起床し、出勤前に最低限の身だしなみを整えて同じ時間に出勤し、缶コーヒーを飲み、天気の変化に少しばかり気分が変わり、変化のないルーティンワークを勤勉にこなし、同じ時間に同じ場所で昼食をし、いつもの景色の変化に季節を感じ、帰宅後は自炊、家事、入浴し、同じ時間に寝床に入り、少しばかり読書や考え事をしたら、疲れているから直ぐ寝入る。微睡の中で過去を思い出すような夢を見たりもする。たまの休日も、若い頃のような楽しみや趣味、友達付き合いも無くなる年齢で、家でゆっくり休養したい。過去の幸せや苦い体験を振り返ったり、たまに心が動揺するような人とのコミュニケーションがあると、なんとも言えない泣き笑いの感情と表情になることも当たり前で自然なこと。
そもそも還暦も過ぎた男が、一人で自立し、真面目に、他人にも自分にも優しく、慎ましく生きるということは、それだけで毎日かなり忙しく、身体が疲れているのである。そんな日々が、"Perfect" とは言えずとも、意外と"feeling good" なのだという自己肯定や達観を、ファンタジー平山と共有できる、心が穏やかになれる映画であった。
日本の多くの60代以上の男性は、平山と同じくこの世に大きな未練も絶望感やさしたる感傷や感動などの抑揚も、将来の夢や目標を持つ歳でもない。他人に積極的に話したいこともない。さりとて世捨て人や孤高でもない。今日健康に生きているから働き、働けて生きていることそのものがまあまあ幸せなのではないだろうか。恐れがあるとすれば、社会から必要とされなくなること、病気などで働けなくなり、自立した生活ができなくなることくらいしかない。
人生100年時代、年金問題、老後破産、孤独死…。そういう不安を少しでも持っている六十路男こそが観るべきファンタジーであり、生き方のひとつのロールモデルであり、いろいろあるが人生悪くないぞという、普通のオッサン讃歌としての佳作だと感じた。