二つの季節しかない村

劇場公開日:2024年10月11日

二つの季節しかない村

解説・あらすじ

「雪の轍」で第67回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したトルコの名匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督が、トルコ・アナトリア東部に広がる荘厳な自然の大きさと、自我に縛られた人間の悲しいほどの小ささを大胆に対比させて描いたドラマ。

冬が長く雪深いトルコ東部の村。プライドの高い美術教師サメットはこの村を忌み嫌っているが、村人たちからは尊敬され、女生徒セヴィムからも慕われていた。ところがある日、サメットは同僚ケナンとともに、セヴィムたちから身に覚えのない“不適切な接触”を告発されてしまう。そんな中、サメットは美しい義足の英語教師ヌライと知り合う。

主人公サメット役に「シレンズ・コール」のデニズ・ジェリオウル。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、ヌライ役のメルベ・ディズダルがトルコ人として初めて女優賞を受賞した。

2023年製作/198分/G/トルコ・フランス・ドイツ合作
原題または英題:Kuru Otlar Ustune
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2024年10月11日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第76回 カンヌ国際映画祭(2023年)

受賞

コンペティション部門
女優賞 メルベ・ディズダル

出品

コンペティション部門
出品作品 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
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(C)2023 NBC FILM/ MEMENTO PRODUCTION/ KOMPLIZEN FILM/ SECOND LAND / FILM I VAST / ARTE FRANCE CINEMA/ BAYERISCHER RUNDFUNK / TRT SİNEMA / PLAYTIME

映画レビュー

4.0 感動や衝撃とは一味違う不可解な人間模様に引き込まれる

2024年10月21日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

かつてヌリ・ビルゲ・ジェイランの映画に魅了されてトルコを旅した経験のある筆者にとって、今回の新作はアナトリア東部の村に広がる雪景色にどっぷり身を浸しつつ、そこに立ち現れるクセの強い嫌なキャラクターに絶えず心をかき乱される3時間18分だった。面白いもので、その嫌なやつぶりが定着すると、徐々に自分の中の印象が「彼が」ではなく「人間ってやつは」に変わる。どんな場所でも、状況でも不満タラタラ。こんな人はどこにでもいるし、ある意味、私の内部にも確実に彼は存在する。そんな普遍的な写し鏡のようにすら思える状況がそこには刻まれ、主人公の身勝手さが上書きされるたび、対比的に壮絶な過去を持つヒロインの、後ろ向きではない生き様が際立っていく。決して感動や衝撃といったカタルシスではなく、それとは別次元のなんとも不思議で不可解な心模様に連れ込まれる異色作。後半でふと差し挟まれるちょっと思いがけない描写も楽しみたい。

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牛津厚信

4.0 厳しくも美しい大自然に対比させられた主人公の卑小さに魂が震える

2024年10月15日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

知的

映画のあちこちにアンバランスな二項対立が散りばめられている。自然と人間、教師と生徒、男と女、管理・監督する側とされる側、理想と現実、善と悪、個人と集団、若さと老い、夢と挫折感。そうした対立する要素が複雑にからみ合い、ストーリーに緊張感と推進力をもたらしている。

トルコの名匠と称されるヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の直近3作品は、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「雪の轍」、「読まれなかった小説」、そしてこの「二つの季節しかない村」と、いずれも3時間超の重厚なヒューマンドラマ。主要人物らによる現実的な話題や問題についての対話や論争から、「人間とは何か」「生きるとはどういうことか」といった哲学的・観念的なテーマが浮かび上がってくるのも共通点で、大長編の文芸作品を読み進めるのにも似た鑑賞体験と言える。

主人公の中年男性教師サメットは、自尊心が強くて村人を見下したようなところがあり、卑しくてずるい部分もある。ジェイラン監督は屈折したインテリの嫌なところをこれでもかと徹底して描き、観客の多くはサメットを好きになれないはずだが、隠しているつもりの自分の醜い内面を見透かされたようで、精神の深いところ、あるいは魂が震えているのではないかという気さえしてくる。本質的に近しい部分がいやおうなしに共振してしまうというか。

