落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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自己検閲をせずに真実を明らかにすること
パルムドール受賞映画への期待値が大きすぎたのか、初見では物足りなさを感じたが、繰り返し観ると、実にスルメのように味わい深い作品であった。
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■状況証拠しかない中での判断の危うさ
確定的な目撃情報や物的証拠がない。そのため、様々な状況証拠が集められる。
・「妻による激情殺人」の可能性を裏付けるため、直前の夫婦の会話が怒号だったのか、あるいは会話の延長線上だったのかを立証せんと、ダニエルに聞こえる声の限界を執拗に測る場面は、その微細な差異に固執する様が滑稽に映った。それぐらいしか糸口がないのは解るが。それにしても遠い。。。
・落下の再現テストをおこなった結果、血痕の位置から「突き落とされない限りありえない」と断言する調査官。たった3つの血痕だけで断言するのか。。。
・対して血痕分析の専門家は「窓から落ち、屋根に当たって頭を損傷したのだ。屋根にDNAが残ってないのは雪が洗い流したから。」と調査官の意見に反論する。
・薬を減らしたいと医師に相談していたサミュエルの行動を「自殺衝動」に結び付けたい弁護士と、それなら減らしたいと前向きな相談をしてくるのはおかしいと否定する医師。
・サンドラがゾーエを誘惑しようとしていたことを明らかにすることで「夫婦仲が終わっていたからだ。つまり妻による殺人はあり得る。」にもっていきたい検事。(遠いなあ。)
・前日の夫婦の口論の録音が提出される。生々しいやりとり。録音の後半にサンドラが激高しサミュエルを殴る音も。翌日の予行演習として決定的な証拠のように思うが、弁護士の冷静な一言。「されど、前日の話です。想像を事実と一緒くたにしてはならない。」
・次に検事は数年前にサンドラが書いた小説を引用。その中には泣き言をいう夫を殺そうと考える妻のフレーズが。弁護側はすぐさま「小説と事実は別物だ。S・キングは殺人鬼か。」と反論。(いや、ほんとに。)
・ダニエルがスヌープを病院に連れていくときに父親から言われた言葉を追加証言する。「スヌープはすごい犬だ。とても優れている。お前を危険から守り、お前に何が必要かを常に心を配っている。ただ、そのために疲れているかも。そしていつの日か力尽きる。つらいだろうが覚悟しておけ。それでもお前の人生は続く。。。。今考えると、あれは自分のことだったんだ。」あわてて検事が「過度に主観的でどう考えても証拠にはならない」と釘をさす。しかし、その言葉はブーメランのように自分たちに返ってきている。
検事側も弁護側も細い糸口で「殺人だ」「自殺だ」の主張を各々展開する。まるで悪魔の囁きのように。
混乱するダニエルにベルジェの言葉が響く。「材料が少なくて判断のしょうがなくても、決めるしかない。たとえ疑いがあっても一方に決めるのよ。1つを選ばないと。心を決めるの。」
そして裁判官の次の言葉も。「裁判の目的は自己検閲をせずに真実を明らかにすること」
(自己検閲とは集団内の同調圧力によって自分の意見を抑制してしまう心理現象や、表現や作品の作者が論議を呼びそうな部分を自分で削除してしまうことを指すこととのこと。)
ダニエルはスヌープの誤飲のことや、車の中での父との会話を証言する。自己検閲を排したのだ。そして心を決める。
「自殺だと思う。なぜならママがパパに飲ませる理由がない。何かが起きてその原因がわからない場合は裁判と同じで状況から考える。証拠を探しても確定的なものがないなら、自分で考える必要があります。」
悪魔の囁きを繰り返す検事は後ずさりするしかなかった。
しかし、証言の度にこうも推理が混じってくると裁判官は大変だな。(こりゃ冤罪もでるわ。)
