エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のレビュー・感想・評価
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重厚な歴史犯罪ドラマ。甘ったるいものの見方が意味を持たないことを徹底的に思い知らされる。
さすがイタリア。ロケ場所には事欠かない。室内、室外ともに重厚な映像が展開する。そして音楽。生ぬるい耳障りの良い映画音楽に慣れた我々の耳には音量も大きく不協和音のように聞こえる音楽が随所に使われている。それはこの映画が史実には基づいているものの不条理な物語であることを強烈に印象づける。
邦題は「エドガルド・モトローラ ある少年の数奇な人生」。少年時代の純粋さ、可愛らしさと、青年になった後の複雑というかややひねくれたような彼の人となりを配してエドガルドの人生を追いかけていることは間違いない。でもこの映画は彼の人生を甘酸っぱく回顧するためのものではない。彼の人生は教皇、もしくは教皇庁によって形づくられた。その本質は何か。原題の「Rapito(誘拐)」の通り。犯罪である。つまりこの映画は教皇ピオ9世の行った犯罪を告発している。
洗礼を利用して子供を取り上げる、このことに本質的なキリスト教の非人間性を指摘するレビューがあるがそれはあたらない。歴史上、事例としては他にもあるにはあるが、ピオ9世が教皇だったこの時代ほど頻繁に、確信的に、組織的に、児童誘拐がなされたことはなかった。
ピオ9世の時代はイタリア独立戦争の真っ最中であり教皇領は日に日に縮小する傾向にあった。世俗勢力と戦いを続ける教皇の編み出した作戦の一つが有力者の子弟を集めた神学校をローマにつくることだった。いわば人質である。そしてこの頃、エドガルドの出身地であるボローニャをはじめとしてイタリア各都市の裕福な実業家はユダヤ人が多かった。ユダヤ人の子供を集める方法として洗礼を受けさせるという手段が編み出された。エドカルドの場合は金欲しさの使用人と土地の司祭が結託して一芝居打ったものだろう。
もちろんこれは異教徒に対するカソリックの寛大さをアピールする目的もあったようだが、エドガルドの場合は米英のユダヤ人社会までこのことが伝わりネガティブな評価がされたという点で全くの失敗だった。これが後々、教皇のエドガルドへの態度に表れるところが実に胸くそ悪いのだが。
まあ、一つの時代の一つの挿話として観るべき映画だと思う。ローマをはじめとして各都市にユダヤ人の協会がありユダヤ社会が形成されているところも面白かったけどね。この時代になるとユダヤ人はゲットーを出て一般社会に溶け込みはしていたようです。でもやがては両社会のズレというかひずみが大きくなりそれがジェノサイドに向かっていくのだけと。
ローマ教皇を市民が平気で攻撃できる空気感にビックリした。
(60代男です)
僕には宗教の無意味さを描いたものに見えた。
主人公は6歳の時の拉致さえなければ、両親の教え通りユダヤ教を信じていたはずだ。
それがバチカンで育てられたから、キリスト教徒になった。
もしチベットで育てられれば? バグダッドで育てられれば?
つまりそれは、周囲の人間による洗脳にすぎない。
誰に洗脳されたかの違いによって、対立し、憎み合う。
どうしてそれが人間にとって大切なことだ、などと思う人がいるのだろう?
本作は社会派の問題作だが、作者は娯楽作品の作り手なのがいい。
ただリアルなだけの退屈な作品にはなっていない。
演技も演出も、娯楽映画として面白く観れるように作られているのが長所。
無駄なセリフもなく、非常に分かりやすい。
ただ、終盤で、教皇の遺体が運ばれるのを市民が襲撃するという場面で、必死に遺体を守ろうとしていた主人公が、なぜか途中から一転し、市民と一緒になって、こんな教皇の死体は川に捨てろとわめき始める、その心変わりの理由がまったく分からなかった。
しかもそこでキリスト教と決別したのかと思いきや、そのあとも敬虔なキリスト教徒のままだったので、なおさら分からない。
こんなに娯楽的に作られた作品なのに、その点を分かるようにしてくれていないことだけが、僕には不満。
主人公の少年エネア・サラが異常にかわいいのも引き込まれて観れる重要な要因だった。
それと、本作ほど、ローマ教皇を普通の俗っぽい人間として描写した作品は初めて見た。実在した人なのに、カトリックから抗議されないのかな。
結構な人入でしたが、年配の輩は映画内容を事前把握してますか?
