落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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他殺か、自殺か、事故死か
山荘で父親の死体を息子が見つける。
山荘にいたのは父親と母親だけだったため、母親に殺人の嫌疑がかかる。
そして裁判となり、家族の秘められた過去が、次から次へと晒されることになる。
証拠のない事件で、観ている方もわからないが、家族それぞれの人生が裁判という形で、みんなの前に繰り広げられる残酷さは強烈だ。
感想メモ
裁判で双方の主張を聞けば聞くほど真相がわからなくなる
誰も信じられない、子供に付き添ってたお姉さんしか信用できない
最後の方の事件前日の喧嘩、凄すぎて笑っちゃった
私は乱暴よ!何かを殴る音
物語のアイデアを盗まれた!?
子供も証言を変えたり、母親を守ろうとしているのだろうか、見てた感じ母親は余り育児に協力的でなかったみたいだけどねー
真実かどうかではなく、どう事件を解釈するのか
ラストはスッキリしない感じではある
自分で体験してみた事を話にする、と最初のインタビューで言っていたのが妙に気になる
フランスの裁判所おしゃれ
弁護士のおじさんの顔が綺麗過ぎる
新しい試み
他の皆さんがおっしゃる通り、真相が明らかにならないまま終わり、一本取られたなぁとはなりましたが…それだけでした。2時間半まで引っ張られてモヤモヤが残った分マイナスかなと思いました。
物の見方
勝った時はご褒美があるのかなって
良いです
微妙に退屈だけど乗り越えました。検察側が証拠に出してきた録音も、夫があまりに精神不安定、最初は冷静に対応してた妻もしつこ過ぎる挑発にキレただけだし、基本的に妻が全然怪しくない。そこを見せたかったわけじゃないのかな、と自分に言い聞かせました。検察官もちょっと分かり易すぎる悪役感、前にも法廷もののフランス映画観たけどその中でも検察官は勧善懲悪の悪役のような芝居がかった話しぶりだったけど、陪審員の心象操作のためにフランスでは常識なのかしら?だとしたらこれも文句言うことじゃないね。という感じで思い返すと減点ポイントばっかりだったのになぜかその印象がないのは役者の力でしょうか。メインの役柄3人、お母さん息子弁護士が邪魔にならないさらっとした演技をしてる。特に息子役の子いいわー、素朴なのに説得力がありました。
面白かった
夫は、自分は家事と育児を担当することで息子との絆は感じるが、自分の時間が持てないことを不公平だと訴える。また、事故以来自分が男性としての魅力が果たせず、妻が浮気をしたことに深く傷ついている。自分には才能がないことに気づきながら、プライドだけは高いから、創作のアイデアを盗まれたことがいつまでも引っかかっている。
妻は、本心では私が稼いでいるのだから夫が家事をするのは当然だと思っている。私と息子の絆は無いと言いたいのか、不公平なことなどない、執筆に集中したいなら自分で工夫して時間を作ればいい、何をやっても中途半端、夫の国で暮らしている自分こそストレスを抱えている、自分にはセックスが必要だった、小説のネタも私に書いてもらったことを光栄に思え、と返す。
二人の言語の問題を絡めながら、夫婦関係が終わる様が見事に語られていた。
人間の精神が崩壊し落下するとき、人間は自らの肉体の重さを実感しながらその命を終える。事実はそれだけだ。
人気作家による殺人事件なら大衆は喜ぶし、妻に惚れている弁護人はうつ病の夫の自殺だと主張する。人が落下した真実を二元論で語るのはあまりにもワイドショー的だ。
ここまでワイドショー的ではなくても、裁判というのは最終的にどちらかに決めなきゃいけないという意味で現実の問題を突いている。
意味深なシーンを深読みしがちだけど、重要なのは無罪か有罪かというよりも、少年がどう事件を捉えるか、というのが重要になってくる話。
ラスト。裁判で、息子は母親を殺人犯にしないと〝決めて〟証言する。晴れて無罪になったものの、母親が帰宅したとき「ママが帰ってくるのが怖かった」「私もよ」といったセリフが交わされる。
息子の眼には、母親が父親を自殺に追い込んだ殺人者と映っているかもしれないけれど、事件前の関係性に戻れるように母親は息子に抱擁してもらう。
そしてラストシーンは、スヌープが添い寝をしてサンドラのホッとした表情でおしまい。
言葉の達人サンドラにとって、裁判を含めて言葉なんてどうにでもなるもの。だから言葉を駆使する人間…同業者の夫も弁護士の彼も、面倒くさいしそもそも信用していない。信用できるのは体温を感じる子どもと動物だけ。あとはセックスの相手が時々いればいい。
サンドラにとって、この一家は最初から、サンドラとダニエルとスヌープ、この三者のバランスがベストだったのでは?