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■いたたまれない夫婦関係
妻のサンドラは、野心家で小説家として成功しており、現実主義で肉食系。見た目からしてザ・ドイツという感じ。
夫のサミュエルは、妻への嫉妬や焦燥感を抱いていたところに、ダニエルの事故の責任(妻からの暗黙の責めも)という十字架をさらに背負ってしまった。打開しようと山奥に引っ越ししてペンションをはじめようとするが、改装工事もうまく進まず空回りするばかり。
サンドラがサミュエルに言い放った下記の言葉。自分に言われているようで刺さった。。。
「今のあなたと話し合うのは時間のムダだと思う。グチグチ言って時間が経つだけ。
その時間を使って何だろうとやりたいことやったら?書けないのを私のせいにしないで。」
「(俺にも時間をくれという夫に対し)正気で言ってるの?私は何も奪ってない。 あなたは息子との関係悪化を恐れ、今の状態に陥った。ここに引っ越すと決めたのはあなた。自分で作った罠よ。私のせいにしないで。あなたが自分で、、、。」
録音テープを聞いている間、傍聴席の人たちと同じようにいたたまれない気持ちであった。
ダニエルの事故がなければ、この二人の関係はどうだったのだろうか。。
※父親の死、母親の過去の不倫、父親の焦燥。自分の事故が夫婦間を険悪なものにしてしまった一要因であること、赤裸々な内容をすべて聞いてしまったダニエル。「ママが帰ってくるのが怖かった。」 「ママも帰るのが怖かった。」 もう裁判前の親子間には戻れない。これからのダニエルが心配だ。
※スヌープ(飼い犬)の演技が凄い。本当に演技なのか?そりゃ賞獲るわ。
※夫がスピーカーから鳴らす爆音の「P・I・M・P」、息子がかき弾くピアノ。どちらも癇に障る。そういう心象を表現しているのだろう。
※サンドラの顔が苦手だ。これぞドイツという感じ。『関心領域』の印象もあると思うが。ただこういう「強く複雑な女性」を演じられる稀有な俳優であることには間違いない。
※2つの録音は、ちょっと都合良すぎかと。
※ラッパーみたいな検事が新鮮。さすがフランス。
家族の内側を解剖する法廷劇で試される、私たちの曖昧さを抱えておく力
本作はミステリーにカテゴライズされる作品なのだろうが、一般的なミステリーのイメージとひと味違うのは、最後まで「絶対的な真実」が提示されないことだ。
法廷での証言により、主人公夫婦の間に過去に起こったことが徐々に明らかになるにつれ、観客の目に映る主人公の印象が変遷してゆく。私たちの人を見る目のあやふやさ、不確かさを本作は暗に語りかけ、真実を見せないことでエンドロール後にもその余韻を残す。
冒頭、取材に来た女子学生に対応するサンドラの態度に不審な気配はほとんどない。ただ少し、取材を受ける側なのに女子学生に質問しがちなくらいだが、その時点ではそういう性格の人なのかな、くらいな印象だ。上の階では夫が音楽を大音量で流して取材に支障が出るほどだが、その事情も序盤ではわからない。
ところが、裁判で事件前の夫婦間のやり取りが明らかになるにつれ、最初の場面の印象がどんどん変わってくる。検察官が「女子学生を誘惑していたのでは」と言い出した時は邪推だなと思ったが、その後サンドラの隠していたこと(浮気の回数)や嘘(腕のあざ)が見えてくると、彼女を信頼出来なくなり、改めて冒頭のシーンを振り返ると、誘惑のニュアンスが入っていたようにも思えてくる。
(夫に通達した浮気はノーカンというのは特に酷いなと思ったけどフランスではアリなのか?と思ったら後で世論からも批判されててちょっと安堵)
そんな調子で、当初は気にならなかった裁判前のサンドラのなにげない振る舞いまでもが、法廷であからさまになった夫婦の内実を踏まえると全く見え方が変わってくる。ザンドラ・ヒュラーの演技の匙加減にうなった。万華鏡のように移り変わるサンドラの印象は、ヒュラーの演技のバランスがあってこそ成立する。