個人の自由なので悪いとは言いませんが、見る前にどんな映画かを調べてから来たほうが良いと思います。最前列で、映画が気に入らなかったのか帰る時間を気にし携帯つけまくりな人がいました。こんな便利なサイトがあるので宜しくお願いします
なんて悲しいんだろ
2023東京国際映画祭にて鑑賞。
6歳の頃にユダヤ教だから誘拐されて
洗脳されてキリスト教徒にされて成長し
正しいと信じるものが家族と違っていってしまった。
垣間見える本来の彼が暴動を起こすシーンは胸が痛む。
母親の臨終にキリスト教徒の洗礼をしようとし
拒まれて放心した顔が本当に切なくて涙が出た。
宗派は全く違うけど、宗教をもつ家族に生まれた私にはとても深いところをえぐられた作品。
宗教と家族にここまで仔細に踏み込んだ作品は初めて見た。
映像が暗すぎるのは効果というよりも技術的な問題も感じたので、そこは残念。
難しかったよ
歴史プラス宗教、知識不足だから置いてかれっぷりが強い。
でも理不尽なことはわかる。子を突然さらわれた親の気持ちもわかる。だからとんでもなく切ない。
子供は無垢なときに連れて行かれるから何色にも染まるよね、それがまた辛い。
とにかくずっと重苦しかった。
信心で家族が切り離されるのは無念ですね。
信仰心は親子の繋がりよりも強い
厳粛な信仰心や、日常の祈りや感謝、教会の空気。
そういうものが随所に散りばめられて、と言うかむしろ、ほぼ全編がユダヤ教とカトリックの信仰に基づいた画面で、没入感が期待以上。
特に、ユダヤ教とカトリックの祈りが同時進行するシーンは、神秘的だった。
誘拐され、「神は心の中も見ている」と教えられても、本音ではカトリックに改宗しきれないエドガルド。
カトリックへの改宗を条件に息子を返すと言われても、信仰が揺らがない母親。
この二人の葛藤が、クライマックスに向けて丁寧に描かれている。
信仰は、親子の愛情すらも上回る、という明確なメッセージが強烈だ。
一方で、地位や権力や闘争に振り回されて揺れ動く教会、教皇、父親などは、その強固な二人と対比されている。
家族や信仰について、考えさせるストーリーは素晴らしく、実際の事件が世間の耳目を集めたのも理解できる。
一方で、ユダヤ教徒が被害者という立場でカトリックにはやや批判的、という内容のため、世界の映画市場、と考えたときに、誰をターゲットに採算を狙うのか?と訝ってしまった。
少なくとも、日本で配給されたことは奇跡的だと感じた。
「一番大切なのは宗教だ」
ある時そう聞かされて依頼、特にヨーロッパや中東はそういう世界なのだろうと思っている。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はもともと一つの宗教であったことを考えれば、十億単位の人がどこかで共通の価値観を分かち合っていることを、羨ましくも感じる。
自分の日常では感じることのできない、素晴らしい信仰の世界を味わえる二時間だった。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 信仰という個人的なものが、一家族の幸せが、宗教権力という公的なものに呑み込まれ、潰える怖さ。
①大変重厚な映画。終始冷徹な視線で描かれることで、この事件の悲劇性と社会性とが浮き彫りにされている。
②ただ、額に水を垂らして十字を切り「父と子と精霊の御名において」と唱えただけのことが、一人の少年と家族の運命を変えたことが、日本人として理解の範囲を超えている(私は無宗教ではありません)。
キリスト教とユダヤ教とは根っこは同じ筈なのに。
③キリスト教(カトリック)とユダヤ教と当時のイタリアの社会情勢を勉強しよう。何とか頭でだけでも理解出来るように。
④6歳のエドカルドが、父と逢った時は抑制していたのに、母と逢った時には抑えていた感情を爆発させるところは実に哀切。
⑤歴史的には、ローマ教皇の権力が弱体化した契機になった事件らしいが、断ち切られた親子の絆は再び繋がらなかった。
歴史の勉強にはなったけど、あまりにも衝撃的
