ポトフ 美食家と料理人 : 映画評論・批評
2023年12月12日更新
2023年12月15日よりBunkamuraル・シネマ渋谷宮下、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
観る者を豊かで幸せな気分に誘う、五感を刺激する桃源郷
これぞフランス映画、と言いたくなるような作品だ。食と恋愛という、フランス人にとって重要な2大トピックをテーマにしているから、というだけではない。全編のおよそ8割が厨房、食卓の場面と言えるなか、ひとつひとつのカットが繊細な官能性に富み、まさしく五感に訴えかける作品であるからだ。
たとえばブノワ・マジメル扮する美食家、ドダンが肉を調理する、優雅で力強い手の動き。鍋から湯気が上がり、香りがこちらまで漂ってきそうな厨房の様子。ジャン・ルノワールの「ピクニック」を彷彿させるような、戸外の光あふれる食事シーンなど。
料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)に求婚するドダンが腕をふるったデザートの洋梨の形が、妙にエロティックだと思ったら、ウージェニーの裸体にオーバーラップするシーンまである。いわば「料理で落とす」、ドダンなりの求愛の表現なのだが、それが俗っぽく映るどころか洗練を感じさせるところに、この映画の品格がある。
19世紀末のフランスのシャトーに住む、「料理の世界のナポレオン」と称される美食家、ドダン・ブファンは、天才料理人と言われるウージェニーと、20年以上も一緒に料理を作り、美食を探求している。彼がレシピを読み、彼女が実践する。ふたりでアイディアを出し合い、ときには一緒に料理をし、親しい美食家仲間を招き食事会をする。あるときユーラシアの王子の晩餐会に招かれるものの、その贅を尽くしたてんこ盛りの内容に辟易したドダンは、王子を招いて晩餐会を開くことを思いつく。彼が思いついた究極の一品は、フランスの家庭料理として親しまれるポトフだった。
「ノルウェイの森」で知られるトラン・アン・ユン監督は、これまでにも「青いパパイヤの香り」や「夏至」といった味覚を刺激する作品を撮っているが、彼がきめ細かい感性を持ったアーティストであることは、本作を観ても一目瞭然だろう。
ベトナムに生まれ13歳でフランスに移住した彼の、おそらくは異邦人としての眼差しも、もしかしたらフランス人以上にフランスの伝統的な食文化の深さに着目する所以であるかもしれない。ドダンが料理について語る言葉は、深淵で哲学的ですらある。そして滋養に満ちたオーガニックな食物をもたらしてくれる、自然そのものを愛でる心にも豊かさがある。
とはいえ本作は決して、勿体ぶった芸術映画ではない。食べることと愛することの喜び、ひいては生きることの喜びを素直に謳っている。ここには争いも貧困もない。喜びだけを追求する桃源郷であり、観る者を幸せな気分に誘ってくれるのだ。
(佐藤久理子)