息子のダニエルの視力障害の程度がわかりづらかったり、母親をかばっているかのように証言を変遷させたり、弁護士ヴァンサンとの関係が微妙に思わせぶりだったり、といったことも見る側の憶測を呼び、惑わせる。サンドラは有罪か否か、という天秤が観客の胸中で不安定に揺れ動く中で、彼女の証言の変化が不審を誘い、あの壮絶な夫婦喧嘩の音声がとどめを刺す。
聞いてみれば、移住や息子のホームスクーリングはサミュエルの希望に沿ったものだ。ダニエルの面倒を見ることと教師の仕事で、作家としての創作の時間が取れなくなっているのも本人の行動の結果のように思える。作家として成功しているサンドラに対する不満には、嫉妬も混じっているのではという邪推も湧く。冒頭の大音量の音楽に、悪意の気配が醸し出される。
しかし、サンドラが夫のアイディアを横取りしていたこと(サンドラ自身は夫の許諾を得たと主張しているが、夫は奪われたという意識であり、認識のズレがあることもまた憶測の元)、言い争いの末サンドラが暴力をふるったこと、隠していた浮気のことなど、彼女の身勝手さも見えてくると、それまで見せられた曖昧な状況についてもことごとく天秤が振れ、彼女の有罪をほのめかすもののように思えてくる。
この流れなら、普通のミステリーであればサンドラが有罪になるか、あるいは判決自体は無罪になっても、内心の描写などにより彼女による犯行であるという「真実」が暗示されたりする、というのがパターンだろう。そういった「真実」の提示によって、観客の心中でも事件が終結する。エンタメ的には座りがいいはずだ。
だが本作では、サンドラは無罪判決を得るものの、観客にとってそれが「真実」であるという手応えはない。しかも判決後のシーンがしばらく続き、打ち上げの後でサンドラとヴァンサンが寸止め的な雰囲気になったりし、犬のスヌープが横たわるサンドラにぴたりと寄り添う場面で終わる。
パンフレットの評論家のレビューには、ラストで突然スヌープがサンドラに懐く様子を見せることから、序盤のスヌープとダニエルの散歩も、実はサンドラの意図(犯行のための人払い)が働いているのではという推測もあった。これもまた真偽は不明だが、ラストシーンが思わせぶりであることは確かだ。
(余談だが、スヌープがアスピリンで倒れた場面はどうやって撮影したのだろう。今時動物愛護的に薬物で眠らせたりすると批判されそうだが。ボーダーコリーはかなり賢いらしいが、まさかの演技だったらすごい)
観客はグレーな描写にあれこれ憶測をし、話が進むにつれその憶測のいい加減さも自覚する。私たちは主観で捉えられる情報だけで誰かをジャッジしたくなる。ひいては、その情報さえ無自覚に選別する。しかし、そのジャッジがいかにあやふやなものであるかについては得てして無自覚になりがちだ。
真実が明確にならないというありがちな現実をありのまま抱えることができず、急(せ)いて白黒はっきりさせようとする人間の悪癖。サンドラは無罪になったが、「無実」なのか、という疑いをあえて残すことで、本作はその悪癖を観客に自分ごととして突きつけているのではないだろうか。
脳の訓練とスリリングなメロドラマの融合
よくもわからない他人ごとなのに、すぐに答えを欲して雑な解釈に飛びついてしまう人間の勝手さ、愚かを「法廷劇」という体裁に置き換えた監督の手腕がみごと。劇中のできごとや登場人物の思惑について、細部を読み取って推理をしたり仮説を立てたりする作業はミステリーの醍醐味だし、その意味でも楽しめる作品になっていると思う。しかしこの映画の場合、どれだけ考えて「◯◯のように見える」「◯◯に違いない」と思ったとしても、結局は監督の手のひらでいいように転がされているともいえる。いずれにせよ、確たる結論が導き出せるわけではない状況に大切なのは、どこまで自分自身が対象を距離を取って、先入観に目を曇らされることなく思考ができるか。これは一種の脳の訓練であり、その訓練がスリリングなメロドラマを兼ねているという、刺激的でとても優れたエンタメだと思っています。
スティーヴン・キングは連続殺人鬼か?