19世紀中盤の揺れ動くイタリアのお話でした(ってか、イタリアはいつも揺れ動いてるか)。史実を基にしたお話ということでしたが、そもそもその辺りのイタリア及びヨーロッパの歴史に疎い私としては、驚きの連続でした。鑑賞後に少しばかり歴史を調べたところ、現在のイタリア共和国の基盤となるイタリア王国が生まれたのは1861年と比較的最近のこと。それまでは、ローマ教皇の直轄領のほか、両シチリア王国やトスカーナ大公国、パルマ公国などの小国が割拠する状態だったものの、1848年にヨーロッパ大陸全土に広がった”1848年革命”の動乱の末に、統一イタリア王国が誕生することになったようです。そして本作の舞台は、主人公のエドガルド・モルターラが生まれた1850年代から1870年代に掛けての四半世紀ほどの激動の時代を背景にしたもので、1人のユダヤ人少年の成長(と言って良いか微妙だけど)と、彼の家族、そしてローマ教皇との関わりを題材にしたお話でした。
まず驚いたのが、ボローニャに住むユダヤ人一家であるモルターラ家に、突如としてローマ教皇庁の役人が訪れ、息子のエドガルドを連れ去っていったこと。理由は彼がキリスト教の洗礼を受けたことが判明したため、彼をユダヤ教徒ではなく、キリスト教徒としてローマ教皇庁が育てるというものでしたが、全く意味不明というか、無茶苦茶極まりない話でした。しかも後に分かることですが、エドガルドを洗礼したのは、彼がまだ赤ん坊の時にモルターラ家で働いていた家政婦が、両親の許可もなく、勝手に洗礼したという話であり、にも関わらずその洗礼を盾に子供を連れ去るんだから、全く酷いものでした。
最近も、統一教会問題の報道の中で、信者の親の子供が宗教2世として育てられ、そこから脱したいのに中々出来ないということが社会問題化しましたが、ローマ教皇庁が子供を連れ去って無理矢理改宗させるなんて、いくら人権意識が低かった19世紀とは言え、あまりにも酷い話でしょう。実際国際的なユダヤ人コミュニティの連携もあり、国際的に教皇庁が批判の的になったようですが、逆に教皇庁は態度を硬化させてエドガルドを親元に返そうとはしません。
因みに本作の原題「Rapito」とは、イタリア語で「誘拐された」ということを意味するそうで、ローマ教皇庁がエドガルド以外だけでなく、年端のいかない子供たちを親元から引き離して、というかまさに誘拐を行い、事実上彼らを監禁してキリスト教教育をしていたなんて、しかもこれが史実だと言うんだから、驚き以外の何物でもありません。加えて子供を返して欲しいという親の要求に対して、家族全員がキリスト教徒に改宗するなら子供を返すというのだから、本当に呆れてしまいました。
しかもやるせなかったのは、エドガルド自身が最終的に敬虔なキリスト教徒になってしまい、臨終の床にある母と再会した際に、逆に母をキリスト教徒に改宗させようとしたこと。あまり宗教の悪口は言いたくありませんが、一度洗脳されてしまうとそれを解くのは難しく、結果的に家族であっても受け入れられない間柄になってしまったのは実に悲しく感じたところでした。
題名の通り、あまりにも数奇な物語だったので、映画として観るというよりもドキュメンタリーとして観てしまった感があったのですが、俳優陣としてはローマ教皇役のパオロ・ピエロボンの狂信的な感じの演技が光っていました。少年期のエドガルドを演じたエネア・サラは、東洋風に言えばまさに”紅顔の美少年”であり、そんな彼だからこそ、エドガルドの置かれた悲惨な立場がより強調されていたように感じました。
あと、19世紀のイタリアの風景も美しく、物語の内容がこんな話でなければ、もっと風景を楽しめたのにとすら思えたところです。
という訳で、あまりに衝撃的だった本作の評価は★3.5とします。
評価がきわめて困難。かなりの知識を要するタイプ
今年164本目(合計1,256本目/今月(2024年4月度)38本目)。
(前の作品 「キラー・ナマケモノ」→この作品「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」→次の作品「夢の中」)
この映画自体が描くのは史実に基づくものなので、ドキュメンタリー映画の様相も一部あり、あることないこと描けないので、かなり「退屈」な印象があります。また、この映画の背景となる「教会法」といった概念は知らない方も多く難しいのだろうなといったところです。
表面的にみればそれは「誘拐以外の何物でもないだろう」ということになりましょうが、単純にそうは言えない点(後述)もあり難しいところです。
なお、事件の趣旨的に、「公式パンフレット等を除けば、公的サイトでの記述が極端に少ない」背景があります(当然のこととして)。このあたりも人を選ぶのかなといったところです。