事件の真実はわからないけど、そんな感じがくっきりと見えた。
アカデミー賞というだけで期待したのが失敗
旦那が死んだ。
事故?他殺?それとも自殺?
なぜ?真実は?
どんどん出てくる新事実、果たして妻はやったのか、やっていないのか?
何の情報もなく、ただアカデミー賞というタイトルのみで見た。
夫が死んだ妻と子の話。
亡くなった理由はわからず妻がやったのか、やっていないのか。そこら辺をはっきりさせずに物語は進む為、サスペンス形式な映画なんだと思いながら見た。
今思えば、アメリカのエンターテインメントな映画に慣れすぎてしまっていたのかもしれない。
物語はそこに重きを置いていなかったのだろう。
「考えても、情報が少ないけど結論を出さなきゃいけない。そんな時は自分で決めるんだ」
そんな言葉が芯にあると感じるような映画だった。
まあ、大事な言葉というのはわかるけど、ちょっと軽い、若い気がする。
結局真実はわからず終い、しかし親子の絆は強くなったのでした。みたいな話。
大した感動もないし、エンターテインメント性もない。なんだかぼやけた映画に感じた。
フランス映画ってこういうもんか。
時間も長いし、損した気がする。
面白かったけど・・・
第76回カンヌ国際映画祭
パルム・ドールとパルム・ドッグ賞を受賞
面白かったけど、正直賞を獲る程良いとは・・・
まさか法廷劇だとは思ってなかった
それに子供のあの証言だけで無罪になるとは到底思えない。
説得力に欠けるなぁと・・・
しかも最後まで観ても真相は分からず
色々とスッキリしない
あとは観客が勝手に考察しろという感じで
最初からからくりを考えてなかったみたいで
なんかズルいと思う
深読みすべき作品 (2度目のレビューを追加)
(追加分)
YouTubeでこの作品に関する誰かさんたちのレビューをいくつか見たことで、もう一度この作品を考えて見たくなった。
誰かさんの一人が話していたのは、撮影時にサンドラには「事実」が教えられることなく演技をさせられていたようで、この演出が多義的解釈となってしまうのは間違いない。
多義的要素が多分にあるが、これには必ずたった一つの事実があることで、推理妄想が止まらなくなる。
夫サミエルの転落死の謎 事故・自殺・他殺
検死結果ではそれはわからなかった。2階なのか屋根裏部屋なのかさえ明確ではない。
裁判となってしまい、この家族が解剖されるように様々なことが出てくる。
そして俯瞰的なカメラワーク
さて、
1回目に見た時とまったく違う考察になった。
この物語は、サミエルによって仕込まれたサンドラへの復讐だったのではないだろうか?
概ね半年前からこの計画をサミエルはおぼろげながらも描いていたのではないだろうか?
大量に服用したアスピリン 嘔吐と気絶
そして嘔吐物を犬が食べたことで起きた異変
サミエルはその時自殺を図ったのかどうかわからないが、裁判でサンドラは初めてその事を考え、その可能性を示唆する。
ダニエルはまったく知らずにいた夫婦関係のことや犬の異変の出来事を想い巡らせながら、マルジェに言われた通り自分の頭でこのことを考えようとする。
マルジェは言う「フリではなく、決めろといったの」は、視聴者にこの多義的な物語には事実があるからそれを考察せよと言ったのかもしれない。我々視聴者にこの物語が何かを決めていいと言っているように感じた。
サンドラの小説
そこにあるのは実体験とフェイクを織り交ぜたもので、実体験があるからこそ際立つフェイクがヒットとなる。
その手法を次々と次回作にも応用する。
サミエルの本心は隠し取りした音声によって明らかになるが、死の前日の口論を録ったUSBは、明らかにサミエルから仕掛け、いつもと同じような態度のサンドラの反撃にいつも以上に大きく反応した口論を残したと思われる。
サンドラの小説こそ、サミエルが最も腹立たしかったものではないだろうか?