劇中でかかる音楽は3つだけ。冒頭ではインタビューに山荘にやってきた学生ゾーエを追い出すために夫が大音量で流し続けた「P.I.M.P」という曲。元はラッパーの曲なせいか不快に感じること間違いなし。そして11歳の息子ダニエルがピアノで練習する「アストゥリアス」。元はギターのための曲であり、叙情的旋律によってだんだん感情が激しくなる雰囲気を醸し出してストーリーを盛り立てる。終盤、裁判が終わる頃に流れるショパンの曲によって皆の心に平穏が訪れるという仕掛けになってると思う。
法廷劇が中心となり、物的証拠が乏しいために夫婦の生活が暴かれ、夫が自分の小説のために録音していた事実。前日に口論していたのが予行演習だったのではないかと検察の主観尋問が鼻につく。そして妻サンドラの不倫を暴露する録音も流されるが、息子の事故の後は一度しかない。しかも相手は女性というもの。ドイツ人のサンドラがフランス人の夫とイギリスで生活をしていたり、ジェンダー差別、障がい者差別などのテーマも内包していた。サンドラが追い詰められたときに英語で証言するというシーンも面白い。とにかく検察側の主張は幾分横暴でもあり、こうして冤罪が作られるんだという色が濃い。
以前から知り合いだったヴァンサンをはじめとする弁護側は事故ではなく自殺を主張する方向で進め、証人である精神科医などと徹底抗戦する。主観と客観、曖昧な自殺癖を証明することも難しく、やがて証人となった息子ダニエルが母を守るための危険な実験を・・・
主演女優賞も獲って欲しいところでしたが、個人的には犬のスヌープに助演犬賞をプレゼントしたい。
ただただ息子が可哀想。
パパの事故の後、悲しみに浸る間もなく裁判の現場検証、証言台にまで立つことに。裁判の傍聴を決めたのは彼だが、それにしてもあの壮絶な夫婦喧嘩の録音を聞くハメになるとは、子どもの気持ちになると本当に不憫でならない。
開幕からミステリー路線での話かと思ったが、裁判の模様と家族達のヒューマンドラマがメインだったとは。
人物の表情をあえて映さないなどカメラワークが秀逸。
事実や曖昧な証言、夫婦の人柄がわかる出来事を小出しにすることで、事故なのか、他殺なのか、何回も手のひら返しで怪しんでしまう脚本の妙。事実を解き明かすのではなく、あえてわからない上で行う選択や、裁判の模様がテーマでとても面白い。
ダニエルの拙いピアノでさえ物語の雰囲気に絶妙に合っていた。
詳らかにする
感情が揺さぶられ、色んな思いが去来する
言葉にするのが難しい。
自分の性質は死んだ夫氏に近しいので、夫に感情移入しながら観ていました。なので終盤ダニエルの証言を聞く前から彼が自殺であると、思いました。本当の真実かどうかは別として。(視聴者にそう思わせる脚本?演技?すごい、素晴らしい)
エンタメ作品とは真逆で、つらくてしんどいしかない映画でしたが、観て良かった。
上手く言語化できない、とにかく凄い作品を観た。
あとスヌープの演技素晴らしかった!
アスピリン飲まされた後体調を崩すシーンで本当に犬に何がけしからんをしたのかと心配になる程でした。
視聴後に検索したらあの子がなんかすごい賞をとっていたのを知りました。納得です。
某か受賞というのは映画詳しい人に刺さったということなだけで
たまにしか映画みない一般人にはわからないです。
検察が嫌なやつで裁判官が裁判に無関心で決だけ下す感じの人で、映画は7割法廷のシーン。法廷映画。ドラマ「リーガル・ハイ」からテンポのいい台詞回しや勧善懲悪の爽快さを無くした映画好きが好きそうな映画。展開がゆっくりすぎて、オチは伝家の宝刀「わからずじまい」。結局なんなだったの?という感じ。
「他人からどう見えているか」を問うてる映画だとしたら、犯人は、弁護士だし、息子ふぁし、妻だし、インタビュアーの学生だし、犬がぶつかってどーんで落ちたもあるし、鑑賞者に委ねられる!的な……いやいやある程度は示してよ。
頭の殴られたあとの説明がないってことは、他殺の匂いを残すけど、下にぶつかったかもしれないし、もしかしたら不倫を知ってインタビュアー来て(またか!?)と無茶苦茶苛立って自傷して、妻に罪を着せようと夫が自殺したかもしれないし。無限のオチが考えられる。
人の形を暴く解剖学って当てにならないね。「落下の解剖学」、人生が落ちていくその様を解剖したのかな?哲学チックですね。インテリジェンスに振り切った映画で、だったら予告編もサスペンスサスペンスして煽らなくてもいいのにと思いました。予告編が悪いかも。
韓国版ポスターに犯人はこれだ!的な印象を抱くなら、このジャケットも「犯人はこいつらだ」という映画のコンセプトには乗っかってて見事なのだと想う。
賞を獲った事で完成に至った映画。これは賞を与えないと(難解な映画だーで終わるぞ)と、賞を与えたことで(何があるの?)という私みたいに深読みする一般人が増えていく。良質は良質、とても良質です。
他殺には無理がない??
