「評価がきわめて困難。かなりの知識を要するタイプ」エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5評価がきわめて困難。かなりの知識を要するタイプ

2024年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

今年164本目(合計1,256本目/今月(2024年4月度)38本目)。
(前の作品 「キラー・ナマケモノ」→この作品「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」→次の作品「夢の中」)

 この映画自体が描くのは史実に基づくものなので、ドキュメンタリー映画の様相も一部あり、あることないこと描けないので、かなり「退屈」な印象があります。また、この映画の背景となる「教会法」といった概念は知らない方も多く難しいのだろうなといったところです。

 表面的にみればそれは「誘拐以外の何物でもないだろう」ということになりましょうが、単純にそうは言えない点(後述)もあり難しいところです。

 なお、事件の趣旨的に、「公式パンフレット等を除けば、公的サイトでの記述が極端に少ない」背景があります(当然のこととして)。このあたりも人を選ぶのかなといったところです。

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 (減点0.3/以下のような理解をするにはかなりの知識を要する)

 ユダヤ人問題や、イタリアの成り立ちなど高校世界史を知っていればある程度背景の推測がつきますが、この映画を7割でも正しく理解しようと思うと事前に学習しないと難しいかなという事情です。
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 (減点なし/参考/この映画の背景とカトリック教会の「教会法」)

 特にカトリック教の教会では、その教会でのみ通用する法がありました。これを「教会法」といいます。三権分立がまだ未熟でもあったし、そもそも建国まもなくバラバラに近かったイタリアでは「教会のやりたい放題」であり、この「教会法」も今でいう「他のチェックを経たもの」ではないので好き勝手ができる内容でもありました。

 映画で描かれるように「緊急洗礼」というものは認められていましたが(日本の民法であえていえば緊急事務管理に近いもの)、これを経たもの(受けたもの)は、人種やもとの信教に関係なく宗派が変わるという趣旨が「教会法」に存在し、これをつかれた形になります。もっとも、この時期ですので、積極的に当該の子を悪用したという積極的なものではなく、他の宗派や他の勢力などから守るといった「子を利用した悪用」ではありました。

 ただ、強固とされる教会も、この事件はそうそうに明るみになり、知識人はもちろん他の宗派の反感をかうことになります(これによってキリスト教をめぐる勢力は少しだけが低下した)。これには教会もある程度「情報の開示」や「適正な法手続き」といった論点で譲歩せざるをえなくなり、また同時にイタリアも含めて第一次世界大戦等を経て今でいう三権分立が当たり前の国に多くの国がそうなっていきますので、「そういう法や存在を許していた、近現代の境界線となりうる時代」におきたできごと、ということになります(なお、こうした事情もあるので、この点について教会はあまり強くあれこれ言えず、公式資料等にも掲載があえて控えられているなど「めをつぶりたい」状況は理解しますが、当然、歴史としては残ることになります)。

yukispica