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(減点0.3/以下のような理解をするにはかなりの知識を要する)
ユダヤ人問題や、イタリアの成り立ちなど高校世界史を知っていればある程度背景の推測がつきますが、この映画を7割でも正しく理解しようと思うと事前に学習しないと難しいかなという事情です。
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(減点なし/参考/この映画の背景とカトリック教会の「教会法」)
特にカトリック教の教会では、その教会でのみ通用する法がありました。これを「教会法」といいます。三権分立がまだ未熟でもあったし、そもそも建国まもなくバラバラに近かったイタリアでは「教会のやりたい放題」であり、この「教会法」も今でいう「他のチェックを経たもの」ではないので好き勝手ができる内容でもありました。
映画で描かれるように「緊急洗礼」というものは認められていましたが(日本の民法であえていえば緊急事務管理に近いもの)、これを経たもの(受けたもの)は、人種やもとの信教に関係なく宗派が変わるという趣旨が「教会法」に存在し、これをつかれた形になります。もっとも、この時期ですので、積極的に当該の子を悪用したという積極的なものではなく、他の宗派や他の勢力などから守るといった「子を利用した悪用」ではありました。
ただ、強固とされる教会も、この事件はそうそうに明るみになり、知識人はもちろん他の宗派の反感をかうことになります(これによってキリスト教をめぐる勢力は少しだけが低下した)。これには教会もある程度「情報の開示」や「適正な法手続き」といった論点で譲歩せざるをえなくなり、また同時にイタリアも含めて第一次世界大戦等を経て今でいう三権分立が当たり前の国に多くの国がそうなっていきますので、「そういう法や存在を許していた、近現代の境界線となりうる時代」におきたできごと、ということになります(なお、こうした事情もあるので、この点について教会はあまり強くあれこれ言えず、公式資料等にも掲載があえて控えられているなど「めをつぶりたい」状況は理解しますが、当然、歴史としては残ることになります)。
ユダヤ教とキリスト教の確執
1858年、イタリアのボローニャで暮らすユダヤ教徒のモルターラ家に、教皇ピウス9世の命令によって、カトリックの洗礼を受けた6歳の息子エドガルドが連れ去られた。教会のきまりによると、キリスト教の洗礼を受けた子をキリスト教徒でない親が育てることはできないためだ。息子を取り戻そうとするする両親は、世論や国際的なユダヤ人社会の協力も得たが、教会とローマ教皇は権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じなかった。そんな事実に基づく話。
6歳から宗教教育を受ければどんな子だって改宗するだろうな、というのは容易に想像できる。
元々ユダヤ教から派生したキリスト教なだけに、キリストを殺したユダヤ教徒(ユダヤ人)に対する憎しみは相当なものだろうということもわかる。
で、何を見せたかったのかと考えたが、親と離れ離れにされた可哀想な子供、という事だけじゃないだろう。小学1年生位の年齢から改宗教育を受ければ誰だって親より宗教が大切、となるって事でもないだろうし。
事実に基づく話なのはわかるが、性的暴行を受けたわけでもないし、何を描きたかったのか、なんかピンと来なかった。
ユダヤ教とキリスト教の確執は当然知ってるとすればあまり見所はなかったような気がする。
このことが事実だったことの恐怖と怒り この少年の生涯を描いてほしかった
時々思うことですが、何のための宗教か。
時に、人の命や自由を奪う。
特に、人よりも権威、威厳を守る「教会」の問題が取り上げられることがある。
コピーどおり、何より事実だったことに恐怖と怒りを覚える。
これではただの洗脳ではないか。
映画は、特定の宗教を非難するものではなく、権力に翻弄された親子の運命を描いたもので、このようなことがあったことを、世の中に知らせて、事実を残すことに非常に意義があると感じます。
出来れば、この後、映画に描かれた先の人生、死ぬまでどう生きたかを描いてほしかったです。
醜悪な側面
私の嫌いなものは、借りた金を返さないこととと、汚職とハラスメントと暴力と宗教と犯罪(法を犯すこと)なんだけど、全部盛りだった!