これで真実が他殺だったらあっと驚くひねりの効いた結末になるんだけど、自殺(或いは事故?)とにかくサンドラが無実とわかった今はなおさらこれを他殺というにはあまりにも無理と悪意があるし逆に落下説をもっと強力に押しだせないものかとちょっとモヤモヤ。こうして冤罪は作られる、というテーマならわからなくもないが。。。それにしても無実を証明するのにとことん私生活暴露はたまらないね。2人の口喧嘩、ウチも似た場面あるなあ、彼女の言い分キツイけどあれくらい私も言い返してみたいと思った (私情w)
夫の気持ちを探るー母と息子熱演
階上からボリュームいっぱいに音楽を鳴らす。
妻は下で大学生と話していたがやかましく帰る。
息子は犬🐶を連れて散歩。
戻ると父が頭から血を出し倒れていた。
すぐ母を呼ぶ。警察に連絡。
友人の弁護士ヴァンサムに依頼。
頭に致命傷となる傷があり、
硬い物で殴られたか落下の際に傷ついたか?
それにより自殺か事故か他殺か⁉️
家に居たのは妻一人。
他殺ならば妻が起訴される。
夫は屋根裏を改装し民宿を始める気だった。(妻)
音楽🎵をかけると自分の世界に入り込む。(妻)
弁護士と予想される話を照らし合わせる。
妻の腕のアザがついた理由。
不審死❗️
半年前、睡眠薬と思われる錠剤を吐き出した(妻)
息子が警察に聴取される。
夫婦喧嘩知らない、と。
妻が流行りの作家である為人々の関心を買う。
外にいた、と息子。
警察、実地検証、音楽🎵鳴らして、
息子の供述二転三転。
息子の監視役が付く。
家宅捜査に人形使っての実験、
弁護士と供述内容の照らし合わせ、
専門の弁護士の指示はなかなか厳しい❗️
息子が視覚障害になった原因の事故の話、
気にしていた夫、自分のせいと。
一年後、裁判、妻にとって不得意な🇫🇷語で、
妻がバイセクシャル⁉️いらん事聞かれる。
息子は必死に意見供述。いじわるな検察官❗️
夫は教師を辞めて作家になりたかった、
妻は夫を恨んでいる。
夫が前日の夫婦喧嘩を録音したUSBが見つかり、
妻の不倫に喧嘩したことやそれにより妻の嘘
もバレる。
信用されない妻を責め立てる検察。
無実を主張する妻。
裁判まで母を避ける息子にショックを受ける母。
息子の実験、🐶可哀想。
息子の証言。
いなくなるから辛いけど‥‥
結局息子に助けられた母。
裁判で暴かれる女流作家の私生活を残酷に描いたミステリー法廷劇
フランス人監督ジュスティーヌ・トリエがパートナーのアルチュール・アラリと共作したオリジナル脚本の謎解きの面白さが特徴の、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した法廷ミステリー映画。タイトルの意味は、山小屋の4階部分にあたる屋根裏部屋から転落したと想定される夫の死因を巡る裁判劇を通して、事故か自殺か他殺かの考察の解剖を指すが、実体はある家族の壊れた夫婦関係の裏の顔を暴き出しています。 それは国際結婚が珍しくないヨーロッパの夫婦が直面するコミュニケーションにおける言語の壁、不慮の事故で身障者になった子供への取り返せない後悔、同じ作家としての職業を持つ夫婦の成功と嫉妬、妻の浮気から生じる軋轢の心理変化と、多くの問題を抱えていたことが分かります。しかも、そのまだ11歳のダニエル少年が殺人容疑の母サンドラの証人として法廷に駆り出されることで、知る由も無い両親の不和を聴かされる過酷さまであります。それでも、この人物設定の創作を客観的にみれば、ダニエル少年を弱視の視覚障害者にしたことで謎が深まるストーリー展開の物語でした。非業の死を遂げた父サミュエルの本意を探り、ベストセラー作家として成功した母サンドラの日常の会話には表せない満たされぬ胸中を知ろうとする少年の心理には、父を失った悲しみに対峙する子供ながらの好奇心と両親への愛を感じます。今知って置かなければ、これから自分は人格を持って生きて行けない(成長できない)と考えたに違いないからです。このダニエル少年をひとりの人間として扱っている脚本の成熟度は、フランス映画の特長のひとつと言っていい。