彼が感じている彼の現状は、確かに彼によって作られたものかもしれないが、彼が抱え込んだそれはもう限界を超えていたことが窺える。
その彼が見ている現実を、彼は妻にも味わわせたかったのかもしれない。
この物語は、サミエルによる復讐を「作品」と言いう形で表現したのかもしれない。
勝訴の後、サンドラは車の中で「地下鉄に乗って笑うよりも、車の中で泣いていた方がいい」というセリフは、「貧乏」に関する有名小説の言葉だ。
これが彼女のスタンスで本心だ。貧乏だけは絶対に嫌 これだけは絶対に避けたい。
彼女が一心不乱に執筆をつづけたことは誰にも責められるいわれはない。
その事はサミエルにも解っていたことだろう。
しかし、
想いと裏腹に、現実の状況はどんどん彼をひっ迫させる。
息子の事故 妻の浮気 金欠 引っ越し 教師と執筆と改装工事…
夫として、そして父親としても無能と無力さを、彼は突き付けられていたのだ。
そしてそれを突き付けている人物こそ自分自身であることも、頭の隅では理解していたはずだ。
現実と、プライドとの葛藤
これこそがサミエル自身が絶対受け入れられない両面で、全ての元凶だったように思った。
彼のプライドはこの世界に「自分の足跡」を残すことを選択した。
この落下死は、サミエルからサンドラを通して世間に見せつけた「作品」
サンドラの作家活動の根本的材料である「実体験」
冒頭の学生のインタビューにサンドラが話を変えたのは、もうすでに材料がなくなってしまっていたからではないだろうか?
鋭い彼女のインタビューに答えることができないほど、アイデアが枯渇していたのかもしれない。
サミエルは、学生とのインタビューのタイミングを計った上で音量を大きくした。
息子も外に出すためだ。
やがて学生が返り、サンドラが彼に文句を言うのを待っていたのだ。
そうして仕掛けた落下死 つまり自殺
この出来事という実体験を彼は彼女に「作品」としてプレゼントした。
彼も知らなかったかもしれないサンドラの本心を、彼は天から見たのだろう。
そして、犬
最初からスヌープがカメラに抜かれている。そこには意味がある。
犬は知っていたのだろう。
サミエルがダニエルに、スヌープの賢さを褒めていた。
サミエルはスヌープにこの計画を話していたのかもしれない。
最後にサンドラのそばに来たスヌープは、サミエルの表現した作品が終了したのを教えに来たのだ。
そこにあった一枚の写真
これは、最初の映画公開時のポスターに作われたもので、これこそがこの作品の正体。
つまり、あの写真が本来の二人の姿だったこと。
夢 事故 お金… 次々と重なる不幸が、この出来事を招いた。
その責任は回りまわって全部僕(サミエル)の所為
でもどうにもならないプライド
彼の差し出せた最後の資産こそ、命という対価の保険金だったのだろう。
この保険金の言及はないが、借金を返せるくらいはあったのだろうと思われる。
同時に彼もサンドラのように、自分の作品を世間に残したかったのだ。
サンドラは弁護士のベンに言う。「思っていたのと違う。もっとホッとすると思っていた」
このセリフはこの物語を読み解く上で非常に大切な部分だ。
サンドラはとにかく必死で無罪を勝ち取った。
ところが釈然としない。
それは、「じゃあ、なぜサミエルは死んだの?」という至極純粋な疑問をようやく自然体で考え始めることができたからだ。
彼女は事故の可能性を否定しつつも、その可能性を屋根裏部屋で探していたが、結局誰もそれを見つけることはできなかった。
では自殺ということになるが、その理由をサンドラはまったく思い浮かばない。
そして、「いまは考えずにいよう」となった訳だ。
ダニエルが夜中に帰ってきた母に「ママが返るのが怖くて」というセリフがあるが、おそらくそれは、知らない母 知らなかったことが多すぎて母をまるで他人のように感じてしまう自分がいること。ママはママじゃないの?という不安。
法廷で明らかになった母のこと。父のこと。そしてその全てがダニエル本人の所為だと言われているように感じること。
サミエルのこの「作品」は様々なものを浮き彫りにした。
私(サミエル)の苦悩と本心
妻サンドラの事実と本心
息子ダニエルの心の傷をつけた。
背景にあった事故とお金の問題 やりくりの問題 プライドの問題
これらすべてが実体験(この出来事)の下地となる。
そして、サンドラとダニエルにはまだ着地点が見つからないことも、問題だろう。
もし、
サンドラがほんの少しでもサミエルの気持ちに寄り添うことができた時、その時サンドラはサミエルの死が、彼によって作られた作品だったことを知るだろう。
おそらくそれを知ったとき、彼女はこの実体験をようやく小説にできるのかもしれない。
落下の解剖学 (初回のレビュー)
落下とはサミエルの死の原因ではなく、人生の落下を描いているように思った。
サミエルの死は事故か自殺か、それとも他殺か?