キリスト教もユダヤ教もろくでもないね。
法を守るのではなく、保身や権威のために他人を踏みにじる。
宗教団体という組織は、血筋、家というのと同質で、権力者の既得権益を守り、支配拡大を図り、その社会を維持してくことが本質なのかなと。
大多数に所属する安心感は、阿片(麻薬)と同じで依存性がある。
過去の歴史を紐解けば、宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教…etc)が人を救ったことなんかなく、侵略を正当化する詭弁。
または、支配地へ価値基準を子供の代から刷り込み洗脳し、統治の道具として機能してきたものでしかない。
誰一人として「親の心」「家族」について慮ることなく、時間が過ぎて誘拐された子供が洗脳されていく姿を追うことで、宗教の醜悪な側面を見事に描き切っていたと思います。
ただ、これ当時のイタリア統一運動による、キリスト教というよりは教会の権力失墜、教皇領の没収の危機、新政府と教会の断絶、自由主義だったピウス9世が教皇就任後に保守にまわりコンクラーベでの公約を破って人々の期待を裏切り憎まれた、って背景を知らないと、いまひとつよくわからないかもしれません。
信仰の不自由
1858年ボローニャで、6年前の生後6ヶ月の時にカトリックの洗礼を受けたとして教会によりローマに連れ去られたユダヤ人少年と家族の話。
エドガルド・モルターラは知らないし、信仰心なんかこれっぽっちも持ち合わせていない自分からしたら、信仰するのは勝手だけど人に迷惑かけるなよという、ある意味稚拙な感想が一番に浮かぶw
時代背景はあれどちょっと父親は情けないし、そして謂わば何でもありな教皇国家。
洗脳と言っても過言では無い様なアイデンティティの上書きと、そして相容れない兄弟や母親の想いというところをみせてくれたのは良かったけれど、伊仏独の作品ですよね…カトリックの人はこれをどう観るのかが気になった。
音楽に圧倒される
キリスト教カトリック、ユダヤ教の違いや対立関係が全然わからない人間には、完全に理解するのは難しい作品かもしれない。ドラマチック過ぎるBGMがイタリアの作品であることを更に痛感させる。
今から150年前、生後6ヶ月の時に家政婦の若い女に勝手にカトリックの洗礼をされてしまって、ユダヤ教の一家なのに7歳で枢機卿の元に強制的に連れ去られるエドガルド少年。家に帰りたいと両親を請い、父親も何度も訴え出て裁判まで開かれるが、願いは届かず敗訴。しかし10年も経つと、カトリックで良かったと思い、ローマ教に反乱を起こし弟を救いに来た兄を追い返す。更に死の床に臥す母に洗礼しようとするのだった。実際、エドガルドはカトリックとして90歳まで生きたという。
ということでカトリックとユダヤ教、どっちが良いのかなんていう話では当然なくて、むしろいたいけな子どもを誘拐までしていたというカトリックの閉鎖的な社会を今ここで世に明らかにしたという意味はあるのだろう。
権力者というのはどうしようもないなというのは世の普遍か。
エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 無宗教であり宗教につ...
エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命
無宗教であり宗教についてはあまり知識がない。その為本作では宗教を利用した怖さ、理不尽さを繰り返し映され衝撃を受けた。
これが実話だというのだから尚驚きと怖さを体感した。
最後の暴力的な音楽だけ個人的には凄く苦手でエンドロール後も流れてきたのですぐ帰った。
個人的な2024年洋画新作鑑賞ランキング
1 ネクスト・ゴール・ウィンズ 4.8
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11 デューン 砂の惑星 PART2 4.5
12 愛する時(横浜フランス映画祭2024) 4.5
13 ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ 4.5
14 アクアマン/失われた王国 4.5
15 ニューヨーク・オールド・アパートメント4.3
16 マリア 怒りの娘 4.0
17 異人たち 3.7
18 ミツバチと私 3.6
19 ブリックレイヤー 3.5
20 ネネスーパースター(原題) Neneh Superstar (横浜フランス映画祭2024) 3.4
21 オーメン:ザ・ファースト 3.4
22 RHEINGOLD ラインゴールド 3.3
23 12日の殺人 3.3
24 インフィニティ・プール 3.3
25 ゴーストバスターズ フローズン・サマー 3.2
26 プリシラ 3.2
27 コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話- 3.2
28 コヴェナント/約束の救出 3.0
29 僕らの世界が交わるまで3.0
30 ゴジラ×コング 新たなる帝国 3.0
31 ブルックリンでオペラを 3.0
32 ストリートダンサー 3.0
33 カラーパープル 2.9
34 弟は僕のヒーロー 2.8
35 RED SHOES レッド・シューズ 2.8
36 画家ボナール ピエールとマルト(横浜フランス映画祭2024) 2.7
37 Vermines(横浜フランス映画祭2024) 2.6
38 関心領域 2.6
39 ジャンプ、ダーリン 2.5
40 エクスペンダブルズ ニューブラッド 2.3
41 けもの(仮題)La Bête(横浜フランス映画祭2024) 2.3
42 マダム・ウェブ 2.3
43 落下の解剖学 2.3
44 ダム・マネー ウォール街を狙え! 2.3
45 哀れなるものたち 2.3
46 エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 2.3
47 ザ・エクスチェンジ 2.2
48 DOGMAN ドッグマン 2.2
49 パスト ライブス/再会 2.2
50 リトル・エッラ 2.2
51 パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ 2.2
52 ボーはおそれている 2.2
53 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人 2.2
54 瞳をとじて 2.2
55 ゴースト・トロピック 2.2
56 葬送のカーネーション 2.2
57 Here ヒア 2.1
58 美しき仕事 4Kレストア版(横浜フランス映画祭2024) 2.0
59 ハンテッド 狩られる夜 2.0
60 サウンド・オブ・サイレンス 2.0
61 ゴッドランド GODLAND 2.0
62 キラー・ナマケモノ 1.9
63 ザ・タワー 1.9
64 ポーカー・フェイス/裏切りのカード 1.9
65 マンティコア 怪物 1.9
66 アバウト・ライフ 幸せの選択肢 1.8
67 サン・セバスチャンへ、ようこそ 1.8
68 デストラップ 狼狩り 1.6
69 No.10 1.5
70 VESPER/ヴェスパー 1.5
71 フィスト・オブ・ザ・コンドル 0.5
番外
ソウルフル・ワールド 5.0
QUEEN ROCK MONTREAL 5.0
あの夏のルカ 5.0
私ときどきレッサーパンダ 5.0
FLY! フライ! 5.0
犯罪都市 NO WAY OUT 4.5
DUNE デューン 砂の惑星 リバイバル 4.0
メメント リバイバル 2.0
π〈パイ〉 デジタルリマスター 2.0
貴公子 1.5
ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスター版 1.5
世俗権力の台頭、弱体化する一方の教会権力
すごく面白かった。映像と音楽が素晴らしく美しく、映像のカットがよく練られていた。エドガルドがとても可愛い。ママとの静かな面会後、きょうだい(自分を入れて9人きょうだい!)にもママにもパパにも会いたいと泣き叫びながら連れ去られる様子が可哀想でならなかった。ユダヤ社会とキリスト教徒社会が緩やかに共存していた時代。エドガルドが生まれ育ったボローニャの家は裕福でイタリアの地方出身の女性を女中として雇っていた。方言を話されたら意志疎通ができなかった。
誘拐後も、エドガルドはママに言われた通り眠るときはユダヤ教のお祈りをちゃんとする。修道院ではエドガルドと同じ年齢層の男の子達と生活を共にし、ラテン語やカトリック・キリスト教の教えを学ぶ。賢いエドガルドは目覚ましく教義を習得していく。
青年になったエドガルド、自分を可愛がってくれた教皇が教会の祭壇に向かう中、いきなり教皇を手で押し倒す。その時、私は驚いたが嬉しかった。でもそれも束の間、エドガルドは教皇に謝罪を求められた。床にキスを、更に床に十字架を3つ、舌で描けと言われその通りにする。教皇の死後、ローマの街では暴動が起き、教皇の遺体をテーヴェレ川に投げこめ!の声が怒涛のように燃え上がる。初めは「もう亡くなった方です!」と教皇を守っていたエドガルドも「こんな教皇は川に投げ捨てればいいんだ!」と叫ぶ。危篤の母のもとに駆けつけたエドガルドがしようとしたことにはショックを受けたが、青年エドガルドの怒りと従順と信仰と理性の混乱は私の想像を超える。それとも教皇への反発はエドカルドの妄想か?