これら複雑にして特殊な家族の問題を落とし込んだ脚本の構築度は高く、女性監督の視点も冷酷で厳しいものがあります。ただミステリーの脚本としての完結した物語の徐々に解き明かされる面白さに対して、映画としての演出の鋭さや技巧の高さはありません。映画的な演出で光るのは、サミュエルが録音した事件前日に交わした夫婦の言い争いが法廷に流れるシーンです。私生活の会話を記録するのは、サミュエルが小説のモチーフに活かすことを考えての習慣だったのか。それとも、既に決意があって妻に復讐する深層心理を持っていたのか、色々と想像できます。その日の場面として描写して見せて、生前のサミュエルがサンドラに不満をぶつけるシーン。それを泣き言と受け付けないサンドラ。お互いが犠牲を払っている自負のぶつかり合いで歯車が嚙み合わない夫婦の会話は性的な内容に及び、遂には物を投げる音と共に修羅場を向えます。その前に現在の法廷シーンに戻る演出はとても映画的でした。もう一つは、再び証人に立つダニエルの中立性を保つために同室を禁じられ、家を出てホテルに移動する車中で堪えきれず泣き出すサンドラの姿です。プロローグで女子学生のインタビューに対応する、自信に溢れて感情をコントロールする余裕をみせる女流作家の冷静さからは想像できないものです。裁判の行方に対する不安と、息子の証言に疑念を持たざるを得ない状況に追い詰められたサンドラの子供まで失ってしまうのかの恐怖。取り乱して当然の立場にあるサンドラが気丈に振る舞う中で、唯一弱さを見せるシーンでした。
総評としては、映画としての面白さよりミステリー小説の面白さが勝る作品でした。脚本が優れている反面、演出と撮影の絶賛にはならなかった。それと興味深かったのは、検察が殺人容疑で立件する前提に証拠不足ではないかと思われる点です。もし凶器による外傷なら証拠になるものを徹底的に探し出すものではないでしょうか。日本と比較して、捜査に対する段取りが違うようです。警察側の台詞の中に、凶器はどうにでも分から無くさせられるから調べても無理、の内容のものがありました。
俳優の演技に関しては、不足は有りません。特に主演のサンドラ・ヒュラーの演技は素晴しい。この作品は彼女の演技で映画らしさを保持しています。続いてダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールの演技と犬のスヌープの眼の演技が印象に残ります。子役の上手さと動物の使い方の的確さは、欧米映画の優れた特徴です。
登場人物の中でそのポジションが明確でないのが、サンドラを弁護するヴァンサン・レンツィ弁護士でした。旧知の仲の人当たりの優しい男性で、当初からサミュエルの自殺と断定していました。無罪判決の後2人で食事するシーン。かつて男女の仲だったのか、それとも今回の事件を機に仲を深めるのか、微妙なシーンになっています。もし裁判に負ければ人生が終わると怖れたサンドラは、勝てば何か見返りがあると期待したものの、何もなかったと呟きます。作家の仕事とは、凶悪犯人でさえ獄中で自叙伝を執筆すれば成立する不思議で不道徳的な職業とも言えるでしょう。普通の人生を送るとしても、誰もがあまり知らない世界の人間を描かなければなりません。ですから、この裁判を経験したサンドラが小説にすればベストセラーになることは間違いありません。見返りは自分の文才次第と言えるでしょう。身内の死をも題材にする、自ら身を切る思いで創作する厳しい仕事です。
二転三転
フランスの雪山にある家の最上階から、夫が落下した死体を、犬の散歩から帰宅した弱視の息子が発見したことから、ストーリーがゆっくりと進みはじめる。
当初は自殺ではなく事故ではないか?と主張する妻のサンドラだったが、さまざまな状況証拠から、この事件は自殺でも事故でもなく、これは殺人ではないか?、と法廷でサンドラが追いつめられていき、見てるこちら側も最初はそんなことないだろうと優しそうな妻を信じていたにも関わらず、演出によって徐々に妻に疑いの目をかけ始めてしまうのだ。特に事件前日の夫婦喧嘩の録音を公開された際には、もしかしたら殺人かもしれないと確信に至りそうになる。
これらの経緯から、当初は母を信じていた息子のダニエルでさえも信じられなくなってくるのだが、法廷最終日に彼の発言により、全てがひっくり返ってしまう。
過去に飼っていた盲導犬が病気になった際、父親から盲導犬は目が不自由な息子のために、自分を削って生きていて、疲れているかもしれない。だからいついかなる時も病気で死んでしまうこともあるということを覚悟しておけと言われた事を思い出し、それは犬がいなくなるということを伝えたかったわけではなく、自分(父)がいなくなる可能性を暗喩していたに違いない、と発言したのだ。これによって殺人の疑いが薄れていき、最後の最後に、妻は無罪放免となる。