凶器が見つからないまま、状況証拠だけが積み重なっていく。
さて、
夫サミエルと妻サンドラの口論の録音
裁判で最も白熱したシーン
サミエルの主張とサンドラの主張の対立
それは真っ向からぶつかっているように見えるが、サミエルの主張には自分勝手さが多いように思う。
サンドラは至って冷静だが、冷酷でもあるように感じた。
正論ほど冷酷なものはない。
息子ダニエルの事故の原因
サミエルは書くのに夢中になってしまい、迎えに行けずメイドに依頼した。
帰宅途中で起きた事故で、ダニエルの視神経が損傷し、ほとんど見えなくなってしまう。
この事故を引き起こしたのが自分の所為だと嘆くサミエル
すべての元凶であり、彼の人生の落下地点でもある。
息子の治療費のために教師になり、息子の世話をしながら執筆活動するが、やがてお金の問題を抱えフランスに帰省し、山小屋を買って生活費を抑えるが、山小屋購入分の借金が重くのしかかってくる。
山小屋の修繕に加えB&B開業へ向けての改装
気づけば全く書く時間がないことに気づく。
これが本人を深く傷つけることになる。
サンドラは執筆活動で成功
この差がサミエルの新しい苦悩となる。
そうした背景があって、あの録音された口論となった。
検察は、
そうした状況からサミエルの死を、サンドラによる殺人だと追及する。
さて、
最終的にダニエルの証言が功を奏し、サミエルの死は「自殺」だったと結論付けられた。
彼の遺体の状況から、3階から落ちたのは間違いないようで、彼の人生の落下ポイントが実際に「落下」死ということで終焉する。
解剖されたのは落下そのものではなく、サミエルという人物とサンドラという人物像だったというのがこの作品の締めくくりとなっている。
しかし、
裁判が終わった後の余韻が妙に長く、真実が最後に出てくるのではないかと期待したが、そんなものは出てこなかったことが少し拍子抜けした。
この変な余韻に隠されていたのが、サンドラがようやく自由になれたことで、それが大きな喜びのように感じると思っていたが、実際に安堵感はあったものの自分という人間を世の中にさらけ出してしまったという恥にも似た感覚だったのだろうか?
さて、、
深読みをしてみる。
ダニエル
彼はいつも両親の口論を聞かされていた。
その根源が視力を失う事故に由来する。
失明 高額な治療費 父の人生を大きく曲げたこと 両親の不仲
おそらく彼は家庭崩壊を間近で見続けてきた。
家族の落下を俯瞰的に解剖できる唯一の人物
そして倒れている父の第一発見者
ダニエルは証言する前に、監視人のマルジュに相談を持ち掛ける。
彼女は「自分で決めるのよ」と進言した。
ダニエルには確信がない。
しかし彼女は「確信がなくてもどっちか一つに決めろ」と言った。
「母はやってない」
これはダニエルの希望的観測だ。
これに加わったのが、父と一緒に犬を病院へ連れて行った時の父の話だった。
それは聞きようによっては自殺をほのめかしている。
これが裁判で決定打となった。
そうして無罪を勝ち取ったサンドラは弁護士と一緒に祝杯を挙げるが、気分は思ったほど良いものじゃないと打ち明ける。
それはすなわち、サンドラはサミエルを突き落としたことを、自分だけには隠しようのない事実だと知っているからだ。
良心の呵責
決して晴れることのない心の闇を彼女は同時に持ってしまったと解釈した。
また、
酒と一緒に薬を飲めばどういうことになるのか、大人であれば知っている。
サミエルが酒を飲んで嘔吐して、その中にあったアスピリンの粒という彼女の証言
その嘔吐物を犬が食べた後に、サンドラがそれを片付けた。
ダニエルはその証言を聞いて「何を信じたらいいのかわからなくなった」と言った。
ダニエルは犬がゲロ臭かったのと、その後の犬の様子を思い出す。
当時そのような出来事があったことをサンドラはダニエルには話していない。
犬も頻繁に嘔吐する特徴を持つ。
なのにサンドラは何故それが夫のものだとわかったのだろう?
酒臭かったからか?