イエスの磔刑像を見上げながら、手足を貫く杭はユダヤ人によって打たれたものと修道女に教わった子どものエドガルド。彼は夢を見る;自分が磔刑像によじ登って両手、両足の杭を抜く。するとイエスは生き返り十字架から降りてすたすたと歩いて外へ行った。イエスもユダヤ人であることをエドガルドはその後、学んだはずだ。この夢はイエスの痛みと悲しみを自分のものとして生きていくエドガルドの決断の端緒になったのだろうか。
ナポレオンは教会で行われた戴冠式(1804)で市民に支持されて王になったことを示すため教皇からでなく自ら王冠を自分の頭にのせた。それを待たずとも教皇の力は中世以降弱体化に向かっていた。フリードリヒ2世(シチリア国王で神聖ローマ皇帝)は教皇から二度破門された。教皇からせっつかれて仕方なく実施した十字軍派遣(1229)は無血でやり遂げた。これも教皇は気にくわない、なぜならキリスト教徒の血を流してこその十字軍だからだ。早く生まれすぎたフリードリヒ2世、外国語能力高くアラビア語で当時のイスラムトップと書簡交換し無血でエルサレムの期限付き返還を成し遂げた。1517年はルターによる宗教改革、イングランド王ヘンリー8世は離婚したくてカトリックから離脱し1538年に教皇から破門される。
「誘拐」から3年後の1861年(エドガルド10歳)、イタリアが統一した。世俗権力が強大になりリベラルな空気が市民の中に満ちる世界の中で、教皇の精神的支柱としてのオーラも権威も財力も低下するばかり。ドイツ統一はイタリアに遅れること10年、1871年。フランス革命(1789)後の暴動と保守反動、急進的にことが進む際に避けられない暴力に恐怖を覚える。それは長く鎖国状態だった島国が開国し西欧化を推し進め習慣・言語・人種・思想弾圧を経て昭和の敗戦を経験した日本にも当てはまる。「むかしむかし、あるところに・・・」で始まるお話でなく、いつでもどこにでもある権力の揺らぎに伴う理不尽に信仰の存在意義を加えてベロッキオ監督は今の問題として提示した。
おまけ
1)青年期のエドガルド役は『蟻の王』(アメリオ監督)で主人公と恋に落ちるエットレ!この映画でも美しく素晴らしい演技だった。名前はレオナルド・マルテーゼ、銘記!