しかしながら夫婦関係が悪化していたことや、息子の面倒を夫に押しつけ、自分は作家として成功を収めていたという事実が消えるわけではないため、それぞれの登場人物が悩みを抱えながら、お互いに支えあって生きていくしかないという、なんともモヤモヤした、しかし「これこそが人間なんだ」と受け入れざるを得ない、ハリウッドの法廷物とは一線を画した独特のサスペンス映画であった。
夫の落下から始まり、妻の落下、息子の落下、そして見ている観客側の落下など、この映画だけでなく、人間にはさまざまな落下があるけれど、それさえも受け入れることによって、前を向いて生きていけるんだなぁと、しみじみ考えさせられた佳作であった。
自殺か他殺か事故か
裁判シーンが長いが、意外に飽きなかった。
映画を観ている側としては、彼の自殺説がいちばん納得できるし、実際そのような結末だったが、それでよかったのだろうか?妻が殺してはいなかったというはっきりした確信が持てない点が、ややモヤモヤした感があるので、いまいちすっきりしないエンディングだった。
スヌープ(犬)の演技がピカイチ
序盤にスヌープが家に入って行くところをカメラが追いかけるシーンで、わんこかわええ〜☺️と思っていたら、とんでもなく演技派犬だった。
アスピリンを飲んでぐったりしたり、吐き出したり、全部演技って後から知ったけど、すごすぎて目が釘付けになった!🐶
映画自体は、大きな展開があるわけではなく、ずっとこうじゃないか、ああじゃないか、って考えさせられる。
判決終わりで真相が明かされるのかと思ってたら、そういうのはなくエンドロールで、終わりかい!って突っ込んでしまった。もや〜っとした気持ちで終わるのは、あまり好きではない。
現実でも真相は本人しか分からないし、第三者が頑張って考えたところで、主観が入ってしまうよな〜ということかな。
日本がどうかは知らないけど、フランスの法廷ってあんなに憶測をぶつけ合うのかとびっくりした。
誘導尋問しまくりやん。
追い詰められた夫
解剖とは、家族(夫婦)軋轢の分析のことだろうか。映画を観ている私たちが分析(解剖)に携わっているよう。でも真実ははっきりしないまま。
夫サミュエルが転落死する前日に録音されていたという夫婦のいさかいを聴くと、夫が不憫でたまらなかったです。自尊心もボロボロ。傷口に塩を塗られたようなもの。仕事ができてベストセラーのサンドラは知的で冷静。バイセクシャルなので中性的でもあり、男が家に2人いるような感じ。サミュエルの精神科医が「去勢されたようなものだ」とサミュエルから聞かされたのもうなづけます。
以前読んだ誰かのエッセイに、芸術家同志のパートナーは不幸になる、みたいなことが書いてあり、そのことも思い出しました。
サンドラ・ヒュラーが見事に主役を演じていました。彼女だからこそ、この映画の良さ(もやもやさ?)が充満していたのでしょう。
パパが死んだ時はベッドで泣きじゃくっていたダニエル、最後は法廷で堂々と「車の中で父と語ったエピソード」を証言し、短い間に成長したなと感じさせられました。しかし、その証言ももしかしたら、ダニエルの作り話かもしれない、といった思いもありますが。ダニエルの証言で閉廷になったようですが、実際は証拠不十分で無罪となったのでしょう。
識者の深いレビューとは違う切り口の感想ですが、、
言葉の不自由な国で自分の思いを伝える必要のある局面のあったこと
クリエイティブを生業にする者として、他者と己の才能を正確に測れるほどにはスキルがあること
自死遺族として、今思うと、、という感覚のあること
自分を構成する要素に、スヌープのように寄り添ってくれた映画でした。
実感を重ねられなかったのは、自分はストレートなので、、ってところくらいか
女性の視点
夫婦喧嘩に出口は無い。喧嘩がリアル。女性が利己的かつヒステリックに見えるが間違った事は言っていない。
母親が有罪か無罪は最後まで明らかになりませんが、男性のプライドを傷つけるのは悪手だと身を持って知っている人の視点だと感じました。それが答えだと思います
ダニエルが最後証言しなかったら
ダニエルの最後の証言
「突然いなくなるかもしれないから、覚悟しておいて」
犬のスヌープのことをたとえてパパがダニエルに言ったことだが、ダニエルは今思えばパパ自身のことだったんじゃないか、と最後イレギュラーに証言した。
、、、もしこの証言がなかったら、
ママは殺害者とみなされ有罪になってたのか、、?