しかしダニエルは犬が酒臭かったとは話してない。
単にゲロ臭かっただけだ。
嘔吐物が酒であれば犬はそれを食べたりしないだろう。
このことから、夫は酒と一緒に大量のアスピリンを飲んだのではなく、単にアスピリンを大量に飲み過ぎて倒れ、そこで嘔吐したと考える。
しかも嘔吐物の中には錠剤痕はなかったはずだ。
アスピリンを飲ませたのはサンドラだろう。
つまりサンドラは、当時すでに殺人未遂をしたことになる。
一度やって成功したのではなく、2度目でようやく成功したのだろう。
裁判を乗り越えられたのは、その精神力があったからだ。
つまり裁判後の長い余韻は、サンドラの良心の呵責を描いている。
いま彼女は「これでよかったんだ」と自分に言い聞かせている時期だが、これが彼女に起きた人生の落下地点になるのだろう。
夫婦喧嘩は犬も食わない
夫が家の三階から落ちて頭を打って死亡、落下で頭を打った事故なのか鈍器で殴打された殺人か定かでない、疑われた妻は裁判に・・。
カンヌのパルムドールをはじめ多くの映画賞に輝いた作品を貶すのは気が引けるが真実が曖昧なまま、ダラダラ進む法廷ドラマ。
そもそもこの夫婦、二人とも作家で夫は売れず、妻はベストセラー作家らしい、夫が妻の才能に嫉妬、売れないのは自身の才能でなく雑事に忙殺されて時間がないからと他人のせいばかり、しかも、夫は生粋のフランス人で妻はドイツ人、共通会話は英語という無理っぽい夫婦、加えて妻はバイセクシャルのレスビアンとも設定、これでもかというややこしさをこねくり回して夫婦関係の真実に迫るが、どうでもいいことばかり、小出しにエピソードを積み上げるが登場人物に魅力が無いので傍観するだけ、検察官も医者も最低でした。
所詮、夫婦の仲は他人には分からないことばかり、夫婦喧嘩は犬も食わないということなのか・・。
冒頭からヒップホップ、Pimp(ポン引き)が爆音で響き渡る、劇中では息子までピアノ演奏、この胡散臭い選曲は何なのでしょう。
タイトルから解剖学で真実が明かされるのかと思ったが物的証拠は乏しく、夫婦喧嘩とか状況証拠だけだから、推定無罪は仕方ない。ラストシーンで母子二人の寝室シーン、やっと真実が語られるのかとラスト5分に期待したが何もなし・・。
背景にある社会的構造は?
自宅のバルコニーから転落死した夫の死が、自殺なのか妻による殺人なのかをめぐる裁判の話。唯一の証人である息子は目が不自由という設定になっている。
全体としては淡々と展開していくが、夫婦喧嘩のシーンと法廷でのシーンが迫力があった。
夫婦間に屈折した関係性がある。成功している妻と挫折した夫。夫の被害者意識とその被害者意識を疎ましく思う妻の関係性。逆の立場も含めれば、多かれ少なかれ多くの夫婦間に見られるのではないか。結局のところ真実は不明である。しかし、妻の殺人だと断じている人達には、自殺であろうと他殺であろうと夫を死に至らしめたのは妻だという思いがありそう。
全体的な構造として女対男になっている。妻の味方は女性で、敵は男性だ。唯一男性で妻の味方なのは弁護士だけ。ただ、この弁護士は古くからの友人であり、かなり親密な関係がある。妻の味方ではあるが、妻の無実を心から信じているとは言い難い気がする。一方でアシスタントの女性弁護士は妻の無実を信じて疑っていないようだ。
なお、息子にとっては夫婦間の争いでどちらの側につくかの結論を迫られることになる。息子の目が不自由なことも家族の関係性を表すメタファーになっている。
登場人物の性別がすべて逆になったら、まったく異なる印象を受ける映画になりそうだ。そう考えると『落下の解剖学』というタイトルは奥深い。この出来事の背景にある社会的な構造を解剖しているようだ。
なるほどなるほど
解剖されてるは、私たちの浅はかな、移ろいやすい感情ってこと?!
真実はひとつ!ってコナンくんが言うけど、この映画はそれは重要じゃないんだ。と思ったら、☆1.5だった点数を2.5にした。
ゲスすぎた検察官?は、SNSだね。
自分の理論正義を押し付けようとする生物。
気をつけよう。
てかそもそもパルムドールをとったという情報で、期待値が高くて、勝手に☆減らしたりしてるから、私の感情は支配されている。
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