2)スピルバーグも映画化したかったが断念した。もし彼が撮っていたら、視点も描き方も全く異なっていただろう
教育と順応
イタリア統一・独立の気運が高まる教皇領と、「異教徒の中で暮らす同胞の保護」という名目でカトリック教会に引き渡されたユダヤ系の少年・エドガルドの半生を描いた作品。
エドガルドを迎え入れた修道院の人々は、彼に対しユダヤ教を強く否定することはせず、彼の日常を淡々とカトリック式に塗り替えていく。
彼に洗礼を与えた人物、彼の引き渡しをモルターラ家へ求めた地元の教会、ローマの修道院の人々、皆が自然なことの様にエドガルドと事件に対応している。
彼らにとってはそれが善行で秩序なのだから当然なのだが、その迷いの無さが何とも恐ろしかった。
人の思想や秩序を塗り替える行為は、宗教に限らず権力の交代や新しい主義主張の登場に伴って行われている。現代においても、本作で描かれるような強引な思想統制の事例には困らない。
淡々とエドガルドの日常を塗り替える人々と、彼らの理想の形に育ったエドガルドを見て、自分がいつ塗り替えられる側、あるいは迷いなく塗り替える側になってもおかしくないのではないかと怖くなった。
本編ではエドガルドの内心は殆ど語られない。移された環境の中で与えられたものを吸収していく間、彼は何を思っていたのだろうか。
一人ローマにやって来たエドガルドにとって教会は衣食住の全てで、後に仕事にもなった。カトリック教会は彼の保護者で、法である。人間が環境に順応することや価値基準を変化し得ることは、社会が教育や更生の機会を捨てないことの前提でもあるので、少年エドガルドから青年エドガルドへの変化を不自然と言うつもりはない。
ただ、母に言いつけられた祈りを行わなくなっていく時、ユダヤ教のお守りに触れることが減っていく時、家族との日常の中で繰り返していた習慣から遠ざかっていく時、エドガルドは何を考えていたのだろうか。
家族から強引に引き離すことを暴力だと感じることも、信教の自由が無い環境に疑問を持つことも、エドガルドや遠い過去あるいは未来の人には異端に見えるだろうか。
宗教が招いた事件を、宗教的価値観やその善し悪しを断じずに冷静に描いたエネルギーを讃えたい。
今、見るべき1本
光も煙も美しい。圧倒的な美しさは人の心を魅力し奪う力を持っていると感じました。
神々しさにひれ伏す危険。
聖母子像を崇めてるくせに、母から子を引き離すなんて。
この愚行。愛と平和を説いたはずのイエス・キリストが知ったら嘆くだろうて。
目的と手段が狂ってる。
ただただ権力を誇示したいだけに思えました。
イエスがなんで律法学者を批判して神殿をぶち壊したかわかってる?
法皇に対して、ちゃんと新約聖書読んだ?と問いただしたくなる。
悪者に仕立て上げるような単純な描き方はされていないのに、ふつふつと湧き上がる怒り。
忠誠を誓わせる行動や罰には怒りで吐き気がしました。相手の尊厳を無視した傍若無人な振る舞い。
ボディブローのようにじわじわ効いてくる映画です。
そもそも人を救うって何?
救いを求めて神にすがるのは個々の勝手だけど、別に求めていない人を無理矢理救うなんて大きなお世話。
しかも洗礼を受けたくて受けた訳じゃないのに。
恐ろしいことに、頭の硬い大人だってカルト教団に洗脳されるんだから、子供はスポンジのように吸収してしまう。
閉ざされた社会の中の閉ざされた集団のなかで正しいと教えられたことが全てになっていく。
怖すぎる。
イエス・キリストとの幻想的なシーンが素晴らしい。
子供の頃、十字架に磔られたキリスト像や絵画がとても怖かったのを思い出しました。
怖いけど、なぜだか目が離せない。
なぜこの人はこんな仕打ちにあっているの?
どうしてこんな残酷なことが出来るの?
キリストは復活したのに、いつまでも磔にしておきたいのは、罪と罰と恐怖で縛りつけたいと願う組織なのでは?と感じました。
神の名の下にやりたい放題。
ユダヤ教もキリスト教も根っこは同じなのに…
ガザ地区を思わずにはいられませんでした。
今、見るべき1本です。
教皇は理不尽
宗教対立になじみのない日本人としては、キリスト教とユダヤ教の宗教対立はわかりにくかった。
親子の情と宗教の重さの違いがむずかしい。日本人からすると親子の情が勝ると思う。
そんな感想を抱く映画でした。教皇は、理不尽とおもったのは、宗教観のちがいだろうか。
100年前の話です。
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