もしかしたらそうかもしれない
冤罪か?
結果は無実だが、無実が冤罪だったとしても、ダニエルが一人にならなかったから良かった💦
なんの証拠もなかった中で、
日ごとにママが疑われているような質問も増していた。
でも旦那のことは嫌いだったとしても、
殺すメリット無くない?
殺す→何かしら証拠が見つかる→捕まる→
ダニエルは一人になっちゃうよね
誰が育てるの?
誰が面倒見るの?
ましてや視覚障害がある、
いくら多忙の母親でもまだ小さい子供を一人にはさせないだろう。
母親はダニエルとの時間はあまり作らなかったのかもしれないが、愛しているのはもちろんだと思うし殺してないと私は推測する!
まあ色々と誤解されることをやってたから、
ママが疑われることは無理もない😂
腕の不審なアザ
前日の激しいケンカ
何度も不倫
子育ては旦那に任せっきり
↑
待てよ、
この4点を書いてたら
パパがママを殺す理由になるっぽくない?
ママに対して恨みがあると思われるパパ。
ママがパパを殺す理由になるよね、なんだかね。。
この親しそうな弁護士とは絶対過去に寝てるね。
へんに親密だし😏
スカッとはしない。
昨日はアフターサンを鑑賞したが、
うつ病→自殺
この二つの映画の共通点。
うつになると自殺したくなるのかな。。
人間性をえぐる後味の悪さ。ピュアな息子が唯一の救い
大音量の音楽は夫の声にならない叫び。助けを求めていたのではなかったか。実際別荘の改築は全く上手くいっていなかった。
だが主人公の妻は耳栓をしてそれを無視し続けた。
私と夫は愛し合っていたと妻は言うが、分かり合えてはいなかった。
夫婦関係を持続させるものは必ずしも愛だけではない。
歳月の経過と共にお互いに不満と憎しみを募らせながらも、夫は経済的な理由から、妻は子育てと家事といった生活面の理由から、お互いに依存し合うようになっていた。
そしてその歪で暗澹とした夫婦関係が裁判の過程であらわになっていく。
これは世界中どこの夫婦にも起こりうる物語だと思った。
愛しながらも憎み、見下していた。
その態度が鬱状態の夫を自殺へと追いやったのだとしたら⋯
だから無罪を勝ち取っても妻の心は晴れない。
重苦しい余韻が残り後味は悪い。
唯一の救いは、裁判を通して両親の負の側面を知った幼い息子が、母親を受け入れる努力をして証言台に立ったことか。
(両親は不仲である事を息子の前では隠していた。だから事件の日、盲目で純粋な息子は、両親がいつもより大きな声で話しているとしか認識できず、それが言い争う声だとは理解出来なかった。だが警察に矛盾を指摘されて初めて自分の間違いに気付き、母親を庇うために嘘をつく)
だがその息子の成長した姿が母親の救いになっていないことが、この映画の一番の皮肉かもしれない。(我が子に自分の一番醜い部分を知られてしまった。これからどう接していけばいいんだろうっていう)
疑心暗鬼になる展開とハッキリ明かされない結末
法廷サスペンスってこういうものなのでしょうか?
主に法廷でのやり取りがメインですが、もう少しテンポ早い方が途中でダレないと思いました。
話が進むにつれて母親が怪しくなりますが、最終的に無罪になりました。ですが、やっぱりこの母親が犯人なんじゃないかと匂わせて終わりました。もやもやとした終わり方が苦手な人には、この映画はお勧めしません。考察が好きな人には楽しめるかもしれません。
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