本編の約2時間半過ぎ、サメットとヌライの長い対話のあとで、構築された映画の世界を崩すような意表を突く演出がある。さまざまな解釈が可能な仕掛けだが、映画世界の虚構を見せることによって、自分から見えている世界に絶対的な真理はない(見えない裏側がある)ということ、言い換えるなら“主観の世界の相対性”を象徴しているではないかと個人的には感じた。

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高森郁哉

4.5 タイトルなし

2025年8月31日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

最初からイライラしていて暗くていや。トルコがいかに暗いところか、閉鎖的なところかを思う。そして文句ばかり言ってる主人公。
この女性は一生懸命生きている。言葉も美しい。しかしこの主人公は本当に最低の奴。
山の風景は美しい。
この男の勝手な独りよがりの空港がテーマに。

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Emiri

3.5 ツンデレとマジギレ

2025年8月13日
Androidアプリから投稿

比較的四季がはっきりしていた日本でも最近は、人にとって心地よいはずの春と秋が花粉とインフルエンザによってすっかり様変わりしてしまった。加えて夏は猛暑に大雨、冬はコロナと大雪によって、もはや1年を通して地獄巡りをしているような感覚に襲われている方も多いのではないか。

主人公の美術教師サメットが赴任しているトルコ・アナトリア地方の僻村も、冬は一面雪に覆われており、雪が溶けたか思うと真夏の太陽が降りそそぎ草原の草を黄色く枯らしてしまう。おそらくこの“二つ季節”は何かのメタファーであることは間違いなく、長々と3時間超えで説明してくれてはいるのだが、どうも分かりにくい。監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランお得意の難解映画なのだ。

その理由は美術教師サメットの行動に一貫性がなく矛盾だらけのために、この映画が一体何を言わんとしているのかビシッと決まらないのである。「俺はこんなところで何をしているんだ」と直ぐにボヤくくせに、しょっちゅう友だち教師と小旅行に出掛けては写真をとりまくり、結構楽しそう。さらには、教師仲間のケナンにヌライという彼女を紹介したかと思えば、一人で家におしかけて(スタジオセットを抜け出してこっそりバイアグラを仕込んだ後にw)そのヌライと寝たりする。

サメットのお気にだった女生徒セヴィムも、サメットに負けず劣らずのとらえどころなさを露呈している不思議キャラなのである。カバンの中に隠し持っていたラブレターを持ち物検査員に取り上げられ、サメットに持ち去られた事実を知って拗ねまくり、校長にセクハラされたと訴える。しかし、終業式をむかえサメットの転任が決まるやいなや、またぞろサメットになついてくるツンデレ少女なのである。

監督曰く、映画終盤に展開されるサメットとヌライの口論がこの映画のハイライトらしい。片足をテロで失ったヌライは反体制的な活動をしていたのだが、社会を変えられるという希望ももはやすりきれてしまっている。そういった運動に一切関わろうとしないサメットを臆病者とみなしていて、仲はそれなりにいいけれど今まで男女の関係に発展しなかったのもおそらくそれが原因なのだ。

サメットの言い分としては、運動に参加することで自由が制限されることが何よりも苦痛であり、それを利己主義と批判されても「だから」という感じなのだ。要するに、個人が全体を決定するという個人主義と、全体が個人を決定する全体主義の不毛な論争が展開されているのである。“二つの季節”とは、個人主義と全体主義という、いずれも人を決して幸福にはしない相反するイデオロギーのことを指し示しているのではないだろうか。

故に、何を考えてるのかよくわからないツンデレ少女セヴィム=個人としても全体からも、影響を与えないし影響されない不確定要素に、サメットは希望を見いだそうとしたのではあるまいか。理想を追い求める個人の希望が現実を形作っていくのか、その現実から逃避したいがための理想なのか。ニワトリが先か玉子が先かの論争のように、結論の出ないままそれは、人々の魂がすり切れるまで延々と繰り返されるのであった。

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かなり悪いオヤジ